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試し読み

【試し読み】「お前、しばらくうちに来い」叔父と甥の同居生活がはじまった――額賀澪『さよならの保険金』2話まで特別公開!(3/4)

ドラマ化もされた『転職の魔王様』などで知られる額賀澪さんの新作小説『さよならの保険金』が、10月16日(木)に発売となります。
家族と就職先を一度に失った青年が、保険調査員見習いとして叔父とともに一歩を踏み出す本作。その発売を記念して、第1話「親不孝者だね」第2話「風邪みたいなもんだ」を特別公開いたします。
保険調査員のお仕事がどんなものか、知っていますか?
小さくて手軽な詐欺とお金の物語。あなたも(やらないように)ご注意を!

▼ この作品の試し読み一覧はこちら
https://kadobun.jp/trial/sayonaranohokenkin/

額賀澪『さよならの保険金』試し読み(3/4)

第二話 風邪みたいなもんだ

 教えられた住所の最寄り駅は、JR西にし荻窪おぎくぼ駅だった。東京で暮らし始めて四年たつが、荻窪ときちじようの間にこんな駅が存在したとは。
 キャリーケースを引きずって、駅から十分ほど歩いた。住宅街の中に、横に広く枝を広げたケヤキが見えてくる。やっと訪れた春の日差しに向かって、淡い色の葉が揺れていた。
 ケヤキの木が生えた公園が目印だと教えられた通り、目的のマンションはすぐだった。
 びついた門扉を開けると、石畳の階段の隙間には鮮やかなこけが生えていた。エントランスの扉には、青と黄色の古びたステンドグラスがはめ込んである。ざらついた色ガラス越しに中をうかがってから、麻海はゆっくり扉を開けた。
 リノリウムの階段を三階まで上がると、目の前に301号室と書かれた部屋がある。インターホンの音は、年季の入ったハンドベルを鳴らしたようだった。
 ベルの音が鳴り止まないうちに、玄関の戸が開く。
「業者ならもう帰った」
 叔父おじの背後には、引っ越し業者の名前が入った段ボールが山積みになっていた。
「今日から、お世話になります」
深々と一礼したが、叔父は「ああ、よろしく」とだけ言うと、すぐ側のドアを指さした。
「狭い部屋だし俺の荷物もあるけど、とりあえず好きに使って。トイレと風呂ふろはそこの白いドア。奥は台所とリビング、その隣は俺の部屋」
 それだけ伝えると、叔父はリビングの方に歩いていってしまう。今日から同居生活をするというのに、こんな感じで果たして大丈夫なのだろうか。
 スーツケースを抱え、好きに使ってと言われた部屋のドアを開ける。叔父の荷物があると言っていたけれど、六畳の洋間はこざっぱりとしていた。家具は本棚とローテーブルのみ。本棚は一列だけ本が並んでいて、クローゼットは端に段ボール箱が二つ。窓際に、真新しい布団が一組、畳んで置いてある。
 父の事故から、五ヶ月がたった。「また一から就活すればいい」という叔父の言葉の通り就活に勤しんだものの、芳しい結果は得られなかった。卒業後の見通しが何も立たないまま、学生寮の退寮日が迫っていた。
 叔父からもらった大宮リサーチの名刺を財布の奥から引っ張り出したのは、そんなときだった。名刺の裏には叔父の携帯番号も書いてあった。
 電話口で「就活、結局駄目でした……」と打ち明けると、叔父がガシガシと後頭部をいたのがわかった。
 そして、ボールをポンと投げて寄こすように、こうつぶやいた。
『もう過ぎたな、三ヶ月』
 父はまだ見つかっていなかった。寮の天井を見上げたまま、麻海は叔父の言わんとしていることを考えた。
「一年、待ってみようと思うんです」
 もう父が生きていないと理解できていても、「死んだ」という決定を自分で下すことは、まだできそうにない。
 一年後、特別失踪しつそうの申し立てをすれば父は死んだことになる。それまでにもしかしたら遺体が見つかるかもしれないし、麻海の中で、何らかの整理がついている可能性もある。
『そうか』
 叔父は麻海の選択を肯定も否定もしなかった。ただ一言うなずき、頭を掻く気配がする。無言の数秒間の後、叔父は小さく溜め息をついた。笑ったようにも聞こえた。
『わかった。じゃあお前、しばらくうちに来い』
 それからおよそ十日。三月のよく晴れた暖かい日曜日に、麻海は叔父の―加瀬響介の家に転がり込むことになった。
 寮から運んだ荷物は二時間ほどで片付いた。必要最低限のものしか持ってこなかったのだが、それでも自分の服がハンガーラックに並び、本や雑貨が棚に並ぶと、ここで暮らすのだという雰囲気が出てくる。
 部屋を出て、リビングのドアを慎重にノックした。「どうぞ」の代わりに、「そのドアはノックする必要はない」という声が返ってくる。どうやら、リビングとキッチンは自由に出入りしていいということらしい。
「荷ほどき、終わりました」
 響介はキッチンでコーヒーをれていた。にび色のヤカンから直接マグカップに湯を注ぎ、スプーンで素っ気なく混ぜる。
「飲みたかったら自分で勝手に淹れて」
 カップ片手にリビングに戻る響介に「あ、はい」と頷いて、部屋から自分のマグカップを持ってきた。ヤカンの中にはお湯がたっぷりと残っている。
 リビングは響介の仕事部屋でもあるらしく、窓辺のデスクにはノートパソコンがあり、棚は本で埋まっていた。「保険」という単語が入ったタイトルの本ばかりだ。生命保険、火災保険、損害保険……と思ったら、交通法令や企業経理、建築や電気・機械、医療関係の本も並ぶ。極太の書類ファイルのラベルに何が書かれているのかは、見ないようにした。
「保険調査員の仕事って、土日は休みなんですか?」
 リビングにはモスグリーンのソファがあるが、そこに座っていいものか悩んで、立ったままマグカップに口を寄せた。鼻先をくすぐるような、ほのかに酸っぱい香りがした。
「調査対象者が休日しか会えないと言えば、土日だろうと夜中だろうと会いに行くよ」
 デスクチェアに腰かけた響介の視線は、パソコンの画面に向いたままだった。もしかしたら、日曜の今日も何かしら仕事があったのかもしれない。
「家事の分担とか、どうしましょうか」
 料理、洗濯、トイレ掃除、風呂掃除、ゴミ出し、買い物……男の二人暮らしとはいえ、共同生活をする上で多少の役割分担は必要だ。こちらは転がり込んだ身だし、一人暮らしの響介の生活リズムを乱した挙げ句、怒らせて追い出されるなんてことは避けたい。
「麻海、家事はできるの」
「寮で掃除と洗濯はやってたんで、大体のことは。食事はほとんど食堂で食べてましたけど、自炊もちょっとだけ」
「そう。じゃあ、適当に飯食って、適当に掃除して、適当に洗濯して」
「適当でいいんですか?」
 響介はパソコンを見つめたまま短く「いいよ」と頷く。画面に映っているのはSNSのタイムラインだった。仕事をしてたわけじゃないのかと思ったが、スクロールする響介の手つきはひどく機械的だった。
「必要だと思ったら適当に掃除して、洗濯して、買い物して、お互い必要以上に干渉し合わず生活する。これでどう?」
「俺、バイトするにしても既卒として就活するにしても、しばらくの間は家賃も半分出せないと思うんで、何かしらやりますけど……居候としての仕事」
 この部屋の家賃は聞いていないが、築年数はあるにしろそれなりに広いし、仮に十万としても、半分出すとなるとなかなか痛い。何せ、学生寮の家賃(光熱費込みで月七万)は奨学金で賄っていたのだから。大学を卒業したら、むしろ奨学金の返済が待っている。
「律儀だなあ」
 姉さんの教育がよかったのか、隼平さんの影響なのか。ぼそりと呟いた響介が、椅子の上で大きく伸びをする。体のどこかからパキンと乾いた破裂音がした。
「確かに、なんのお金も入れないで叔父さんの家に居候してたら、父さん母さんは俺を叱ると思う。あと、頼子叔母おばさんも」
 ものすごく躾けに厳しい両親ではなかったが、律儀で義理堅い人達ではあった。誰かに助けられたら感謝とお礼を。誰かの働きには正当な報酬を。そんな親だった。
 叔母もそうだ。働きもせずに居候していたら「あんたねえ……!」と目を三角にする。
 響介は何も答えず、デスクに頬杖ほおづえをついた。その父さんも、母さんも、もう死んじゃったんだよな。少し疲れた様子の横顔に、そう言われた気がした。
 結局、響介は視線をずっとパソコンにやったままだ。一体、何が面白くてずっとSNSを眺めているのだろう。
 ホーロー製のカップのおかげでまだまだ温かいコーヒーを片手に、麻海はソファの端に静かに腰を下ろした。思っていたより硬い材質のソファだった。
 酸味の強いコーヒーを一口飲んだところで、ズボンのポケットに入れていたスマホが鳴った。目の前にいる加瀬響介から、メッセージが届いた。
「手伝って」
 響介が再び伸びをする。天井に向かってぐーっと両手を伸ばし、「思ったより重労働だった」と笑い声をこぼした。
 響介から送られてきたメッセージには、ただURLだけが記載されていた。タップすると、見ず知らずの男のSNSアカウントが表示される。
「掃除も洗濯も料理も別にやらなくていいから、俺の仕事をちょっと手伝って」
 言いながら目薬を両目にたっぷりと差した響介は、しかめっ面のまま麻海を見た。窓から差す日射しには夕日の気配がにじんでいて、「これ以上やったら眼球が干からびそう」と呟いた響介の右目を、金色に潤ませた。



 響介の言う〈手伝い〉は不可思議なものだった。
 引っ越し当日からかれこれ三日、麻海は見ず知らずの男のSNSをひたすらチェックし、アップされた写真に写る彼の持ちものをリストにまとめていった。彼のその日の服装から、ドラッグストアで買った目薬まで、とにかくエクセルに打ち込んだ。
 男はダンダダイスケという妙に語呂のいいアカウント名をしていた。ひも付けられている別のSNSは段田大輔と表示されていたから、どうやら本名らしい。
 仕事に出かけた響介のパソコンを借り、朝から夕方まで彼の日常をのぞき見し続けた。
 ダンダダイスケは麻海と同い年だった。埼玉県の出身で、医療系大学を卒業し、来月から都内の病院に勤めるらしい。大学名も学部も明かしていないが、投稿を追っていると、授業や試験に関する呟きから理学療法学科に在籍していたのがわかった。ということは、四月一日からは理学療法士として患者のリハビリを助ける仕事か。無職かフリーターが確定している麻海からすると、うらやましい限りだった。
 ダンダダイスケはSNSを三つも使い分け、しかもそのどれもが頻繁に更新されていた。アップされた写真も膨大だ。今日は何をした、何を食べた、何を買った、どこへ行った、誰と遊んだ……大学生らしい楽しげな日常が、一日と間を置かず更新され続けていた。
 大学の近くにあるという有名なラーメン屋の豚骨ラーメンの写真(おかげで彼の大学がどこなのか特定できてしまった)。透き通るようにれいな夕日の写真(おかげで彼が一人暮らしをする街もぼんやり特定できた)。ときどき現れる限定版や復刻品のスニーカーの写真(どうやら彼はスニーカーのコレクターらしい)。
 サークル仲間との飲み会の写真には高級腕時計やブランド品を身につけた学生がいて、興味本位でそこに写る学生のアカウントを探して覗いたら軒並み医学部だった。冬休みは友達とクリスマスパーティをして、スキーにも行き、夏休みは海にバーベキューに国内旅行。同学年とはいえ、ここまでアクティブな大学生活を送っていなかった麻海としては、仮に同じ大学にいてもダンダダイスケとは仲良くはならなかった気がする。
 忙しい実習の合間にアルバイトをして、プレミアもののスニーカーを買った。またしばらく金欠だ―およそ一年前にダンダダイスケが投稿した蛍光色のスニーカーを見て、麻海は「ああああ~」と目をつぶった。「眼球が干からびそう」と言った響介の気持ちがよくわかる。
 有名人でも知り合いでもない、特別面白い投稿をするわけでもない大学生のSNSを一年分チェックするなんて、しんどいに決まっている。マウスをスクロールしすぎて、人差し指の第二関節が熱を持っていた。キリッとした目元と太めのまゆ、少し大きめの鼻……彼の顔がまぶたに焼きついて離れなくなってしまった気がする。
「やっと終わったぁ……」
 スニーカーの写真をダウンロードし、エクセルの表に貼り付け、一年前の日付を入力し、「スニーカー」と打ち込んで、保存。そのままデスクに突っ伏した。
 どれくらいたっただろう、玄関のかぎが開く音がした。この家は、鍵穴に鍵を突っ込む音が奇妙なくらい大きく響くのだ。
「……おかえりなさい」
 リビングのドアを開けた響介は、こちらを哀れむように「ただいま」と返してきた。昨日も一昨日おとといもそうだった。
「カレー作ってあるんですけど、叔父さんも食べます?」
「別にわざわざ俺の分を作らなくていいのに」
「カレーなんて一人分も二人分も変わらないですよ、どうせ二日分作るんだし。あと、ダンダダイスケ以外の何かをしないと、頭がおかしくなりそうで」
 こめかみをぐりぐりと揉んで、キッチンでカレーのなべを温めた。年季の入った炊飯器で、ごはんはもう炊いてある。
「一年分、さっきちょうど終わりましたよ」
「そうか、お疲れさん」
 カレー皿とスプーンを手渡すと、響介はそのままデスクチェアに腰かけた。カレーをひざにおいて口に運びながら、麻海が作ったエクセルのリストをにらみつける。昨日も彼はこんな調子で夕飯を済ませていた。
「言われた通りチェックしましたけど……普通の大学生でしたよ、ダンダダイスケ」
 ソファの端に座り、響介を横目にゆっくりカレーをスプーンですくった。特別な具材も隠し味も何も入れていない、ただただ市販のルーの味がするカレーを。
「よくまとめたじゃん。俺は三日分でギブアップだったのに」
「それが叔父さんの仕事にどう役立つんですか? ダンダダイスケ、今日も元気に更新してましたけど」
 四月一日を前に、残り少ない大学生活を満喫している様子だった。先月は卒業旅行でバンコクに行っていたし、麻海のように近しい人間に何か不幸があって、生命保険がどうこう、傷害保険がどうこうで揉めている様子もない。
「保険金は、人が死んだときや怪我や病気をしたとき以外にも請求されるからな」
 そう言って、響介は黙り込んだ。カチャリカチャリとスプーンを鳴らし、カレーを食べ、リストを見る。それは一時間近く続いた。その間、麻海は響介の膝から空になった皿を回収し、洗い物を済ませ、残ったカレーをタッパーに入れて冷蔵庫にしまい、「お先に」と言って風呂に入った。
 響介がリストのチェックを終えたのは、ちょうど麻海が風呂から上がった頃だった。
「終わったんですか?」
 髪をタオルできながら、恐る恐る問いかける。椅子の背もたれに全身を預けて天井を仰ぎ見ていた響介は、けんを押さえ、短く頷いた。
「ちなみに、写真の何が必要だったんです?」
「違う。写ってないものを探してたんだ」

(つづく)

作品紹介



書 名:さよならの保険金
著 者:額賀 澪
発売日:2025年10月16日

身近で簡単、小さな詐欺にご注意を。叔父と甥の保険調査員コンビが始動!
就活の最終面接の日、青森で漁師をしている父の船が遭難したという連絡が入った。家族と就職先を一度に失った桐ケ谷麻海は、東京で暮らす叔父・響介のもとに転がり込むことに。
居候としてなにか仕事をさせてほしいという麻海に、響介がかけた言葉は「掃除も洗濯も料理も別にやらなくていいから、俺の仕事をちょっと手伝って」。
響介の職業は、保険調査員。保険会社から依頼を受け、保険金を支払うにあたって不正や問題点がないか調べる仕事だ。
麻海は見習い調査員として詐欺が疑われる事案の調査をするなかで、生と死、お金にまつわる様々な家族の思いにふれていく。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322502001993/
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