KADOKAWA Group
menu
menu

試し読み

【試し読み】大沢在昌氏賞賛!新星が放つ圧巻の〈極道エンタメ〉――増島拓哉『飢える骸』冒頭特別公開!(1/3)

小説すばる新人賞デビューの新星、増島拓哉さんの最新刊『飢える骸』が、2025年12月22日(月)に発売されました。
組へのクーデターを謀る二人の極道が、「絶対に手を出してはいけない男」を利用しようとしたことで転がり始める、圧巻の極道エンターテインメント! 刊行を記念し、その冒頭を全3回に分けて特別公開します。

抗争、謀略、敵対組織、公安、裏切り、絆――全部盛り!
あの大沢在昌さんに「やりすぎ」と言わせた小説、気になりませんか?

とにかくページを捲る手が止まらないことをお約束します。是非お楽しみください!



増島拓哉『飢える骸』試し読み(1/3)

 夜気が迫っていた。いわおみきろうは運転席のシートに深くからだを沈めたまま、マッチを擦った。両切りのピースに火をける。灰皿には既に、吸殻がうずたかく積もっている。カーオーディオにセットしたCDが「氷の世界」を流し始めた。若かりし頃のいのうえようすいきようじんでしなやかな美声に、じっと耳を傾ける。リリース当時に聴いた衝撃を今も鮮明に覚えているが、それが半世紀以上前の出来事だと気付き、りつぜんとした。
 深々とけむりを吸い込み、静かに吐き出す。もとまで吸い終えた頃、もとみやゆうが姿を現した。ゆっくりとした足取りで、人気のない夜道を歩いている。少しずつ、こちらに近付いてきている。二十八歳のはずだが、その顔立ちは若々しいというより、いらちと不満を抱えた子供のようだ。
 心臓がはげしく脈打ち始めた。胸がむかつき、吐き気が込み上げてくる。煙草たばこを灰皿に押し付け、
てのひらをカーキ色のジーンズにこすり付けた。手汗も足の震えも、収まる気配はない。
 本宮が車の側を通り過ぎた。運転席の巌には、いちべつもくれない。
 扉を押し開き、車から降り立った。催涙スプレーを右手に持ち、背後から本宮に接近する。
「おい、コラ」
 本宮が立ち止まり、素早く振り返る。
 催涙剤を噴射した。オレンジ色の霧が、本宮の顔を覆う。うめき声を上げ、両手で顔を押さえて
うずくまる。かすかな刺激臭が巌の鼻をいた。
 唐辛子に含まれるカプサイシンを主成分としたOCガスだ。少しでも目に入れば、斬り付けられたような痛みに襲われ、まず目を開けることはできない。吸い込めば、喉や鼻の粘膜が焼けるように痛み、声を出したり呼吸したりすることさえ、ままならない。
 足許で、かすれた呼吸音がした。本宮がもだえ苦しんでいる。こうふんで、心臓が破裂せんばかりに鼓動を刻む。眩暈めまいに襲われた。奥歯をみ締め、足を踏ん張る。
 左手で本宮の襟首をつかみ、右手で車のトランクを開いた。投げ飛ばすようにして、トランクの中に押し込む。本宮が両目を閉じたまま、抵抗しようとたらに腕を振り回した。
 本宮の腕を払いけ、びりようこぶしたたき込んだ。立て続けに殴打する。本宮が弱々しく呻いた。
 トランクを閉め、運転席に回った。震える手でハンドルを握り、滑らかに車を発進させる。カーオーディオはアルバムの再生を終えたらしく、何の音も発していなかった。

 目を覚ました本宮は、怒りと恐怖に満ちた表情で目を瞬かせた。衣服は全て脱がせ、両手足をベッドに拘束している。本格的なSMプレイに用いられる特殊なベッドだ。はげしく暴れても、拘束は解けない。
 巌は木の椅子にすわり、本宮のしなびた陰茎を見下ろしながら煙草をふかした。はいきよと化したラブホテルの一室だ。電気は通っていない。持ち込んだ電池式のスタンドライトをベッドの左脇に置いている。ほのあかるい光が、本宮の顔を穏やかに照らしている。
「おい、ハゲ。なんや、これ。放せ!」
 本宮が甲高い声で叫んだ。巌は無表情のまま、髪の毛の残っていない頭をで回した。何とはなしに、こけた頬ととがったあご先をてのひらでなぞる。青白い肌は乾燥し、がんは深く落ちくぼんでいる。元々骨ばった顔つきだったが、ここ数年は自分でもへきえきするほど、そうぼう髑髏どくろに似てきた。一部の者達からと嫌悪を込めて「むくろ」と呼ばれていたのははるか昔の話だが、見た目に関して言えば、今の方がよほどそのあだに似つかわしい。
 巌は口からけむりを漂わせ、短くなった煙草の先端を本宮の左ふとももに押し付けた。本宮が身をじらせ、悲鳴を発した。のどの奥でうなり、がなり立ててくる。
やまおかゆうを、覚えてるか」
 低い声で尋ねた。本宮が口を閉ざし、鋭く息を吸い込む。口をひくつかせ、目を見開いて凝視してきた。
「俺の娘や」
 本宮が息を吐き出した。震えていた。
 巌は立ち上がり、目の前の丸テーブルに置かれた工具箱を開いた。先端のサイズが一・二ミリメートルの精密マイナスドライバーを手に取る。拘束した左手の中指の爪と肉の間に、ドライバーの先端をあてがった。
「待て。おい、ちょう待て」
 ゆっくりと、ドライバーを爪と肉の間に押し入れた。絶叫がこだまする。ドライバーを小さくき回し、爪の下の肉をえぐった。ドライバーを乱暴に引き抜くと、爪がもとからがれ、ぶよぶよと赤く膨らんだ肉が露出した。本宮が苦しそうにあえぐ。
 無言のまま、左手の爪を五本とも赤く染め上げていった。その都度、本宮が新鮮な叫び声を上げ、巌はからだしんから震えるような快感に貫かれた。目が潤み、視界がかすむ。ここい虚脱感を味わいながら、椅子に腰を下ろした。
 本宮がしようすいしきった顔で、荒々しい呼吸を繰り返している。
 ドライバーをテーブルの上に置き、煙草に火をけた。熱い烟で喉を焼き、肺まで流し込む。
「許してください」
 本宮が力なく言い、すすり泣き始めた。
 巌は顔が笑い崩れるのを抑えられなかった。このときを待っていた。ずっと待ち望んでいた。十三年間、この日のためだけに生きてきたのだ。
「罪は、償ったやんけ」
 本宮が悲痛な声で訴えた。突発的に怒りが押し寄せ、顔面を砕きたい衝動に駆られる。下唇をみ締めてこらえた。
「裕子の話をしよう。俺の娘の話や」
 本宮がはなすすり、血走った目で天井をにらみ付ける。構わず、先を続けた。
「俺は三十歳で、あきと結婚した。今で言う、デキ婚やった。ほいであの日、病室で産まれてきた裕子をこの手に抱いた瞬間、何もかも吹き飛んだ。この子こそ、俺の全てや。心の底から、そう思った。何年かして、明恵からは『お腹も痛めてへんのに、ようそんなすぐ自覚芽生えたね』って揶揄からかわれたけどな。でも、ホンマやねん。分かるか」
 本宮は口を開かない。恨みがましい目が、小さく揺れ動いただけだ。
「裕子が中学のとき、俺らは離婚した。裕子が高校生のとき、明恵が脳こうそくで亡くなった。思春期の娘と父親、不仲になるのが定番やけど、俺らはそうはならんかった。反抗期はあったけど、長い目で見れば、俺らは仲のええ親子やった。俺の教育のお陰と違う。裕子のお陰や。裕子の裕は、豊かとかゆとりがあるとか、心が広いとかいう意味がある。子供の子は、漢数字の一に終了の了って書くやろ。最初から最後まで、いう意味や。人生の最初から最後まで、豊かでゆとりのある心の広い子に育ちますように。明恵がそう願って付けた名前の通りに、育ってくれた」
 声が潤み始めているのに気付き、言葉を切った。鼻の奥が熱くなり、吐き気が込み上げてきた。深呼吸し、気持ちを整える。この男の前で涙を流したり、感情的になったりしたくはない。
「裕子は、こんな俺を愛してくれてん。こんなどうしようもない俺を」
「すいませんでした。ごめんなさい。何でもします。許してください」
「ホンマか。何でもすんねんな」
 本宮が何度も大きくうなずく。
「じゃあ、裕子、生き返らせてくれや」
 本宮が全身を硬直させた。顔に浮かんだかすかな希望が、静かに剝がれ落ちていく。
「俺は、クソみたいな人生やったんです」
 息も絶え絶えに、口を開いた。
「母親はくずで、どいつもこいつも俺のこと馬鹿にしてきて。許せへんかった。苦しかった」
「らしいな。母子家庭で虐待されて、友達も恋人もおらんかった。勉強も運動も苦手やった」
「教師も児童相談所の奴も、誰も助けてくれへんかった。誰か一人でも、俺を助けてくれてたら、あんなことせえへんかった。十三年間、ずっとそう思って反省してました。ホンマです」
「十五歳で通り魔するほど絶望するのは、普通やない。よっぽど、しんどかったんやろう」
 いたわるような声で言うと、本宮が目を潤ませながら、小刻みに頷いた。
「不思議なもんでな。裕子が死んで、お前の気持ちがちょっと分かるようになった。街で幸せそうな奴を見ると、ごっつ腹立つ。ギャーギャー騒ぎながらはしゃぎ回っとるガキとか、イチャついとる若者とか、酔っぱらったおっさん、おばはんとか、楽しそうな親子連れとか、どいつもこいつも、ぶち殺したくなった。なんで裕子は死んだのに、こいつらは楽しく生きとんねん。なんで俺は今こんなに苦しんどんのに、こいつらは幸せそうやねん。腹立った。許されへんかった。お前もそうやったんやろ。苦しくて寂しくてつらくて、孤独やったな」
 誰でも良かった。本宮は取り調べでそう供述した。実際には、電車内で若い女を狙って刺し、二人目に女子高校生を刺そうとして、身をていして守ろうとした隣の席の裕子を代わりに刺したのだ。脇腹に突き立てられた刃物は内臓に達し、裕子は即死した。直後、アメフト部の男子大学生が命懸けでたいたりし、本宮は取り押さえられた。最初に刺された二十代前半の女は、傷が浅く軽傷で済んだ。
「すんませんでした、ホンマに。取り返しの付かへんことをしたと思ってます。すいません」
 神妙な面持ちで言い、えつした。心底、自らの罪を悔やんでいるように見える。
 巌は鼻をひくつかせた。臭う。きつく、烈しく臭う。半世紀以上、極道として生き抜く中で培ったきゆうかくだ。巌には、噓の臭いが分かる。
「お前を追い詰めて、凶行に走らせた原因の一端は、間違いなく社会にある」
 巌は淡々と言った。本宮がすがるようなまなしで、遠慮がちに頷いた。
 本宮が起こした事件に対して、とあるニュースのコメンテーターは「どうしても一定数、不良品は生まれてくる。その人達同士でやり合って欲しい」と口にして、批判を浴びた。別のタレントはSNS上で、「死にたい奴は一人で勝手に死ね」と書き込み、同じく批判を浴びた。
 人間は工業製品ではない。テレビやSNSを通じて著名人が「不良品」などと想像力や配慮に欠けた乱暴な発言をすれば、社会や人生に絶望している者を追い込む結果になりかねない。誰の心の中にも、犯人と同じ闇が存在している―批判者達は、そうした論理を展開した。
「誰もが、あの事件の犯人になり得る。犯人と我々は、紙一重の違いしかない」
 巌は厳かな口調で言った。事件当時、ニュースでインテリ文化人が口にしていた言葉だ。
 本宮が曖昧な表情を浮かべていた。反応を決めあぐねているのだろう。計算高さがかいえる。
 巌はせきばらいし、冷たい声で言った。
「紙一重。それが、どないしたっちゅうねん」
 本宮の眼差しが凍り付く。
「誰だってあの事件の犯人になり得る? だから、何や。誰だってなり得るからこそ、絶対になったらあかんのと違うんか」
 本宮が喉仏を上下させた。何か言葉を発しようとしたが、遮るように強い口調で続ける。
「死にたい、誰かを殺したい。そうやって絶望してる連中は、人間や。そういう連中は不良品やないし、勝手に死ねとも思わん。何とか希望を見つけてくれ、思うわ。でも、お前は違う。お前は現に、刃物を振り下ろした。己の絶望の矛先を何の恨みもない相手に、裕子に向けよった。たった一人の、愛する俺の娘に」
 巌はまゆじりを震わせ、努めて感情を押し殺そうとした。
「世間の連中とお前は、紙一重や。でもその紙切れ一枚は、絶対に踏み越えたらあかん。その一線を越えた奴は、もはや人間やない。そんな奴に、人権はあらへん」
「俺の苦しみは―」
「苦しみなんか、みんな抱えとる。裕子かて、抱えてた。けたツラして幸せそうに街中ほっつき歩いとる連中も、悩みや苦しみなんか抱えとんねん。みんな我慢して耐えて踏ん張って、戦っとんねん。加害者になった時点で、お前に被害者面する資格はあらへん。どんだけ辛くて苦しくて絶望してても、人は人を殺したらあかん。たとえどんな理由があってもな、人の未来は奪ったらあかんねん」
「まだ、十五歳やった! 俺はちっちゃい頃から!」
 本宮が声を張り上げた。自分がいかに不遇な人生を送り、傷付けられてきたかを怒鳴り散らす。母親へのじゆを口にしているが、当の母親は事件の一年前に病死している。
 巌は立ち上がり、黒のフライトジャケットを脱いで、丁寧に椅子に掛けた。MA-1、かつて裕子がプレゼントしてくれたものだ。
ごとやったら、お前が家庭環境に問題のあった十五歳の少年やったっちゅう事実を酌んでやれたかもしれん。でも、無理や。犠牲になったんは、俺の娘や」
 工具箱の中から、電動ドリルとくぎを取り出した。本宮が全身を震わせる。
「ヤクザが偉そうに、説教する資格あんのか! お前らヤクザなんか、社会のダニやろが!」
 本宮が感情をたかぶらせて言った。巌は口許に薄ら笑いを浮かべた。
「ああ、そうやな。すまんかった。年取ると、つい説教臭なっていかんわ。自分のことばっか、棚に上げてな。話は、もっとシンプルや。やられたら、やり返す。極道やからな」
 嚙み締めるようにゆっくりと言った。本宮の顔が恐怖にゆがみ、絶望に覆い尽くされていく。
「俺は屑や、お前と同じでな。お前が越えた一線なんか、とうの昔に越えとる」
 電動ドリルのロックを外し、スイッチの引き金を引いた。低く澄んだ音がまがまがしくとどろき、胸が高鳴る。裕子をうしなって以来初めて、心の底からよろこびを覚えた。

(第2回は12月24日(水)18時に配信予定。お楽しみに!)

作品紹介



書名:飢える骸
著者:増島拓哉
発売日:2025年12月22日

大沢在昌氏、賞賛! 新鋭が放つ、圧巻の〈極道エンタメ〉!


大沢在昌氏、賞賛!!
「やりすぎだろ、増島。」

関西を拠点とする日本最大の暴力団・游永会。その最大派閥の若頭・瀬良は、兄弟分の森山とクーデターを画策する。それは、かつて「骸」と恐れられた元殺し屋・巌が率いる巌組と游永会の抗争激化を煽り、その混乱の中で両組織のトップを殺害するというもの。しかし瀬良たちが動き出す直前、巌は游永会組員を自発的に襲い始める。巌を抗争に向かわせる手間が省けたと喜び、これを利用しようとする瀬良と森山だったが、巌は二人の想定を遥かに超えた“化物”だった......。

小説すばる新人賞受賞の新鋭が放つ、制御不能の極道エンターテインメント!

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322507001297/
amazonページはこちら
電子書籍ストアBOOK☆WALKERページはこちら


紹介した書籍

MAGAZINES

小説 野性時代

最新号
2025年11月・12月号

10月25日 発売

ダ・ヴィンチ

最新号
2026年1月号

12月5日 発売

怪と幽

最新号
Vol.021

12月23日 発売

ランキング

書籍週間ランキング

1

管狐のモナカ

著者 夜風さらら

2

映画ノベライズ(LOVE SONG)

橘もも 原作 吉野主 原作 阿久根知昭 原作 チャンプ・ウィーラチット・トンジラー

3

かみさまキツネとサラリーマン 2

著者 ヤシン

4

天国での暮らしはどうですか

著者 中山有香里

5

まだまだ!意外と知らない鳥の生活

著者 piro piro piccolo

6

雨の日の心理学 こころのケアがはじまったら

著者 東畑開人

2025年12月8日 - 2025年12月14日 紀伊國屋書店調べ

もっとみる

アクセスランキング

新着コンテンツ

TOP