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レビュー

【解説】他者と共にある人生の喜びを綴る物語――『オオルリ流星群』伊与原新【文庫巻末解説:吉田大助】

伊与原新『オオルリ流星群』(角川文庫)の巻末に収録された「解説」を特別公開!



 伊与原新『オオルリ流星群』文庫巻末解説

解説
よし だいすけ(ライター)

 科学と共にある人生の機微を、やさしく、やわらかく描き出す。
 ブレイク作となった二〇一八年刊の『月まで三キロ』(第三八回新田次郎文学賞受賞)以降のはらしんの作風について、そんなふうに表現することができるだろう。伊与原はかつて、地球惑星科学の研究者だった。その経験が、遺憾なく発揮されていると言える。第一六四回直木三十五賞候補となった『八月の銀の雪』(二〇二〇年)でも、科学知識と人間ドラマの見事な融合を味わうことができる。同作は第三四回山本周五郎賞にもノミネートされ受賞を逃したものの、選考委員の伊坂幸太郎、三浦しをんは選評で絶賛の言葉を寄せた(「小説新潮」二〇二一年七月号)。

〈文章には、(感情を煽ってこないという意味で)清潔感がありますし、各短編ごとに触れられる科学的な話と描かれるドラマの絡まり方も単純ではなく、奥行きがあります。(中略)フィクションに「何か変わったもの」「ちょっとした毒」を求める(僕のような)読者からすると少し優等生的で、物足りなく感じられる部分もあるかもしれませんが、こういった、「大勢の人に良い読書体験を与える」「創作に対して細かいところまで神経を行き届かせた」小説は貴重です〉(伊坂)
〈何度読んでも、科学の楽しいトピックに胸躍るし、新しい世界に触れた登場人物たちが一歩を踏みだすさまを描きだす繊細な筆致に、静かな昂揚と感激を覚える。科学の負の側面にもちゃんと触れ、小説として昇華させる著者の誠実な姿勢もまた、科学を単なる「ネタ」とは思っておらず、登場人物たちを都合のいい「駒」とも思っていないのだとうかがわせるに充分だ〉(三浦)

 一方で伊与原は、ミステリの老舗しにせ中の老舗として知られる江戸川乱歩賞の最終候補に二度ノミネートののち、二〇一〇年に『お台場アイランドベイビー』で第三〇回横溝正史ミステリ大賞を受賞して小説家デビューしたという経歴を持つ。出自としては、ミステリの人なのだ。
 二〇二二年に刊行されこのたび文庫化された本書『オオルリ流星群』は、科学知識と人間ドラマの融合をしたうえで、さらにミステリも融合させた、集大成にして新境地の一作となっている。
 物語の舞台は、神奈川県の西部に位置し、山に囲まれた盆地であるはだ市。四月に始まり一〇月まで、本編全七章+αの構成が採用されている。本編では、同い年であり特別な思い出を共有した同志でもあるひさ、男女二人が交互に語り手として登場する。
 一人目の語り手は、昔ながらの「町の薬局」の三代目であるたねむら久志だ。一九七二年生まれの四五歳。妻と二人の息子とともに平凡な暮らしを営んでいるが、近所にチェーンのドラッグストアができたことから客足が遠ざかり、これからも平凡さを維持できるかどうか不安に感じている。そして、既に人生の折り返し地点を過ぎたであろう自身について、「人生このままでいいのか?」と問いを繰り返している。大学では薬学を学び科学的思考に慣れ親しんでいるからこその、〈感情と呼ばれるものの正体はしよせん、脳の中で起きる化学反応だ〉といったていねんの表現がフレッシュだ。頭ではそう考えつつも、その理屈に心がついていかない様子は、久志という人物になまなましい存在感を付与している。
 作中でも指摘がある通り、久志が陥っている心理状態はいわゆるミドルエイジ・クライシス(中年の危機)だ。その危機に、同い年の友人たちも直面している。久志の友人であるおさむは、勤めていた東京の番組制作会社を辞め、弁護士となるべく司法試験に向けて勉強しているが見通しは怪しい。公立中学校の理科教師であるとう千佳──偶数章では彼女が語り手となる──は、自分から積極的に行動するようなことはなく、多くのことを運命だとあきらめ受け入れて生きている。うめかずは、数年前から実家に引きこもっている。
 物語は四月のある日、高校卒業以来長らく音信不通だったやまぎわけいが秦野に戻ってきた、という噂が流れたところから幕を開ける。実は、五人は高校三年生の秋の文化祭に出展するために、夏休みのほぼ全てを費やして巨大タペストリーを作った仲間だった。一万個もの空き缶をつないで描いたのは、この地に生息するオオルリが大空を羽ばたく図案だ。「幸せの青い鳥」と聞いて多くの人が思い浮かべるデザインと合致するオオルリは、彼らにとって青春の象徴であり希望の象徴でもある。と同時に、オオルリのタペストリーを巡る思い出は、もう一人の大切な友人・まきけいすけの存在と不在を否応なしに喚起する。そもそものこの企画の発案者だった恵介は、タペストリーが完成する前に突然、仲間から抜けた。そして、一九歳の夏に死んでしまった。
 その後は、大きく二つの謎を巡って物語は動き出す。一つめの謎は、東京・たかの国立天文台に籍を置き天文学の研究員として働いていたはずの彗子が、なぜ秦野に現れ、ここで何をしようとしているのかだ。その謎は、早々に明かされる。雇い止めにあったことをきっかけに、この地に天文台を作り、個人的に研究を続けようとしていたのだ。久志と修と千佳は、彗子の「小よく大を制す」夢を叶えるために奔走し始める。科学と共にある人生を生きる覚悟を決めた友人と、共に生きる。そこで創出されるかつとうや情熱のドラマは、大人の青春小説と呼ぶにふさわしい。とはいえ、謎は全てがれいに明かされているわけではないのだ。天文観測に最適とは言い難い土地であるにもかかわらず、彗子はなぜ秦野を選んだのか?
 二つめの謎は、恵介はなぜ高三の夏にタペストリー作りを放棄し、一年後に自死とも取れる状況で亡くなったのかだ。こちらの謎は、「大人の青春」パートの展開が加速し、人と人との繫がりが活性化していく過程で少しずつ明らかになっていく。そして、もちろん、一つめの謎と二つめの謎は、密接に絡み合っている。
 終盤に登場する比喩であるために詳しい文脈は伏せるが、久志が〈四十五歳になった今の自分たちは、「星食」のときを生きているようなものなのかもしれない〉と気付きを得る場面には、科学知識と人間ドラマの融合を強く感じた。ティーンエイジャーを主人公にした一般的な青春ミステリにおいて、謎を解くことは青春を終わらせることでもある。それは、大人になることと同義だ。では、四五歳の大人たちを主人公に据えた本作においてはどうか。全ての謎が明かされた先に待ち構えているのは、自他ともに認める輝かしき青春の日々は、たとえ一度は終わってしまったとしても、いつだって何度だって始められるという事実だ。著者の近作は定時制高校の科学部員たちを主人公にした青春群像小説『そらわたる教室』(二〇二三年)だが、本作のトライアルがあったからこそ書かれた作品だったかもしれない。
 もう一点、記しておきたいことがある。科学知識と人間ドラマを融合させた本作における、ミステリの融合についてだ。実のところ、さきほど二つの「謎」と記したものは、内実としては「秘密」に近い。著者がこれまでミステリとして発表してきた数々の作品に比べると、ミステリ度合いは低いと言えるだろう。だが、終章を読み終えた後で、序章をもう一度読み返してみてほしい。彗子を語り手に据え、本編では描かれなかった彼女の内面をつづるわずか二ページは、晩秋のある日、天体観測ドームの中で遠い星々に思いをせる様子がデッサンされている。ラスト三行の文章は、〈風の音さえしない、名も無い山の上に、たった一人。/それでも孤独を感じることはない。/彗子にとって、ここはそういう場所だ〉。
 人との繫がりはないが、星(科学)との繫がりはある。おそらく、本作を読み始めた時はそんなふうに感じる文章だっただろう。しかし、読み終えた後は、また違った感慨を抱くはずだ。「ここはそういう場所だ」。この言葉の意味の変化にこそ、本作における最も大きなサプライズが宿っている。科学と共にある人生の機微を、やさしく、やわらかく描き出した本作は、他者と共にある人生の喜びを綴る物語でもあるのだ。

作品紹介



書 名:オオルリ流星群
著 者: 伊与原新
発売日:2024年06月13日

「ここで始めたい、もう一度」。星がつないだ、心ふるえる大人の青春物語。
人生の折り返し地点を過ぎ、将来に漠然とした不安を抱える久志は、天文学者になった同級生・彗子の帰郷の知らせを聞く。手作りで天文台を建てるという彼女の計画に、高校3年の夏、ともに巨大タペストリーを作ったメンバーが集まった。ここにいるはずだったあと1人をのぞいて――。仲間が抱えていた切ない秘密を知ったとき、止まっていた青春が再び動き出す。
喪失の痛みとともに明日への一歩を踏み出す、あたたかな再生の物語。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322312000938/
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