高額の料金をいただく代わりに、女性が男性に求める性的なサービスに可能な限り応じる。それがリョウが経営する「ル・クラブ・パッション」の方針である。むろんそれは売春であり、非合法だ。だが、リョウはこの仕事に誇りを持っている。なぜなら、彼ら娼夫を求める女性たちをその眼で見てきたからだ。
『爽年』は、『娼年』『逝年』に続き、娼夫リョウの生活と意見を描く長篇小説である。冒頭で「七年間を超える男娼生活」とあるから、『娼年』のときに二十歳だったリョウは二七歳になっている計算だ。
『娼年』では、リョウは世の中すべてに対して退屈だと感じている、どこにでもいそうな大学生として登場した。だが、御堂静香という一人の女性と出会ったことで娼夫としての生活が始まる。『娼年』はリョウが客の女性たちと言葉と身体で交流することで、性の大海へと漕ぎ出していく姿を描いていた。続く『逝年』では静香がエイズに侵されるという悲劇が描かれ、性と背中合わせにある死というモティーフが正面から描かれる。そして三部作のトリを飾るこの『爽年』では、大切な人の死という嵐を乗り越え、あらためて性という海の広さに眼を向けるリョウの姿が描かれている。
リョウはこの七年間で男性としても人間としても成熟し、性をベースに広い視野でこの社会を見ることができるようになっている。まず冒頭、リョウはこの物語の前提を簡潔な言葉で表している。「この国に住む人たちの不幸の半分は、充たされない性から生まれている」。そして、これから語られるのは「現代の性と『性の不可能性』を巡る現場からの報告」なのだと。
リョウは「ル・クラブ・パッション」を経営するかたわら、ナンバーワン娼夫として週に六日は一晩に一人というルールで客を取っていた。そして、この時代を象徴する「性の不可能性」を抱えた女性たちを受け止めていく。たとえば、「上半身はこちらに突きだすようなのに、下半身は逃げて腰が引かれている」四十代前半の女性、あるいは父と弟に暴力を振るわれ男性に触れることができなくなった女性、性の欲求がまったくない無性愛者(アセクシャル)の女性、意外な場所に性感帯がある女性……。彼女らはそれぞれ安くはないお金を払いリョウから奉仕を受ける。そして実生活で充たされていない性の渇きを癒やす。それは本来、パートナーとの間で行うべきものなのだろう。しかし、そうできない事情が女性一人ひとりにあるのである。そこでリョウは彼女たちの欲望を受け止め、解放させる存在となる。そして、同時に彼女たちを通して性についての知見を深め、性の哲学的考察へと歩みを進めるのだ。
小説のなかでリョウは性について噛んで含めるように読者に対してその知見を与えてくれる。それはあたかも、読者に性生活の充実の素晴らしさを伝道しているようでもある。リョウは性という大海を旅する航海者であるだけでなく、その航海日誌に自分が得た知見を書き綴る意欲と知性のある人間なのだ。であるならば、読者もまた、この小説によって得た知識を使うことで、自分自身の旅に出るべきなのだろう。
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『楽園』
花房 観音
(中公文庫)
『爽年』が男性が書いた娼夫の物語であるのに対し、こちらは女性が書いた、身体を売る女性たちの物語。京都の花街だった「楽園」に建つアパートに住む女性たちの性を描く。男にとっての楽園は女にとって地獄なのか。性についての既成概念を揺さぶられる。