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試し読み

【試し読み】叔父と甥の保険調査員コンビ、始動! 小さな詐欺に挑むお仕事エンタメ――額賀澪『さよならの保険金』2話まで特別公開!(1/4)

ドラマ化もされた『転職の魔王様』などで知られる額賀澪さんの新作小説『さよならの保険金』が、10月16日(木)に発売となります。
家族と就職先を一度に失った青年が、保険調査員見習いとして叔父とともに一歩を踏み出す本作。その発売を記念して、第1話「親不孝者だね」第2話「風邪みたいなもんだ」を特別公開いたします。
保険調査員のお仕事がどんなものか、知っていますか?
小さくて手軽な詐欺とお金の物語。あなたも(やらないように)ご注意を!

額賀澪『さよならの保険金』試し読み(1/4)

第一話 親不孝者だね

「いっそ、面接に行けばよかったんだよな」
 自分が何をつぶやいたか自覚するより早く、隣から「何? なんて言ったの?」と矢継ぎ早に叔母おばの声が飛んでくる。同時に、火にかけていたヤカンがけたたましく湯気を噴いた。
「ごめん、何でもない」
「ぼさっとしてないで。一人息子のあんたが一番動かないといけないんだからね」
 なのに代わりに私が一番働いてるのよ、とでも言いたげに大量の湯飲み茶碗ぢゃわんをお盆にのせ、叔母は慌ただしく居間へ行く。ヤカンの中身を保温ポットに移して、きりあさは重たい足取りでそのあとに続いた。
 見慣れた居間は、親戚しんせきや父の漁師仲間であふれ返っていた。叔母に「麻海、ぼさっとしないの」と促され、和室の隅でお茶を淹れた。来たばかりの人のところへお茶を運び、すでに一時間以上いる人のお茶を新しくしてやる。
「麻海君か、大変なことになったな」
 ねぎらいの言葉と共にお茶を受け取ったのは、麻海も子供の頃からよく知る漁師だった。父と特に親しかった人だ。かと思えば、麻海が茶碗を取り替えても話に夢中な親戚もいた。居間の隅に置かれた仏壇に手を合わせ、そこに飾られた麻海の母の写真に向かって「どりさん、じゆんぺいさんを助けてやって」と拝んでいる人もいた。
 けっぱなしのテレビから垂れ流されていた夜のニュース番組のコーナーが切り替わる。途端に、誰かがボリュームを上げた気がした。
 違う。アナウンサーの声に、居間にいた人間が一斉に話をやめたのだ。
『――青森県八戸はちのへ沖で発生した漁船の転覆事故は、今日で発生から三日を迎えました。現場海域では依然として行方不明者の捜索が続いています』
 テレビに映し出されたのは、三日前の海上の様子だった。ひっくり返った一隻の漁船。十トン以下のそう大きくない船は、白波にまれて激しく左右に揺れた。
 この船に乗っていた五十代の漁師――父の行方は、三日たった今もわかっていない。
 麻海が生まれた頃からイカ釣り漁にいそしんできた父の一日は、夕方から始まる。日が傾くのに合わせて出港し、夜の海をライトで照らしてイカを集め、擬餌ぎじ針で釣り上げ、日の出と共に帰港する。禁漁期を除いて、一年中せわしなくそれを繰り返す。
 そんな繰り返しの毎日の中、事故は夜の海で起きた。
 海上保安庁と一緒に捜索に出ている漁師仲間達から「横波で転覆したんだろう」と教えられたが、乗っていた当人が行方不明とあっては本当のところはわからない。関東は台風が近づいて雲行きが怪しかったけれど、地元の天気が当時どうだったのか、東京にいた麻海は気にも留めていなかった。
「麻海っ、こっち来て手伝って」
 また叔母に呼ばれる。麻海は慌てて台所に戻った。物心ついた頃から使っていた木製の菓子鉢に、叔母が煎餅せんべいや焼き菓子を山盛りにする。
「これでお茶菓子なくなっちゃったから、叔母ちゃん、明日あした買ってくるから」
 本当はあんたがやるべきことなんだからね。ぼーっと突っ立っているだけの麻海を、叔母はそう言いたげにチクリとにら睨んだ。
「明日も来るかな……お客さん」
「当たり前でしょ。みんな、あんたのお父さんを捜してるんだから、何回頭下げたって足りないよ。お茶とお茶菓子くらい、ちゃんと準備しときなさい」
 叔母は父の妹にあたり、彼女からすれば兄が行方不明なのに、麻海と違って何から何までテキパキしていた。父のいない家で夜に一人になる麻海の世話をよくして、ほとんど自分の子供同然の扱いをしてくれた人だが、昔からピリッと厳しい性格だった。
 麻海が東京の大学に進学してからは盆と正月にしか顔を合わせていなかったが、そういうところは何も変わっていない。
 麻海が小学生の頃―癌で亡くなった母の葬式のとき、叔母が「女の人はお葬式の間は座って休んじゃいけないの」と走り回っていたのを、ぼんやり思い出した。発想そのものは前時代的だなと思うけれど、その習慣が今のテキパキとした叔母を形作っているのなら、少しだけうらやましいと思う。
 一昨日おとといの朝、叔母から事故の一報を受けたとき、麻海は志望していた企業の最終面接を数時間後に控えていた。これで就職活動から解放され、安心して大学卒業を迎えられると思っていた矢先だった。
 叔母の名前が表示されたスマホを恐る恐る見つめ、通話ボタンを押した瞬間から、日常が帰ってこない。このふわふわと足下のおぼつかない感じを、ぬぐい去りたかった。
 お茶菓子を手に居間に戻ると、すでにニュース番組は別のコーナーが始まっていた。事故発生直後はニュースで随分取り上げられ、麻海もテレビ局からコメントを求められたが、それ以降全く進展がないから、伝えるほどの情報が何もないのだろう。
 それでも、集まった親戚と漁師達は、明日の捜索場所について話し合っていた。麻海を振り返って「大丈夫だ、さっき組合長にも話してきたから」と肩をたたく人がいた。顔はわかるが名前を知らない漁師だった。
 もう、無理じゃないでしょうか。
 そんなこと、言っていい空気ではなかった。この場にいる人間の中で、自分が一番そんなあきらめから遠いところにいるべきだとわかっているのに、「無理じゃないでしょうか」という声が、のどもとで激しく震えている。
「さすがに今日は泊まれないから、明日の朝は自分のことは自分でやってね。午前中には来られると思うけど、お客さんが来たらお茶出すんだからね? 隅っこでぶすっと黙ってないで、ちゃんとご挨拶あいさつもしなさい」
 居間に集まっていた人が去り、後片付けを終えた叔母が帰り支度をし始めたのは九時前だった。アレはあそこに入ってるから、アレはあっちにあるから。慌ただしく説明し、真っ白なステップワゴンに乗り込んだ。
 叔母は隣町に住んでいて、中学生と高校生の子供がいる。昨日と一昨日は泊まり込んで世話を焼いてくれたが、さすがに自分の家をこれ以上放っておけないのだろう。
 すんません、すんません、ありがとうございます。ぺこぺこと頭を下げながら、赤いテールライトが去っていくのを見ていた。
 二日ぶりに一人になった。玄関のかぎをかけ、麻海はその場に座り込んだ。息を吸って、吐いた。久々にまともに呼吸をした。しばらくそこから動けなかった。叔母がすべて済ませてくれたからすべきことも特にないのだが、エネルギーが尽きていた。
 何十分たったのかわからないが、唐突に、インターホンが鳴った。実家のインターホンは、何故か某コンビニエンスストアの入店音と同じメロディだった。
 家中に響き渡った軽快な音に、麻海は大きく肩を震わせた。またテレビ局か新聞社、もしくは週刊誌の記者だろうか。
 一体どこからどうやってこの家の住所を聞き出したのか、麻海が戻ってきた日の夜には、家の前にマスコミの姿があった。来客もある手前、いつまでも彼らをたむろさせておくわけにもいかず、昨日、麻海はカメラの前に立った。
 マスコミがたいした情報を持っていないのだから、麻海に説明できることなどない。彼らもそんなこと一切期待しておらず、ただ悲しんでいる家族の姿とコメントをほしがった。
 そう思ったら、どうしても「一日も早く帰ってきてほしいです」と涙ながらに語る気になれず、テレビ番組のリポーターに「今のお気持ちは?」と問われ、「まあ、なるようにしかならないですよね」と淡々と答えることしかできなかった。
 麻海のコメントは、名前と顔が隠された状態で夕方のニュース番組で短く放送された。他人ひとごとのような口振りに他ならぬ麻海自身が寒気がしたし、SNSやニュースサイトのコメント欄には案の定「息子のコメントが冷たすぎる」「自分の親が行方不明なのに」と書き込まれ、叔母からは「あんた、もっと言い方ってものがあるでしょう」と叱られた。
 インターホンがまた鳴る。今、マスコミから「捜索に進展はないようですが、今のお気持ちは?」と聞かれたら、泣き崩れる可哀想な息子を披露できるだろうか。
 いや、無理だな。ほうけた顔でカメラの前に立ち、「今の気持ちですか? 眠たいです。さっさと風呂ふろに入って寝たいです」と、不謹慎極まりないことを言ってしまうに違いない。
 三度目のインターホンの音が鳴り響く。水族館で魚を観察するように、麻海はほおづえをついて玄関ドアを眺めていた。
 五度目のインターホンで根負けし、立ち上がって「どちら様ですか」と扉越しに尋ねた。
「美鳥の弟のきようすけです」
 短い応答だった。相手はそれ以上何も言わず、玄関はシンと静まりかえる。
 麻海は、ゆっくりと玄関の鍵を開けた。直後、ドアノブがひねられ、扉が勢いよく開いた。
「麻海か、久しぶり」
 喪服みたいな濃い色のスーツを着た長身の男が、迷子の子供を見つけたみたいな目で麻海を見つめる。会社帰りにふらっと立ち寄ったような、そんな出で立ちだった。
 愛想のないその顔を、麻海はよく覚えていた。母の弟である、加瀬かせ響介だ。母の葬式以来、一度も顔を合わせたことがないのに記憶が鮮明なのは、当時叔母が「あの人、自分の姉が亡くなったのに、ふてぶてしい顔して」と文句を言っていたからだ。
「……どうも」
 とりあえずお茶くらい出さないと。麻海は「上がってください」と頭を下げた。
より叔母さんも、他の親戚も、さっき帰っちゃったんですけど」
「それを見計らって来たんだ。特に頼子さんは、俺とは顔を合わせたくないだろうから」
 叔父と叔母の年齢をそれぞれ思い出した。確か二人とも四十五歳くらいのはずだが、叔父と叔母が親しく話しているところなど、一度も見た記憶がない。
 そもそも叔父の響介は、母が生きていた頃も桐ヶ谷家と全く交流がなかった。姉弟であるはずの母とも不仲だったようで、母の葬儀のときも、響介は焼香を済ますといつの間にか帰ってしまった。
「飯は?」
 玄関ポーチにたたずんだまま、叔父が聞いてくる。
「はい?」
「夕飯は食べたのか、って聞いたの」
 夕飯……と叔父の言葉を喉の奥で繰り返し、麻海は首を横に振った。
「じゃあ、食いに行くか」
 返事も待たず、叔父はきびすを返してしまう。え、ちょっと……言いかけて、スマホと財布を取りに居間に戻ろうか迷った末、麻海は靴箱の上に置いてあった鍵を引っつかんだ。

(つづく)

作品紹介



書 名:さよならの保険金
著 者:額賀 澪
発売日:2025年10月16日

身近で簡単、小さな詐欺にご注意を。叔父と甥の保険調査員コンビが始動!
就活の最終面接の日、青森で漁師をしている父の船が遭難したという連絡が入った。家族と就職先を一度に失った桐ケ谷麻海は、東京で暮らす叔父・響介のもとに転がり込むことに。
居候としてなにか仕事をさせてほしいという麻海に、響介がかけた言葉は「掃除も洗濯も料理も別にやらなくていいから、俺の仕事をちょっと手伝って」。
響介の職業は、保険調査員。保険会社から依頼を受け、保険金を支払うにあたって不正や問題点がないか調べる仕事だ。
麻海は見習い調査員として詐欺が疑われる事案の調査をするなかで、生と死、お金にまつわる様々な家族の思いにふれていく。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322502001993/
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