エッセイマンガ等で知られるカラスヤサトシさんが、怪奇の才能をいかんなく発揮した名作ホラー『いんへるの』。
高い評価を得ながら諸般の事情で大部分が単行本化されていなかった本作が、このたび完全版で刊行! この世の地獄を描き切った本作についてカラスヤさんにお話を伺った。
取材・文:藪魚大一
※「ダ・ヴィンチ」2026年1月号の「お化け友の会通信 from 怪と幽」より転載
『完本 いんへるの』(上・下)発売記念 カラスヤサトシインタビュー
怪異と人とは、
分別し難いものだと思うんです
泥棒の少年が見た滅びの予兆の怪異。地獄絵の襖にまつわるおぞましい由来。素手で人の顔を剥げると確信する男の決断――。
『いんへるの』は2018年〜21年にWEBマンガサイトで連載された、カラスヤサトシさんのホラー連作短編。連載当時『いんへるの』は各所で高評を得たが、運営会社の消滅という不運に見舞われて惜しまれながら終了。エピソードの多くが単行本化されないまま、長らく幻の作品となっていた。そんな本作が先頃、全話収録した上下巻の単行本『完本 いんへるの』として、リイド社より待望の刊行を果たした。
「昨今の出版界の事情を考えると、もう出せないかなと思っていた時もありました。だから本当に嬉しいの一言ですね」
連載終了から4年超の歳月を経ての刊行に、カラスヤさんはそう感慨を述べる。
一般的にはカラスヤさんといえばエッセイマンガや4コママンガの作家として知られ、自画像に代表される、丸みのある人物の絵を思い浮かべる人も多いだろう。だが15年に初のホラー『おとろし』(秋田書店)を発表。これを読み、その意外な才能に瞠目した編集者からのオファーにより『いんへるの』は誕生した。
「『いんへるの』を始めた時は、エッセイマンガの絵にならないように意識して絵柄を変えようとしていましたね。加えてエッセイマンガだと僕は過剰なくらい説明を入れるんですが、ホラーを描くにあたっては逆に極力説明を省くことを心がけました。それでも初期の話を見返すと、言葉は多いし絵もまだギャグっぽいですね」
『いんへるの』は、1話8ページの連作短編というスタイルで描かれている。主人公を固定した長編という選択肢もあったはずだが、カラスヤさんは自分の〈怪異観〉に従ってこの形式を選んだ。
「僕は、不思議なことは絶対にあると思っているんです。でも、そういうことに出遭うのは、一生に一度あるかないかくらいのことだろうとも思っています。だから『いんへるの』では、そんな一生に一度の瞬間を収集するように描いていきたくて、連作短編という形にしました」
『完本 いんへるの』下巻には、ホラー作家・澤村伊智さんによる解説が収録されている。この解説で澤村さんは「カラスヤさんが描いているのは、私たちが生きるこの世界の地獄のような有様であり、その厭さや悍ましさ、恐ろしさなのである」と看破する。それはまさに〈インフェルノ(地獄)〉に由来するタイトルに象徴されている――と思いきや、カラスヤさんによれば、それは逆なのだと言う。
「タイトルは、候補の中から一番いいのを選んだんですが、そこに深い意味や意図したものはなかったんです。でも結果的に『いんへるの』というタイトルに引っ張られて、怪奇現象よりも人間の苦しみのようなものを描く方向に寄っていったと思います」
タイトルに引っ張られたという内容は、しかしカラスヤさんの嗜好からくるものでもあった。
「僕は近代文学とか民俗学なんかが好きで、特に柳田國男の『山の人生』のような、あまりいい境遇を歩まなかった人の人生を拾い上げて形に残していくようなものがすごく好きなんです。だから架空の話ではあるけれども、人生に起こる厭なことだとか辛い出来事を自分なりに形に残していきたいと思いながら描いていました」
怪異以上に、この世の苦しみや人間の内側の禍々しさが心に重くのしかかる本作。しかしカラスヤさんは単純に「怪異よりも人間が怖い」と思っているわけではない。
「確かに〈お化けよりも人間のほうが怖い〉とかよく言われたりしますし、僕のマンガでも人間の怖さみたいなものが描かれたりするんですが、僕は怪異と人とは分別し難いものだと思っているんです。この世のものじゃないものに囚われたり見えたりしている時は、同時に人の内側でも何か変なものに囚われていて、両方が絡み合った状態で現れてくるものなんじゃないかと。だから『いんへるの』でも、どちらに重点が置かれているとかどちらが怖いとかいうのではなく、混然一体になっているイメージで描いています」
そんな人怪一体の怪奇譚が、さまざまな時代を舞台にして描かれるのも本作の特色。特に明治から戦前にかけての話が多いのだが、カラスヤさんはそのあたりの時代が好きなのだろうか。
「好きだからというより、その話に一番合う時代を考えて決めています。これは現代じゃないと無理だなとか、これは戦中だなとか。でも確かに、その辺の時代が昔から好きではありました」
『いんへるの』を描く以前から近代の、特に文学や民俗学関連の本、さらに当時の記録などを趣味で読み漁っていたというカラスヤさん。『いんへるの』を描く時も、舞台となる時代や文物を徹底的に調べている。
「その都度、時間の許す限り関連する資料を探して読みます。それでも正確な時代考証はできていないし、毎回調べきれないですね」
そんなカラスヤさんの飽くなき好奇心や読書家の顔がうかがえるのが、全話に付けられた「著者解題」だ。執筆当時のエピソードやアイデアの元になったものなどがつづられ、エッセイマンガのカラスヤさんからは想像できない意外な面も垣間見られる。
「タネ明かしというほどでもないですけど、いい機会だと思っていろいろ書いてみました。最初はいつものエッセイの調子で書いたら、いちいち台無しにしている感じになってしまったので、笑いなしで書いています(笑)」
その著者解題の中で「限界を超えた寂しさ」という印象深い言葉が何度か言及される。「それが『いんへるの』全体に通じるテーマですね」とカラスヤさんは言う。
「ホラーではお化けが現れたり祟ったりしますが、それ自体はあまり怖いとは思わないんです。怪奇なものに付きまとっている怖さというのは、いろんな負の感情の中でも、お化けになった寂しさだったり、お化けに遭遇したことを理解されない寂しさだったりという、静かで冷たい〈寂しさ〉のようなものからくるんじゃないかと思うんです」
一番の恐怖は〈寂しさ〉からくる。独特な視点のようにも思えるが、『いんへるの』を読んでいくと、確かに作中で感じる恐怖の多くは〈伝わらない、伝えられない〉〈理解できない、理解されない〉といったコミュニケーションの断絶から生まれていることに気づかされる。
「最終的にそんな寂しさやディスコミュニケーションに、テーマ的には行きつきましたね」
カラスヤさんは『いんへるの』終了後、しばらくホラーを描く機会がなかったが、23年から『いんへるの』と同様な連作短編『ぢごくもよう』(ムービーナーズ/ニコニコ漫画)を連載している。今後も地獄のようなホラーを描き続けてくれそうだ。
「そうですね。突撃レポートみたいなことも相変わらず描いていきたいですが、ホラーも描かせてもらえるところがあれば、今後もぜひ描いていきたいです」
作品紹介
書名:『完本 いんへるの』(上・下)(リイド社)
著者:カラスヤサトシ
エッセイコミックの名手が、ホラーの才能を全開にして紡ぐ怪奇連作短編。不条理な怪異と共に、人のおぞましい業や得体の知れない心の内を描き、各話8ページの中にこの世の地獄を現出させる。番外編を含む全77話に加え、描き下ろし掌編(上巻)、著者による全話解題(上下巻)、澤村伊智氏による解説(下巻)を収録。
プロフィール
カラスヤサトシ
大阪府生まれ。1995年「海辺の人々」でデビュー。2003年より『アフタヌーン』(講談社)で「カラスヤサトシ」シリーズ連載。以降エッセイマンガを中心に多数の作品を手掛ける。著書に「びっくりカレー」シリーズ(新書館)、『おのぼり物語』(竹書房)など。
『怪と幽』次号予告
書名:『怪と幽』vol.021(KADOKAWA)
特集1 この世界にはムーミンがいる
トーベ・ヤンソン、あさのあつこ、杉江松恋、中丸禎子、はおまりこ、萩原まみ、藤野恵美、堀江敏幸、森絵都、森下圭子
特集2 澤村伊智十周年
朝宮運河、京極夏彦、辻村深月、東雅夫、宮部みゆき
小説:小川洋子(新連載)、小野不由美、澤村伊智、山白朝子
漫画:押切蓮介、高橋葉介、諸星大二郎
X(旧Twitter) @kwai_yoo
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