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連載

綾崎 隼「盤上に君はもういない」 vol.3

史上初の女性プロ棋士になるのは誰か?棋士を目指す者たちの静かで熱い青春譜‼ 綾崎 隼「盤上に君はもういない」#1-3

綾崎 隼「盤上に君はもういない」

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 将棋とは互いの精神を削り合う遊戯だ。
 敗北からすぐに立ち直ることは難しい。
 一局一局に生死がかかる三段リーグでは、それが顕著である。
 敗戦のショックを引きずる飛鳥は、六日目の第十一局も落としてしまう。
 十二局が終わり、神童、竹森稜太は全勝をキープしていた。
 二敗の飛鳥がその後に続き、三敗の棋士が一人、四敗の棋士は六人である。
 よほどのことがない限り、竹森はこのまま史上最年少で四段に昇段するだろう。
 残りは六局。あと一つの椅子を、この八人で争うことになる。

 三段リーグ、七日目。
 飛鳥は死闘を制し、連勝をつかみ取る。
 その日で三敗の棋士が消え、四敗の棋士は四人となった。
 残りは四局である。圧倒的に有利な立場に立ったわけだが、飛鳥に限ってのみ、二敗は大きなアドバンテージとは言えなかった。
 勝敗数が並んだ場合、前回の順位が上の人間が頭ハネで昇段するというレギュレーションになっているからだ。三段リーグ初挑戦で、順位が竹森の次に低い飛鳥は、同率で並んだ場合、四段にはなれないのである。

 三段リーグも終盤を迎えた八日目。
 飛鳥は十五局目で痛恨の敗北を喫する。
 その横で、竹森稜太は十五戦全勝で史上最年少での四段昇段を決めていた。
 敗戦のショックを消化するより早く、竹森への祝福が飛鳥の耳に届く。
 年下に先を越されるのは悔しい。
 あの痛恨の一局を、飛鳥はあれから何度も夢に見ているという。一刻も早く再戦したいと語っていたが、今、重要なのは頭を切り替えることだった。
 竹森稜太ともう一度、戦いたいなら、昇段するしかない。
 残りは三局。全勝すれば飛鳥もまた棋士となる。
 勝てば良い。勝つ以外の方法で、道は切りひらけない。

 十六局目、制限時間を使い切り、心臓が潰れてしまうんじゃないかと思うほどの死闘を経て、飛鳥は、四敗で背後にくらいついていた男に競り勝つ。
 正真正銘、こんしんの一局だった。
「飛鳥! 頑張ったね!」
 対局室から出て来た飛鳥は、疲労こんぱいしていた。
 全対局の中で、最も長時間に及んだ戦いである。
 まさに互いの首を賭けた死闘だった。
 精も根も尽き果てたような顔になるのも無理はない。
「亜弓さん。ほかの人たちはどうなった?」
 疲れ切った声で、飛鳥が最初に尋ねたのはライバルたちの星取りだった。
 八日目を迎えた時点で四敗は四人いたが、本日の二局を経て、
「四敗が一人、五敗が三人になったわ」
「そっか。勝負はあと二局。亜弓さん。私、絶対に棋士になるよ。女でも棋士になれるってことを、このリーグで証明して見せる」
「それなんだけど、事情が変わったの。今日、決まったのよ。女性棋士の誕生が」
「それは勘違いだよ。私の昇段はまだ決まっていない。残り二局で、まだ四敗の人も五敗の人もいるんだから」
「聞いて。飛鳥は最終戦で、唯一、四敗をキープしている人と戦う。つまり飛鳥かその人は最終日に最低でも一勝するってこと。そして、その相手は五敗している三人よりも前回の順位が上なの。要するに、その人は最終戦で一勝すれば、飛鳥以外には負けないってわけ。勝敗数で並んでも頭ハネで順位が上になるからね。最終戦で飛鳥が勝った場合は、仮に十七局目で負けていても四敗だから、全員を上回れる」
「昇段するのは、私かその四敗の人に絞られたってことか」
「そういうこと」
「じゃあ、その四敗をキープしたのは……」
 四人残っていた四敗の棋士たちは、八日目の対局を終えた今、たった一人に減ってしまった。飛鳥は史上初の女性棋士の座に、文字通り王手をかけたわけだが、運命は最終戦を前に、実に数奇な組み合わせを用意していた。
ざくらさん。三段リーグに在籍していた、もう一人の女性よ」

      5

 千桜夕妃三段。二十六歳。
 飛鳥と同様、女性初の棋士を目指していた戦士のことを、私は知っている。しかし、今日ここに至るまで、強く意識したことはなかったと素直に認めなくてはならない。
 奨励会の頂点、三段リーグまで上り詰めただが、彼女はその実力に反して、これまで日の目を見ていない女性だった。
 彼女は飛鳥と違い、女流棋士の資格を取得していない。三段になれる棋力を持ちながら、まだプロではないのだ。
 将棋連盟には少年少女の育成と、女流棋士養成のための機関として、『研修会』なるものが存在している。研修会は棋士を目指す奨励会の下部組織であり、過去にも多くの棋士たちが少年時代に通っている。
 飛鳥も奨励会に入会する以前に、研修会に所属していた期間があり、その時代に規定の成績を挙げ、小学生にして女流棋士となっていた。
 千桜夕妃は直接、奨励会に入会した人間であり、研修会に所属した経験がない。研修会を経由する以外にも女流棋士になる方法はあるが、千桜夕妃は何故か女性限定の棋戦には出場せず、その資格を満たしていなかった。
 それら一連の事実と、三段という実力に鑑みれば、導き出せる答えは一つしかない。
 千桜夕妃は女流棋士になれなかったのではなく、ならなかったのだ。
 奨励会員と女流棋士は兼務出来る。女流棋士になれば対局料がもらえるし、タイトルを取れば棋士限定の棋戦にも出場出来る。それにもかかわらず、彼女が女流棋士にならなかった理由は一つだろう。
 棋士を目指すなら、女流棋士になることは回り道になる。そう考えたのだ。
 飛鳥に限って考えても、女流棋士という立場には、メリットとデメリットがある。兼務しているせいで、奨励会の戦いだけに集中することが出来ない。加えて、女流棋士の棋戦は正式に棋譜が残るため、研究されやすくもなる。一方で、若くして魂がひりつくようなタイトル戦を経験することも出来る。
 実績は自信に変わる。経験と立場は人を成長させる。
 諏訪飛鳥はまだ十六歳だが、既にプロであり、女流棋士のタイトルホルダーだ。
 対照的に、プロになっていない千桜夕妃は、今日までその存在が他の奨励会員たちと完全に等価だった。女性としてはトップクラスの実力を持っていても、マスメディアに露出する機会は皆無だったと言って良い。
 女性の三段である。将棋に詳しい者なら、その存在は知っている。しかし、奨励会での成績を除けば、彼女の情報は世間に出回っていない。しかも千桜夕妃は序盤に三連敗を喫していた。彼女が最終盤で昇段争いに絡んでくるなんて、誰が予想出来ただろうか。

 千桜夕妃は三期前と二期前の三段リーグを、体調不良を理由に全休している。前期もその四分の一を病欠していた。今期も初日の二局で不戦敗となっており、久しぶりに将棋会館に現れた二日目には、第三局を落としていた。
 初戦からの三連敗で、千桜夕妃は序盤から絶望的な船出をしている。しかも今リーグ中に、年齢制限の二十六歳を迎えている。
 勝ち越したことで来期の残留は決めているが、もう一度、病欠が続けば、その時点で奨励会の退会が決まってしまう。
 応援していないわけではない。身体的な問題を抱えながら戦い続けてきたのだろう二十六歳の苦労人には、敬意も覚えている。
 しかし、盤上はどんな言い訳も許さない戦場だ。
 自らの浅薄さを恥じるばかりだが、私は今日まで、千桜夕妃のことを飛鳥の引き立て役のような存在としてしか認識していなかった。
「千桜さんの十七局目の相手は誰?」
 運命は残酷だ。飛鳥は今期の昇段を逃しても、まだ十九回という膨大なチャンスを残している。一方、千桜夕妃は負け越した時点で、問答無用の退会となる。病欠の多さを考えるなら、今期の三段リーグが最後のチャンスとさえ言えるかもしれない。
 そして、彼女が飛鳥の前に戦うのは、
「全勝の竹森稜太よ」
 私がそれを告げると、すべてを悟ったように飛鳥の顔が曇った。
 最終日、飛鳥と戦う前に、千桜夕妃は首をねられる可能性があるのだ。
 竹森稜太は既に昇段を決めているものの、モチベーションが下がっているということは絶対にない。何故なら、奨励会の長い歴史を紐解いてみても、魔境である三段リーグで全勝した棋士は存在しないからだ。最終日の竹森稜太には、三段リーグ全勝優勝というの記録がかかっていた。
 対照的に、飛鳥が十七局目で戦うのは、初段や二段の頃からめっぽう得意としていた相手である。飛鳥が勝利し、千桜夕妃が竹森稜太に負けた瞬間に、最終局を待たずして飛鳥の昇段が決まる。
 史上初の女性棋士の座を賭けた最終戦は、消化試合になる可能性が高い。

 いつだって傍観者は身勝手だ。
 当事者の気持ちも知らないで無責任に騒ぎ立てる。
 三段リーグ、運命の最終日を前に、棋界はお祭り騒ぎになっていた。
 史上初の女性棋士誕生が既に確定しているからだ。
 人々が抱く興味は残り一つ。どちらが四段になるのか。……いや、永世飛王の孫は、十七局目で昇段を決めるのか、それとも最終戦で決めるのか、である。
 千桜夕妃は身体の不調を誤魔化しながら半年間戦ってきた。しかも十七局目の相手は、全勝優勝がかかる天才少年だ。
 マスメディアは飛鳥の四段昇段を確信したような報道を連日おこなっている。私はそのムードに、これ以上ないほどの嫌悪感を覚えていた。
 どんなニュースを耳にしたところで、飛鳥は決して油断などしない。では、何にいらっているのかと問われれば、千桜夕妃への敬意の欠如と、彼女の凄さに気付けない愚かさにだった。
 飛鳥は三敗で、千桜夕妃は四敗である。しかし、後者はそもそも初日の二局が不戦敗であり、体調が整わないまま戦った二日目の対局でも黒星を喫している。つまり、体調が戻ってからの十二戦では、一敗しかしていない計算になる。
 千桜夕妃は前期のリーグ戦でも驚異的な成績を残している。四分の一を病欠したにもかかわらず、現在、五敗で四位につけている棋士たちの誰よりも順位が上なのだ。
 休場を繰り返しながら三段になり、そこでも好位置につけるなんて、並の棋力で出来ることではない。千桜夕妃は決して嚙ませ犬なんかではない。
 最後の椅子を女性二人が争い、最終局には直接対決が待ち受けている。
 ドラマティックな組み合わせは、人々の好奇心を否応なしに刺激し、異例とも言える措置が取られることになった。最終日の飛鳥の二局が、どちらもテレビの全国ネットで放送されることになったのである。
 放送枠や時間に余裕があるネットテレビならともかく、奨励会の戦いを二局も地上波でテレビ中継するなんて、前代未聞の決定だった。
 放送を決めたテレビ局は、連日、報道番組で二人の近況を伝えている。
 千桜夕妃は奨励会三段に到達した史上四人目の女性だ。その上、容姿にも恵まれている。拒食症かと思うほどにせているものの、小顔ではかなげなたたずまいは、薄幸の将棋指しと呼ばれるに相応しい。生命力に満ち溢れる飛鳥とは、対照的な女性だった。
 下世話なワイドショーを通して、私が新たに知った事実もある。
 千桜夕妃は新潟の名家に出自を持つものの、棋士を目指すことを許してもらえず、中学生の時分に生家より勘当されていたのだ。家を飛び出した後、病欠が多いことで有名なあさくらきようすけ七段の内弟子となり、今日まで戦ってきたのだという。
 千桜家は新潟市で大学病院を経営している一族で、凜が勤める業界最大手の保険会社、千桜インシュアランスもグループの一組織らしい。
 裕福な家に生まれたにもかかわらず、将棋を愛し、勝負に取りかれたが故に、家を飛び出した女戦士。彼女なら土壇場で奇跡を起こしてしまうかもしれない。飛鳥を応援する私は、対局日が近付くほどに、恐怖を感じるようになっていった。
 そして、三月。
 三段リーグ、運命の最終日がやってきた。

▶#1-4へつづく
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「カドブンノベル」2020年2月号

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