単行本時に共感度96%(ブクログ調べ)を叩き出し、圧倒的支持を得た椰月美智子さんの『明日の食卓』。どこにでもある普通の家族に起こり得る光と闇を描き切った本作が、満を持して映画化されます!
フリーライターの石橋留美子を菅野美穂さん、シングルマザーの石橋加奈を高畑充希さん、専業主婦の石橋あすみを尾野真千子さんが熱演。それぞれ小学校3年生の「石橋ユウ」を育てる母たちの行く末は――?
5月28日からの映画公開に先駆け、3つの「石橋家」が良くわかる冒頭部分を公開します。
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「ちょっと! あんたたち、いいかげんにしなさいっ!」
近所のスーパーで、縦横無尽に走り回る子どもたちに向かって、
「
留美子は二人をつかまえて「走らない!」「他のお客さんの迷惑にならないように!」と言い聞かせた。
「わかった?」
「うん、わかった!」
三年生の悠宇がそう言うと、一年生の巧巳も「うん、わかった!」と返事をした。
「真似すんなよ!」
悠宇が言って、巧巳を押す。
「痛いっ!」
巧巳が泣きはじめる。わざとらしい子どもの泣き声ほど、イラつくものはない。なんだってこう、すぐにケンカをはじめるのか……。留美子は目をつぶって心を落ち着かせようと試みる。巧巳は留美子が助けてくれないと判断すると、すぐに泣き止んで、悠宇につかみかかった。
「なにすんだよ、やめろ!」
「そっちが先にやったんだろ!」
スーパーの通路の真ん中でケンカがはじまる。
「やめなさい!」
留美子が二人を引きはがすと、巧巳がまた泣きはじめた。だってえ、だってえ、としゃくり上げる。
「お兄ちゃんが先にやったんだよう。おれ、悪くないもん」
「うんうん、痛かったね。大丈夫、大丈夫。巧巳、じゃあ、お母さんのお手伝いしてくれる? カートを持ってきてくれるかな」
「いいよ!」
笑顔になった巧巳が返事をすると、隣で聞いていた悠宇が、我先にと走り出した。
「待ってえ! おれが頼まれたんだ!」
巧巳があとを追う。
「二人で仲よく持ってきて!」
留美子が言うと、二人でなにやらこそこそと耳打ちしはじめた。話がまとまったようで、二人がそろって走り出す。
「ほら! 走らないっ!」
留美子の声で二人は一瞬ぴたりと止まって、そろそろと歩き出すが、カートの直前で悠宇が抜けがけダッシュをし、つられるように巧巳もダッシュする。奪い合うようにカートを取り合っている。
「ゆっくりでいいから、まわりを見て!」
と、留美子は声をかけたが、どちらがカートを押す主導権を握るかで、すでに小競り合いがはじまっている。留美子は二人のところに行き、カートを持ってきてくれた礼を言い、
「わたしが押すから」
と言って、カートを引き受けた。
「やだ、おれが押す!」
悠宇が、留美子の手からすばやくカートを奪い取り、そのまま勢いよく走り出した。
「待ってえ!」
巧巳がすかさず追いかける。
「ちょっと! 待ちなさい!」
留美子が声をあげるが、まるで聞いていない。巧巳が追いついて、二人でカートをジグザグに動かしはじめる。
「やめなさいっ!」
二人はゲラゲラ笑いながら、勢いよくカートを走らせている。
「あっ、危ないっ!」
二人が押していたカートが、近くに立っていた年配の男性にぶつかった。瞬時に血の気が引く。留美子はいそいでかけ寄った。
「すみませんっ! 大丈夫でしたか? お怪我はありませんか。本当にごめんなさい!」
年配の男性はこちらをにらんで、大きな舌打ちをした。
「申し訳ありませんでした!」
留美子が深々と頭を下げると、男性はもう一度、チッと舌打ちをして去って行った。大事にならなくてとりあえずよかった、と胸をなでおろす。
「悠宇! 巧巳!」
カートをぶつけたことを謝りもしないで、お前のせいだろ、そっちが悪いんじゃん、などと言い争っている子どもたちに、留美子は有無を言わせず、ゴン! ゴン! と、げんこつを落とした。
「いってえ」
悠宇と巧巳が、頭をさする。
「あんたたち、何度言ったらわかるの! さっき言ったばかりよね! ここは運動場じゃないの! みんなが買い物をする場所なの! カートがぶつかって、大怪我することもあるんだから! 今日はアイスなし! いいわね!」
留美子の言葉に二人が、ちぇーっ、アイスなしかよ! ケチ! などと口をとがらせる。反省もせずに、アイスのことしか頭にない子どもたちに、留美子は心底うんざりする。子どもたちと一緒だと、夕飯の買い物すらまともにできない。
「鼻くそタッチ!」
いきなり悠宇がそう言って、人差し指を巧巳の肩に押し付けた。
「ぎゃー! やだあ! ばかー!」
巧巳が半泣きで絶叫しながら、逃げた悠宇のあとを追う。
「ちょっと! 待ちなさいってば!」
留美子の呼びかけむなしく、あっという間に二人の姿は見えなくなった。
はあーっ。
大きなため息が自然と出る。いっときだって、おとなしくしていられない。どちらか一人ならまだ聞き分けがいいが、二人そろうとまったく手に負えない。
留美子は子どもたちを追うのをやめて、とりあえず最低限必要なものをカートに入れて、先を急いだ。
鮮魚コーナーのところで、悠宇と巧巳を見つけた。めずらしい魚が発泡スチロールの箱のなかにいるようで、二人で興味深げに眺めている。真剣な顔つきだ。留美子は安心して、二人に近づいた。男の子は生き物が大好きだ。
ほっとしたのもつかの間、二人が魚を触りはじめた。
「だめよ。売り物だからね。見るだけにして」
留美子の声に二人が顔を上げ、その瞬間、悠宇が手についた水を巧巳の顔にひっかけた。
「このやろーっ」
巧巳も負けじと、悠宇の顔めがけて水をかける。床に水滴が落ちる。
「やめなさいっ!」
悠宇が、「やばい!」と言って走り出した。巧巳もあとを追って走り出す。ここで留美子が追いかけようものなら、さらに興奮してやかましさが倍増するので、ぐっと我慢する。通りかかったお店の人に、水をこぼしたことを謝り、床を拭いてもらう。
制御不可能な子どもたち。一体いつになったら、ごく当たり前の買い物ができるようになるのだろうか。
二人はまた、おにごっこをはじめている。子どもたちが生まれてから、留美子の
二人の先に、腰の曲がったおばあさんがカートを押していた。ぶつかったら大変だ。
「走らないで!」
子どもたちはまったく聞いていない様子で、ふざけながら走っている。
「こらあっ! 走るなっ!」
たまらず鋭い声を出した。近くにいた若い女性が、驚いたように留美子を見る。留美子を糾弾するような目つき。なにか言いたげな雰囲気だ。
女性と一瞬目が合ったあと、留美子は、すっと視線をそらした。自分もあのくらいの年齢のときは、口うるさい母親が子どもを叱りつけているのを見ると、なんてひどい、もっと言い方があるでしょう、と思ったものだった。なにも知らなかったあの頃。今となっては、世間知らずだった当時の自分を、それこそ叱りつけてやりたいと思う。
留美子は無視して通り過ぎたが、女性はしつこく留美子に視線を送っていた。
──同じ状況になったら、あなたにもわかるわよ──
留美子は、胸のうちでそうつぶやく。子どものやることなんだからもっとおおらかに、もっと大目に見てあげて、と言う人だって、今みたいな子どもたちのふるまいを親が放っておくのを目にしたら、なぜ注意しないんだ、と思うに決まっているのだ。親が怒るのを見てはじめて、「まあまあ、そんなに怒らないでもいいじゃない」と、言えるのだ。
留美子は、子どもを放置している親を見ると、腹立たしさを感じる。みんなに迷惑をかけているのに、なぜなにも注意しないのだと説教したくなる。少しでも叱ってくれればこちらも納得して、本当に大変ですねと同情できるのに、はなから、子どもなんだから仕方ないでしょ? という親の
コーナーを曲がったところの冷凍ショーケースの前で、二人を見つけた。悠宇と巧巳は叫び声をあげ、冷凍ショーケースに付着した霜をむしっては投げ合っていた。近くを通るお客さんが、
「なにやってんのおっ!」
悠宇と巧巳は悪びれる様子もなく、にやにやしている。
「い・い・か・げ・ん・に・し・な・さ・い!」
仁王立ちになって、強い口調で一言一言はっきりと口にし、もう一発ずつ二人にげんこつを落とした。
「いってえ!」
「走ったら、またげんこつだからね! もうちょっとだから、いい子にしててよ」
さっきより強めにげんこつを落としたせいか、二人とも殊勝にうなずく。
レジは、長蛇の列だった。
「ここ混んでるから、向こう側で待っててくれる?」
レジの向こう側の作荷台のほうを指さして、留美子は子どもたちに言った。二人は素直に列から離れたが、作荷台にあるロール状のビニール袋を巧巳がいじりはじめた。
「あー! いーけないんだ、いけないんだ! おかーさんに言っちゃおう!」
大きな声で悠宇が歌い出す。巧巳がむきになって、ぐるぐるとロールを回す。
「だめよ、巧巳。無駄にしないで」
と留美子が声をかけたところで、悠宇が「逃げろ!」と言って走り出した。巧巳もあとを追う。お客さんの間を縫うようにすばやく走り、あっという間に自動ドアに突進していく。自動ドアの向こうは駐車場だ。
「危ないから飛び出さないでっ!」
留美子の大きな声に何人かが反応して、自動ドアのほうに目をやった。二人は自動ドアの前で、蹴り合いをはじめている。
「すみません……」
小さくつぶやいてから、留美子はここに来て何度目かわからない大きなため息をついた。結局今日も、ずっと怒鳴りっぱなしの買い物だった。
「レジに並んでる間だって、気が気じゃなかったわよ。蹴り合いが終わったと思ったら、自動ドアを挟んで、またおにごっこしてるんだもん。そのうち巧巳が走って飛び出して、年配のおばさんに、『ちゃんと見ていてあげなくちゃ。車にぶつかったら大変よ』って、わたしが叱られちゃったわ。レジでお金払っているときに、どうやって見てればいいのよ? もう、ほんと嫌になっちゃう。なんで男の子ってこんなアホなの? パパも子どもの頃、こんなにアホだった?」
子どもたちを寝かせたあと、帰宅した夫の
「まあ、男の子なんてそんなもんでしょ。兄弟、仲のいい証拠じゃない」
「なに言ってるの。仲なんてちっともよくないわよ。朝から晩まで二人でずうーっとケンカしてるじゃない。それで結局、どっちかがやられて大泣きするの繰り返し。結託するのは、悪ふざけするときだけ」
「あはは。お疲れさん」
豊が笑いながら、留美子の肩を
「でもどうせ、そのこともブログに書くんだろ。子どもたち様様じゃない」
「どうせ、ってなによ」
と返しつつ、今日のことをさっそくブログに書こうと、留美子はノートパソコンを立ち上げた。
(つづく)
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