
六車由実の、介護の未来08 「不要不急」の河童(前編)
つながりとゆらぎの現場から――私たちはそれでも介護の仕事を続けていく

介護という「仕事」を、私たちはどれだけ知っているのだろう。そしてコロナという未曽有の災禍が人と人との距離感を変えてしまった今、その「仕事」はどのような形になってゆくのか。民俗学者から介護職に転身、聞き書きという手法を取り入れた『驚きの介護民俗学』著し、実践してきた著者が、かつてない変化を余儀なくされた現場で立ちすくんだ。けれどそんな中で見えてきたのは、人と人との関係性そのものであるという介護。その本質を、今だからこそ探りたい――。介護民俗学の、その先へ。
◆ ◆ ◆
河童を見た千恵さん
1月中旬のある日の朝、「河童、見たことあるよ」と言ったのは、昨年10月から、すまいるほーむに通い始めた、90代の千恵さんだった。
「西伊豆町の○○っていう山の上にある村に旦那の実家があったんだけどね、そこへ行く途中にある池に河童がいたんだよ」
「河童を見た」という千恵さんの言葉に、私も、他のスタッフたちも、心が沸き立った。そして、私たちは思わず千恵さんを質問攻めにしてしまった。
「えっ、千恵さん、河童見たことあるの? どんな格好してた?」
「どんな格好って、池の中にある岩をよじ登っているところだったよ」
(千恵さんは、両手の爪を立てて、交互に動かし、岩をよじ登るようなしぐさをした)
「岩をよじ登ってたの? 何色だった? やっぱり、緑?」
「何色かな。毛が生えていて、茶色と緑が混ざってたかな」
「え? 毛が生えてたの?」
「生えてたよ、手にも足にも」
「頭の上にお皿があった?」
「どうだったかな。そう言えば、頭の上が平らだったような気がするけど。何しろ、『あれ、河童がいるよ』というくらい普通にいたから、そんなにじっと見たわけじゃないし……」
「え? 河童が普通にいたの? 河童を見て、千恵さん、びっくりしなかった?」
「別にびっくりしないよ。あの辺の人は、河童がいるってみんな知ってたよ」
まだまだ聞きたいことはたくさんあったが、朝の忙しい時間だったので、ひとまず質問は終了。でも私たちの興奮は冷めやらなかった。
私たちスタッフがなぜそんなに興奮していたかと言えば、まずは何といっても、「河童を見た人」に初めて会ったからだった。スタッフの誰もが、驚きだったようだ。
特に私は、とうとう会えた!という喜びと感激がひとしおだった。というのも、山形の大学に勤務していた時に、当時の上司で、東北各地をくまなく歩いて聞き書きを重ねていた、尊敬する民俗学者の赤坂憲雄さんが、一緒に食事をした時などに、「俺は、『河童を見た』というばあちゃんに会ったことがある」という話をよく聞かせてくれたからだ。私は、「人を騙す狐がいた」という人に会ったことはあるものの、「河童を見た人」にはまだ会ったことがなく、内心悔しさと私も会いたいという思いを抱き続けていたのである。東北にいた8年間では会えず、地元沼津に戻ってきて介護の仕事を始めてから12年目にして、しかも、すまいるほーむという私にとって大切な場所において、やっと「河童を見た人」に出会えた。私は、「やったー!」と叫びたいぐらい興奮したのだった。
猜疑心に苦しむ千恵さん
そして、もう一つ、私たちスタッフにとって驚きであり喜びであったのが、千恵さんが、これまで見たことがないくらいに目をキラキラと輝かせて河童の話をしてくれたことだった。
千恵さんは、すまいるほーむに来る1年程前までは、近くの畑で毎日農作業をしては、収穫した野菜を近所に配ったりするぐらい元気で、友達も多い社交的な人だった。生まれてから病気一つしたことがないというほど健康的な千恵さんだったが、1年前から、胃腸の具合が悪くなったり、夏場には熱中症になってたおれたりすることが重なった。そして、体力の衰えを心配した家族の勧めもあって、畑を手放すことになった。以来、家に閉じ籠もるようになってしまい、近所付き合いもほとんどなくなってしまったという。そんな生活が続いたことで、気分の落ち込みが激しく、日中も寝て過ごすような状態になり、家族がケアマネジャーに相談して、千恵さんはすまいるほーむに通うようになったのだった。
千恵さんから裁縫や編み物などをよくしていたと聞いた私は、同じように裁縫が得意なみよさん(連載第4回に登場)と一緒に、利用者さんのためにマスクや、連絡帳を入れる巾着袋を作ってほしいとお願いしてみた。千恵さんは、快く引き受けてくれて、来るたびに一生懸命にマスクや巾着袋を縫ってくれた。また、もう使わないからと言って、自分の裁縫のために持っていた布地やボタン等の材料も提供してくれた。千恵さんは、あっと言う間にすまいるほーむの雰囲気に馴染んでいき、毎回行くのを楽しみにしてくれるようになっていった。
そして、関係が深まるにしたがって、千恵さんは、「実はあんたに聞いてもらいたいことがあるだよ……」と深刻そうな面持ちで、私に、そしてしばらくすると他のスタッフや利用者さんたちにも悩みを打ち明けるようになっていった。その内容のほとんどは、同居する家族への不満であった。具体的なことはここには書けないが、最初は、他の利用者さんたちからもよく聞く、些細なことから始まるお嫁さんへの不満であった。私たちスタッフは、心の中では嫁姑の関係は一筋縄ではいかない本当に難しい問題だという思いを抱きながらも、千恵さんの話にできるだけ丁寧に耳を傾け、「それは辛いね」と千恵さんの気持ちへの共感を示した。周りの利用者さんたちも、「私らも同じだよ」と言って、自分の家での経験や思いを話したりして、千恵さんを励ましていた。千恵さんも、「そう言ってもらえて嬉しいよ。話を聞いてくれてありがとう」と、話をすることで落ち着きを取り戻すことができているように見えた。
ところが、千恵さんの家族への不満はそれで収まるどころか、日が経つにつれて、どんどんとエスカレートしていき、「毒を盛られて殺される」という被害妄想にまで発展していってしまったのだった。11月下旬頃からは、朝来所しても、表情は暗く、体調もよくないようで、縫い物をしていても、失敗したと言って何度も糸をほどいてはやり直すことを繰り返し、かえって落ち込むことも多くなった。自宅では、家族への猜疑心で眠ることができず、食事もほとんど摂れていないとのことだった。体や心が徐々に弱っていく一方で、家族を非難する言葉の語気は強く、きつく、毒々しくなる一方で、スタッフはともかく、聞いている利用者さんたちは一様に戸惑うようになっていた。
千恵さんは、家族への不満を語りながらも、「どうしてこんなことになってしまったのかな。私、頭がおかしくなったのかもしれない」と涙を流すこともあった。千恵さん自身、被害妄想の呪縛の中でもがき苦しんでいたのだった。
家族も、そうした非難と疑いを千恵さんから向けられていることに対して、そしてそれを口外していることに対して、深く傷つき、動揺し、憤りを感じていて、時々電話でやり取りした時にそのやり場のない気持ちを語ってくれていた。
千恵さんも、家族も、出口の見えない暗闇の中で行き場を見失い、苦悩していた。そして、すまいるほーむでも、利用者さんたちも、私たちスタッフたちも、千恵さんのこの苦しみにどう向き合っていいのか、わからないでいた。
千恵さんを救った河童
千恵さんが、「毒を盛られて殺される」というところまでどうして追い詰められてしまったのか、その真相はわからない。私がその背景として想像したことの一つは、コロナ禍による閉塞感や恐怖心が影響しているのではないか、ということだった。
千恵さんは、すまいるほーむを利用する日以外は相変わらず自室に籠もり、一日中テレビをつけて、ベッドに横になって過ごしていた。特に、ニュースやワイドショーをよく観るという千恵さんは、すまいるほーむに来ても、新型コロナウイルスの感染者数がどの地域でどれだけ増えたか、ということを話題にすることも多かったのである。
千恵さんばかりではない。感染の第2波が広がり始めた頃から、精神的に不安定になる利用者さんが増えたという実感がある。毎日毎日、感染者の数ばかりが繰り返し報道されるテレビの放送は、社会とのつながりが減り、自宅で孤独に過ごしている高齢者の心に、私たちが想像している以上に恐怖心や不安感を植え付けることになっているのではないだろうか。そして、とりわけコロナの報道に敏感だった千恵さんの場合は、心の奥に溜まっていった恐怖心やストレスのはけ口が、身近にいる家族へと向かってしまったのではないか、と思えたのである。
千恵さんの被害妄想への対応については、ケアマネジャーともたびたび話し合った。ケアマネジャーは、コロナ禍の閉塞感が精神面へと影響しているということとともに、千恵さんの体調の悪化を心配していた。千恵さんは、「毒を盛られたから、昨夜お腹が痛くて死にそうになった」と訴えることがたびたびあったが、それは、胃腸の病気を抱えている千恵さんの体調が実際に悪化しているためではないか、というのである。つまり、痛みや苦しさの原因を体調の悪化とは自覚できず、家族に責任転嫁することで納得しようとしているのかもしれない、と。私は、なるほど、と思った。
実際、ケアマネジャーの勧めで、家族が千恵さんを連れて病院を受診し、何度か点滴治療を受けた後は、腹痛もなくなり、体調がよい日が増えていった。すまいるほーむで見せる表情にも明るさが戻ってきて、相変わらず家族への不満は言い続けていたが、その表現も以前と比べれば穏やかになったように思われた。
千恵さんが、河童の話を活き活きと語ってくれたのは、ちょうどそんな時期だったのだ。体調も気分もよくなったことで、千恵さんは、被害妄想の呪縛から少しずつ解放されてきたのだろう。それまで家族への不満や不信感、コロナへの恐怖心に囚われて、マイナス思考の言葉ばかりが口をついて出ていた千恵さんが、それらとは全く関係のない河童の話を楽しそうにしている。そこには、苦悩していた時とはまるで別人のような、明るく陽気な千恵さんの姿があった。
そんな姿を目の当たりにした私には、河童が、千恵さんを絶望の淵から救い上げてくれた救世主のようにも思えた。河童様、ありがとう。私は、河童に心から感謝したい気持ちでいっぱいになった。
そして、千恵さんを絶望の淵から救ってくれた河童に、実は、私自身も救われていた。
※次回は3月13日(土)に掲載予定