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レビュー

恋ではなく、愛を描いた物語 『君を描けば噓になる』

 あぁ、そういうことだったのか!
 物語の終盤、本書『君を描けば噓になる』の登場人物のある事実が明らかになった時、道の果てに虹を見つけたような気がした。
 本書は、二〇一〇年『蒼空あおぞら時雨』(第16回電撃小説大賞選考委員奨励賞を受賞した『夏恋なつこい時雨』を改題したもの)でデビューした、綾崎隼あやさきしゅんさんの新刊である。本書の真ん中にいるのは、二人の「天才」なのだが、物語はまず、その「天才」と出会った一人の美術教師の視点——「第一部 関根実嘉の貴くも残酷な終生」——から幕を開ける。
 北海道の夕張に生まれ、こと絵に関しては道内で「神童」だった関根実嘉せきねみかは、日本でトップレベルの国立芸術大学に進学するものの、入学後二週間で、自分が「凡庸な秀才」でしかなかったことを自覚する。それでも、失意を上回る情熱で、実嘉は芸術の世界で生きることを覚悟する。在学中に取得していた教員免許を生かし、卒業後は私立高校の美術教師を経て、二十九歳の時、個人の美術教室「アトリエ関根」を開く。 
 そのアトリエにやって来たのが、小学一年生になる瀧本灯子たきもととうこだった。かつては画家を志望していた両親は、灯子の才能にいち早く気づき、灯子の人生をサポートすることに情熱を注いでいた。実嘉もまた、暇つぶしで灯子が描いた絵に驚愕し、灯子がアトリエに入会するのを認める。
 灯子は絵を描くことしかできなかった。学校にもほとんど通っておらず、年相応の社会性も身についていなかった。それどころか、絵を描いている時に他人の声が入ると駄目、絵に意見されるだけで泣きわめく、他人の手がカンヴァスに触れると、カンヴァスを破壊するまで暴れる、という超問題児。けれど、そんな灯子を実嘉は正しく理解する。灯子の母親が病に倒れてはかなくなった後は、実嘉は灯子の精神的な母親のような存在になっていく。
 灯子がアトリエに通うようになった二年後、美嘉は南條遥都なんじょうはるとこずえの兄妹と出会う。その時は、妹、梢の入会に付いて来た遥都だったが、さらに二年後、遥都自身もアトリエに入会することに。この遥都が、実嘉が出会ったもう一人の天才だった——。
 物語はこの後、「第二部 南條梢の曖昧で凡庸な恋物語」、「第三部 高垣恵介たかがきけいすけの不合理で不名誉な冒険」と続き(高垣恵介とは、灯子や遥都と同時期にアトリエに通っていた少年)、それぞれの視点から、灯子と遥都が描かれていくのだが、圧巻なのは、「第四部 ある恋のない愛の物語」だ。この第四部で、それまでクールで謎めいた遥都の、どこか陰のある言動が、全てはたった一つの目的のためだったことが明らかになるのだ。遥都、なんて不器用な、なんて愚直な、そしてなんて愛おしい! 
 本書を読んで思い出したのは、ジル・ゴッドミロー監督の映画「月の出をまって」だった。作家、ガートルード・スタインと彼女の秘書アリスの愛を描いた作品なのだが、私の記憶に焼き付いているのは、アリスと、当時のピカソの愛人オリヴィエの会話のシーンだ。三十年近く前に観た映画なので、正確ではないかも知れないが、アリスがオリヴィエに「天才はどう?〈How about the genius?〉」と尋ねた時、オリヴィエはこう答えるのだ。「Life goes on.」(その後で、今度はオリヴィエが「あなたの天才はどう?〈How about your genius?〉」と尋ねて、アリスはオリヴィエと同じ答えを返す)
 天才はいつだって孤高で孤独だ。けれど、灯子には、師であり、良き庇護者ひごしゃである実嘉や、同じ世界に身を置き、灯子を誰よりも理解する遥都や、癖の強い灯子に根気よく付き合う梢がいる。だからこそ、物語の終盤に起こった、悲劇的なあることを乗り越えて、灯子は再び灯子らしく生きていく。
 本書は、恋愛小説ではなく、愛の小説だ。深い深い、愛の物語だ。美しい虹のように、その愛は、読後も読み手の胸に残り続ける。


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