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レビュー

明晰な知性と飛翔する想像力、冷静な分析力によって、虚構と事実が渾然となった世界――『吸血鬼』佐藤亜紀 文庫巻末解説【解説:皆川博子】

暗闇を照らす光は、 革命か、文学の力か。
『吸血鬼』佐藤亜紀

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

吸血鬼』佐藤亜紀



解説(作者と共に)

みながわ ひろ  

〈死んだ恋人が戻って来て、真夜中に扉を叩く。(略)お願い、開けて頂戴、(略)男は扉にすがり、口をつぐんだまま涙を流す。〉(一八四‐一八五ページ)

 異様な現象は、村人が信じているもののなせるわざか。村に安寧をもたらすには、陰惨な風習を実行せねばならないのか。ほうは迫っているのか。
 へきそんの怪異な風習。しかし本書において、怪異は外衣です。流麗な文章で記されるのは、支配する者と支配される者、軽薄な者、こうな者、したたかな者、誠実な者、れいに土地の経営を考える者、それらが絡み合い織りなす、歴史の中にあり得たであろう場面とそれに対する客観的な観察眼です。
 小説誌に連載されていた『吸血鬼』が単行本として刊行されたとき、魅せられて一気に読みふけりました。一気読み、徹夜本という、本の帯などにしばしば用いられるさんは、必ずしも作品の質の高さを保証するものではありません。
 しかし、佐藤亜紀さんの御作は常に、該博な学識と膨大な資料の読み込みを基盤とし、めいせきな知性としようする想像力、冷静な分析力によって、虚構と事実がこんぜんとなった世界が構築され、読者は楽しくみ込まれます。
 一八四五年。ガリチアの小さい村ジェキ。新任の役人ヘルマン・ゲスラーとその若い妻エルザ、領主アダム・クワルスキと農民出の妻ウツィア。下男マチェクとその親父さん。
 この限られた人物だけでも、複雑な民族関係が示されます。ゲスラー夫妻の名はドイツ系、クワルスキはポーランド人貴族、マチェク父子は貧しいルテニア人。
 ガリチアは、現代の地図では、ウクライナの西部地域の一部です。十一、二世紀ごろ、それまで続いていたリューリク王朝のキエフ大公国が幾つもの公国に別れたときの一つで、十三世紀頃からタタール(モンゴル)に長らく占領支配された後、ポーランドに領有されます。
 ルテニア人は、その土着のウクライナ人の呼称で、領主はポーランド貴族。ルテニア人は農奴に等しい扱いを受けます。
 十八世紀、ポーランドは隣接するロシア、プロイセン、オーストリアに、数度にわたって分割併合され、一七九五年の分割でついに消滅します。再建までの道程を正確に記すには紙数が足りません。
 ガリチアはオーストリアに併合され、村役人も帝国の行政機関から派遣されています。
『吸血鬼』を読み耽っているとき、不思議な体験をしました。音楽を感じた……というより、音楽を視た、のです。人物のそれぞれが異なる楽器であり、情景を記す地の文まで楽器であり、それを作曲者である作者が指揮して交響楽を演奏するというふうで、読了後も、複雑な重層性に圧倒されながら音楽の余韻の中にいました。
 文庫化にあたり解説をお引き受けはしたのですが、「解説」というからには、解説者は少なくとも作者と同程度の知識、見識を持たねばなりません。基礎知識に欠ける私には不可能なので、幾つかの質問を記したメールを作者にお送りしました。
 佐藤さんは最初、原稿用紙換算で三十枚を超える長文を書いてくださったそうですが、解説の紙数はごく少ないので、短いバージョンをさらに書き直すという難業をしてくださいました。
 メールによるお手紙のあいさつ部分を除いた全文をここに転載します(ゆえにこの「解説」は、半分は作者自身によるものです)。

〈小説を書く時に私がいつもまず考えるのは、的に言うなら音楽性です。
 文学でも視覚芸術でも、作品であるからには、どれほど乱調に不協和に見えるとしても一つのまとまりがあり、それを「調和」と呼ぶ時、音楽という比喩が浮かんでくる訳ですが。アメリカではよくシナリオを書く時に用いられるソフトは登場人物や事物それぞれの動き(批評などでは、アーク、と呼ぶようですが、うまい言い方だと思います)を線で示す機能があるのですが、それをデモで見た時、ああこれはオーケストレーションだ、と思ったことがあります。人や事物・事象がそれぞれに固有の色彩や感触を伴って動く時、作品に固有の響きが生れ、その連続としての作品が成立します。小説も同じではないでしょうか。

 そして歴史小説の場合は、歴史上の事象について調査をしながら感じる、これは一体何だろうという驚きや意外さが、構成に大きな影響を持ちます。もちろん歴史的事象自体は、歴史家カルロ・ギンズブルグが言う通り、記録者や歴史家の主観によって事後的にゆがめられ、受け取るこちら側も固有の主観の影響下にそれを受け取るしかないのですが、この「歪んだガラス越しの」出会いでも、確実に他者と出会ったという感触があることは皆川さんも感じておられる事と思います。その出会いから小説を書く時、その小説は既に歴史という他者との問い掛けと応答を、オーケストレーションの一部として含むものだと思います。

『吸血鬼』の背景にあるのは1846年のガリチア虐殺です。オーストリア支配下のポーランド西部で対おう蜂起を計画していたポーランド貴族たちとその屋敷の使用人約二千人をウクライナ系農民が虐殺し、一部は死体や首をオーストリアの行政機関へと持って行って褒賞を求めたという事件ですが、この事件にも既に、オーストリア支配に反感を持つポーランド、ポーランド人支配層に反発するウクライナ系住民、というレイヤードケーキ的な構造が見て取れます。そして日本の地方出身者である私は(なかかくえいの選挙区の出身だ、と言っても、今では通じにくくなってしまいましたが、特に1983年の選挙の盛り上がりはまさに蜂起同然でした)、どうしてもウクライナ系農民に、当り前だ、と自分を重ね合わせてしまう訳です(作中で使われる方言は私の出身地のものです──標準語話者には耳で聞いても三割程しか理解できないそうです)。更に、しまが自衛隊いち駐屯地で割腹した事件の印象も、当時は小学生でしたが、強烈でした。彼が考えているような日本は根無し草知識人の幻想で、国家というのは複数の利害を異にする層が重ね合わさって出来ているえつどうしゆうのものだ、という認識を当時でさえうっすらと感じたのを覚えています。ですから、私は近代の一枚岩のものとして想定される国民国家にも、所謂いわゆる「愛国」「独立」にもほとんど心を動かされません。愛国詩人というのは私には常にこつけいなものです。これもまた、作品を構成するふくそうする線の一部です。〉

 実に貴重なお返事をいただきました。読者が本書を味読される支柱にもなると思います。マチェクの親父さんやクワルスキの造形は、ここからきているのですね。
 紙数の関係で掲載できなかった三十余枚には、おそらく、複雑な宗教関係など大切な事柄が豊富に記されていたのだと思います。知識欲を持った多くの読者に読まれる発表の場が欲しいとせつに思います。

作品紹介・あらすじ



吸血鬼
著者 佐藤 亜紀
定価: 858円(本体780円+税)
発売日:2022年08月24日

暗闇を照らす光は、 革命か、文学の力か。
1845年、オーストリア帝国の支配下にあるポーランド。寒村ジェキに赴任した役人ゲスラーは、若き妻を伴い陰鬱な地にやってきた。かつて文学青年だった彼は、愛国詩人でもある領主との交流を心待ちにしていたのだ。だがその矢先、村で次々に不審な死が発生し、人々は土俗的な迷信に怯え始める――独立蜂起の火種が燻る空気の中、人間の本質と恐怖の根源を炙り出す、恐ろしくも美しい物語。皆川博子氏と作者による解説を収録。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322105000223/
amazonページはこちら


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