【カドブンレビュー】
彩瀬まるの小説『不在』は、すでに自立していると思いこんでいた女性が、親離れできていなかった自分と向き合い、もがく物語だ。
錦野明日香はいま確実に読者を増やしつつある人気少女漫画家。そんな彼女の元に、20年以上も会っていなかった父親が孤独死したという知らせが入る。父親は祖父が開業した病院を継ぐ2代目。しかし、母に何度となく暴力をふるい、明日香が小学校低学年の時に離婚。それから明日香と兄の二人は、母ひとりの手で育てられた。
父はお城のように立派な邸宅を明日香に譲るという遺言を遺して逝った。
なぜ、愛されていたはずの優秀な兄ではなく、できそこないだった自分に家を遺したのか。
広大な洋館を片づけていく中で、明日香は自らの奥底に眠っていた記憶と感情、そして父の本当の姿を見つけていくことになる。
目を引くのが、物語に登場する数々の印象的な小道具たち。少女漫画の美しい一コマのように、読者の脳裏にくっきりと焼きつけられる。
幼い頃、父親と二人連れだってラーメン屋さんに入った思い出のシーン。彼女がむさぼり読んだ“煮しめたように茶色くなった漫画本”は、読者の想像するビジュアル全体をセピア色に染め、郷愁を誘う。
年下の恋人、冬馬の“肩甲骨のふくらみと背筋のくぼみが作る薄い影”。明日香が美しい冬馬をどのような気持ちで愛で、庇護しているのかが伝わってくる。
ヒモのような形で同居することになった冬馬が作った“焼き肉のタレがびしゃびしゃと使われている”肉野菜炒め。美しいばかりでない現実の生活と明日香のいらだちを引き立てる見事なスパイスになっている。
逆に劇中劇とも言える明日香の描く漫画は、具体的な描写をなるべく省き、魅力的な設定だけが提示される。明日香のデビュー作「ひとり荒野で踊るなら」の設定はこうだ。
幼い頃から周囲に同一視されて育った双子(恐らく一卵性双生児)のバレエダンサー、フィンとオルカ。
しかし、フィンだけが高名なバレエダンサー・アステルに才能を見いだされ、オルカは切り捨てられた。それから二人は全く違う人生を歩んでゆくことになる。フィンは一気にスターへと持ち上げられていく不安を、オルカは憎しみを抱えながら。二人の中に共通する思いは、本当に、二人に違いはあったのか?という問いだ。
読者は物語の細部を想像せずにはいられない。二人を分けたのは本当に才能なのか? 恋愛がらみだったのか? アステルとフィンは恋愛関係に発展するのか? オルカの憎しみはどんな事件を巻き起こすのか? そしてこの物語の結末は?!
自らの体験を物語に昇華させる明日香。
「ひとり荒野で踊るなら」は、家族の愛情と期待を一身に受けていた明日香の兄と、明日香自身の関係と対になっていて、この小説に奥行きを与えてくれる。
物語に登場する印象的な小道具の数々と劇中劇を楽しみながら、明日香が親の呪縛とどのような決着をつけるのかを追体験して欲しい。