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レビュー

【解説】ディティールに目を奪われがちな湊作品の背後に、骨太でありながら計算しつくされた構造がある――『ドキュメント』湊かなえ【文庫巻末解説:西 靖】

湊かなえ『ドキュメント』(角川文庫)の巻末に収録された「解説」を特別公開!



湊かなえ『ドキュメント』文庫巻末解説

解説
西にし やすし(毎日放送アナウンサー)

 本作『ドキュメント』は、サスペンスの名手として知られるみなとかなえさんが、高校の放送部を舞台にした青春小説を世に出したことで話題になった作品『ブロードキャスト』の続編にあたる長編小説です。
 主人公のまちけいすけは中学で将来を有望視されていた陸上選手だったのに、高校入学直前の交通事故のために競技生活を断念、同級生のみやもとまさに誘われるままに高校の放送部に入部。1作目は、走ることへの未練をどこかに残し、初めて触れる放送部の活動内容や雰囲気に戸惑いつつも、徐々にやりがいを感じ始め、放送コンテストへの参加を通じて、居場所や仲間を得ていく青春ドラマでした。3年生が引退し、さあ、これからどんな青春の日々を過ごすのだろうという前途の予感と余韻を残してのエンディングに、続編、すなわち本作を楽しみにしていた方も多いと思います。
 そして、まさに青春ドラマそのものだった前作と同じ舞台で、今度は放送部員が撮影した映像に、圭祐の親友の喫煙を疑わせる場面が偶然映っているという「事件」が起こります。それは本当に偶然なのか? それともわな? だとすれば、いったい誰が?──。湊さんの新境地の青春ドラマに、本領発揮とばかりにサスペンスの要素を絶妙なさじ加減で加えた、実にぜいたくな作品といえます。
 かくいう私も、圭祐と比べるのも申し訳ないのですが、中高、そして大学まで、選手として全くパッとしないまま陸上競技部に籍をおき(部室の居心地がよかったのです)、今は放送局でアナウンサーを仕事にしているものですから、及ばずながらスポーツで感じるカタルシスもせつも味わっていますし、映像や音声を使って作品を作り、放送を通じて人に伝えることの楽しさや難しさも知っています。ああ、記録が伸びないときの陸上選手ってたしかにこんな風に考えるよな、と思い返したり、放送“局”と放送“部”ではこんなに考え方が違うのか、と新しい発見があったり。私にとっても『ブロードキャスト』そして本作『ドキュメント』は特別な存在なのです。
 しかも、これまで何度か番組のインタビューで湊かなえさんにお話を伺う機会があり、そのたびにニコニコとご機嫌かつ丁寧にお話しになる人柄と、その表情の奥で、数々の「イヤミス」のえげつない展開を紡いできたという事実とのギャップに、すっかり魅了されています。

 私が放送業界に入って間もないころ、先輩から「虫の目・鳥の目」を大切にしろと言われました。現場に行き、人に会い、話を聞き、地べたをいまわって情報を集める「虫の目」と、全体を見渡し、自分がどこにいて、何が見えていて何が見えていないかを把握する「鳥の目」。これに物事の流れをつかむ「魚の目」を加えた「虫の目・鳥の目・魚の目」という警句もあるようですが、取材し、人に伝える仕事をするうえで、現場で得る情報と、かん視点からの状況把握は両輪だと教わりました。
 湊かなえさんの作品に接してまず感じるのは、なんといっても「虫の目」のすさまじさです。相手の言葉遣い、声のトーン、手に持っている紙切れ、スマホに連絡が来る、来ない、そんな微細な入力で刻々と変化する登場人物たちの心のひだを、ひとつひとつ丁寧に描きます。圭祐が不安なときは読者も不安になり、ホッとしたときには我々もいっしょに息をつく。湊さんは読者に傍観者でいることを許してくれません。
 そんな湊さんが本作では放送部が新たに手にしたツールとして「ドローン」を登場させました。ドローンは我々、放送業界にいるものにとっても、たいへんホットな、注目の機材です。これまでのヘリによる空撮とも違う、脚立の上にカメラマンが上って撮影するのとも違う、新鮮な映像体験です。このドローンがとらえた映像が、物語後半の波乱の起点となります。圭祐の親友、陸上部のエース候補のやまぎしりようが火のついた煙草を持っている様子が映っていた……。
 湊さんが物語にドローンを登場させたことは、「高校の放送部がドローンを手にしたらどんなことが起こるだろう」という遊び心であり、常に新しいものへの興味を持つ作家としての姿勢の反映でもあるでしょうが、私はそれに加えて、物語を「鳥の目」で捉えることのメタファーのようにも感じてしまいました。
 人物の内面描写のせいさと、さらに主人公の一人称語りによって、圭祐の目線で参加、没入できるのがこの物語の魅力ですが、ドローンよろしくフッと視点を上げると、くろ先輩やしら部長といった安定感のあるキャラクターが物語の枠組みを強固にし、同級生の正也やさんのキャラクターがそのなかで生き生きと躍動することで、ストーリーの幅が膨らんでいるのがわかる。ディティールに目を奪われがちな湊作品の背後に、骨太でありながら計算しつくされた構造があることを、ドローンの視点で湊さんが教えてくれたような、といったら考えすぎでしょうか。

 もうひとつ申し上げたいのは、この小説がもつ、きわめて現代的なメッセージです。第7章で、放送部から足が遠のいていた間に圭祐が書きめたアイデアノートを、同級生の正也と久米さんに見せる場面があります。少し引用します。

(テレビドキュメント部門)
 タイトル 実況放送自己添削
 ねらい どこまでがプライバシー?
活躍している人は多少のプライバシーをさらされて当然?
みんながきみのことを知りたがっている。この言い方ってどうなん?
報道側が伝えたいことと当事者が伝えてほしいことは必ずしも一致するわけではない。
また、視聴者が知りたいこととも一致しない。
~中略~
報道は、記者やアナウンサー、報道側の作文発表の場じゃねーんだよ。

 陸上選手として取材される側でもあった圭祐が抱いた違和感を、今度は取材する立場の放送部員として、そのまま企画として生かせないかという、力のこもったアイデアノートですが、圭祐の叫びは、まさにいま、メディアが直面している問題そのものなのです。もちろん不正を追及しようとするときには、報道側が伝えたいことと当事者が伝えてほしいことが一致するなんてことはまずありません。相手は隠そうとする、こちらはそれを明らかにしようとする、という緊張した取材が当たり前です。でも、真実を伝えるために取材に基づく詳細な報道が原則といいつつ、興味本位で必要のないプライバシーにまで踏み込んでいないか、「いい話」「感動秘話」が記者やアナウンサーの独りよがりになっていないか。いったん情報が出るとどこまでも広がるSNS時代に我々が直面している「マスコミの存在意義の再定義」という課題を、湊さんは圭祐の言葉を借りてズバッと指摘しています。

 さらに終章。ここでも湊さんは現代的要素を作品に取り入れます。主人公たちが青春の全てをかけて参加しようとしたコンテストが中止になるのです。コンテストどころか、部活も対面授業も、学校機能のほとんどが停止してしまうような社会状況に、読者は驚きというよりも、そうか、そうなんだな、と苦みが口中に広がる感覚を覚えます。もちろん、コロナ禍を指していることは明白です。じっさい、作中の放送コンテストの下敷きになっているNHK杯全国高校放送コンテストも、コロナ禍で一度、開催中止になっています。
「コロナ」という言葉を湊さんは使っていません。でも、「虫の目」でディティールを描き切る湊さんの筆力は、あえて「コロナ」と書かないことでぽっかりとできる空白によって、あの息苦しく、不自由で、不安な日々を、むしろくっきりと我々の脳裏に呼び起こします。

 そしてラストは、トンネルの向こうにキラキラとした明かりがみえるような、軽やかとさえいえる着地。圭祐たちの高校生活はまだ1年以上残っています。湊かなえさん自身も、取材でさらなる続編の可能性に言及されています。『ブロードキャスト』でラジオドラマ、本作ではドキュメントが主題。残るテーマは「アナウンス」「朗読」です。圭祐の声がみなさんに届くのを、楽しみに待ちましょう。

作品紹介



書 名:ドキュメント
著 者:湊かなえ
発売日:2024年6月13日

湊かなえが描く、学園青春×ミステリ小説!
事故に遭って陸上競技をあきらめた圭祐は、ひょんなことから放送部に入部する。3年生の引退後、仲間たちとともにコンテストに挑むことになった。偶然手に入れたドローンを武器にテレビドキュメント部門の撮影を進めていたところ、煙草を持った陸上部の逸材・良太の姿が映り込む。真実を探っていくと、騒動の陰で糸を引く思わぬ人物にたどり着いてしまい……。部活にかける情熱と予測不能な事件を描く、学園青春エンタメ!

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322311000513/
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