君嶋彼方『君の顔では泣けない』(角川文庫)の巻末に収録された「解説」を特別公開!
君嶋彼方『君の顔では泣けない』文庫巻末解説
解説
冒頭の〈年に一度だけ会う人がいる。夫の知らない人だ。〉を読んで、あなたはこれがどんな物語だと想像しただろうか。
これから会う相手が主人公にとってどんな存在なのか、二人がいまどんな状況にあるのか、すぐには明かされない。しかも、あなたはまず巻頭に置かれた数字にひっかかりをおぼえたはずだ。「第1章」「第2章」という意味合いならば「1」のはずなのに、いきなり「30」である。それらの真相が分かるまで、ページをめくりながらさまざまな想像を膨らませるのも読書の楽しみなので、もしあなたが本文未読ならこの解説はここで閉じ、本文を先に読むことをお勧めしたい。
本作は二〇二一年に第十二回小説 野性時代 新人賞を受賞した、
さて、ここからははっきりと、これがどういう物語かを説明した上で話を進めたい(なのでしつこいようだが、本文未読でネタバレを避けたい方は読まないでください)。
身体の入れ替わりは、フィクションでは古典的な題材といえる。そのなかで本作の異色な点は、入れ替わったまま月日が流れていくところだろう。もちろん二人も元の身体に戻ろうと試みはするのだが、その奮闘ぶりが本作のテーマではない。
もしも突然誰かと身体が入れ替わったら、日常生活の中でどのような問題が生じ、どのような感情が生まれるのか、じつに細やかなところまで
この先、元の身体に戻れるのかどうか分からない、宙ぶらりんの状態で人は何を思うのか、その思考実験が実に丁寧だ。元の家族や友人といった取り戻せないものへの思い、元の肉体の持ち主が十五歳までに構築してきたものに対する責任感、自分が死んだら相手ももう元に戻れなくなるのだという罪悪感、等々……。そして大きく降りかかってくるのが、これからの人生をどう構築していくかという問題だ。
まなみの身体を大切に扱い、美容やお
そもそも陸やまなみに限らず、私たちはみんな、生まれる場所も時代も性別も、肉体も選べない。そのなかで困難や不安とどう向き合い、どう折り合いをつけ、どう人生を選びとっていくのか。本書で浮かび上がってくるのは、そんな普遍的なテーマなのである。
著者の君嶋彼方氏は一九八九年生まれ。小説を書き始めたのは中学生の頃からだそうだ。きっかけは、
デビュー前は大人が主人公のものを多く書いていたという。本作も最初は入れ替わったまま三十歳になった二人が再会する様子を描いた短篇作品だった。それを同人誌に載せて文学フリマに出したところ、読んだ知人から「話を膨らませたら面白いのではないか」と言われ、十五歳からの月日を加筆。それを応募し、デビューに
第二作の『夜がうたた寝してる間に』(KADOKAWA)はまったく設定の異なる小説で、時間を止めるという特殊能力を持つ少年、
第三作『一番の恋人』は、主人公の青年が一緒に暮らす恋人から意外なことを告げられる話。事前情報は不要という人のために詳細は伏せるが、これもまた恋愛や性に関する価値観を問い直す内容となっている。
主人公の設定はまったく異なる三作品だが、筆力、思考力、構築力の高さは共通している。現代を見つめる確かな目の持ち主として、信頼できる作家だ。
作品紹介
書 名:君の顔では泣けない
著 者:君嶋彼方
発売日:2024年06月13日
これぞ入れ替わりの真骨頂!圧倒的リアリティを激賞された受賞作、文庫化!
高校1年生の坂平陸は、ある日突然クラスメイトの水村まなみと体が入れ替わってしまう。どうやら一緒にプールに落ちたことがきっかけのようだ。突然のことに驚き、戸惑いながらも入れ替わったことはお互いだけの秘密にしようと決めた2人。しかし意外やそつなく坂平陸として立ち振る舞うまなみに対し、陸はうまく水村まなみとして振る舞えず、落ち込む日々が続く。まなみの家族との距離感、今まで話したこともなかったまなみの友達との会話、部活の顧問からのセクハラ……15年間、男子として生きてきた自分が、他人の人生を背負い女性として生きること。いつか元に戻れる日を諦めきれないまま、それでも陸は高校を卒業し上京、そして結婚、出産と、水村まなみとしての人生を歩んでいくことになる――入れ替わった後の15年を圧倒的なリアリティで描く、第12回小説野性時代新人賞受賞作!!
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