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【解説】現代を見つめる確かな目の持ち主として、信頼できる作家だ――『君の顔では泣けない』君嶋彼方【文庫巻末解説:瀧井朝世】

君嶋彼方『君の顔では泣けない』(角川文庫)の巻末に収録された「解説」を特別公開!



君嶋彼方『君の顔では泣けない』文庫巻末解説

解説
たき あさ(ライター)

 冒頭の〈年に一度だけ会う人がいる。夫の知らない人だ。〉を読んで、あなたはこれがどんな物語だと想像しただろうか。
 これから会う相手が主人公にとってどんな存在なのか、二人がいまどんな状況にあるのか、すぐには明かされない。しかも、あなたはまず巻頭に置かれた数字にひっかかりをおぼえたはずだ。「第1章」「第2章」という意味合いならば「1」のはずなのに、いきなり「30」である。それらの真相が分かるまで、ページをめくりながらさまざまな想像を膨らませるのも読書の楽しみなので、もしあなたが本文未読ならこの解説はここで閉じ、本文を先に読むことをお勧めしたい。

 本作は二〇二一年に第十二回小説 野性時代 新人賞を受賞した、きみじま彼方かなたのデビュー作である(応募時のタイトル「水平線は回転する」を改題)。この文庫版ではその後書かれた短篇「アナザーストーリー【Side M】」もボーナストラックとして収録されている。
 さて、ここからははっきりと、これがどういう物語かを説明した上で話を進めたい(なのでしつこいようだが、本文未読でネタバレを避けたい方は読まないでください)。

 さかひらりくみずむらまなみは、高校の同級生だ。十五歳の時に身体が入れ替わった二人はその後、毎年一回、故郷の町で会うことにしている。入れ替わる前とちょうど同じ長さの人生を歩んだ三十歳で再会した彼らの一日と、十五歳からこれまでに彼らに何があったのかが、水村まなみの身体となった陸の視点で描かれていく。つまり巻頭の「30」は三十歳、次に場面転換のある二十ページの「15」は十五歳の意味。三十歳の彼らの一日の様子と、十五歳から三年ごとの彼らの日々が交互に進んでいく構成である。
 身体の入れ替わりは、フィクションでは古典的な題材といえる。そのなかで本作の異色な点は、入れ替わったまま月日が流れていくところだろう。もちろん二人も元の身体に戻ろうと試みはするのだが、その奮闘ぶりが本作のテーマではない。
 もしも突然誰かと身体が入れ替わったら、日常生活の中でどのような問題が生じ、どのような感情が生まれるのか、じつに細やかなところまですくい取られていく。家族や友人関係ががらりと変わること、成績や運動神経にも違いが生じることや、他人となって元の自分の家族に出会った時の気づきなども読ませるが、そのなかでも特に女性となった陸の身体と性への不安や違和感が克明に描かれ、ジェンダーにまつわる問題が喚起されて現代的だ。
 この先、元の身体に戻れるのかどうか分からない、宙ぶらりんの状態で人は何を思うのか、その思考実験が実に丁寧だ。元の家族や友人といった取り戻せないものへの思い、元の肉体の持ち主が十五歳までに構築してきたものに対する責任感、自分が死んだら相手ももう元に戻れなくなるのだという罪悪感、等々……。そして大きく降りかかってくるのが、これからの人生をどう構築していくかという問題だ。
 まなみの身体を大切に扱い、美容やお洒落しやれに励んでいる陸がなんともいじらしい。全篇を通して陸の視点のみで描かれ、まなみの本心がなかなか見えてこないからこそ、他者に対して誠実であろうとする陸の心情が際立ち胸打たれるものがある。自分も、この肉体と人生は誰かから一時的に借りているものだという心持ちでいれば、今より丁寧に生きるのではないだろうか、などと妄想してしまう。ただし、その状態が長い年月続いていくとなれば話は別だ。自分の意志より他者を尊重して人生のすべてを決めていくのはいくらなんでも窮屈だし、下手すると自己犠牲を強いられることとなってしまう。その点、陸とは対照的に、入れ替わった後の人生をおうしているように見えるまなみの、なんと頼もしいことか。当初からの両者の違いと、その後の陸の変化は、自分の人生を自分事として選んでいくことの大切さを示唆しているようにも思える。
 そもそも陸やまなみに限らず、私たちはみんな、生まれる場所も時代も性別も、肉体も選べない。そのなかで困難や不安とどう向き合い、どう折り合いをつけ、どう人生を選びとっていくのか。本書で浮かび上がってくるのは、そんな普遍的なテーマなのである。

 著者の君嶋彼方氏は一九八九年生まれ。小説を書き始めたのは中学生の頃からだそうだ。きっかけは、やまもとふみさん『ブルーもしくはブルー』が原作のドラマ(「ブルーもしくはブルー ~もう一人の私~」)を面白く観て、原作を読んでその発想に感心し、山本作品にはまると同時に自身でも執筆し始めたという。その後大学では文芸サークルに入り、新人賞への応募も始めた。就職活動や就職によって執筆を中断した時期を経て、執筆と投稿を再開した。
 デビュー前は大人が主人公のものを多く書いていたという。本作も最初は入れ替わったまま三十歳になった二人が再会する様子を描いた短篇作品だった。それを同人誌に載せて文学フリマに出したところ、読んだ知人から「話を膨らませたら面白いのではないか」と言われ、十五歳からの月日を加筆。それを応募し、デビューにつながった。
 第二作の『夜がうたた寝してる間に』(KADOKAWA)はまったく設定の異なる小説で、時間を止めるという特殊能力を持つ少年、あさひの話だ。舞台となる社会では超能力者たちが当たり前のように暮らしており、しかも彼らはマイノリティだ。旭も周囲にむように明るく感じよく振る舞っているが、ある時彼の通う高校で奇妙な事件が起き、超能力者が犯人でないかと疑われてしまう。自力で真犯人を見つけようとする旭だが、学年に他に二人しかいない超能力者たちは非協力的。特殊な世界の話ではあるが、マイノリティの問題や思春期の生きづらさなど、現代社会に通じる切実な内容だ。
 第三作『一番の恋人』は、主人公の青年が一緒に暮らす恋人から意外なことを告げられる話。事前情報は不要という人のために詳細は伏せるが、これもまた恋愛や性に関する価値観を問い直す内容となっている。
 主人公の設定はまったく異なる三作品だが、筆力、思考力、構築力の高さは共通している。現代を見つめる確かな目の持ち主として、信頼できる作家だ。

作品紹介



書 名:君の顔では泣けない
著 者:君嶋彼方
発売日:2024年06月13日

これぞ入れ替わりの真骨頂!圧倒的リアリティを激賞された受賞作、文庫化!
高校1年生の坂平陸は、ある日突然クラスメイトの水村まなみと体が入れ替わってしまう。どうやら一緒にプールに落ちたことがきっかけのようだ。突然のことに驚き、戸惑いながらも入れ替わったことはお互いだけの秘密にしようと決めた2人。しかし意外やそつなく坂平陸として立ち振る舞うまなみに対し、陸はうまく水村まなみとして振る舞えず、落ち込む日々が続く。まなみの家族との距離感、今まで話したこともなかったまなみの友達との会話、部活の顧問からのセクハラ……15年間、男子として生きてきた自分が、他人の人生を背負い女性として生きること。いつか元に戻れる日を諦めきれないまま、それでも陸は高校を卒業し上京、そして結婚、出産と、水村まなみとしての人生を歩んでいくことになる――入れ替わった後の15年を圧倒的なリアリティで描く、第12回小説野性時代新人賞受賞作!!

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322312000898/
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