コロナ禍のなか、先日、史上初のオンライン学祭として開催された早稲田祭2020。
その公式企画のひとつとして、野性時代新人賞の今年の受賞者である蝉谷さんと、2年前の受賞者である岩井さんの先輩後輩対談が実現しました。
才能について、文章修行について、デビュー前夜とこれからの展望について、腹蔵なく語りあっていただきました。
(主催 早稲田大学生協・Book Portal)
デビュー前夜の不安
岩井:このたびは受賞おめでとうございます。受賞作が野性時代に一挙掲載されたのを読んで、すごい人が後輩になってくれたなというのが最初の印象でした。受賞時の選考委員の選評も目を通していて、編集者からも前評判が高いと聞いていたので、敢えて期待のハードルを上げて読んだのですが、それをも軽々超えてきた作品だったので、同じ賞からこんな人が出てきてくれてよかったなあ、と。
蝉谷:私、『永遠についての証明』が本当に大好きで、ちょうど投稿生活をしていた時に読んだこともあり、打ちのめされて、1週間くらい、自分はもうだめだ、と一文字も書けなくなってしまったくらいなんです。私にとって、そのくらい切実で、ものすごく痛いところを突いてくる小説でした。こういう作品を引っ提げて作家になっていく人がいる一方で、私はいったいなにをやっているんだろう……という辛さとふがいなさで、一時期、怖くて本屋に入れないこともありました。でもやっぱり、そのあともう一度、自分もこの域まで達さないといけないんだと奮起して、このたび受賞に至ることができました。今日はお会いできてうれしいです。
岩井:私も投稿生活がけっこう長かったので、お気持ちよくわかります。蝉谷さんが、『化け者心中』の発売当日に、ツイッターでレンタルなんもしない人さんに依頼したのも、話題になっていましたよね。
蝉谷:刊行の1か月半くらい前でしょうか、改稿作業を編集者さんと一緒にやっているときだったのですが、もう本当に不安で不安で、ついに寝ゲロを吐いてしまって。そうなった次の日に、これは誰かに助けてもらおうと思って、
岩井:いや、すごい。ホントに悩んでる人じゃないとその発想に至らないんだと思うんです。私もこれまで本を四冊出したんですけど、毎回発売日が近づいてくると、いつもソワソワしてしまう。
「才能」の残酷さ
蝉谷:でも今日はその岩井先生にお会いできるということで、サインを書いてもらおうと思って、何度も読み返した本を持ってきました。『永遠についての証明』は、どういうきっかけから書こうとされたんでしょうか?

『永遠についての証明』(KADOKAWA)
本体1500円(税別)
特別推薦生として協和大学の数学科にやってきた瞭司と熊沢、そして佐那。眩いばかりの数学的才能を持つ瞭司に惹きつけられるように三人は結びつき、共同研究で画期的な成果を上げる。しかし瞭司の過剰な才能は周囲の人間を巻き込み、関係性を修復不可能なほどに引き裂いてしまい――。数学の天才と青春の苦悩を描いた、第9回野性時代フロンティア文学賞受賞作。
岩井:もともと、数学者の伝記を読むのが個人的に好きで、よく読んでいたんです。天才数学者には破滅的な人がすごく多い。決闘で死んでしまったガロワをはじめ、
蝉谷:
岩井:才能のあるなしが、だれの目にも明らかになってしまう分野というのは、確かにある。小説の世界もまさしくそうですよね。そもそも才能という概念があること自体が不幸というか。『化け者心中』でも、出てくる登場人物はみんな魅力的なんですが、個人的には、歌舞伎の名門に生まれて、親の七光りと
蝉谷:確かに才能の残酷さというのは『化け者心中』にとって、大きなテーマのひとつです。『文身』は、作家になろうとする一人の男の、才能に対する渇望と畏れの物語ですよね。

『化け者心中』(KADOKAWA)
本体1650円(税別)
時は文政、所は江戸。当代一の人気を誇る中村座の座元から、鬼探しの依頼を受け、心優しい鳥屋の藤九郎は、かつて一世を風靡した稀代の女形・魚之助とともに真相解明に乗り出す。しかし芸に心血を注ぐ“傾奇者”たちの凄まじい執念を目の当たりにするうち、藤九郎は、人と鬼を隔てるもの、さらには足を失い失意の底で生きる魚之助の業に深く思いを致すことになり…。第11回小説野性時代新人賞受賞作。
岩井:はい。デビュー作以来、これまである意味ずっと、才能に関する小説を書いてきたなかで、「じゃあ、そんなことを書いているお前自身はどうなんだ」という銃口を常に突きつけられてきた意識があったんです。だから、打ち合わせで、編集者に、あなたのいちばん書きにくいことを書いてください、と依頼されたとき、その銃口の先端がとうとう自分にめり込んできたな、と。でも、自分にとって、いつか必ず書かなければならない、という切実な予感みたいなものもあったので、実はそれほど苦労せずに書けたんです。
登場人物は「分身」

『文身』(祥伝社)
本体1600円(税別)
好色で、酒好きで、暴力癖のある作家・須賀庸一。業界での評判はすこぶる悪いが、それでも依頼が絶えなかったのは、その作品がすべて“私小説”だと宣言されていたからだ。ついには、最後の文士と呼ばれるまでになった庸一、しかしその執筆活動には驚くべき秘密が隠されていた――。真実と虚構の境界はどこに? 虚実茫漠たる無頼作家の苦悩を描いた問題作!
蝉谷:あらゆる筋が最後、あのラスト1行に着地するというところがすごく好きで、震えました。あそこまで行き着く境地とは、どうやって書いていらっしゃるのか。ラストから構想していかれたりするんでしょうか?
岩井:私の場合は、プロットはわりとしっかり決めてから書くんですが、その割には、そこを逸脱していくことのほうが圧倒的に多い。予定になかった人物が出てくることもよくあるんです。そのほうがむしろいいというか、自分の物語のなかで求められている要素を肌で感じているからこそ、予定外の流れを受け容れ、面白がって書けていると思うんですね。だからラストは特に、あまり固めすぎず、書きながら決めるんです。『文身』の場合も97%書くまでは、あの結末ではなくて、でも書いているなかで、ああ、こういうことなのかな、と次第にわかってきた。
蝉谷:本当に完璧なラストなので、そこに向けて狙っていったものとばかり思っていました。びっくりです!
岩井:たしかに、そういわれてみると、前半を大きく変えることってほとんどないんですけど、後半の1割2割くらいを、徹底的にいつも大きく直していますね。2冊目に出した『夏の陰』という小説も、最終的に、初校とは全然ちがうラストになっていっていますし。蝉谷さんは、どうやって『化け者心中』の登場人物や物語をつくりあげていかれたんですか?

『夏の陰』(KADOKAWA)
本体1500円(税別)
卓越した剣道の実力を持ちながら、親が起こした事件によって世間から身を隠すように生きてきた岳。自分を剣道の道に引き入れてくれた恩人の願いを聞き入れ、全日本剣道選手権の予選に出場することを決意する。しかし、いかんなく実力を発揮し決勝に進出した岳の前に現れたのは、宿命の相手だった。出会ってはならなかった二人の対決の行方は――。「罪」と「赦し」の物語。
蝉谷:登場人物をつくっていく上で自分なりに大事にしているのは、その人なりの正義、というか、その人が大事にしている道はなにか、ということなんです。正義のヒーローと反対の悪役キャラでも、悪役なりの正義があって、その正義さえしっかりしていれば、魅力的にうつると思っています。『化け者心中』に出てくる登場人物たちも、いろいろとやらかしている人が出てくるんですけど、その人なりの行動原理は何かというのは、最初から考えて作りました。今回の登場人物でいえば、それぞれの役者に、作家でデビューできなかったときの私の苦しみを投影している部分はあると思います。私の一部分を全員に渡している、いわば自分の「分身」ですね。
岩井:たしかに私の小説でも、全登場人物に自分の一部分は絶対に入っている。私は、大学時代、体育会の剣道部に4年いたんです。大会出場の最後の1枠をめぐって3人の後輩たちと争うということがあったんですが、その大事な試合に、ギリギリで自分は負けてしまった。それまでもずっと思っていたことではあったんですが、その瞬間、なんて俺は弱いんだろう、なんて才能がないんだろうと、ものすごく強烈に突き上げてくるものがあった。そのときの圧倒的な感情は自分の書く小説のベースに、常にものすごく影響していると思います。小説家になるなんてすごいね、って言われることもあるんですけど、こんなにみっともなく自分をさらけ出してやっている仕事もないわけで、それが『文身』を書いたとき、ついにここまできたか、という感覚はありました。
蝉谷:真実と虚構の境目が、次第に曖昧になっていくあたりが、ほんとうに狂気じみて、ゾクゾクしました。ここまで自分事にしないと、小説にはならないんだ、という圧倒的な凄みというか。何が本物で、どこからが贋物なのか。その一線があるとしたら、それは何なのか。オリジナルって、じゃあ一体どういうことなのか、いろいろ考えさせられました。『化け者心中』でも、人間の関係性の変化のなかで、そういう白でも黒でもない、グレーな部分が表出してくる瞬間を描く、ということはけっこう意識していて、多様性といわれながらも、常識的なものから外れていく人たちの疎外感や、そういうグレーなものをこれからも描いていきたいという思いはあります。
岩井:自分はこっち側の人間だとはっきり言える人は、なかなかいないと思うんですよ。誰しも、どこかしら必ず割り切れないグレーな部分を持っている。それがひとつ、強烈なかたちで出てくるのが、『化け者心中』の「女形」だと思いますし、『文身』でいえば、
創作の栄養となるもの
蝉谷:岩井さんが創作のうえで影響を受けているものってありますか。
岩井:学生時代に乱読を意識して、自分なりに好き嫌いせず、純文学なども積極的に読むようにしてきたインプットの蓄積が、いまの書く体力に直結しているんじゃないかとは思います。社会人になってからは兼業なので、時間がとりづらいところはあるんですけど、地上波の連続ドラマとかは割と見てますね。今期でいうと、柴咲コウさんの「35歳の少女」が面白くて、すごく勉強になるなと思いながら見ていました。あと、私はけっこう詩集を読むんですけど、井坂洋子さんとか、
蝉谷:私もできるだけいろんなものを摂取するようには意識しています。映画、漫画、落語も今回の文体の参考にするために聞きこんだりしましたし、俳句も、五七五の十七文字に削ぎ落された美しさに惹かれます。個人的には、夢枕獏さんの陰陽師や京極堂シリーズが大好きで、独特の世界観に影響を受けるところは大きかったですね。あとよく読み返すのは、三島由紀夫作品。あの美しい描写を大学時代に初めて読んで衝撃を受けたので、初心を思い出す意味で、よく再読しています。漫画では
岩井:歌舞伎はどうですか?
蝉谷:今でも月に1回は観ています。特に古典歌舞伎は、勧善懲悪という枠がありつつも、人の機微みたいなものが含まれていたりするので、とても勉強になります。
岩井:次作の構想はもう固まっているんですか?
蝉谷:次も、江戸もので、歌舞伎で書きたいと、いま史料を準備しているところです。今回の『化け者心中』には女性がほとんど出てこなかったので、次は江戸時代の女性について、きちんと書きたいな、と。題材であっても、文体であっても、私にしか書けないものを追求しつづけていけたらと思っています。
岩井:そうですね。私も、岩井じゃないと書けなかったといわれるものを書きたい、という野心は常にあります。書き下ろしの新刊が来春に出ますが、それも国境的な意味合いで、マージナルな人を描いた小説になりそうです。作家はインプットとアウトプットをしつづけるしかない。楽な仕事ではないけれど、完成したときの喜びはほかには代えがたいので、地獄へようこそ、という感じで、また蝉谷さんに続く新しい才能をお迎えできたら嬉しいな、と思います。小説野性時代新人賞は毎年募集していますので、『永遠についての証明』『化け者心中』をぜひお読みになって(笑)、どうぞご応募ください! ……ということで、今日はありがとうございました。
書籍の詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
- 『永遠についての証明』:https://www.kadokawa.co.jp/product/321804000167/
- 『化け者心中』:https://www.kadokawa.co.jp/product/322006000161/
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