待ってました、という人がいるかもしれない。本作『高校事変』は、松岡圭祐の代名詞と言える「戦うヒロイン」を主人公に据えた、アクション・エンターテインメントの快作だ。
年五~六冊ペースで高品質な新作を世に送り出してきた著者は、ここ一年あまり、男性を主人公に据え果敢なトライアルを繰り返してきた。松岡流歴史ロマンの集大成にして新境地『ヒトラーの試写室』(二〇一七年一二月刊/角川文庫)を皮切りに、義和団事件を日本人サイドから描いた『黄砂の籠城』と対をなす『黄砂の進撃』(二〇一八年三月刊/講談社文庫)、現代日本に舞台を移した不動産ミステリ『瑕疵借り』(二〇一八年五月刊/講談社文庫)、そしてグアム在住日系人の祖父・父・息子の三世代がチームを組んだ『グアムの探偵』シリーズ(既刊三巻、二〇一八年一〇月~二〇一九年一月刊/角川文庫)。特に『グアムの探偵』シリーズのバディ(相棒)感は、男だらけの探偵事務所だからこそ実現できたもの。中でも「祖父×孫」の関係にフォーカスを当てることで、父親から注意されたら近親憎悪でうるさいなとヘソを曲げてしまいがちだが、年の離れた祖父から同じようなことを言われたらなんとなく耳を傾ける、という等身大の主人公像を構築することに成功。恋の気配を漂わせた女性キャラが登場し、続きが気になる……となったところで一旦筆を置いたところが憎いニクい。
その流れからの『高校事変』だったから、驚きも倍増だったのだ。先ほど「松岡圭祐の代名詞と言える『戦うヒロイン』」と記したが、彼女たちは頭脳だけでなく、身体もキレる。例えば、著者の代表作のひとつ『千里眼』シリーズのヒロイン・岬美由紀。それから、『探偵の探偵』シリーズのヒロイン・紗崎玲奈。その系譜を本作のヒロイン・優莉結衣も継いでいるが、彼女は過去の先達を凌ぐ唯一無二にして孤高の悲しみを背負った存在である。悲しみや絶望の質は個人の価値観によるものであり比較できないとは思いつつ、そうとしか表現できないバックグラウンドを彼女は持っている。
まず最初に物語に登場する人物は、内閣総理大臣の矢幡嘉寿郎だ。文部科学大臣らから若者の勉強離れに関する報告を受けた矢幡は、総理自ら平凡な公立高校を訪問し、視察しがてら勉強を呼びかけるのはどうかと提案される。視察先は一箇所でも、メディアによってニュースが拡散されればコスパのいいパフォーマンスになる、という寸法だ。矢幡の脳裏に浮かんだのは、ベトナム籍から日本に帰化した直後、バドミントンの全国高等学校選抜大会で優勝を収め国民的話題をさらった一七歳の少年・田代勇次が通う、武蔵小杉高校だった。
総理の電撃訪問先が決定するまでの冒頭一八ページの記述には、政策や言動の実質的価値よりも「ウケ」を病的なまでに重視する、現代日本の政治(家)とのリンクが張り巡らされている。あくまで読者との共感を繫ぐ演出の一つではあるが、ここまであからさまに「今」を反映した記述が現れるのは、松岡作品では珍しい。もしかしたらエンターテインメントの回路を通じて、日本の「今」を寓意的に表現する作品なのか? その予感は、当たっていった。ただし、予想とは大きく異なる方向で。
三人称多視点形式を採用した物語は、第二節で武蔵小杉高校の校長・峯森佐生尾へと視点を移し、首相訪問を受け入れる側の苦悩が活写される。最大の懸案事項は、二年C組の女生徒・優莉結衣の存在だった。彼女の父親・優莉匡太はかつて七つの半グレ集団を率いるトップであり、二〇一二年に死者一八名、負傷者七千人を数えるテロ事件を起こして逮捕、死刑執行されていた。国民ならば誰もが知る、凶悪犯罪者の娘なのだ。現在は川崎市の児童養護施設で暮らし武蔵小杉高校に通っている彼女の存在を、首相サイドに伝えるべきか否か。〈怖くて波風を立てられない。なら静観すべきだ。なるにまかせるうち、最善の状況に恵まれるかもしれない〉。峯森校長のこの「判断」は、本作全体を象徴している。大人たちは、「決断」ができない。選択から逃げて逃げて、時間が解決するか、誰かが現状を変えてくれることをひたすら祈る。
続けて、二年C組の担任・敷島和美の視点が現れる。比較的フラットな彼女の目線から描写されるのが、〈反抗的ととらえがちだが、事実は少々異なる。みな性格はすなおなほうだった。(中略)考え方が自由かつ開放的になる一方で、打たれ弱くもあり、人の話に耳を傾けない〉という今どきの十代の特徴であり、そことはまた少し違う本作のヒロインたる優莉結衣だ。のちに結衣と熱い友情を結ぶことになるクラスメイトの濱林澪の語りへと移り、結衣が当たり前のように差別されている学園生活の日常が活写され、やがて首相一行の訪問が始まったところで、事件が起こる。
いや、「事変」だ。武装勢力が突如校内になだれ込み、銃撃により生徒および教師の約半数が死亡。首相とSPの錦織警部は銃弾を逃れたが、生存者を人質とした武装勢力は校内で立てこもり、首相を狙う。……と、ここまでで約一〇〇ページ。以降は、大型車両のバリケードが築かれ携帯電話ジャマーにより電波も繫がらず、陸の孤島となった高校の敷地内で、状況打破と武装組織制圧(!)のために動く優莉結衣の孤軍奮闘が描かれていく。
舞台が高校であるため、本作の「戦うヒロイン」が手にできるものは、校内にある日用道具しかない。しかし、負けない。彼女が駆使しているのは、文化人類学でいう「ブリコラージュ」の思考法だ。既に目の前にある、ありあまりのものを組み合わせて新しい「武器」を作るということ。その結果、物語の内部には類例のない新しい「アクション」を生み出すということ。……と思っていたところで、こんな一文が現れ空気がガラッと変わる。
こちらに目が向くより早く、結衣は羽交い締めにした兵のホルスターから、左手で拳銃を抜いた。グリップの握りぐあいでグロック17だとわかる。安全装置のレバーはない、トリガーセーフティだった。指先の感触でストライカーの位置を確認する。兵の身体に押しつけることで、片手でスライドを引き、ハーフコックの状態にした。 間髪いれず発砲する。
めちゃくちゃかっこいい! でも、なぜこんな行動を取ることができたのか? このシーンの直後、彼女の過去にまつわるエピソードの扉が開き、彼女の悲しみが溢れ出していく。親とは、人間が人生で最初に出会う、大人だ。その後の人生を送っていくうえで、大人観の基軸を作る存在だ。にもかかわらず、子供は親を選べない。彼女の悲しみや絶望の根底は、そこにある。
その悲しみをより濃く描くためだろうか、これまでの松岡作品における「戦うヒロイン」たちと優莉結衣との最大の違いは、年齢だ。優莉結衣は高校二年生であり、大人によって保護されるべき未成年の子供である。ところが、大人たちは保護者として機能していない。国民を守るはずの首相にいたっては、ひたすら逃げ回るばかりだ。要所要所で首相不在の内閣による対策会議がインサートされていくのだが、そこでも愚策が語られるばかり。振り返ってみれば「事変」が起こる前に、結衣と澪が交わしていた会話は予言的だった。「ネットニュースにも書いてあった。最終的に日本を救うのは女子高生」「学校の救世主になるかもよ。国も結局は女子高生を頼る。それが日本」。現代日本とのシンクロは、政治(家)の描写だけでなく、物語のすみずみにまでしみ込んでいるのだ。
改めて考えてみよう。日本は平和だとメディアは言うが、本当なのか? 戦時下と今とに、どれほどの違いがあるのだろうか。ある登場人物は言う、「最悪の状況におちいった国家の縮図が、きょうのこの高校だったかもしれない」。だとしたら優莉結衣は、「最悪」を回避するために現代日本に産み落とされたヒーローだ。彼女が繰り出した新鮮なアクションは、武装勢力に打撃を与えただけではない。彼女のアクションは、学校という閉鎖空間、内閣というシステム、国家という共同体に打撃を与え、切り裂く。現代医学が口を酸っぱくアナウンスしているように、消毒液や絆創膏は、気休めを得られるばかりで、傷付いた患部を治すにはいたらない。本当に傷を治すためには、一つの選択肢しかない。傷口から、膿を絞り出すこと。
語る言葉は尽きないがもう一点だけ、本作の魅力を記したい。例えば、結衣が初めて「敵」を倒した場面。何もせずオロオロしていただけの男性教師が、遺体から武器やトランシーバーを剝ぎ取ろうとしたところ、結衣が止める。「最初に倒した敵から通信手段を奪う。『ダイ・ハード』物のパターンじゃないか」と反論する教師に、自分たちの存在がバレることはするなと釘を刺す。「あのさ。犯罪者ってのはそもそも映画好きなの。あいつらも『ダイ・ハード』とか『沈黙の戦艦』観てて当然でしょ。映画みたいなへまはしない」。以降も、「映画みたい」なシチュエーションが出現するが、結衣は冷静な状況分析により逐一裏をかき、「映画みたい」とは異なる新鮮なアクションを選択する。何も知らないフリをして、カマトトぶって書くこともできると思うのだ。だが、作者はリアリティとは常に更新されるものであり、最新のバージョンアップが施されているべきだ、と志向している。古今東西の物語と向き合い、先人たちをリスペクトしながらも、乗り越える。この作家は信頼できる、と本作を読んで再認識した。
驚くべきことに、本作は七月に続編『高校事変 2』の刊行が決定している。完璧で鮮烈なエンドマークの後で、いったいどのように物語を続けることができるのか? この国を「最悪」から回避し、未来を新しくデザインし直していくために。現代日本に暮らす人々は、優莉結衣のアクションを目撃する義務がある。
ご購入&試し読みはこちら>>松岡 圭祐『高校事変』
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