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連載

杉江松恋の新鋭作家ハンティング vol.13

この新人、まさに化け者級! 『化け者心中』杉江松恋の新鋭作家ハンティング

杉江松恋の新鋭作家ハンティング

書評家・杉江松恋が新鋭作家の注目作をピックアップ。
今回は規格外の熱量をはらんだ一冊。


書影

蝉谷めぐ実『化け者心中』


 一口で言ってしまえば、矜持と孤独の小説だと思う。

 第十一回小説野性時代新人賞を受賞した蝉谷めぐ実の『化け者心中』は、江戸の文政期を舞台とし、芝居小屋と歌舞伎役者たちが主たる登場人物となる時代小説なのだが、そうした設定を忘れさせてしまうほどの普遍性がある。とことん主人公のわれを書いた作品だからだ。その強烈な自我に惹きつけられ、魅惑され、しかし反発もし、理解できなくなってもどかしくなり、思わぬ空隙を見つけてしまって動揺し、つまりは主人公を眼前にしているような気持ちに胸を焼かれる。

 にもかかわらず、これはどこまで行っても江戸の小説で、出てくる風俗、常識、倫理観はすべて現代のものとは違う。現実感たっぷりに読者に与えられる情報は視覚だけではなく、見目麗しき者たちの放つ芳香や下衆のすえた体臭、芝居小屋の奥で耳をすませば聞こえてくる、下積みで終わって生涯芽が出なかった者たちの怨嗟の声といったものが、ページをめくるごとに行間から漂ってくるのである。読書に不慣れな者だと初めはちと骨が折れるかな、と思うほどのこの密度の高さ。文字を追うという行為の楽しさを存分に味わわせてもらえて、新人の作品だということも忘れて私は読み耽った。

 と、言いたいことは最初に書いてしまった。これで紹介をおしまいにしてとりあえず読んでくれと言いたい気持ちもあるのだが、とりあえずあらすじと物語の構造を簡単に紹介する。

 物語の語り手は日本橋通油町、現在の地名では大伝馬町あたりで「百千鳥」という鳥屋を営んでいる藤九郎という青年だ。彼は舞台を下りた女形おんながたである田村魚之助の家に出入りをしている。魚之助との間には可愛がっていた金糸雀カナリアを巡る因縁があり、藤九郎は彼に決して好意は抱いていないのだが、惚れているおみよが今でも魚之助の熱烈な贔屓であり、顔を出さないわけにもいかないのだ。そうして不承不承魚之助、役者としての屋号は白魚屋の元に通ううちに、奇妙な事態に巻き込まれる。

 舞台となったのは芝居小屋の中村座である。秋芝居のための正本が書き上がり、前読みのために役者たちが集まっていた。刻限は夜四つ過ぎ、現在の定時法でいえば午後十時くらいか。突如車座になった中央に黒い塊が落ちてきた。あっという間の出来事で、しかと確認することはできなかったが、間違いなく人間の頭部であった。しかし、部屋にはすぐ暗闇が訪れ、ぱきり、ぽきり、がじごじ、ちゅるちゅるり、と音が響いてそれは喰われてしまったのだ。

 鬼が役者の一人を喰い、その者に成り代わったのである。

 この事態を解決するために魚之助は呼ばれた。三年前にあることが起き、彼はすべての足指を失って舞台に立つことができなくなった。しかし今でも芝居の世界には隠然たる影響力を持っており、復帰を待つ者も多い。その魚之助に鬼探しの声がかかったのである。一人では歩行にも不自由を来すゆえ、藤九郎はおんぶの足代わり、兼魚之助の下働きだ。

 こうした導入部から始まる物語なので、『化け者心中』には探偵小説的な骨格が備わっている。魚之助と藤九郎がホームズとワトスンの間柄、六人の役者に紛れ込んでいる鬼という犯人を見つけ出すのだ。そうこうしている間に初日を迎え、芝居の幕が上がる。連日の興行は平穏なものではなく、中途でさまざまな小事件が起きる。出演者同士の鞘当て、中二階と呼ばれる大部屋に入る下層役者たちの醜い感情など、華やかな世界の裏側にある淀んだものを見せつけながら、六人の容疑者たちを紹介していく趣向だ。

 しかし、読者が意識するのは事件そのものよりも白魚屋、田村魚之助のことだろう。おみよが執心するのも無理からぬ美貌の持ち主ではあるが、彼にはあざとい一面があり、うぶな藤九郎に房事の話題を振って決まり悪い思いをさせたりする。たおやかさと野卑な心根を兼ね備えたアンドロギュヌスのような存在感の持ち主なのである。

 魚之助のモデルは幕末の名優・三代目澤村田之助であるはずだ。美貌の女形であった田之助は脱疽の病に取り憑かれ、四肢の先端を切断するという憂き目を見た。それでも舞台に立ち続けたが、病から逃れることはできずに三十四歳の若さで夭折している。その凄絶な生涯は皆川博子『花闇』(河出文庫)などの文学作品にも描かれているので、ぜひ併読いただきたい。

 作者が魚之助に背負わせたのは、光輝く世界とどん底の闇を両方知ってしまった特殊な人生ゆえの孤独だ。役者としての地位を捨てた今は、魚之助はただの人である。芝居小屋で起きた事件を探索することで彼は、かつて光を浴びた世界に再び足を踏み入れることになるのだが、それは今の境遇を強く意識させることにもなった。女形という生き方は一見華やかに見えるが、性を超越するに至るまでは、己の男という鎖を断ち切り、女という装いをまとうため必死の努力をしてきた。それこそ世間のどぶどろを啜って生き延びてきたのである。だからこそ到達しえた高みであったのだが、彼の内面には誰にも見せることのできない暗がりがある。

 うぶな藤九郎は、いつまでも女形であった時代にこだわらず、男として生きていく途を探るべきなのではないかと思う。初めは魚之助に反発しかなかった藤九郎であったが、付き随って行動しているうちに情が湧いてきたのだ。だが、魚之助の面倒を見ている医師見習いのめるは言う。あんたはあの人の底に溜まった泥の色を知らん、と。

 魚之助という主人公像を描くことでLGBTQ、セクシュアルマイノリティが直面する問題に作者は踏み込んでいる。役者はもともと河原者などと呼ばれて通常法の埒外となる存在でもあった。それが鬼という人外の化け物と対決する物語なのであり、物語には幾重にも、内とは何か、外とは何か、何をもって普通と呼ぶのか、という問いが投げかけられている。世間をまだよく知らない藤九郎には、答えの見えない問いだ。

 事件が解決し、再び自宅に戻った魚之助は、猫や金糸雀を相手にのうのうと穏やかな日々を送り始める。

「ええやんなぁ。鳥が飛べなくとも、魚が泳げなくとも」

 かつて羽をきらめかせて空を舞い、自由に世界を遊弋した者はそのとき何を思うのか。

蝉谷めぐ実『化け者心中』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322006000161/


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