どんでん返しというと昨今はミステリ用語のイメージが強いけれども、元来は歌舞伎の世界の用語である。歌舞伎の舞台で、大道具を九十度後ろに倒す仕掛けを「
そういう両ジャンルの相性の良さもあってか、歌舞伎の世界を背景にしたミステリは少なくない。古くは横溝正史、
舞台は文政年間の江戸。「
この依頼の段階で、起こった事件というのが尋常なものではないことがわかる。何しろ、誰かの頭が落ちた筈なのに、再び灯がついた時には六人の役者の頭は全部ちゃんと揃っていた……というのだから、どう考えても人間業であるわけがない。鬼が誰かを食い殺し、その人物に成り代わっていると推測されるが、六人の誰も、性格や仕草にその後変わった様子はない。
歌舞伎役者が探偵役を務めるミステリ小説というと、戸板康二の「
聞き込みによって、誰それが鼠の死骸を食っていた、別の誰それは赤い爪を伸ばしていた……等々、俄かには信じ難い奇怪な情報が次々と入ってくる。しかも新たな殺人未遂まで起こって、事態は混迷の度合いを深めるばかりである。
魚之助から「鬼は化け物やさかい、残忍なんや。なら、どれだけ人間のふりをしとっても、人間には真似でけへん残忍さが鬼には現れてくるんとちゃうか」と示唆を受けた藤九郎は、「そうか、人間とは思えない心を持っているやつが鬼ってことか!」と、役者の本性を暴くことで鬼を見つけ出そうとするが、そう簡単にはいかない。魚之助が言う通り、「役者の言葉はそないにぽんぽん信じるもんやない。舞台に乗れば、役者は鳥にも、女にも、そして鬼にもなれる。客を騙すんが役者の仕事」なのだから。
後半、そんな役者たちの本性が次第に浮かび上がってくる。彼らは芸のためには人を人とも思わず利用し尽くす精神の持ち主であり、互いの嫉妬心も並大抵ではない。江戸の役者と、大坂から来た役者とのあいだに生じる対抗意識も凄まじいものがある。芝居の世界の論理から縁遠い藤九郎からすれば、「鬼」とも見える者ばかりだ。
しかし、そこまで芸に執着するというのは、見方を変えればこの上なく人間臭い営為とも言えるのではないか。探偵役である魚之助自身、引退後も女言葉を話し、艶めかしい女姿のまま日常を送っているけれども、実態としては堅気の一町人でしかない。芝居の世界に執着を残し、過去の栄光にしがみついているそのどっちつかずぶりを指摘される後半の展開は残酷そのものである。
そう、本書は六人の役者の秘密を暴くミステリであると同時に、後半は魚之助という主人公の深層に迫ってゆく物語でもある。憎々しいほどの毒舌を飛ばす、およそいけすかないキャラクターである魚之助は、いかにして現在の魚之助となったのか。彼が両足を失うことになった過去の出来事の真実とは何だったのか。
足のない歌舞伎役者というと、どうしても連想するのは幕末に実在した三代目
それにしても、選評で森見登美彦が「あたかも江戸時代をひらひらと自在に泳ぎまわりながら書いているような文章である」と評しているように、江戸の景色が浮かんでくるような文章のセンスは驚異的である。著者が今後も歌舞伎の世界を描くのかは現時点では未知数ながら、今後に期待したくなる有力新人であることは間違いない。
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