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試し読み

【試し読み】劇場アニメ化『この本を盗む者は』のスピンオフ収録! 深緑野分が贈る珠玉の短編集『空想の海』冒頭特別公開

劇場アニメーション『この本を盗む者は』が2025年12月26日(金)に公開となり、いま話題の作家・深緑野分さん。
2025年11月に発売となった短編集『空想の海』(角川文庫)には、『この本を盗む者は』のスピンオフ短編「本泥棒を呪う者は」を含む珠玉の全11編が収録されています。

本記事では、『この本を盗む者は』の映画公開を記念して『空想の海』の試し読みを特別公開!
収録短編の中から「海」「髪を編む」の全文と、「空へ昇る」の冒頭をご覧いただけます。
カラフルな読み心地をどうぞお楽しみください。

深緑野分『空想の海』試し読み

 そうしてすべてが終わると、荒くれた世界のはずれに、海が生まれた。

 その色は誰もが知る海と同じ青だが、深く、光をも飲み込み、
 ほとんど黒く見える。
 海面は盆のように平たく滑らかで、さざなみひとつ立たない。
 水の中にいのちの姿はなくただ静かなだけで、
 砂時計よりも遅い速度で、しかし確実に広がり、大きくなっていく。

 誰の声も聞こえず、誰の気配も感じず、誰の香りも、誰の視線も、誰の肌も、
 もうここにはない。
 風が吹く。
 だがその風はかつてのようにあなたのうなじをでず、あなたの髪を揺らさない。
 あなたはもうここにいない。
 この世にはがらんどうの新しい海があるだけ。
 私はたったひとりで岩の上に立ち、ぼうようと広がる暗い海を眺めている。

 私の足もとには、一そうの小舟がある。自分でこしらえた舟だから材料はありあわせで不格好だ。壊れた家から引っ張ってきた板を、何かの重い家具を支えていたらしいびたくぎで打ち、反射でぎらぎら光る銀色の板もつなぐ。昔見た本物の舟の形を思い出しながら作った不格好な私の相棒は、浮くかどうかも不安だったが、海に押し出してみるとつるりと水を切り、予想外にうまく浮かんだ。けれども私がそこに乗ると隙間から水が少しずつ染みて、結局沈んでしまう。それから何度もやり直して、修理して、やっと私と、ナップザックひとつ分の荷物を乗せて浮かべるようになった。
 前の持ち主が誰だったかも忘れてしまった、砂まみれのナイフで、太い木の枝を削ってかいにする。私は小舟で海へとぎ出す。
 希望は海の先にもないとわかっている。それでも漕ぎ出したのは、他にすることがなかったから。私は風を話し相手に櫂を漕ぐ、海面をたたけど水はすぐに元の形に戻り、油を塗っていない櫂は次第に水を吸って重くなる。
 汗が噴き出し、あっという間にのどがからからに渇き、ナップザックに詰めた水筒を一本飲み干した。残りの食料と水だけであとどれくらい生き延びられるかは、もう考えないようにしている。私はひと息吐くと舟の端から海にはいせつして、もしかしたらひそかに隠れているかもしれないバクテリアが待望の餌に生き返るところを想像する。
 海は広く、水平線は遠く、どこかへたどり着けそうもなく、私は櫂を止める。小舟は寂しい木の葉のように揺れる。

 その後、私は何度もこの小舟に乗って海へ漕ぎ出した。ある日は炎天にかれながら、ある日は月明かりの下で、ある日は降り注ぐ冷たい雨に歯を鳴らしながら、水面に無数の穴が穿うがたれては元に戻るのを眺めた。いつだって私が期待しているのは変化だった。けれども海はただたゆたい、少しずつ周囲を浸食していくだけで、何ひとつ変わらない。
 石つぶてを投げればほんの束の間波紋が広がり、海面に映る私の顔をゆがませるが、石はすぐに沈み、見えなくなる。残るのは自分の暗い顔だけ。

 どこへも繫がっていない海。
 がらんどうの海に向かってなぜこんな無意味なことを?
 何ができると?
 世界は絶えて久しいというのに。
 もはや海に何の価値もいだせなくなり、私は小舟にだらしなく座り込むと、
 記憶、つまり自分自身について、思いをせた。
 良かったこと、悪かったこと、頭の抽斗ひきだしから引っ張り出してめつすがめつ、
 浸る。
 私という存在。優しかった肉親や旧友たち、代えがたい思い出。
 本当に正しいのかもうわからないけれど、美しくするのはもはや勝手だ。
 とがめる者はもういない。

 しかしやがて己にも飽きる。鏡をのぞき込むのも最初のうちは楽しいが、自分以外に何も映らないので、いい加減いらってくる。つまらない。知らないものが見たい。私は顔を上げた。
 私は櫂をふたたび漕ぎ、岩だらけの岸に戻ると、海に背を向けて歩き出した。海を忘れ、もう二度とここへは戻らないつもりで。

 すべてが終わった後、街は生物と同じように死んでいった。
 石にも命があるのだと知った。
 高いところから崩落し、粉々に砕け、
 陽射しに焼かれながらひっそりと息を止める。
 けれども風が跡形なく消すまでには、まだまだ長い時間がかかるだろう。
 命を落とした都市は止まった砂時計、
 ひっくり返す者は誰もいない。

 私は誰かがのこした荷車を見つけると、水を入れるためのボトルを並べて置き、毛羽立ったいつもの毛布を載せ、持ち手代わりのひもを腰にくくって歩き出した。靴はすでに捨ててしまったので、分厚くなった足の皮膚でれきの道を踏み行く。目的は特にない。ただ退屈を紛らわすものに出会いたかった。
 天井はないが壁だけ残っている建物は、以前は食堂だったのだろう、壊れたテーブルや椅子が倒れたまま放置され、脚の間に缶詰が転がっている。私は缶詰を拾い、荷車に載せて、再び歩き出す。壁にはたくさんの落書きが残っているが、私には読み取れない。瓦礫の下に挟まった赤色の布が風にあおられて静かに翻る。
 誰もいない住居跡、焼け焦げた公園、大勢が集まったのだろうつぶれた講堂、崩れた店舗。私はひとつひとつ覗き、何か真新しいもの、面白いものはないかと探りながら進む。ふと空を仰ぐと時計塔が見える。文字盤は崩落したのか失われ、黒い針は一本折れ、残った一本が右を指している。私は針の言うとおりに右へ向かう。
 ひときわ大きな瓦礫の山の向こうに、真ん中が潰れた、緑色の屋根の建物を見つけた。吸い寄せられるように私は荷車を置くと、その建物の門をくぐり、扉を開けた。そして声が漏れた。
 そこは図書館だった。無数の本が書架から落ち、足の踏み場もなく積み上がっている。私は喜び勇んで一冊取り上げめくってみたが、そうだ、ここは見知らぬ土地、連なる文字を読むことができない。それどころか、ここには更に他の場所で書かれたらしい書物まで無数にある。何が書いてあるのかさっぱりわからず、すっかり落胆した。
 私は先へ進み、再び散策を開始し、あまり壊れていない建物の中に、ビリヤード台やダーツの盤を見つけると、しばらくそこで遊んだ。
 キューで球を突き、ダーツを投げ、破れたトランプをいじくって、数日が経った。ビリヤード台に寝そべって惰眠をむさぼっていた私は、はたと目を覚ますと、腹の上に載せていた重い球を床に放って起き上がった。
 裸足はだしで向かう先は緑の屋根の建物。
 私は本の山をまたいで乗り越え、つちぼこりまみれの本を拾ってはいちべつして元に戻し、拾っては一瞥して元に戻す行為を繰り返しつつ、書物の森の奥へ奥へと進んだ。そして数百冊をあらためて、やっと懐かしい文字に出会った。私の言葉だ。
 私はその一冊をまるでこの世にひとつしかない宝物のように抱き上げると、脚の折れていないベンチを探して腰かけ、読みはじめた。
 きっと、どんな内容でも面白いと感じただろう。ようやく出会えた母国語で書かれた物語だ、以前だったら読み捨てたような物語だったとしても、楽しんだだろう。実際、私はこの本に記された一文字一文字をめるように読み、味わい、ページをめくる行為を惜しんだ。
 最後の一ページを読み終わり、充実と喪失とがないまぜになった心地で本を閉じた。終わってしまった。物語の結末を読めてうれしいが、途方もなく悲しい。明日あしたから私は何をしたらいいんだろう? 周辺を見渡した限りでは、母国語で書かれた本は他に見当たらない。
 肺がしぼんで小さくなるほど深いため息をつき、顔を上げる。ちょうど割れた窓ガラスの向こうで日が沈むところだった。夕陽は細く赤くあたりを照らし、瓦礫と土埃に埋もれつつある本たちの上に赤い道を作った。
 その瞬間、私は明日から何をすべきかを悟った。

 私はありったけの本を荷車に積み、来た道を引き返した。海を目指すのだ。あの何もない、からっぽで新しく、生命の汚れを知らずたゆたう、水がちているのにらびた海を。
 骨のない墓場を。

 海は変わらずそこにあり、あたりには人の姿も見えず、青黒い水の中に生物はいない。
 私は荷車に積んだ本を小舟に載せて沖へ出ると、一冊ずつ海へ落としていった。本はごぶっと音を立てて沈み、あっという間に見えなくなる。かまいはしない、次、次と本を落とす。重い装丁の本は泡を立て、小舟が海面を切るたび海は傷口のように白く開いてはすぐにふさがる。

 私はまた街で本を拾う。海に舟を出して本を落とす。本が沈み、見えなくなる。本を取りに戻り、また舟を出して本を落とし、沈ませ、また本を落とし、沈ませ……それを何千、何万、何億、何兆回と繰り返した。気が遠くなるほどの時間が経っていた。
 今の海はただの青黒い水ではない。もう遺骨のない墓場ではない。

 図書館にあった本は、
 あらゆる国のあらゆる民族のあらゆる言語で書かれていた。
 男が書いた本も、
 女が書いた本も、
 そのどちらでもない者が書いた本もあった。

 私は死を待つばかりの身、他に生きる人は誰ひとりおらず、
 本は二度と人の手では開かれない。
 もう誰も読まない。
 いずれ海は星のすべてを包み、
 あの乾いた街も、私を含めたわずかに残ったいのち、微生物さえも飲み込み、
 すべてが死に絶えるだろう。
 けれどもからっぽだった海はいまや、
 大量の本で埋め尽くされている。
 いちど沈んだ本が浮かび上がり、
 海面を静かに泳いでいる。
 汚れも喜びも叫びも嘆きもすべてが一緒くたになり、揺れる。

 どこへも繫がっていない新しい海に眠る者は、
 この星の民族のすべてでありすべてではない。
 インド人であり、アメリカ人であり、コンゴ系イングランド人であり、フランス人であり、ベトナム人であり、ニュージーランドにいるマオリであり、韓国系日本人であり、日系ブラジル人であり、アイヌであり、レバノン人でありユダヤ人でありサウジアラビア人であり、南アフリカ人であり、スラヴ人であり、
 あらゆる土地のあらゆる血が流れ、神を愛した者、憎んだ者、孤独な者、幸福な者、不幸な者、平凡な者、傷つけた者と傷つけられた者、無関心な傍観者であり、男であり女でありそのどちらでもあり、

 あなたであり、
 あなたでない者であり、
 あなたが愛した者であり、あなたが憎んだ者であり、そのあかしであり、

 そのすべてが愛した本であり、

 そして誰でもない。


髪を編む

「そろそろ自分で編めるようになったら」
 妹の髪をブラシでかしてやりながらわたしはわざとめ息混じりに言った。妹はもう大学生だというのに、今日もヘアアレンジの雑誌を持ってくると、母親の鏡台の前にでんと座って姉であるわたしを後ろに立たせ、かわいらしい髪型でポーズをとるモデルの写真を指さし、こんな風にしてくれと頼むのだ。
「だってさ、わたしがやるとすごく変になるんだもん」
 のんびりとした口調で答える妹を鏡越しに見ると、目をつむってすっかりリラックスしている。姉が悪戯いたずら心を起こして変な髪型にするかもしれないとか、考えないのだろうか。
「練習しなよ。編みこみなんて簡単なんだから」
「はいはい」
 とは言うもののこれはいつもの応酬で、妹が練習なんてするわけないとわかっている。小学二年生の時、仕事で忙しい両親の代わりに見よう見まねで、まだ幼稚園児だったこの子の髪を整えてやって以来、わたしがずっとこの役目を請け負っている。たぶん、どちらかがひとり暮らしをはじめるか結婚するまで続くのだろう。
 窓の外はしとしとと雨が降り続いている。庭先の青い紫陽花あじさいがにじんで、まるで絵葉書みたいだった。すぐ目の前の道路を赤い車が横切って、ざざっと水音が立った。居間の方から、つけっぱなしのテレビの音が聞こえてくる。わら人形に恨む相手の髪を入れるとかどうとか、どうやら今日のワイドショーは怪談特集らしい。夏が近い。
 片手でくしを取って、持ち手の細い先端で妹の髪を分けると、いつもと違う、家族共同で使っているものではないシャンプーのいい香りが、ふわりと漂った。きっと自分専用のとっておきをお小遣いで買って、洗面所の戸棚にでも隠しているんだろう。たぶん今日はデートだ。髪の束を三つに分け、三つ編みにしながら途中で脇の髪の毛をすくい取り、編みこんでいく。昔はあんなに柔らかくて細かった質感も、今ではすっかり丈夫な質感に変わっている。
 わたしは子供の頃から手先が器用で、自分の髪をいじくるのも、ちまちました作業をするのも好きだった。はじめのうちは、三歳年下の妹に代わって折り紙を折ってやったり、少女漫画雑誌の付録を組み立ててやったりするのは、そんなに苦ではなかった。むしろ両親が褒めてくれるのがうれしいから率先してやっていた。
 でも妹がわたしのために何かしてくれたことなんてあっただろうか。
 仲は悪くない。誕生日にはプレゼントをくれるし、学生時代にわたしがいい成績をとってくると、自分のことのように喜んで誇らしげにしてくれた。でも妹はなんというかとても自由気ままで、家族のお姫様で、好きなことしかしてないような気がしてしまう。この先もずっとこうだったらどうしよう、お婆さんになっても、妹の真っ白になった髪を編みこんで結い上げて、彼氏とデートに行くのを見送るような、そんな老後だったら。
(あ)
 ほんのりと茶味がかった黒髪の中に、きらりと光る筋があった。白髪だ。わたしはもう中学の頃から白髪があったが、やった、ようやくこいつにもできたのだ。
「どうしたの?」
 一瞬手を止めると、妹が鏡越しにこちらを見つめ、尋ねてきた。白髪があるよと教えてやるかそれとも放置するか、むしろいっそのこと目立つよう表面に編みこんでやって、隣を歩くだろう彼氏に見つけさせようか。
「……白髪見っけ」
 結局、教えてやってしまった。抜いてくれとせがむ妹のためにせっかく生えた白髪を抜いてやり、今度は反対側の髪にとりかかった。優しい姉がうそをつかず教えてやったんだから、お前も少しくらいわたしの役に立ちたまえよ。
 たとえば、インク切れしたカラーペンを買ってきてくれるとか。わたしはパッケージデザインの仕事をしているが、まだ入社したばかりなので休日でも手は動かしておきたい。でも雨の日の外出はおつくうだ。しかし残念ながら妹は使えない。お使いを頼んだところで覚えていたためしがないのだ。結局言葉にはせず頭の中だけで念じながら、妹の髪を編みこむ。
 編み終わった毛先をゴムで結び、アメリカピンで後ろに留めていると、妹がそうだそうだとつぶやきながら、手に握りしめていたバレッタを差し出した。
「わきのところ、これで留めて。これ、いいやつなんだ」
「いいやつ?」
「願掛けに効くんだよ。大学受験の時もこれをつけたら受かったんだもん」
 ああそう言われてみれば確かに、あの日もこの子の髪を編んであげて、この可愛らしい、淡いピンクと赤紫の花がついたバレッタをつけてやったんだった。珍しく弱気な妹に、絶対受かると励ましながら髪を編んだ覚えがある。バレッタを耳のすぐ後ろにつけてやると、妹は鏡をのぞき「サンキュー」と満足げに椅子から立ち上がった。
 妹が出かけてしまってから、わたしは机に向かい、デザインの本や写真集、読みしの小説などを読んで過ごした。
 夜になった。両親は帰宅が遅いし、妹も夕食は食べてくると言っていたので、ひとり分のカレーを作っていると、玄関のドアが開く音がした。廊下の様子をうかがってみると、妹が靴を脱いでいる。
「あれ、ご飯いらないんじゃなかったの?」
 妹は答えずにそのまま場へ直行してしまった。どうやらデートが失敗したようだ……気にせず、カレーのなべに水とルーを足し、水増しする。やがて部屋着に着替えた妹がれた髪をタオルできながら戻ってきた。そして居間の椅子に座るなり、「ふられちゃった」と言った。
「絶対脈ありだと思ったんだけどなあ。バレッタの願掛け効かなかった」
「あ、まだ彼氏じゃなかったんだ」
 妹はこくんとうなずくと、椅子の上であぐらをかいた。タオルで髪を乾かすふりをして、目が赤いのを隠そうとしているのはばればれだ。しばらく放っておいて、夕食の支度を進めていると、妹はそうだそうだと呟きながら紙袋をテーブルの上に載せた。
「はい、これ。お姉ちゃんのお使い、ちゃんと覚えてたからね」
「お使いなんて頼んだっけ?」
「頼んだよー、雨の日は億劫だから買ってきてくれって」
 紙袋の中を覗くと、そこにはわたしが愛用しているカラーペンが入っていた。しかも欲しかった色が。わたしは目をしばたたいて妹を見直した……彼女はテレビをけ、頭を拭きながらリモコンをいじっている。ふと、この子の髪を編んでいるときに聞こえてきた、ワイドショーの怪談話を思い出した。藁人形に、相手の髪の毛をちょいと仕込む。
 髪の毛を編みながら、わたしは妹がカラーペンを買ってきてくれればいいのにと念じた。そして最後は願掛けに効くというバレッタで留めて……。
「わはははっ」
 急に笑いがこみあげてきて、妹は驚いてこっちを振り返っている。ああ、そうかあ。
「ごめん、ごめん。でもあんたもたまには役に立つじゃない?」
「人聞き悪いなあ、もとから気が利くんだよわたしは」
 妹はちょっと唇をとがらせていたが、笑いをかみ殺しているようにしか見えない。神様が、新しい彼氏じゃなくてカラーペンを買ってきてほしいという姉の願いごとの方を聞き届けてしまったのだ。それはちょっと申し訳ない。ごめん。少しくらいサービスしてやろうか。
「カレーにゆで卵を載せたいひとー」
 声をかけてやると妹はにこにこと笑って手を挙げた。
「はーい」
 まったくこれだから末っ子ってやつは。でもいざというときに使えるアイテムがあるとわかった……あの可愛いバレッタ。これからは負けてばかりじゃないぞ、なんてね。わたしは鼻歌まじりで冷蔵庫から卵をふたつ取り出した。


空へ昇る

 かい昇天現象を一番はじめに目撃した人物は、異常と感じただろうか?
 古代、あるいは原始の時代に時間を巻き戻してみる。大地に直径二そうほどの穴が突如として開き、そこから無数の土塊が浮かび上がり、ぐ天へ昇っていく様を見て、驚いた者はひとりでもいただろうか?
 百ようねん続くせいかい哲学学会は百名の天才鬼才異才を有しているが、現在に至っても、この疑問の答えにたどり着いていない。誰かがその疑問をぽつんとつぶやけば、哲学者たちはぎょっと目を見開いて、天井を見上げたり、爪でいらたしげに机をたたいたり、かすみ煙草たばこの煙をすぱすぱとくゆらせて思案のもやに包まれたりしたが、抜きん出た才覚をもつてしても、真相はわからなかった。
「まわりが何ひとつ浮かんでいないのに、急に土だけが空へ浮かんだら、比較の問題から驚くのは予期できる反応だろう」
「そうは言うが、君は生まれてはじめて土塊昇天現象を見た時、驚いたのかね?」
「……いや、何も感じなかった」
しかり。みなそうだろう。つまり我々は生物として“最初”から、あの不可解な現象にらされているのだ。つまり遺伝子だ」
「待ちたまえ、“最初”とは何だ? どこを指す? 仮に現象の情報が我々の遺伝子に組み込まれているとしたら、なおのこと“最初”があったはずだ。この現象が我々人類にとって奇妙であるからこそ刻み込まれたのだ」
「やれやれ、君たちは遺伝子まで持ち出すのかね。生まれた直後の赤子はいんようを知らないが、陰陽を見て怖がる子どもはいない。空には陰と陽のふたつの星があり、陰がまわれば夜が来て陽がめぐれば朝が来るのは自然の摂理だと、いつの間にか理解している。ただ日常を過ごすうちに馴れていくだけさ」
「だとしても“最初”はあったはずだ。はじまりのないものなどない」
 星塊哲学と正式に名付けられたのは百陽年前だが、この問答、そしてそこから発展した星塊学の基礎は、二千陽年以上も前から続いている。ただ、いつの頃からか学問の道は分かれ、星塊学は星塊哲学、星塊物理学、星塊天文学の三本柱によってそれぞれに考察されるようになった。いずれも基本的には土塊昇天現象を研究するが、土塊学ではなく星塊学という名称がついたのは、浮かび上がった土塊が宇宙へ達し、この惑星のまわりをくるくると回るので、「つちくれなどというわいしような名前より、宇宙も包括できる規模の名前がよいだろう」という、学会設立当時もっとも著名であったひとりの天才学者の、明るく屈託のない意見のせいだった。
 しかし同じ星塊学といえど、交わることはほとんどない。むしろいがみあうばかりで、たとえば「はじめて土塊昇天現象を見た者は異常と感じたか」という疑問に対して、星塊物理学者は「これだから哲学者は」と鼻で笑いがちだった。
「異常と感じたから何だと言うんだ? そもそも、仮に“最初の人”がいるとして、他人が気持ちを読み取れるだろうか? しよせん想像の範囲を出ない。不毛な議論そのものだ」
 星塊物理学者たちは、その名がつくよりもずっと前から、観測と数式を用いた理論を使い、人間の感情は考慮しなかった。驚こうが驚くまいが、現象は起きる。日々、世界中のあらゆる場所、あらゆる地面に、大人の指が二本入る程度の小さな穴が穿うがたれ、そこから指の先ほどの小さな土塊がふわふわと浮かび上がり、重力を無視して天へ昇っていく。つちくれは大気の層を越え、ついに宇宙へ飛び出すと、きよくしやくに吸い付けられるかのように方向を変えて一列に並び、星の周りを囲う細い輪――かいりんとなって、ゆっくりと回転する。
 それはずっと昔、想像も及ばぬくらいはるか遠い、太古の時代から現在に至るまで、永続的に続いている現象だ。
 惑星に住むすべての生物がこの現象に馴れていた。奇妙だなと思いこそすれ、陰はなぜ冷たく、陽はなぜ温かいのか、むしはどうして我々と姿形が違うのか、そういった疑問と同じくらいの奇妙さでしかなく、「そういうものだ」と割り切ってしまえば良かった。あるいは、植物をはぐくみ時に枯らす陽をおそれ敬うように、土が重力に逆らって天へ向かう現象を、神の存在のあかしだと信じればいい。実際、救世主を名乗る男が星の宗教をせつけんし、神を決めつけてしまうまで、かなり多くの人々が土塊昇天現象をあがめ奉っていた。この頃はまだ、土塊輪は地上から確認されず、大地の欠片かけらが空におわします神のもとへかえっているのだと考えるのが自然だった。
 ともあれ、いつの時代も疑問を持ち続ける者たちはいた。ごく当たり前の自然現象だと片付けられず、かといって神と重ね濁すこともできなかった彼らは、やがて学問の道を進む。星塊物理学者たちは笑うが、星塊哲学者たちの言う「異常と感じた者」は、一番最初ではないにしても、自分たち自身を指していた。
 計測の歴史は古代までさかのぼる。今のところ発見されている古文書の中で最古の記録では、原初の計測法を編み出したのはひとりの測量士だったという。
 けて一面黄色くなった大地に立ち、長く真っ直ぐな棒を片手に、測量士は仲間たちが後ろ歩きで離れていくのをじっと見ていた。棒には玉結びを等間隔にこしらえたひもが結んであり、ぴんと張れば土地の長さを測ることができた。
 その日も暑かった。サンダル履きの足の甲をこそこそとカクを払いもせず、測量士はぼんやりしていた。毎日毎日どこぞの地主や行政官に呼ばれては、開墾やら水路増設やらのために広さを測ってばかり。棒を地面に突き刺しては紐で長さを数える、同じことを繰り返す単調な作業にも飽きていたが、この日は特に眠気が強かった。昨晩妙に寝付きが悪く、何度も夢を見ては飛び起き、隣で寝ていた妻が不平を漏らした。
 あくびをひとつして、地面に突き立てた棒にそっと体重をかける。角度がゆがむから力をかけてはいけないとわかっているが、そうでもしないと眠気でよろめいてしまいそうだ。こくりこくりと船をぎはじめたその時、がくんと体がかしいだ。支えにしたせいで棒が折れたのかと、慌てて飛び起きた測量士の目に映ったのは、棒を挿したちょうどその箇所に開いた穴と、そこからふわりふわりと浮かんで、宙へ向かって行こうとする小さな土塊たちだった。
 土塊昇天現象自体は測量士も二、三度目にしていたし、土がすっかり抜けて空っぽになった穴は、農地や森の木の根の間、民家の前などで時折見かける。しかし広い広い星の地表のどこに、いつ起きるかもわからなかったし、運がいい者、あるいは運の悪い者が偶然遭遇する程度の頻度であって、まさか自分が挿した棒の根元がちょうど開くなどとは、思いも寄らなかった。
 つちくれが穴から浮かべば浮かぶほど、棒の根元はずぶずぶと埋もれていき、まるで土の中にいる何者かに引っ張られているようだった。
 測量士はぼうぜんと現象を眺めると、急に行動をはじめた。その猛然とした行動力とへんぼうぶりに、後になって仲間たちは、「あいつは長い眠りからやっと目覚めたりゆうのようだった」と言った。
「砂だ、砂を測ってくれ!」
 測量士は仲間に呼びかけてその場にうずくまると、腰に巻いた道具入れからぼくを出して、棒に線を引いた。穴の縁からどれだけ沈んだかを記録することで、深さを測ろうとしていた。少し沈んでは線を引き、また少し沈んでは線を引く。傍らにいた測量士の友は戸惑いつつも、測量長から預かっていたようけいをパチンと開き、測量士の言うとおりにした。砂の落下速度で時間を計る砂陽計は精度が高く、一そくから刻むことができる。
「穴の大きさは二爪。穴が深まる速さは……友よ、今どれほどった?」
「砂陽計を開いてから三十足だ」
「ということは……」
 他の仲間たちが何事かと不審がってふたりを囲み、騒ぎを聞きつけた測量長が駆けつけて怒鳴っても、測量士は穴が深くなる速度を測り続けた。結果、一足――六十足で一しゆう、六十周で一ようかんであることはわかっている――につき、穴は一・五爪深くなることがわかった。
 後の時代の者は「若干の誤りがある」とすぐに気づくだろう。今は子どもでも、穴の沈降速度は一足につき一・三爪だと知っている。しかし充分な設備のない古代の測量士が、誤差ほんの〇・二爪にまで迫っていたという事実は、評価されるべきだ。
 記録によると、測量士は「なぜ沈降の速度を測ろうと思ったのか」という問いに、「昨夜、神からの啓示を受けたのだ」と答えたそうだ。本当にそう言ったのかは定かではなく、記録者がよかれと思って書いたのかもしれない。だがたとえ測量士が本気で神の啓示を受けたと主張したとしても、不思議ではなかった。この頃の一般常識は、神がすべての自然現象をつかさどっているというもので、現代でも有用な数式を編み出した数学者でさえ、万物は神がこしらえ、また人々は神に見守られ、見張られていると考えていた。
「その筋でいくならば、“土塊昇天現象を一番はじめに目撃した人物は、異常と感じただろうか?”の問いの答えは簡単だ。つまり“異常と感じた”。古代の人間はすべての自然現象を畏れていたから、当然の反応だろう」
 とある星塊哲学者の意見は確かにもっともらしく聞こえ、問題は解決したかに思われた。しかし別の星塊哲学者がまた反論する。
「かもしれない。だが君は“一番はじめに目撃した”という問題を解決していない。その人物は異常と感じず、二番目の人物が異常と感じたとしたら?」
「何を、それはくつだろう!」
「屁理屈などではないさ。二番目でも、百万とんで一番目の人物でも、変わりはないんだから。この命題の最大の要点は“最初”であることだよ」
 さて、測量士が速度を計測したのち、現象について研究しようとする者が増えはじめた。速度はわかった。では深さはどうだろう? この穴はどのくらい深くなって、土の放出を終えるのだろうか?
 すぐに解決できそうに思える単純なこの疑問は、しかし、この後二千陽年以上経つまで解明されなかった。
 最初の測量士も、速度を測るついでに深さを計測しようとした。測量棒は長く、測量士の背丈をゆうに超えていた。けれども棒はどこまでも潜っていく――もういい加減に終わるだろうと思っても、なおも棒の先端はずぶずぶと穴に沈んだ。結局、指の先で棒の頂点をつまみ、穴のふちぎりぎりいっぱいまで耐えたところで、引き抜いた。
 その後も大勢の者が、現象を終えて静かになった穴に長い棒や紐を入れ、深さを測ろうとしたが、底にたどり着かなかった。それならばと発明されたばかりの数字や数式を使って、間接的に計測しようと試みる者もいたが、なかなかうまくいかない。たとえば道のりと速度と時間に関係があるように、現象がはじまってから終わるまでの時間を計れば、速度と掛け合わせて長さが求められるはずだった。だが、いかんせん排出の時間が長すぎた。
 穴の沈降速度は一足一・三爪、つまり一陽間あたり四六八〇爪――約〇・〇四六八の速さで進む。これはこの世で最も遅い生物、ねんぎゆうの速度とほぼ同じだった。
 そして排出はいつまでもいつまでも続いた。陰が星を一回りする一ヶ陰どころか、陽が星のまわりをひとめぐりする一陽年が経っても、まだまだ土は穴から出続けていた。計測者は根気も人材も金も必要だったが、時間が経過するにしたがって消えていく。家族に愛想を尽かされ、仲間に金を払えず、路頭に迷う者もいた。たとえ途中まではうまくいっても、交替するとはいえ穴を見張り続けなければならない記録者たちは必ず飽きて、どうせ排出はいつまでも終わらないからと、酒を飲みに出かけたり欲を発散しに行ったりした。そして大概、誰も見ていない時間に排出は終わり、誰も記録をしておらず、すべて無駄、すべてはじめからやり直しとなり、計測者は心も折れた。
 それでも解決の糸口を探そうとするのが我々という生き物である。
 古代から現代まで、現象に居合わせた子どもは、皆だいたい同じことをする。穴の上に手をかざし、天へ向かって真っ直ぐ上昇する土塊の邪魔をするのだ。つちくれは子どもの手のひらにぽこぽことあたり、蟲が逃げ道を求めるように二手に分かれて障害物をけ、再び一本になって上へと昇っていく。面白がった子どもたちは、家や大衆食堂からなべみずがめなどの大きな容器を持ちだしては、穴にかぶせ、土を閉じ込めようとした。けれども土塊は変わらずこんこんと湧いて止まらず、いっぱいになった容器はごろんと転がり、自由になった土塊たちはまた天を目指す。
 この遊びに着想を得たのが、とある裕福な地主だった。その地主は測量士が死んでからずいぶん経った後に生まれ、幼い頃から高等教育を受けて存分に好奇心を満たすと、いつか自分の力で穴の深さを測りたいという野心を抱くようになった。
 地主は穴のまわりに頑丈な建物を作らせて覆い、排出された土塊の総量を計測することにより、穴の深さを調べようとした。これならば、万が一目を離した隙に現象が終わったとしても、土の総排出量を回収できれば計算可能なので、人が肉眼で黙々と見張っているより、ずっと効率がよいはずだと考えられた。ただし問題は、穴がいつどこに開くのかの予知法が、まだ解明されていなかったことだ。
 仕方なく地主は、軽い材木と布を組み合わせて、王国の兵士が野営する時に使うようなテントを作り持ち運びできるようにすると、民衆に向かって、道や家の庭に穴が開いたら即座に知らせるようにと、褒美つきのお触れを出した。それからは苦難の連続だった。
 穴はなかなか出現しない――晴れの日も雨の日も風の日も地主は穴のことばかり考え、公務がおろそかになった。ようやくしらせがきたと思えば、村人が報酬ほしさに自分で穴を開けたものだったり、蜥蜴とかげの巣穴だったりした。
 それでもどうにか本物の穴が開いたとわかると、地主は従者たちやテント持ちやお抱えの数学者などなどを引き連れて、穴の元へ向かった。貧しい民家のまわりはあっという間に大騒ぎになり、住んでいた家族はろくな報酬も持たされずに追い出され、家は地主が休むために整えられた。
 穴の中から土塊が音もなく、真っ直ぐに空へ向かっていた。しかも現象がはじまってまだ間もない。地主は目を輝かせながら、テントをかぶせ、地面にくいを打って固定するよう命じ、土塊の量の計測をはじめた。
 テントの大きさは相当なもので、少なくとも大の大人が十人はゆうに入れ、布も頑丈だった。杭には紐を固く結びつけ、馬が引いても抜けないようしっかりと地面に食い込ませた。それでも足りなかった。
 土塊昇天現象の天へ昇りつめようとするエネルギーはすさまじい。土塊は途中までうまくめ込めたが、中がいっぱいになる前にテントはふわりと浮かび上がり、杭もずるりと抜けて空へ飛んでいった。地主も従者たちもぽかんと口を開けて、青天へ消えていくテントと土塊をただ見守る。やがてテントだけが落ちてきて、回収したはずの土塊は跡形もなく、ふたのなくなった穴からは依然土塊が浮かんでは星を去る。
 地主は怒りながらも興奮していた。金も物も人も大概手に入るが、この現象だけはどこまでも自分を悩ませてくれる。一度の失敗でめげることなく地主はテントを作らせ続け、穴が新しく開いたと聞いては駆けつけて、土塊を回収した。一つで足りなければ三つ、三つで足りなければ十、十で足りなければ百、百で足りなければ千。
 だが集めた土塊をどうしても保存できなかった。持ち運ぶにも浮力が強すぎるので大量の重しが必要だったし、どうにか頑丈な石造りの倉庫に入れたところで、人間が扉を開けたとたん、土塊が「自由時間だ、さあ空へ」とばかりに出てきてしまう。それでもやっと閉じ込めると、今度は倉庫の支柱が抜けるか、土塊の勢いに負けてひっくり返り、やはり逃がしてしまうのだ。それに、土塊には浮力があるせいではかりにかけられなかった。
 重さは量れず、容量も、テントの枚数を数えることでどうにかしようとしたが、テントいっぱいに入ったものもあれば、半分量で杭が抜け中断しなければならなかったものもあり、いずれにせよ、正確な計測はできなかった。すべては無駄だったという結論を出すまで、あまりにも時間がかかったために、地主はもはや白髪頭でしわだらけの老人となっていた。金を使い果たし、土地を追いやられ、へきのあばら屋を住まいにして暮らし、手元に残ったものは土で汚れた大量のテントだけだった。
 その頃には数学だけでなく物理学も発展しており、土塊昇天現象は、もはや計測を頼りにできないものだという結論が出ていた。
「そもそも計測とは、重さあってこそ可能なものなのだ。重さを無視した、この星の法則を馬鹿にしきったような現象を、計測で推し量ることは不可能。これは仮定と理論のみによって解明される」
 星塊物理学者の間で今もなお尊敬を集め続けている“の巨人”は、仲間との会合でそう宣言したが、運の悪いことに、その時代は宗教によって様々なものが変えられてしまった。特に、時代が進むのと比例して宇宙に出た土塊の数が増え、うっすらながらも土塊輪が肉眼で見えるようになったのも、人のきつけた。見よ、神のしるしがそこにある。きようかいは人の畏れを利用して神にすがるよう説き、諸国の王たちの信頼を勝ち得ると、物理や数学などの「あまりにも鋭すぎる目」を忌避した。この世のことわりを解こうとする行為は神へのぼうとくだと決め、研究費用の出費をやめさせるだけでなく学者を弾圧した。学問はここで一度止まる。
 しかしかげでも育つ植物はある。受難の時代に“智の巨人”はこう言った。
「私が信仰するものはただひとつ。それは形もなければ、神のような厳格さもなく、対等であり、人の心を燃やし、水車よりも強い原動力となるもの。すなわち、好奇心である」
 その発言を数式と一緒に弟子が書き残してしまったがために、“智の巨人”は捕らえられて処刑されたが、彼の数式と言葉は時を超えて受け継がれた。
 一方、世界は大きく動いていた。神の名の下に国が国を侵略し、王の名の下にへきかいを越えて血が流され、怒りと嘆きの叫びが空に響く時代となる。人は生まれた地を離れ、見知らぬ場所をじゆうりんするうち、この星はどうやら球体をしていると気づくことになった。碧海をまたにかける碧海軍総督は言った。
「星が球体となると、反対側にあるはずの我が故郷はどうして空に落ちないんだ?」
 王や軍の参謀たちは、効率のいい侵略には正確な学問が必要だと理解した。きよくりよくを使ったしんえんのおかげで、星々が見えない嵐の夜でも方角を見失わずに済み、医学のおかげで兵士は栄養失調の難を逃れ、効率の良い武器が開発された。教界の力は波に削られる岩のように少しずつ弱まり、細くぐらついたものになっていき、反対に学問が徐々に力を取り戻していく。
 潤沢な資金と人材を手に入れた学者たちは研究に没頭した。この頃、人はようやく“重力”を発見し、数式を編み出して、土塊昇天現象以外の自然現象は、どうやらこの法則に縛られているのだという理解が広まった。
 ますます土塊昇天現象は、意味のわからない、例外的で不可解な現象としてとらえられるようになる。だが、土がただ天に昇っていくだけでは、国の益にならず侵略の役にも立たないので、この研究に関しては、資金面が相変わらず不遇だった。学者たちは口々に不満を漏らす――これほど奇怪な現象は他になく、ここにこそ神と星の間にある何かの約束事が隠されているだろうに、なぜ王は顧みてくれないのか。
 磨かれたあおきんや白石に彩られたごうしやな謁見の間で、他の学者やすうきようが並ぶ列の端も端にいながら、現象を研究する学者は震える声を振り絞って王に直訴した。
「土塊昇天現象の解明こそが急務です。この世で唯一重力に背くもの、その謎を解けば、きっと人は天を制することができるでしょう」
 天を制する。その提案は王の心をときめかせたが、他の学者、枢機卿、側近にも笑われ、馬鹿にされれば、首肯するわけにはいかなかった。
「穴の深さも求められない愚か者どもが、どうやって天を制するというのだ?」
 環境に恵まれないまま現象の探求者たちは進む。国から出発した侵略者たちの報告によると、星の裏側でも、道行きの最中さなかに歩いたどこの土地でも、まったく同じように現象が起きるそうだ。
 以前と違い、穴から土が浮上をはじめて完全に排出が終わるまで、どのくらいの時間がかかるのか、計測自体はできるようになっていた。けれどもあり得ない数ばかりが計上され、学者たちはますます混乱した。その時間、九ヶ陰。約二八〇日もの間、土塊は穴から出続けていた。
 数式に従って時間と速度を掛け合わせ、深さを明らかにする。その数はおよそ一万三千路、星の直径とほぼ同距離だった。
「あり得ない」いかな現象を愛する物理学者も否定した。「間違いだ。これでは穴は星を貫いていることになるぞ。できるだけ多くの穴を観察して、反証せねば」
 だがどの穴を調べても結果は同じだった。気味が悪いほど数字は似通い、学者たちは背筋が凍るのを感じた。いったいこの星に何が起きている?
「我々の常識で考えるのはやめよう。土の排出時間を単純に計ってはいけないのだ」
 そうは言っても、新しい常識、既成概念を壊しまったく別の方向から見ることほど、難しいものはない。穴の深さは永遠の命題、しかし決して解けない命題として棚上げされ、学者たちは土塊にどのようなエネルギーがかかって浮上するのか、そちらの問題に取り組みはじめた。
 土塊にかかるエネルギーはちゆう力と呼ばれるようになり、今まで教界が決めていたような、天が土を吸い上げているとするてんちゆう力ではなく、星の力で持ち上げられ、上へ昇っているのだという仮説が、大きく支持された。星の中心には想像を絶するほど高温の火が燃えていて、そのエネルギーが穴を穿ち、土塊を押し上げているという。しかし、なぜ空へ出た後で、訓練された兵士のように列を組み土塊輪を形成するのかの問いについては、「神のお導き」としか答えられなかった。
 また時が経ち、天を制することのないまま革命が起き、王がたおされ、民衆が自分たちの国を作りあげ、新しい国があちこちで生まれた頃、歴代の学者たちの中で最も若く、最も異端な者が現れた。
“異端児”は他の学者が棚上げした穴の深さにこだわり、およそ一万三千路の数字を、正しいと考えた。これを実証するために、自国の中でも最も緯度経度が明確な穴――すなわち古く有名な塔のすぐ根元、白っぽい砂の土に穿たれた穴に赤い旗を立てた。そしてぶつぶつ呟きながら星球儀をくるりと回すと、ある一点を指でこつんと突き、仲間を集めて冒険隊を組んだ。
 冒険隊は先頭に立つ“異端児”に忠実だった。ごうじゆうとガイドを連れて星の裏側、故郷と正反対の位置にある国へ旅立ち、荒波を行き、もうじゆうが潜む森を抜け、水分を蒸発させながら乾いた砂漠を越え、窒息しそうなほど降りしきる激しい雪の中を進んだ。体重は減り、眼光鋭く、手足の筋肉ばかりが発達した冒険家たちはついに、目指した地にたどり着いた。
 けて落ちくぼんだ目をぎょろつかせ、“異端児”は羅針円を片手に、黄ばんだ荒れ地を探した。果たして、そこに穴はあった。自国の塔とちょうど対称の位置、星の裏側に、穴が開いていたのだ。
 その後も何度となく冒険隊を組み、“異端児”は穴の位置を確かめ続けた。穴は一点ではない、星を貫いて、二点開いている。数字は正しかった。土塊昇天現象はまるで球体をくししにするような現象だったのだ。
“異端児”は張り切って論文を書いた。伸ばしっぱなしの赤茶色の髪やひげにたかったはいじらみをかまいもせず、帰国するなり書きまくった。何日かけてもどれだけ夜を徹しても苦しくはなかった。けれども正確な検証データを付して完成した論文は「こんなものたまたまだ、都合の良い計測結果だけでできている」とちようしようされ、ろくに相手にもされず、消えることになった。
「碧海はどうするんだ」
 幼い頃から共に学びいつも一番の味方だった親友はそう言って、“異端児”の肩を叩いた。
「お前は碧海を忘れている。陸地ばかりを計測するな。反対位置に碧海のある穴はどうなってる? もし本当に穴が星を貫いているのなら、なぜ海水が出てこない? それに地層学も考慮しろ。この星は土だけでできてるんじゃないんだ」
 親友は正しかった。星は陸よりも碧海の面積が広く、穴の位置を計測するならば考慮しなければならないが、“異端児”はそれを避けていた。そして近年誕生したばかりの地層学によれば、この星の地中はさまざまな質の土や泥、石が層となっているもので、土塊昇天現象が吐き出すようなただの土塊は、ほんの数路分、星の表層にしか存在しないという。それは実測され、実際に採掘することで明らかになった本当の事実だった。
 もはや土塊昇天現象についてまともに研究すること自体が常軌を逸していた。いったいこれは何なのだ? “異端児”はまんいんに照らされてかすかに光る土塊輪、百年前よりもやや太くなっているつちくれの列をにらんで呟いた。
「星よ、あなたはなぜ人にこれを見せるのだ。正体を明かさないのに、闇雲に驚かせるのはやめてほしい」
 星塊哲学者たちが何度となく問う命題を、“異端児”は馬鹿馬鹿しいと思ってきたが、この時ほど自分が“最後”であったらと願ったことはなかった。もう驚きたくない。好奇心は毒だ。
“異端児”は酒におぼれ、博打ばくちまり、家賃を迫る大家から逃げ回った。臓器を病んだが気にもせず、千鳥足で街を歩き回り、開きっぱなしになった穴を見つけるとつばを吐きかけた。唾は穴の闇に消え、浮かびはしなかった。
 その時“異端児”は気づいた――これまで穴がふさがったことがあっただろうか? いつも土塊が出てくることばかりに注目して、穴を塞いで埋める行為についてはまるで考えていなかった。穴は埋まらない。誰もが知っている。なぜなら穴が深すぎて、ちょっとやそっと穴に土を入れたところでいっぱいにはならないのだ――本当にそうだろうか?
 翌朝から“異端児”はあらゆることをめた。酒やばくを止めただけでなく、土塊昇天現象についての論文もすべて処分してしまった。研究書をまとめ、すっかり空になった部屋を出ると、“異端児”は二束三文で本を売り、家賃を払って新しい本を買った。本は土塊昇天現象ではない純粋な物理学の本だった。そしてペンを取ると、ノートにこう記した。
「私が生きているうちに真実にたどり着くことはないだろう。私は謎の答えを知らずに死ぬ。とても残念だ。だが覚悟は決まった」

 イヌーティル役立たずは望遠鏡をのぞく私の隣で、『星塊学の歴史』を読んでくれながら、笑いをこらえきれない様子だった。イヌーティルは歴史を好まない。誰がいつどんな研究をして成果を残してくれようと、イヌーティルにとっては「誰かの好奇心の残りかす」にすぎず、我々世代の研究の肥やしになるのみ、と考えているのだ。
 しかし私はそうは思わなかった。人は思考する時、頭の中の歯車を回す。誰かと話す。互いの歯車がみ合って回る。こちらの回転を助けてくれる歯車は、今隣にいるイヌーティルのものでもいいし、見知らぬ誰かの歯車でも、数百陽年から一千陽年も前の人のでもいい。紙と文字の発明は私にとって純度の高い青金よりも価値が高いのだ。
 高精度望遠鏡のレンズの先に、宇宙に浮かぶ土塊輪が見える。帯のように整然と並び、いつも変わらないスピードで進みながら私たちの頭の上にいて、晴れていれば昼でも夜でも肉眼で確認できる。
 土塊輪は星々よりも間近に見え、普通の天文学者にとっては邪魔でしょうがない異物となるが、私のような星塊天文学者にとっては飯の種になる。
 宇宙の星々の謎を解くよりも土塊昇天現象の謎を解きたいと考えるのは子どもばかりで、大人になってもなお星塊天文学に夢を見続ける者はとても少ない。それでも国から補助金が出続けているのは、きっかけを作ってくれた純粋物理学者、宇宙へ出た後の観察が面倒になった星塊物理学者たちと、今もなお“最初”の議論を続けている星塊哲学者たちのおかげだろう。
 純粋物理学は一度、この世に“最初”は存在しないという結論を出し、星塊哲学者たちを震え上がらせた。陽間、つまり時間というものは、不変ではなく各地でねじ曲がっていて、存在や出来事が連なっているにすぎず、一方に流れていく“時間”なる概念は、人の思い込みであって実際には存在しないのだ、という。
 それを大変みつな計算法と論文によって世に知らしめたのは、“異端児”と呼ばれ、途中で研究を純粋物理学に切り替えた者に教えを受けた弟子で、我々の学問に“星塊学”と名付けた天才だ。
 穴は、我々の星に本当にあるものではない。天才は私たちにそう教えた。この土塊は確かに星の土と性質は同じだが、穴の中の時空が歪み、同じ地層を何度も繰り返し排出しているのだ。つまり“最初”は定義できない。どの穴が“最初”であってもおかしくなく、“最後”であってもいい。すべてが“途中”だと言ってもよかった。
 思索と議論の大前提を崩されかけた星塊哲学者たちは嘆いたが、先端技術を手に入れた星塊天文学者たちが、異を唱えたのだった。宇宙望遠鏡や宇宙飛行士たちが星を周回する土塊輪を詳細に観察した結果、宇宙の真空状態によって冷やされた凍結の具合と土質の状態から、土塊自体には時間が存在し、古いものも一緒に空を回り続けていることを証明した。すなわち“最初”の土塊はある。不可思議なのは現象だけであって、土も宇宙も実在しており、天空を破って真空に到達し、奇妙な引力に引き寄せられて一列の土塊輪に加わった瞬間、土塊はこの世の物理法則どおりの存在になるのだ。
 星塊哲学者は喜び、星塊物理学者はむっとしたが、両陣営とも、星塊天文学が継続できるよう出資せよと、国に働きかけてくれた。サンプルや正確な計測情報のない状態に苦しんだ星塊物理学の歴史、そのせいで浪費した時間を、彼らは今も惜しんでいるのだろう。
 ともあれ、星塊物理学と星塊哲学、そして星塊天文学は、土塊昇天現象解明に必要な、互いに持ちつ持たれつの三本柱となった。
 穴は時空を歪める筒だとわかった後、絶望しかけていた星塊物理学者はよみがえり、今度はなぜこんな現象が起きるのか、エネルギーはどこからきているのか、地柱力と天柱力のどちらが正しく、あるいは新たな力が存在しているのか、と問いはじめた。
 結論はまだ出ていない。というか、我々星塊天文学者も関与しなければならない、長い長い実験の最中にあった。
 かつて中世の学者は、土塊昇天現象を応用すれば天を制すると言ったそうだが、まったくもって見当違いで、人は現象をそのへんに置きっぱなしにしつつ、自由に空を飛んだ。エンジンと翼で事足りてしまったのだ。
 まったく、これほど役に立たず意味も持たない現象は他にないだろう。水が沸騰するだけでもエネルギーになるし、爆薬は生き物を殺し、人が笑うエネルギーは人を幸せにする。だが土塊昇天現象は何もない。何のために穴の中の時空が歪んで、何のために星の表層を何度も繰り返し出現させて空へ向かって排出しているのか、宇宙に出るとなぜ一列に集まるのか。通常の自然現象に逆らってまで存在するほどの理由が、これにあるのだろうか。
「そういうものだから」
“最初”に会った時、イヌーティルはそう笑って私に握手を求めると、「役立たず」を意味するこのあだで呼んでほしいと言った。しかしやつほど土塊昇天現象にたんできしている者を私は知らない。
 休憩時間の終了を告げるベルの音と共に我々は立ち上がり、イヌーティルは歴史の本をそこらへんに放ってしまう。
「準備はいいか?」
 仲間と交替で無骨なコンピュータの前に座り、ヘッドセットをつけてスタートボタンを押す。宇宙に浮かべた人工えいうんに電磁波を放たせ、周回する土塊に照射して計測し、データを収集しているのだ。やっていることは古代の人々と変わらない。地道な計測とサンプルの収集、その繰り返し。しかしこのおかげで理論は立証できるのだ。
 これでもずいぶん高画質になった画面を睨みながら、土塊の形跡を追う。地表から見れば飛行艇雲が三筋ほど走っているていどの量でも、こうして衛星器のレンズを通せばその実体がよくわかる。もはや数え切れない、おびただしい量の土塊の群れ。これが宇宙にあるのを実際に見た宇宙飛行士は、精神にかなりのダメージを受けるそうだ。
 このままでは星を覆い尽くす。それどころか、穴だらけになった星は崩壊する。
 オカルティックな予言は年々増えていくが、今のところ危機のレベルは低いし、もしそうなったとしてもまだまだずっと先のことだ。
「あり得ないね。穴はそもそもこの星のものじゃない」
 イヌーティルはぼうあめを口にくわえてカラコロ鳴らしながら鼻で笑う。お前の方が意味がわからんよ、と肩をすくめると、こちらの隣まで椅子を持ってくる。
「何だ、仕事をしろよ」
「仕事だよ、れっきとした。考えることも仕事なんだから」
 私は顔をしかめてイヌーティルを睨みつけるが、やつはまるで意に介さない。
「穴は――この星に開いたもんじゃないんだ」
「はあ?」
「わからないか? 時空が歪んでいるどころの騒ぎじゃないんだよ」
「……ちゃんと説明しろ」
 するとイヌーティルは床をっ飛ばして椅子の車輪を滑らせ下がり、棚の上の土塊昇天球を手に取ると、足で漕ぎながら戻ってきた。
 土塊昇天球は穴だらけで、正直なところ気味が悪い。無数の小さな穴が開いてぼつぼつした表面を見ていると背筋が寒くなる。できるだけ顔を背けて画面に集中している風を装った。イヌーティル自身はまったく気にしていない。
「この星に開いた穴はすでに一億を超えてる。崩壊するならとっくの昔に崩壊してるぞ。穴が開きまくったぎようてつ混凝土コンクリートもろくなるのと一緒だ」
「まあ、そりゃあ」
「なのになんで崩壊しない? 星が頑丈だから? 星が大丈夫でもこっちは大丈夫じゃないはずだ。宇宙の中で質量がどんどん軽くなったら、重力の大きさも変わるはずだろ」
 あ、と声が出た。確かにそうだし、宇宙天文学の本で読んだことがあった。宇宙は一種の弾力性のあるメッシュのようなもので、星はそこに置かれた球だ。質量によってメッシュは歪み、星は陽の周りをめぐる――自転と公転が生まれ、重力が生じる。
 画面に映る土塊の群れ。これほどの量を消失した星は相当に軽くなっているはずで、陽の外周をまわる土塊輪の軌道にも変化が生じるはずだ。遠ざかるか近づくか……星の周りをまわる陰とぶつかってもおかしくない。
「思い切りはじき飛ばされていたかもしれない。軽くなって陽の重量に耐えきれず、宇宙の彼方かなたへ」
 私は画面から目を離し、イヌーティルを見た。
「確かにそうだが」

(気になる続きはぜひ本書でお楽しみください!)

作品紹介



書 名:空想の海
著 者:深緑野分
発売日:2025年11月25日

“読む楽しさ”がぎゅっと詰まったカラフルな11の物語
奇想と探究の物語作家、デビュー10周年記念作品集。植物で覆われたその家には、使う言葉の異なる4人の子どもたちがいる。言葉が通じず、わかりあえず、でも同じ家で生きざるを得ない彼らに、ある事件が起きて――(「緑の子どもたち」)。大地に突如として小さな穴が開き、そこから無数の土塊が天へ昇ってゆく“土塊昇天現象”。その現象をめぐる哲学者・物理学者・天文学者たちの戦いの記録と到達(「空へ昇る」)など。ミステリ、児童文学、幻想ホラー、掌編小説……書き下ろし『この本を盗む者は』スピンオフ短編を含む、珠玉の全11編。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322407000605/
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著者特設サイト:https://kadobun.jp/special/fukamidori-nowaki/


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