あの「四畳半」に、タイムマシンが現れた!? 個性溢れる曲者たちがまたも大騒ぎ。待望の続編が登場! 森見登美彦・著 上田 誠・原案「四畳半タイムマシンブルース」
森見登美彦・著 上田 誠・原案「四畳半タイムマシンブルース」

第一章 八月十二日
ここに断言する。いまだかつて有意義な夏を過ごしたことがない、と。
一般に夏は人間的成長の季節であると言われている。男子ひと夏会わざれば
しかし下宿生活三度目の夏、私は焦燥に駆られていた。
京都の夏、我が四畳半はタクラマカン砂漠のごとき炎熱地獄と化す。生命さえ危ぶまれる過酷な環境のもとにあって、生活リズムは崩壊の一途を
大学生時代という猶予期間も折り返し点を過ぎた。にもかかわらず、私はまだ一度たりとも有意義な夏を過ごしていない。社会的有為の人材へと己を鍛え上げていない。このまま手をこまねいていたら、社会は私に対して冷酷に門戸を閉ざすであろう。
起死回生の打開策こそ、文明の利器クーラーであった。
○
八月十二日の昼下がりのことである。
学生アパートの自室209号室において、私はひとりの男と向かい合っていた。
私が起居しているのは、
この世で何が不愉快といって、上半身裸で汗まみれの男子大学生がふたり、四畳半で
恥も外聞もなく窓とドアを開け放ち、実家から持ってきた
私は手ぬぐいで汗を
「おい、
「……お呼びで?」
「生きているか?」
「どうぞ僕のことなんぞおかまいなく。もうじき死にますから」
そう応える相手は半ば白目を剝いている。不健康そうな灰白色の顔は汗に
昼下がりの学生アパートはひっそりと静まり返っていた。朝方にはうるさいほど聞こえていた
現在このおんぼろアパートに居残っているのは、小津と私の二人をのぞけば、隣の210号室で暮らす
マンゴーのフラペチーノが飲みたいと小津が言うので、私は
「ああ、まずい……まずい……」
「黙って飲め」
「江戸時代風のミネラル補給はもうたくさんです」
先ほど「クーラーのお通夜」と私は書いた。
なんだそれはと読者諸賢が
我々が夜を徹して哀悼の意を表したクーラーこそ、大昔から我が209号室に設置されていたという伝説的クーラーであった。四畳半アパートに似つかわしくないその文明の利器は、明らかに大家に無断で設置工事を施したとおぼしく、かつてこの部屋で暮らした先住民の豪傑ぶりを物語る歴史的遺産であった。そういうわけで、当アパート唯一のクーラーつき四畳半として、この209号室は全住人の
209号室の
しかし、わざわざ一階から二階へ引っ越したにもかかわらず、私がそのクーラーの恩恵にあずかることができたのは
すべての責任は目の前にいる男、小津にある。
○
小津は私と同学年である。工学部で電気電子工学科に所属するにもかかわらず、電気も電子も工学も嫌いである。一回生が終わった時点での取得単位および成績は恐るべき低空飛行であり、果たして大学に在籍している意味があるのかと危ぶまれた。
野菜嫌いで即席ものばかり食べているから、なんだか月の裏側から来た人のような顔色をしていて
「よくも俺の人生を台無しにしてくれたな」
「リモコンにコーラをこぼしただけじゃないですか」
小津はヌルリと顔を拭ってケラケラ笑った。
「きっと
「少しは反省しろと言ってるんだ」
「どうして僕が反省しなくてはならないんです?」
小津はいかにも心外だというような顔をした。
「これは連帯責任ですよ。ここで映画を撮ろうなんて言いだした明石さんも悪いし、あんなところにリモコンを置いた人も悪いし、飲みかけのコーラを置いた人も悪い。一番悪いのは『これから裸踊りする』なんて宣言したあなたです」
「そんなことを言ったおぼえはないぞ」
「今さら言い逃れはナシですよ。えらく盛り上げてくれたじゃないですか」
そもそもですね、と小津はぺらぺら
「リモコンにコーラをこぼしたぐらいで操作不能になるなんて設計ミスというべき。にもかかわらず、あなたという人は僕ひとりに責任を押しつけて『反省しろ』なんて無茶を言う……むしろ僕は犠牲者なのです」
このぬらりひょんの言うことにも一理あって、クーラー本体に操作ボタンがないのは不可解であった。もしも明石さんがリモコンの修理に失敗すれば、クーラーを起動させる手段は永遠に失われ、私は残りの夏休みを灼熱の四畳半で過ごすことになる。こんなことになると分かっていたら引っ越したりはしなかった。一階の方がまだしも暑さはマシなのである。
私は立ち上がり、流し台で手ぬぐいを絞って肩にかけた。
「俺は今年こそ有意義な夏を過ごすはずだった。この堕落した生活から脱出して、一皮剝けたイイ男になるはずだった。そのためのクーラーだったんだ!」
「いやー、そいつは無理な相談です」
「なんだと?」
「僕は全力を尽くしてあなたを駄目にしますからね。クーラーなんぞで有意義な学生生活が手に入るものですか。
私はふたたび腰をおろして小津を睨んだ。
「おまえ、面白がっているな?」
「ご想像におまかせします、うひょひょ」
小津と私が出会ったのは一回生の春、妄想鉄道サークル「
私は濡れ手ぬぐいでピシャリと小津を打った。
「かたちだけでも反省してみせろ!」
「僕の辞書に『反省』という単語は載っておりません」
小津はけけけと笑いながら、自分の手ぬぐいで
振り向くと、開け放ったドアの向こうに明石さんが立っていた。左肩に大きなバッグを抱え、右手にはラムネの
「仲良きことは阿呆らしきかな」
彼女はそう
▶#1-2へつづく ※1-2以降は会員限定公開です。
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