遣唐使・井真成に降りかかる数々の試練。 旅に出た真成一行の行く手にあるものは? 夢枕 獏「蠱毒の城――⽉の船――」#118〈前編〉
夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」
※本記事は連載小説です。
これまでのあらすじ
閉ざされた城内での殺し合いに参加した遣唐使の井真成は、仲間を得て試練を克服する。かつて城内では、人間を贄に使った呪法「蠱毒」が行われ、自分たちの殺し合いもまた蠱毒であったと告げられた。死闘を生き抜いた十二名を含む四十九名は、杜子春と共に旅に出る。一行が立ち寄った姜玄鳴の屋敷で、真成は呼び出され、この地に伝わる太公望の釣り鉤を捜すよう命じられる。さらに姜一族の南家である姜竜鳴の娘・鳴花と共に常羊山に向かうことになった。時代は遡り、破山剣を手にした老人・青壺は、西楚の覇王・項羽によって始皇帝の陵墓に閉じ込められる――。
二十七章 哭 きいさちる王
(三)
なんと悲しい哀切な声で哭くのか。
石の台の上に、仰向けに横たえられた、首の無い全裸の巨人。
その両手、両足は、太い鎖で繫がれ、その端は台の四隅に留められている。
その鎖を、がちゃり、がちゃりと鳴らしながら、その巨人は
見た眼は、
枯れきった木を
生きているとは、到底思えない姿だ。
しかし、その木乃伊はまだ生きていた。
生きて、哭いているのである。
おおおおおおおお~~~~~ん
おあああああああ~~~~~む
魂を揺さぶられるような声であった。
尻を持ちあげ、胸と腹を反らせ、身をよじり、暗い石室の中で、その巨人は哭きあげるのである。
胸の、乳首があるあたりに、ふたつの眼が出現していた。
その眼から、この干からびた身体に、よくぞこれだけあったと思われるほど大量の涙がこぼれ落ちている。その涙は、頰を伝い、石の台まで濡らしていた。
哭いているのは、腹に出現した、口であった。
その大きな口をいっぱいに開き、その巨人は哭き続けているのである。
唇の内側には、黄色く濁った歯も見え、木の皮のようになった舌も見える。
おるるるるるるる~~~~~ん
よおおおおおおお~~~~~む
呂尚は、そこに立ち止まったまま、動けなかった。
本来であれば、目的の
だが、動けない。
そして――
わかった。
呂尚の脳裏に浮かんだ名があった。
この、胸に生じた両眼。
腹に生じた口。
首の無い
それらのことを考え合わせると、ひとつのことしか浮かばない。
これは、刑天ではないか。
軒轅こと、
その後、刑天は、首の無いまま闘った。
その時、両乳首を眼となし、
伝説だ。
それが、事実であったということか。
よく見れば、軒轅剣があったのと別の壁の下に、
そして、刑天は、哭きやんだ。
しかし、呂尚は動けない。
刑天の胸が持ちあがり、
ぎろり、
ぎろり、
と、その眼球が動いた。
呂尚を見た。
「たれじゃ……」
そう聴こえた。
乾いた木と木を擦り合わせるような、低い声だった。
「り、呂尚と申します」
「りょしょう……?」
「はい」
呂尚はうなずいた。
「あれから、どれだけの時が、過ぎ、たのじゃ……」
乾ききった声が言った。
「あれから?」
「我が首が、落とされて、から、じゃ……」
呂尚が置いた間は、わずかであった。
軒轅のことは、ずっと調べてきたのだ。
土地の古老に、古い話を訊ねた。
竜骨に刻まれた、古の文字も読んだりしたのである。
それらのことを重ね合わせて推測するに、
「おそらくは、千年に余る歳月が……」
呂尚は言った。
「千年……」
「千五百年は、過ぎていようかと……」
むうう……
と、刑天は、深い溜息ともとれる声を、喉の奥から洩らした。
「
「ランプ?」
「
「エラム?」
「
「胡燈が、何か――」
「そのエラムの胡燈が、おれを、こんなになっても死なぬようにしたのさあ……」
「なんと」
「それより、呂尚というたか。ぬしは何しに来た――」
刑天の眼が、呂尚を見た。
「軒轅剣か」
呂尚が手にしているものを見たらしい。
「その軒轅剣が欲しくて、ここまで来たか――」
「はい」
呂尚はうなずく。
「よかろう……」
刑天は言った。
「その剣ぬしにくれてやろうではないか――」
「くれる?」
「千年に余る時を、このおれと共にここで過ごした剣ぞ。おれのものと言うて、悪いか――」
呂尚は、それを、肯定も否定もしなかった。
「おまえを、ここから、無事に外へ逃がしてやろうということじゃ――」
刑天は低い声で言った。
逃がす?
では、この鎖に縛られた状態で、刑天は自分をここから出さないこともできると言うのか。
「かわりに、おまえに、ひとつ、頼みがある……」
「頼み?」
「おれを、ここから出してくれ」
「ここから、あなたを出す?」
「そうじゃ」
「しかし……」
(後編へつづく)





