インタビュー 小説ファンブック「かつくら 2017秋号」(桜雲社)より
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【かつくらpresents】綾崎隼インタビュー 尽きぬ創作意欲の原動力は何か。人気作家の魅力に迫る
取材・文:「かつくら」編集部
切ないラブストーリーと謎を融合させた物語を数多く手掛けている綾崎隼氏。
そのうえ時にはSF小説、時には爽やかな青春スポーツ小説を上梓するなど、多彩な持ち味で多くの読者を惹きつけている。2010年にデビューして以来、創作の原動力になっているものはいったいなんなのだろうか。尽きぬ魅力の秘密に迫ります!
<本インタビューは小説ファンブック「かつくら 2017秋号」(発行:桜雲社)に掲載されたインタビューの冒頭を転載したものです>
小説を書くのと読書が好きな子供時代
── : 小学生の頃から小説家になりたいと思っていたそうですね。
綾崎: 意識し始めたのは小学四年生の頃です。当時、大好きだったのが戸川幸夫さんと椋鳩十さんでした。どちらも動物をモチーフに児童文学を書いている作家さんだったのですが、図書館に蔵書がない本まで取り寄せてもらって読んでいるうちに、自分でも動物をモチーフにした小説を書いてみたいと思うようになりました。
── : そのときから書き始めたのですか?
綾崎: 文集を作る機会があって、ハヤブサを主人公にして創作をしたことがありますが、小説といえるレベルではなかった気がします。中学生になってすぐに漫画を描いている子と友達になって、その子に刺激を受けて、実際に小説を書き始めました。それ以来、高校を卒業するまで、手書きでノートに書いていました。
── : 小学生の頃から文章を書くのは苦ではなかった?
綾崎: そうですね。ハヤブサが主人公の話も原稿用紙で百枚くらいはあったのかな。書くことが苦になったことはないです。ただ、毎日、図書館に通うタイプの子どもだったのに読書感想文は嫌いでした。感想を他人に伝える必然性を感じなかったし、何の意味があるんだろうと思っていて。読書感想文を書く暇があるなら、新しい本を読みたいと思っていました。でも、自作の感想をもらうのはうれしいですし、課題図書にしましたという話を聞くと、ぜひ送って欲しいと思ってしまいます。読書感想文を本当に読みたいと思っている人間って、教師でも親でもなく作家なんじゃないでしょうか。
── : 学校の授業ではどんな教科が好きでした?
綾崎: 国語ですね。あとは美術と体育でしょうか。教員免許を持っているんですが、それも国語で取りました。とにかく本が好きだったんですよね。
── : 小学生の頃から自覚的に本が好きだったんですか?
綾崎: はい。母親が漫画を読ませてくれなかったこともあって、小説ばかり読んでいました。小学校低学年のときに最初にハマったシリーズが『シートン動物記』と『ファーブル昆虫記』でした。あとは児童文学作家だとアストリッド・リンドグレーンが大好きで、『やかまし村の子どもたち』は何度も読み返しました。好きになると、その作家の本が全部読みたくなる性質なので、図書館に通って置いてある本を全部読んで、読み終わったら違う図書館に行って、そこでも読みつくしたら、今度は未読の本を取り寄せてもらっていました。
── : ミステリーの要素が入ったものが綾崎作品には多いですが、そもそもミステリーとの出会いはいつ頃だったのですか?
綾崎: 小学四年生です。学級文庫に『少年探偵ハヤトとケン』という児童文学ミステリーの三巻があって、それが人生で最初に読んだミステリーでした。トリックやドンデン返しがある小説を初めて読んだこともあって、衝撃を受けまして。凄いジャンルを見つけたと思って、次は江戸川乱歩に手を伸ばし、すぐにミステリーが大好きになって、〈シャーロック・ホームズ〉シリーズだったり、有名どころを読んでいくようになりました。大人になった今でも読み手としてはミステリーが一番好きです。
── : 江戸川乱歩なども図書館で借りて読まれていたのですか?
綾崎: はい。小学生の頃は近所の図書館で借りていたんですが、中学生になったら学校の図書室に見たことのないハードカバーの全集が揃っていて。知らないタイトルが沢山ある!と興奮したんですけど、どれから読んだらいいかわからなくて。傑作から順番に読みたかったので、作品の後半、まずはトリックを解き明かしている部分を読んで、「これはすごい!」と思ったものを頭から読み直すということをやっていました(笑)。
── : ネタバレはまったく気にせずに。
綾崎: 今考えると頭がおかしいなと思うんですけど、当時はミステリー好きな友人が身近におらず、インターネットもない時代なので、情報に乏しかったんですよね。効率よくおもしろい本に出会いたかったんだと思いますが、乱暴なやり方でした。
── : ファンタジーやSFなどほかのジャンルにも興味を惹かれていましたか?
綾崎: 中学生の頃、友達に薦められて『ロードス島戦記』と『スレイヤーズ』を読みました。世代的に不可避ですし、しっかり楽しみましたが、そのまま今で言うところのライトノベルを読み始めるということはなく、高校生になってもミステリーを好んで読んでいました。
── : ミステリーのどんなところに魅力を感じたのですか?
綾崎: ミステリーって論理的におもしろいと思うんです。意外な真相やトリックから受ける驚きって、もう絶対におもしろいじゃないですか。自分が小説を書くときにミステリー要素を入れることが多いのも、プロット段階で仕掛けやトリックを準備できていると、書き出す前から、この物語は絶対におもしろいって自信を持てるからなんだと思います。
── : 本好きのお友達はいましたか?
綾崎: 中高時代はライトノベル好きな友人がいましたが、雑多なジャンルについて話せるようになったのは大学生になってからでした。僕は芸大で文学を専攻していたので、そこで出会った友人たちとは、創作の話もできて楽しかったです。今でも仲が良いですし、執筆段階で相談にのってもらうこともあります。小説の話をしているときが一番楽しいので、実際に小説家になって、たくさん、作家さんの友達ができて、いろんな方といろんな話ができる今は幸せです。
創作するうえで影響を受けたクリエーターとは?
── : 十代の頃に衝撃を受けた作品や、今でも印象深く心に残っている作品がありましたら教えてください。
綾崎: 小学生の頃に繰り返し読んだ小説だと、わたりむつこさんの〈はなはなみんみ物語〉シリーズです。少しビターな余韻で終わることに衝撃を受けましたし、世界観も含めて大好きなシリーズです。あとはミヒャエル・エンデの『モモ』ですね。信じられないくらいおもしろくて、自分もいつか絶対に時間をテーマにした小説を書こうと思いました。それが〈君と時計〉シリーズに繋がっていきます。十代後半だと、森博嗣さんの〈S&M〉シリーズから始まる一連の著作です。大人向けの小説でも、こんなに魅力的なキャラクターを書いていいんだと衝撃を受けました。ミステリーって真相解明が始まるまで、助走のような印象が続く作品もあると思うんです。でも、森博嗣さんの物語は一行目からおもしろくて、夢中になりました。登場人物たちのやりとりをいつまでも見ていたくて、もっと読みたくなってしまう。自分もそういう小説を書きたいと思いました。
── : 自分の創作に影響を与えたと思う小説はありますか?
綾崎: きっとあるとは思うのですが、間違いなくこれだと言える小説はないんです。森博嗣さんの作品が大好きだったのも、あまりにも自分の思考とは違いすぎて、影響の受けようがないから、純粋に読者として好きでいれた気がするんです。ただ、言葉の使い方で影響を受けたとはっきり自覚できる方がふたりいて、どちらもミュージシャンなのですが、ひとりはスピッツの草野マサムネさんで、もうひとりはシンガーソングライターの岡崎律子さんです。楽曲はもちろん、インタビュー記事も繰り返し読みましたし、ラジオやインターネットで発する言葉からも影響を受けました。ふたりが美しいと表現するものが、ことごとく自分にもそう思えて、物事の捉え方や感じ方も影響を受けています。岡崎律子さんはあまりに好きすぎて、小説の章タイトルに、何度も曲のタイトルをお借りしています。デビュー作『蒼空時雨』の最終話「雨がくれたもの」は、岡崎さんが最初に作った曲(音源としては未発表)のタイトルです。『初恋彗星』の「星空にお祈り」、『吐息雪色』の「私の愛は小さいけれど」、『未来線上のアリア』の「涙がほおを流れても」なんかも岡崎さんの曲からタイトルをお借りしました。〈サクリファイス〉シリーズという全二巻のミステリーに関しては、想いがつのるあまり、全話のタイトルをお借りしています。
── : そうだったんですね。
綾崎: 『初恋彗星』で紗雪というヒロインに、お母さんが「投げやりになっては駄目よ。感じ方が雑になると、大抵のことは上手くいかなくなる」と言うんです。それも岡崎さんが話していたことで。自分自身が鬱々としていた時代に聞いた忘れられない言葉で、いつか登場人物に言ってあげたかった言葉でした。僕は十代の頃、岡崎律子さんの歌に確かに救われたから、いつか小説家になれたら自分の本を読んでもらいたい、感謝を伝えたいと願っていて。本当に自分にとっては世界でただ一人、そういう存在だったんですけど、小説家になる何年も前に病気で亡くなられてしまって、その夢は叶えることができませんでした。ただ、作家になった後、ご縁があって岡崎さんのご友人と知り合いになって、ご両親に感謝の気持ちをお伝えして、自分の本を渡すことができました。
── : ペンネームの「隼」はご本名で、「崎」は岡崎さんにちなんでつけられたとか。
綾崎: そうなんです。本当は「律」の字をいただきたかったんですが、ちょっとつけようがないなと思って諦めました。
── : 岡崎さんの曲に出会ったのはいつ頃なのですか?
綾崎: 高校一年生だったと思います。「新世紀エヴァンゲリオン」にはまった流れから林原めぐみさんのラジオを聞くようになって、そこに岡崎律子さんがゲスト出演されたんです。歌声を聞いた瞬間に衝撃を覚えて、この世の中にこんなに美しい声の人がいるのかと思い、翌日CDを買いに行き、ファンクラブにも入りました。岡崎さん自身のCDはもちろん、提供楽曲が収録されたCDや、参加されているサウンドトラックなどもすべて買って、今でも、苦しいとき、つらくなったときは、ずっと聴いています。
── : 岡崎さんに自分の本を読んでもらうのが夢だったとお話しされていましたが、小説家になりたいという気持ちは、小学生のとき以来途切れたことはなかったのでしょうか。
綾崎: 正確には、小説家になりたいというよりも、小説を書くことが楽しくて仕方がないので続けていたいという気持ちでした。小説家になりたいから小説を書いていたわけではなく、ただ小説を書いていたかったんです。だから初投稿が二十三歳と遅いんですけど……。小説家になれなくても小説を書き続けられれば、それで良いと思っていたのかもしれません。ただ、大学を卒業して、いざ働き始めたら時間があまり取れなくなって、プロにならないと書き続けるのは難しいと気付き、ようやく新人賞への投稿を真剣に考え始めました。
── : 投稿を始める以前に、書いた小説を誰かに読んでもらったりしていましたか?
綾崎: 中高生の頃はノートに書いた小説を友人に読んでもらっていました。感想をくれる子もいたし、馬鹿にしてくる子もいましたけど、あの頃、感想をくれた友人は今でも時々、僕の本を読んでくれているみたいです。青春時代に書いていた小説の内容を忘れることはないし、自分が不意に死んだあとに発掘されたら恥ずかしすぎるので、当時、書いていたノートは処分しました。
── : 全部ですか!?
綾崎: はい。アイデアやプロットを書いたものは取ってありますが。
── : 読者としては、なんだかもったいない気持ちになってしまいます。初めて書いた小説はどんなものだったのですか?
綾崎: 最後まで書き切ったものだと、中学生のときに書いた『飛行船』という話です。ウィリアム・ゴールディングの『蝿の王』のような物語で、飛行機が離島に不時着して、中学生だけが生き残ってサバイバル生活を始めるんですけど、殺人事件が発生して、その真相を探っていくという話でした。当時、選択科目という授業があって、僕は仲のいい友人たちと国語を選んだんです。自由度が高い授業で、担当の教師も「何をやりたい?」なんて聞いてくる感じで、最初は百人一首で遊んでいたんですが、二学期になって「小説が書きたいです」と先生に言ったら希望があっさり通って、それからは小説を書く時間になりました。原稿用紙で百五十枚くらいの長さになったのかな。先生からは最後まで書き切ったことに対してのみ評価をもらったように記憶しています(笑)。
このロングインタビューの続きは「かつくら2017年秋号」でお楽しみ下さい。
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