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試し読み

“異端児”と呼ばれた若い学者は、仲間を集めて冒険隊を組んだ。【深緑野分『空想の海』より「空へ昇る」試し読み#5】

大地から小さな土塊が天へ昇ってゆく〈土塊昇天現象〉とは、いったい何なのか――。

深緑野分の作家デビュー10周年記念作品『空想の海』。
本書は、著者がこれまでに発表した短編や掌編に、書き下ろしや未発表作品を収録した全11編からなる作品集です。
刊行を記念して、百合ミステリ、幻想ホラー、児童文学など、あらゆるジャンルの収録作品の中から、奇想が楽しいSF短編「空へ昇る」を全文公開。
「空へ昇る」を読んで他の作品が気になった方は、“読む楽しさ”がぎゅっと詰まったカラフルな作品集『空想の海』を手に取って、別の世界もお楽しみください。

深緑野分特設サイト https://kadobun.jp/special/fukamidori-nowaki/



作品集『空想の海』より「空へ昇る」試し読み#5

 土塊にかかるエネルギーはちゆう力と呼ばれるようになり、今まで教界が決めていたような、天が土を吸い上げているとするてんちゆう力ではなく、星の力で持ち上げられ、上へ昇っているのだという仮説が、大きく支持された。星の中心には想像を絶するほど高温の火が燃えていて、そのエネルギーが穴を穿ち、土塊を押し上げているという。しかし、なぜ空へ出た後で、訓練された兵士のように列を組み土塊輪を形成するのかの問いについては、「神のお導き」としか答えられなかった。
 また時が経ち、天を制することのないまま革命が起き、王がたおされ、民衆が自分たちの国を作りあげ、新しい国があちこちで生まれた頃、歴代の学者たちの中で最も若く、最も異端な者が現れた。
〝異端児〟は他の学者が棚上げした穴の深さにこだわり、およそ一万三千路の数字を、正しいと考えた。これを実証するために、自国の中でも最も緯度経度が明確な穴──すなわち古く有名な塔のすぐ根元、白っぽい砂の土に穿たれた穴に赤い旗を立てた。そしてぶつぶつ呟きながら星球儀をくるりと回すと、ある一点を指でこつんと突き、仲間を集めて冒険隊を組んだ。
 冒険隊は先頭に立つ〝異端児〟に忠実だった。ごうじゆうとガイドを連れて星の裏側、故郷と正反対の位置にある国へ旅立ち、荒波を行き、もうじゆうが潜む森を抜け、水分を蒸発させながら乾いた砂漠を越え、窒息しそうなほど降りしきる激しい雪の中を進んだ。体重は減り、眼光鋭く、手足の筋肉ばかりが発達した冒険家たちはついに、目指した地にたどり着いた。
 けて落ちくぼんだ目をぎょろつかせ、〝異端児〟は羅針円を片手に、黄ばんだ荒れ地を探した。果たして、そこに穴はあった。自国の塔とちょうど対称の位置、星の裏側に、穴が開いていたのだ。
 その後も何度となく冒険隊を組み、〝異端児〟は穴の位置を確かめ続けた。穴は一点ではない、星を貫いて、二点開いている。数字は正しかった。土塊昇天現象はまるで球体をくししにするような現象だったのだ。
〝異端児〟は張り切って論文を書いた。伸ばしっぱなしの赤茶色の髪やひげにたかったはいじらみをかまいもせず、帰国するなり書きまくった。何日かけてもどれだけ夜を徹しても苦しくはなかった。けれども正確な検証データを付して完成した論文は「こんなものたまたまだ、都合の良い計測結果だけでできている」とちようしようされ、ろくに相手にもされず、消えることになった。
「碧海はどうするんだ」
 幼い頃から共に学びいつも一番の味方だった親友はそう言って、〝異端児〟の肩を叩いた。
「お前は碧海を忘れている。陸地ばかりを計測するな。反対位置に碧海のある穴はどうなってる? もし本当に穴が星を貫いているのなら、なぜ海水が出てこない? それに地層学も考慮しろ。この星は土だけでできてるんじゃないんだ」
 親友は正しかった。星は陸よりも碧海の面積が広く、穴の位置を計測するならば考慮しなければならないが、〝異端児〟はそれを避けていた。そして近年誕生したばかりの地層学によれば、この星の地中はさまざまな質の土や泥、石が層となっているもので、土塊昇天現象が吐き出すようなただの土塊は、ほんの数路分、星の表層にしか存在しないという。それは実測され、実際に採掘することで明らかになった本当の事実だった。
 もはや土塊昇天現象についてまともに研究すること自体が常軌を逸していた。いったいこれは何なのだ? 〝異端児〟はまんいんに照らされてかすかに光る土塊輪、百年前よりもやや太くなっているつちくれの列をにらんで呟いた。
「星よ、あなたはなぜ人にこれを見せるのだ。正体を明かさないのに、闇雲に驚かせるのはやめてほしい」
 星塊哲学者たちが何度となく問う命題を、〝異端児〟は馬鹿馬鹿しいと思ってきたが、この時ほど自分が〝最後〟であったらと願ったことはなかった。もう驚きたくない。好奇心は毒だ。
〝異端児〟は酒におぼれ、博打ばくちまり、家賃を迫る大家から逃げ回った。臓器を病んだが気にもせず、千鳥足で街を歩き回り、開きっぱなしになった穴を見つけるとつばを吐きかけた。唾は穴の闇に消え、浮かびはしなかった。
 その時〝異端児〟は気づいた──これまで穴がふさがったことがあっただろうか? いつも土塊が出てくることばかりに注目して、穴を塞いで埋める行為についてはまるで考えていなかった。穴は埋まらない。誰もが知っている。なぜなら穴が深すぎて、ちょっとやそっと穴に土を入れたところでいっぱいにはならないのだ──本当にそうだろうか?
 翌朝から〝異端児〟はあらゆることをめた。酒やばくを止めただけでなく、土塊昇天現象についての論文もすべて処分してしまった。研究書をまとめ、すっかり空になった部屋を出ると、〝異端児〟は二束三文で本を売り、家賃を払って新しい本を買った。本は土塊昇天現象ではない純粋な物理学の本だった。そしてペンを取ると、ノートにこう記した。
「私が生きているうちに真実にたどり着くことはないだろう。私は謎の答えを知らずに死ぬ。とても残念だ。だが覚悟は決まった」

(つづく)

作品紹介

短編「空へ昇る」が収録されているのはコチラ!
1、深緑野分作家デビュー10周年記念短編集『空想の海』(KADOKAWA)
2、宇宙をテーマにしたアンソロジー『短編宇宙』(集英社文庫)



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