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試し読み

此度の芝居『鎌倉三代記』のお話、聞きたいとは思いやせんか?【 蝉谷めぐ実『おんなの女房』試し読み#10】

デビュー作『化け者心中』で文学賞三冠達成!
最注目の気鋭が描く、いびつな夫婦の恋物語。

デビュー作『化け者心中』で小説野性時代新人賞、日本歴史時代作家協会賞新人賞、中山義秀文学賞を受賞。いま最も注目を集める歴史時代作家小説家・蝉谷めぐ実の第2作おんなの女房は1月28日に発売されました。
歌舞伎を知らぬ女房と、女より美しい“女形”の夫。やがて惹かれ合う夫婦を描くエモーショナルな時代小説を、まずは試し読みからお楽しみください。



『おんなの女房』試し読み#10

「ですから、女房がそんなこと」
 己の声が揺れている。合わせて腹の内も揺れている。実家で教え込まれた女としてのお役目や規範がずっしり腹の真ん中に居座っていたはずなのに、こう面と向かって言われるとなぜだかそいつがぐらぐらとしてくる。
 近頃のこのしばまちの雰囲気も悪いのだ。志乃は己の親指をきりりと嚙む。
 時姫、ありゃあじようじようきちだ。先の初姫で目をつけていたが、いやはや、こいつは大当たり。馬鹿だね、あんなぽっと出、すぐに消えるよ。うらすけよしむらの男振りったらありゃしない。いやいや、ながに目がいかねえとはとんだ節穴。
 皆が芝居のことを語っていて、その熱気がこれまた志乃の腹の内を揺らす。
「内緒内緒。ばれやしませんよ」と善吉がささやく。
「ばれるって誰にです」
「いや、わからねえですが」
 この問答で何やら志乃は気が抜けた。
 そうよ、聞いたところで私が腹に据えているものは変わりっこない。
「いいでしょう、どうぞお聞かせください」
 板間の桶と桶の間にようやく二つ体を落ち着けると、善吉が、おいらは木戸芸者ではねえですから、下手くそでも堪忍してくださいね、と言い置いた。なにを思ったか豆腐の入っていない空桶を片手で摑み、それを板間にコン、と打ちつける。
「……なんですか」
「遮っちゃあいけねえや、御新造さん。こういうのは空気ってのが肝要なんだから」
 コン、と打つ。続けてコンコンと打つ。コンココココココ……コン。
 ココン。
「ときはかまくら。こいつはみなもとのよりとも亡き後のお話にござります」
 演目は『鎌倉三代記』。ほうじようときまさと御家人との戦いが芝居の軸ではございますが、まあ、そいつはちょいと置いておきやしょう。なにせ此度の森田座皐月狂言で大事なのは燕弥の演ずる時姫様。時姫は時政の娘でございますが、なんと敵将三浦之助義村を慕って一人家を出、きぬがわ村に身を寄せている。この村に身を置いているのは三浦之助の母、長門。時姫は長門の看病をしているのです。
「ちょっとお待ちください」
 何やらいきなり開いた善吉芝居の幕を慌てて閉じる。へえ、と善吉は素直に応じて口を閉じるが、頰は少し膨らんでいる。
「時姫という女は己の父を裏切って、敵方の男に身を寄せているわけですか」
「そうですけど」
「なんという筋書きですか! この本を書いたお人は女のさんじゆうを知らないのですか!」
 家にあっては父に従い、しては夫に従い、夫死しては子に従う。こんなこと、手習い子でさえそらんじる。嫁入り前の女子が慕う男のもとに走るなど、孝のかけらもない。だが、善吉は、すごいですよねえ、と間延びした口をきいている。
「恋心はなにもかもをひっくり返しちまえるんだもの」
 すごいものか。志乃は己の背中の産毛が逆立つのがわかる。
「こんなものが江戸のお人たちに受けているんですか」
「だって、ほうらこの通り」
 善吉の指の先にある豆腐の山には、志乃も黙るしかない。
「恋心を抱える時姫は可愛らしい。だからこうしてみなが祝儀を贈ってくるんです。だが、三浦之助はそうではなかった」

(つづく)

作品紹介・あらすじ



おんなの女房
著者 蝉谷 めぐ実
定価: 1,815円(本体1,650円+税)
発売日:2022年01月28日

『化け者心中』で文学賞三冠。新鋭が綴る、エモーショナルな時代小説。
ときは文政、ところは江戸。武家の娘・志乃は、歌舞伎を知らないままに役者のもとへ嫁ぐ。夫となった喜多村燕弥は、江戸三座のひとつ、森田座で評判の女形。家でも女としてふるまう、女よりも美しい燕弥を前に、志乃は尻を落ち着ける場所がわからない。
私はなぜこの人に求められたのか――。
芝居にすべてを注ぐ燕弥の隣で、志乃はわが身の、そして燕弥との生き方に思いをめぐらす。
女房とは、女とは、己とはいったい何なのか。
いびつな夫婦の、唯一無二の恋物語が幕を開ける。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322102000165/
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