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証言に基づくフィクションのリアルが問いかけるものとは? ――『ウクライナにいたら戦争が始まった』松岡圭祐 レビュー【評者:タカザワケンジ】

日本の高校生・琉唯の凄絶な体験を描く「実録的」小説
松岡圭祐『ウクライナにいたら戦争が始まった』

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ウクライナにいたら戦争が始まった』松岡圭祐



証言に基づくフィクションのリアルが問いかけるものとは?

評者:タカザワケンジ(ライター・書評家)

 もしも戦争に巻き込まれたら? そう考えて日々をすごしている人はこの国にはほとんどいないだろう。私もそうだ。
「戦後」が77年も続き、いまが「戦前」かもしれないと考えもしない。そんな私たちが戦争状態の街に放り出されたらどうなるのだろう。しかもそれがSFでもファンタジーでもなく、現実に起きていることだとしたら。

ウクライナにいたら戦争が始まった』はタイトルの通り、今回のロシアによるウクライナ侵攻によって戦火にさらされた人々を描いた長篇小説である。しかも主人公は日本人だ。
 瀬里琉唯せりるいは十七歳の高校二年生。母と中学一年生の妹との三人でウクライナにやってきた。日本の電力会社からチェルノブイリ博物館に出張している父と一緒に暮らすためだ。ウクライナのイメージはガイドブックで見た「愛のトンネル」の風景写真だけ。緑が生い茂る天然のトンネルへのあこがれを口にした琉唯に、母は「外国はね、漫画やアニメじゃないの」とにべもない。
 しかし、琉唯が海外生活を楽しむ余裕はなかった。両親は離婚を前提とした話し合いを始めギクシャクしている。外国人向けの学校では友だちができる気配がない。やがてじわじわと戦争の気配が近づき、外務省から日本人に退避勧告が出る。飛行機の予約、空港までの移動は自力で行わなければならない。果たして琉唯たちは国外に脱出できるのか。
 本書はフィクションである。しかし、まえがきに、複数の協力者を得て、事実をもとに書かれたと断られている。方法としては「実話に基づく」と断るハリウッド映画に似ている。シリアスかつ生々しい迫真の表現で読者を戦時下のウクライナへ引っ張っていくのだ。
 作者の松岡圭祐は「万能鑑定士Q」や「千里眼」「探偵の探偵」など多数のシリーズを持つ人気作家だ。先頃完結した「高校事変」シリーズ、新たに始まった『JK』など、一見荒唐無稽とも思える設定に事実に基づく肉付けを行い、独特のリアリティを醸す作風に定評がある。
 しかしその一方で、ノンフィクションに接近したフィクション(かつてあったドキュメント・ノベルというジャンルを思い起こさせる)も手がけている。007シリーズのロケ地を誘致しようとする島の騒動を描いた『ジェームズ・ボンドは来ない』、脱北者の証言をもとに北朝鮮の階級社会を細部まで描いたミステリ『出身成分』、日本の特撮技術者をドイツに招いたという歴史秘話を描いた『ヒトラーの試写室』などがそうだ。いずれも本当にこんなことがあったのか、と驚くような事実を取り上げ、そこにまつわる人々のドラマをダイナミックに描いている。
 これらはいずれもノンフィクションの題材となりうるものだが、フィクションとして構築することで、実感のこもった描写を展開している。
『ウクライナにいたら戦争が始まった』でいえばこんな描写だ。

「割れたマグカップには、まだミルクが半分ほど残っていた。皿の上には木片のみならず、食べかけのクッキーがあった。ごくふつうの朝の時間が訪れていた。一瞬にしてすべては悪夢に変わった。」

 もっと刺激の強い描写もあるがここでは引用を控える。戦争被害の報道もまた、受け手に衝撃を与えすぎるという理由で抑制されている。多くの人が接するニュースである以上、いたしかたないことだろう。しかし、報道では描けないことがフィクションという枠組みを用意することで描けることもある。広島に落とされた原爆が起こした被害をいまに伝えるのが、井伏鱒二の『黒い雨』や、中沢啓治の漫画『はだしのゲン』なのはその好例だ。そして、それらの作品の描写もまた踏み込んだものだった。
 この作品で貴重な証言をもとに松岡圭祐が読者に投げかけるのもまた、戦争を他人事としてしか受け取れずにいる私たちの感性への問いかけであり挑発なのである。

作品紹介・あらすじ



『ウクライナにいたら戦争が始まった』
松岡圭祐
KADOKAWA
定価:1760円(本体:1600円+税)


戦争なんて、遠い世界の話だと思っていた

単身赴任中の父と3か月を過ごすため、高校生の瀬里琉唯は母・妹とともにウクライナに来た。初日の夜から両親は口論を始め、琉唯は見知らぬ国で不安を抱えていた。キエフ郊外の町にある外国人学校にも慣れてきたころロシアによる侵攻が近いとのニュースが流れ、一家は慌ただしく帰国の準備を始める。しかし新型コロナウイルスの影響で一家は自宅から出ることができない。帰国の方法を探るものの情報が足りず、遠くから響く爆撃の音に不安と緊張が高まる。一瞬にして戦場と化したブチャの町で、琉唯は戦争の実態を目の当たりにする。

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https://kadobun.jp/special/matsuoka-keisuke/

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