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試し読み

【試し読み】意外と知らない「保険調査員」の仕事とは?――額賀澪『さよならの保険金』2話まで特別公開!(4/4)

ドラマ化もされた『転職の魔王様』などで知られる額賀澪さんの新作小説『さよならの保険金』が、10月16日(木)に発売となります。
家族と就職先を一度に失った青年が、保険調査員見習いとして叔父とともに一歩を踏み出す本作。その発売を記念して、第1話「親不孝者だね」第2話「風邪みたいなもんだ」を特別公開いたします。
保険調査員のお仕事がどんなものか、知っていますか?
小さくて手軽な詐欺とお金の物語。あなたも(やらないように)ご注意を!

▼ この作品の試し読み一覧はこちら
https://kadobun.jp/trial/sayonaranohokenkin/

額賀澪『さよならの保険金』試し読み(4/4)

「写ってないもの?」
「ダンダダイスケ、先月に友達と四泊五日でバンコクに行ってただろ」
 そうだ。彼は二月の終わりに、大学の友人四人とバンコクへ卒業旅行していた。三大寺院と呼ばれる観光スポットを巡り、マーケットで買い物をし、カオマンガイやパッタイ、トムヤムクンといった本場のタイ料理を楽しみ、音楽フェスで酒を飲んでいた。
「五日目の出国直前、こいつは空港で腕時計の盗難に遭ってる。トイレで手を洗うためにちょっと外した隙に、盗まれたんだとさ。それで海外旅行保険を請求してきた」
「海外旅行保険?」
「知らない?」
 麻海を見上げた響介の目は、じりのあたりが少し充血していた。
「俺、海外旅行は行ったことがなくて」
「海外旅行中の万が一に備えて入る保険だよ。旅行中に怪我や病気をしたら死亡補償や治療費補償が支払われるし、旅行中に携行品を盗まれたり、事故で損害を受けたら携行品損害補償が出る。誰かに怪我をさせたり誤ってものを壊したりして損害賠償を請求された場合も、賠償責任補償がある。飛行機の遅延や預けた手荷物にトラブルがあったときだって補償が支払われるぞ」
「じゃあ、ダンダダイスケは腕時計を盗まれて、携行品損害補償? ってやつの支払いを申請してきたんですか」
「これ、ダンダダイスケが盗まれたっていう腕時計」
 棚に並ぶファイルの中から、響介が一枚の写真を見せてくる。麻海でもわかるブランド物の腕時計だった。
「一年前に発売されたモデルで、買ったときの値段は四十二万だったそうだ。彼が入ってる保険の携行品損害補償の上限額は三十万だから、本当に盗まれたならダンダダイスケには三十万の保険金が払われる」
「本当に盗まれたのかどうか、叔父さんは調べてるってことですよね」
「携行品損害補償を申請するには、盗まれたり壊れたものを確かに持っていたっていう証拠が必要だ。保証書とか、領収書とか。あと、盗難に遭ったことを現地の警察に証明してもらうポリスレポートが必要なんだが、今回は出国直前に盗まれたから取得できなかったって、現地からわざわざ保険会社に電話してきてる。海外で出国間近に盗難に遭ったら、そりゃあパニックになっても仕方ないし、時計の保証書はちゃんと提出したし、本人の話にそれなりにしんぴよう性もあるけど、保険会社の担当者が念のためってうちに依頼してきた」
 でも、それがどうして、ダンダダイスケのSNSを一年分もチェックすることにつながるのか。表情からこちらの疑念を察したのか、響介は麻海の作ったリストを指さした。
「多分こいつ、盗まれたっていう腕時計をそもそも持ってない」
 指先でパソコンの画面をつついた響介に、麻海は「ええっ?」と身を乗り出した。
「この一年でダンダダイスケのSNSにアップされた写真が三百二十九枚。でも、こいつが盗まれた腕時計をつけてる写真は一枚もない。大好きな限定品のスニーカーは買うたびに自慢げに写真付きで報告してるのに、スニーカーよりずっと高価な腕時計は『バイトを頑張って買いました』の一言、写真一枚すらない。卒業旅行はつけていったのに、飲み会や合コンではつけてない。なのに、ご丁寧に『この腕時計を盗まれました』という写真だけはすぐに出してきた」
 テストでヤマを張った場所がどんぴしゃで出題された―そんな満足そうな顔を響介はした。普段の彼より少しだけ子供っぽさをまとった笑みだった。
「え、でも……買ってもいない腕時計の保証書をどうやって手に入れるんですか? それがないとそもそも申請できないんですよね?」
「腕時計を持ってる親族や友達から、保証書や領収書だけをもらえばいいんだよ。さも自分が時計を所有してて、海外旅行に持っていって、不幸にも盗まれたことにする。現物は盗まれたからもうないわけで、あとは保険会社に請求をするだけ。卒業旅行の旅費を差し引いても黒字だな」
 黒字って……と言いかけて、この三日間見続けたダンダダイスケのさまざまなSNS上の呟きや、そこにアップされた写真が、脳裏を駆け巡った。
「……あ」
 豚骨ラーメン、夕日、限定版や復刻品のスニーカー、サークル仲間との飲み会、クリスマスパーティ、スキー、海、バーベキュー、国内旅行……。
「あああっ」
 突然叫んだ麻海に、響介は小さく肩を揺らして目を瞠った。
「時計、ありました」
 ダンダダイスケがバンコクで盗まれたというブランド物の時計。同じものを、自分も見た。ダンダダイスケがアップした写真の中で。
「どこで? こいつ、やっぱり時計を持ってたの?」
「違います。ダンダダイスケのじゃないです」
 響介のパソコンに手を伸ばし、エクセルのリストをさかのぼる。
「時計をつけてたの、ダンダダイスケと同じサークルの学生です」
 ダンダダイスケがサークル仲間と飲み会をしたときの写真に辿たどり着く。高級時計やブランド品を身につけた医学部の学生がちらほらいて、やはり医学部に進学する家の子は金持ちが多いんだなと感心したものだ。
 その医学部生の中に、ダンダダイスケが盗まれたという腕時計と同じものをつけている学生がいた。親しげにダンダダイスケと酒を飲んでいる彼の腕で、時計は存在感たっぷりに鎮座していた。
 ダンダダイスケが保険会社に提示した腕時計の保証書の出所は、この学生かもしれない。
「へえ、なるほどねえ」
 デスクに頬杖をついた響介は、そう大きく驚いていなかった。恐る恐る「……よくあることなんですか?」と聞いた麻海に、彼はしかめっ面で頷いた。
「うんざりするくらいよくある」
 響介の溜め息はどこか濁っていた。本当にうんざりするほどよくあるのだろう。
「この時期はな、海外旅行保険を悪用した詐欺が増えるんだよ。卒業旅行で学生が海外に行くから。旅行に持っていってないものを盗まれた・紛失したって言い張ったり、もとから壊れてたものを旅行中に壊したと偽って保険金を請求したり。ゴールデンウィークくらいにかけてよくある」
「そんな風邪みたいな」
「風邪みたいなもんだ。海外旅行に行く人間が増えると海外旅行保険の調査が増えて、寒くなると火災保険の調査が増える。意外と多いんだよ、魔が差して保険金の請求詐欺をしちゃう人って。漫画とか映画でやってた手口を真似たり、ライフハックみたいなノリで保険金を不正請求する方法がネットで解説されてたりするし。世の中には、生命保険まで詐欺の道具にする人間だっているんだから」
 生命保険という言葉に、無意識に奥歯をんでいた。保険金詐欺事件なんて、ニュース番組やネットニュースで幾度となく見てきたのに。
「それでも、保険会社はまずは被保険者を信じるしかないわけだ。でも、噓で保険金を受け取る人間が一人いたら、ちゃんと保険料を納めてる利用者の不利益になる。だから保険調査が必要なの。払うべきものを払わせないためにあるわけじゃない」
 自分の肩をトントンと叩きながら、響介は「あーあ、小さいけど面倒な仕事の目処めどがついた」と立ち上がった。
「ていうか、最初から腕時計を探せって言ってもらえれば、調べるのも楽だったのに……」
「ダンダダイスケ、SNSをチラッと見た限りあんまり金持ちに思えなかったんだよ。盗難は噓って察してたから、時計を探しても無駄だと思ったんだ。必要なのは、『たまたまSNSにアップしなかっただけ』って言い逃れを吹っ飛ばすための、執念深さに相手がビビっちゃうような資料。言い逃れされるだけ面談の回数が増えるし、そのたびに新しい資料を作らないといけないし、最初にガツンとかましたかったの」
 ズボンのポケットから財布を出した響介は、一万円札三枚を麻海に差し出す。
「え、多くないですかっ?」
「俺は絶対にやりたくない仕事だったから、助かった。海外旅行の調査は面倒なんだ。現地に行くには金がかかるし、向こうの空港やらホテルやらに問い合わせてもなかなか返事が来ないし。さっさと片付いてよかった」
 麻海の手に三万円を押しつけ、「風呂入ってこよ」と響介はリビングを出ていった。少ししわの寄った一万円札を広げ、麻海はしばらく、しぶさわえいいちの顔を眺めていた。

 三日後、響介がダンダダイスケのその後を教えてくれた。
 麻海が作ったリストを手に現れた響介に、彼は「そんなことまで調べるんですか……?」とおののいたという。リストをめくりながら疑念をぶつけると、ダンダダイスケは大人しく自分の行為を認めた。
 真相は響介が予想した通りだった。腕時計の保証書は、サークル仲間から借りたらしい。
 伯父おじと冗談半分にこうすればお金が手に入ると話していて、つい出来心で……。
 卒業旅行に思ったより金がかかったから、つい目がくらんで……。
 サークル仲間が保証書をくれたから、これでいける! とつい思ってしまって……。
 つい、つい、つい。そんな言い訳が繰り返されたが、最終的には謝罪して保険金の請求を取り下げた。
「それって、罪に問われないんですか?」
「保険会社が訴えれば事件になるけど、それは俺には関係ない」
 麻海の作った肉野菜いためを食べながら、響介は本当に興味なさそうな様子だった。
「せっせと払い続けた保険金を息子の進学費用にするために解約する人間もいれば、せこい手を使って数十万円の保険金をだまし取ろうとする人間もいるってことだ」
 こちらの胸の奥のモヤモヤを掬い上げるみたいに、響介は白米を掻き込んだ。
 その日の夜、自分の部屋で布団に寝転がって、スマホを眺めていた。叔母から、父の葬儀をどうするかというメールが届いていた。
 父の捜索打ち切りのときはあんなに泣いていたのに、どうして、葬儀の話を……父を〈死んだことにする〉ための手続きについて、話ができるのか。たくさん泣いたから、切り替えられたのだろうか。
 だとしたら、あのとき自分も叔母と一緒に泣きわめいておけばよかったのかもしれない。
〈もうちょっと、待ってほしい〉
 そんな返事を打った。朝にはきっと怒りの返信があるだろうが、構わなかった。
 そのまま、響介の勤める保険調査会社・大宮リサーチを検索した。
 公式サイトの片隅に、「調査員募集中」という文字を見つけた。

(気になる続きは、本書にてお楽しみください)

作品紹介



書 名:さよならの保険金
著 者:額賀 澪
発売日:2025年10月16日

身近で簡単、小さな詐欺にご注意を。叔父と甥の保険調査員コンビが始動!
就活の最終面接の日、青森で漁師をしている父の船が遭難したという連絡が入った。家族と就職先を一度に失った桐ケ谷麻海は、東京で暮らす叔父・響介のもとに転がり込むことに。
居候としてなにか仕事をさせてほしいという麻海に、響介がかけた言葉は「掃除も洗濯も料理も別にやらなくていいから、俺の仕事をちょっと手伝って」。
響介の職業は、保険調査員。保険会社から依頼を受け、保険金を支払うにあたって不正や問題点がないか調べる仕事だ。
麻海は見習い調査員として詐欺が疑われる事案の調査をするなかで、生と死、お金にまつわる様々な家族の思いにふれていく。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322502001993/
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