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レビュー

主人公の成長を語る「教養小説(ビルドウングス・ロマン)」。その風格ある呼び名にふさわしいシリーズ――『ecriture 新人作家・杉浦李奈の推論 VI 見立て殺人は芥川』松岡圭祐 文庫巻末解説【解説:三橋曉】

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『ecriture 新人作家・杉浦李奈の推論 VI 見立て殺人は芥川』松岡圭祐

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

ecriture 新人作家・杉浦李奈の推論 VI 見立て殺人は芥川』松岡圭祐



『ecriture 新人作家・杉浦李奈の推論 VI 見立て殺人は芥川』松岡圭祐 文庫巻末解説

解説
みつはし あきら(書評家)

 ここだけの話だが、「écriture 新人作家・杉浦李奈の推論」の〝écriture〟が意味するところを、今さら他人にはくこともできずに、困っている方はおられないだろうか? 読み方は、エクリチュール。本来は、話し言葉に対する書き言葉を指す哲学用語だが、書、記述、文章、文字、筆跡などを意味するフランス語の女性名詞である。
 ポピュラーな外来語として、「現代用語の基礎知識」等にも載っているこの言葉だが、ここで少しだけ深掘りしてみたい。熱心なミステリ・ファンならご存じかもしれないローラン・ビネのオフビートなスリラー『言語の七番目の機能』に、ロラン・バルトという実在の人物が登場する。バルトは、哲学、記号学、批評等の分野にまたがる知の巨人として知られ、ずばり『エクリチュールの零度』という有名な著作もある。独自の考察でエクリチュールという言葉を文学の世界に持ち込んだ人だ。
 カミュをはじめ、フロベールやモーパッサン、ゾラらのフランス近代文学の重鎮に加え、アガサ・クリスティまでが引き合いに出されるその著作は、正直まったくもって手強い代物だが、言語ラング(社会的な環境)と文体ステイル(個人的な経験)のはざまで作家が選び取っていくものを指す言葉として、エクリチュールが登場する。と書くと、少し判りづらいかもしれない。しかし、作品とどう向き合うか(即ち、小説をどう書くか)という作家の問題と言い換えれば、作者がシリーズのタイトルに「écriture」を冠した理由が見えてくるような気がする。
 シリーズはこれまで、運良くデビューはしたものの、決して順風満帆とはいえない駆け出し作家・すぎうらの悪戦苦闘を描いてきた。彼女が次々巻き込まれる事件は、文壇や出版界といった文学の世界が舞台で、まさにエクリチュールな冒険の連続でもあった。しかし少しおおな言い方をすると、数々の難事件を通して、ヒロインは作家としての生き方を模索してきたともいえる。そんな成長の物語も、この最新作『écriture 新人作家・杉浦李奈の推論 Ⅵ 見立て殺人は芥川』で、いよいよ佳境に入っていく。

 さて、このエクリチュール・シリーズ(あえてそう呼ばせてもらう)も、本作でついに六巻を数えるが、第一作の『écriture 新人作家・杉浦李奈の推論』が書店に並んだのは、二〇二一年十月のこと。以来、これまで隔月刊という超ハイペースでシリーズの新作が届けられてきた。
 その間には、『アルセーヌ・ルパン対明智小五郎 黄金仮面の真実』、『出身成分』、『高校事変 Ⅻ』(高校事変シリーズの完結編)、『JK』を文庫でじようし、さらに本書とほぼ時を同じくして『ウクライナにいたら戦争が始まった』という単行本の新作も書店に並ぶという。いやはや、作者のまつおかけいすけの創作意欲たるや、驚異的という言葉でも足りないくらいだ。
 とはいえ、本作でこのシリーズと初めて出会う読者もあるだろう。刊行順にならわずとも、どこからひもといても楽しめるのがこのシリーズのいい所のひとつだが、本作でヒロインと出会うこととなる読者のために、まずは著者紹介ならぬ主人公ヒロイン紹介からいってみたいと思う。

杉浦李奈(すぎうら りな)
三重県生まれ。小説投稿サイト〈カクヨム〉への投稿が編集者の目にとまり、『雨宮の優雅で怠惰な生活』でデビュー、『その謎解き依頼、お引き受けします ~幼なじみは探偵部長~』などのライトノベルを経て、『トウモロコシの粒は偶数』を文芸単行本として上梓。直後にいわさきしよう事件を調査・取材したノンフィクションが評判となる。私生活では、同業のゆうと親交が深く、さくらとも交友関係がある。目下、デビュー作の続編『雨宮の優雅で怠惰な生活2』を執筆中。

 紹介文中の岩崎翔吾事件とは、第一作で李奈が巻き込まれた事件のことで、日本文学の研究者にして、初めて書いた小説があくたがわなお賞のダブル・ノミネートで一躍文壇の〝時の人〟となった岩崎翔吾の受賞後第一作に盗作疑惑がかかる。対談の相手を務めたことでもらえるはずだった帯への推薦文も幻で終わってしまうが、盗作の件を取材し、本にしてはどうかという担当編集者からの提案を断れぬまま、李奈はしつそう事件に発展していく騒動に身を置くことになる。
 その結果、最終的に事件を解決に導いた李奈は、各方面から名声を得るが、残念ながら本の売り上げは伸びないまま。しかし書き上げたノンフィクションが業界でも静かな話題となり、不本意にも文壇のトラブルシューターとしてお呼びがかかるようになる。かくしてひようせつ絡みの事件から、クリスティの某作を思わせる孤島の連続殺人や文壇の転覆を狙ったかのような大胆不敵な劇場型犯罪まで、李奈は次々と難事件に巻き込まれていく。
 そんな李奈が本作で遭遇するのは、まるでシリーズの原点に回帰するかのような、芥川りゆうすけにまつわる事件である。というのも、実は執筆依頼よりも持ち込まれる相談事の方が多い李奈の現在の境遇は、芥川龍之介から始まったといっても過言ではないからだ。最初の事件のきっかけとなった岩崎翔吾との対談のテーマは芥川龍之介とざいおさむだった。その中で、芥川の模倣について持論を貫く岩崎に抱いたげんな思いが、後々の災厄──、もとい活躍へとつながっていったのだ。
 しかし、ややもすると疎かになっていた本業も、書き下ろしの企画が通り、好転の兆しをみせていたある日のこと、李奈がなかぐろつた書店で親友で同業の優佳とお茶しているところに、刑事たちが物々しく訪ねてくる。用向きは捜査への協力要請で、事件現場に残されていたという岩波文庫の芥川竜之介『蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ 他十七篇』から丁寧に切り取られた冊子状の「桃太郎」を見せられる。奇遇にも、前夜いきなり故郷のからやってきた母親と険悪なムードに陥った原因も、実は芥川の短編だった。
 事件は、改造ガスガンを使った無差別な犯行として既に報道されていたみなみしながわの住宅街で起きた連続殺人であった。被害者の一人、五十代男性の胸には血で汚れた「桃太郎」の冊子がおかれ、やはり三軒隣で死体で見つかった老人は、猿とそっくりの顔立ちをしていた。そしてあろうことか、有名な昔話になぞらえるように、近所の飼い犬とフェンスにとまるキジならぬスズメまでもが巻き添えで銃撃されていたのだ。

 タイトルにもあるように、今回じようにあがるのは、〝見立て殺人〟という古今東西のミステリではおなじみの趣向である。作者には、すでに第二巻でよこみぞせいの『悪霊島』とまつもとせいちようの『疑惑』をめぐる見立てについての秀逸な言及があるが、今回下敷きになる「桃太郎」は、「猿蟹合戦」「舌切雀」「花咲か爺」「かちかち山」と並ぶ、日本五大昔話の一つに数えられるおとぎばなしの一つだ。時代には赤本(幼児向けの絵本)を通じて民衆に広まったが、それを芥川龍之介がリメイクしていたことは、ご存じない方も多かろう。
 本作で犯人が見立てに使う「桃太郎」は、たいしよう十三年に発表されたその芥川バージョンで、現在一般に知られる「桃太郎」とは一味も二味も違う。桃太郎が育った環境や、鬼退治に向かう動機、そして数奇な後日談がある点など、子どもを寝かしつける際に聞かせるのが躊躇ためらわれるほどのえぐみに、初めて知る方は驚かれるに違いない。
 警察の後押しや自治会役員たちの協力を得た李奈は、町内に陣どる宗教法人をめざす営利団体やペットの犬を殺された一家、旅行中で難を逃れた被害者の家族らを訪ね歩いていく。そして、おなじみの「これが小説なら──」というメタフィクショナルな一節に導かれるように、芥川版「桃太郎」と呼応し合いながら、事件の真相をつまびらかにしていく。
 冒頭の懐かしいゲームブックにまつわるうんちくをはじめ、「蜜柑」や「藪の中」、「蜘蛛の糸」など芥川龍之介の諸作をめぐる奥深い考察の数々や、無数にちりばめられた文学的なトリビアと、本巻もまた本好きをニヤリとさせずにはおかないが、一冊のノン・フィクションが事件の様相を一変させる展開には、息をむ。そこにビブリオ・ミステリとしての本領があるといっていいだろう。
 また、めずらしく本気で李奈を褒める担当編集者のきくをはじめ、親友の優佳や妹思いの兄こうなど、おなじみの面々がにぎやかに行き交う中、李奈が苦手にしてきた母親のあいの出番もいつになく多い。東京での一人暮らしに反対し、毎度のことだが「サザエさん」の登場人物を引き合いに出しては、今の世の中、小説は実家でも書けると、母親は娘を実家に連れ戻そうとする。
 そんな母の一言一言に気持ちをさかでされる李奈にも、自らを省みる機会が訪れる。「桃太郎」に秘められたメッセージをめぐり連続殺人事件が大団円を迎える中、李奈は一冊の本が与えてくれる救済を目の当たりにする。主人公、そして読者は、この最後の最後に至って、事件が李奈自身の事件でもあったことに気付かされるのだ。

 主人公の成長を語る小説の形式を教養ビルドウン小説グス・ロマンというが、その風格ある呼び名にふさわしいのが、このエクリチュール・シリーズだろう。さまざまな出会いを通じ、悩み、傷つきながらも、夢の実現に向けて前に進み続けるヒロインに勇気をもらう読者も多いはずだ。
 この第六巻では、現実の厳しさに散々手を焼いてきた李奈の前途に、ささやかな光が射しこむ。しかし、本当の試練はまだまだこれからだろう。ヒロインのたえなる到達点を見届けるためにも、読者の一人としてこれからもシリーズに寄り添っていきたい。

作品紹介・あらすじ



ecriture 新人作家・杉浦李奈の推論 VI 見立て殺人は芥川
著者 松岡 圭祐
定価: 880円(本体800円+税)
発売日:2022年08月24日

都内で改造ガスガンを使った殺人事件が発生。被害者2人のうち1人の胸の上に芥川龍之介の「桃太郎」が小冊子に綴じられて置かれていた。これまで文学に関わる難事件を解決してきた李奈は、刑事の要請で今回も捜査に協力することに。一方で本業の小説執筆ははかばかしくなかった。加えて母の愛美が三重から上京。気持ちが落ち着かずにいた。謎めいた事件と停滞気味の自分。李奈はこの2つの問題を乗り越えられるのか!?
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322205001048/
amazonページはこちら


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