死者21名、重軽傷者17名。ショッピングモールの日常は地獄絵図と化した。呉勝浩「スワン」#5
呉勝浩「スワン」

AM10:40
「本日も盛況なり」
小田嶋が肩をすくめ、やれやれといったふうに
「この調子じゃ、今日は出動祭りになるかもですよ」
智丈のそばのデスクへ向かい、椅子をみしりと鳴らす。この後輩はラグビーでならした立派な
「そういえば、さっそく子どもが転んでたなあ」
「山路さんの前で?」
「うん。ぶつかりそうになってさ。危なかった」
「そりゃあヒヤッとしますね」
子どもの怪我より親の文句が面倒だ。「なんでよけないんだっ」と怒鳴られたり、「あんたのせいで転んだんだぞっ」と責められたり、後日クレームの電話をいれられたり。
「まあでも、カメラに残るだけここはマシですよ。年末に行かされた現場はひどかったですもん。屋外のイベントでカメラなし。
「揉めたの?」
「少しだけ」と、小田嶋が照れたように頭をかいた。「喫煙所でもないのに煙草吸ってたおっさんに注意したんです」
相手は家族連れの父親で四十代くらい。若い警備員に注意されたのが気にくわなかったのか、吸いかけの煙草を小田嶋の靴に投げつけてきたという。
「ムカついて、迫っちゃって」
「あ、それはまずいね。まずいよ。気持ちはわかるけど」
「ええ。反省はしてます。いちおう」
小田嶋がからりと笑い、智丈はやれやれと息を吐く。
警備員とはいうが、べつに特別な権限があるわけじゃない。ふつうのアルバイトに毛が生えた程度で、むしろよけいに気をつかう。
ゆえに基本スタンスは穏便路線一択だ。「注意」というより「お願い」。命令口調はぜったい避ける。わめき散らす不良少年をなだめるために、なぜかこちらが謝りたおす。周囲の客は冷たい視線を浴びせてくる。なんでぺこぺこしてるんだ? その制服はコスプレか? 情けない──。
そういう仕事なのだと、智丈は割りきっていた。割りきらなくちゃ心がもたない。心がへたると何もかもが嫌になる。嫌になると、いろんなものが壊れてしまう。壊すわけにはいかないから、やり過ごす。世の中とはそういうものだといい聞かせて。
「でもほんと、気をつけてね。客と喧嘩になって、いきおいで辞めちゃう子って多いから」
去年の夏にもひとり、もめ事を起こした後輩がいる。客にからまれ思わず手をだす──。ありがちにして最悪のケースだった。本人の意固地な性格から会社とも衝突し、結局、後味の悪い自主退職にいきついた。彼の教育係だった智丈も嫌味な上司にこってりとしぼられた。
「馬鹿といっしょにしないでくださいよ」小田嶋が苦笑で応じる。「ちゃんと我慢しますって。だってここ、天国ですもん。めったにないラッキー配置でしょ?」
その点は智丈も大いにうなずく。湖名川シティガーデン・スワンはまちがいなく良い現場だ。
いま、この詰め所には智丈を含め十人の警備員が勤めており、うち五人が巡回に出払っている。第二防災センターは主に本館を担当する部署だが、この広いフロアの、それも三階ぶんをたった五人でカバーするなんて物理的に不可能だ。十人全員でやったって似たようなものだろう。しかし店側は人件費をかけたくない。そこで導入されたのが最新式の防犯カメラシステムだった。
智丈が座るデスクには九つのモニターがビンゴカードのようにならんでいる。それぞれに行き交う人々の姿が映っている。動きは多少ぎこちないが昔に比べると格段にきれいなカラー映像だ。フロアの天井に設置された防犯カメラは、店舗を除く共有エリアのおよそ九十五パーセントをカバーしていて、それだけに数は膨大だった。モニターはそのなかのひとつをランダムに、ばんばん切り替えながら延々と映している。九つぜんぶに目を凝らし、真剣に異変を探そうとすれば気が変になるだろう。そもそも人間の能力を超えている。
代わりに働いてくれるのがAIだ。不審な挙動やトラブルを自動で察知し、アラーム音を鳴らす。それを主任クラスの人間が確認し、出動か否かを決める。たんなる過剰反応で問題なしの場合も多いが、効率の良さに疑いはない。このシステムのおかげでスワンの警備員は詰め所でのんびりできる。オープン時と閉店時に入り口や駐車場に立つのはほとんどポーズにすぎない。
恵まれている。ほかの現場の同僚からやっかまれるたびそう思う。
望んだ転職ではなかった。給料だって下がった。けれど丸五年ここに勤めるうちにすっかり腰が落ち着いた。もっかの悩みは家のローンと子どもたちの進学問題、そして運動不足である。
「あのおばあちゃん、今日もきてました?」
朝イチで駐車場の見回りをしていた小田嶋が、コーヒーをすすりながら
「ああ──」朝は別館とつながる連絡通路の入り口に陣取っていた智丈は、宙を見上げ記憶を探った。頭に、すたすた歩いてくる真っ青な服が浮かんだ。「──見かけたよ。けっこう良さそうなカーディガンを羽織ってたっけ」
「靴は」
「いつもどおり」
小田嶋がニヤリとする。もはや名物になっている「日曜日のおばあちゃん」だ。毎週昼前に現れ、まっすぐスカイラウンジへ向かう彼女はいつもめかし込んでおり、しかし靴だけは歩きやすそうな運動靴なのである。それがアンバランスで、小田嶋などは彼女を話題にするときちょっとからかうような口ぶりになる。
「金持ちも歳には勝てませんか」
「金持ちかはわかんないよ」
「スカイラウンジの女の子がいってましたよ。ムカつくって」
「なんで」
「わがままで偉そうなんですって」
ふうん、と智丈は返した。だからって金持ちとはかぎらない。それに君たちだって、いつまでも若くはないんだよ──そんなお説教はひかえる。ここは職場だ。できるだけ快適に、安楽に、お金をもらうための場所。それ以上でもそれ以下でもない。説教するおっさんの無力さは、とっくに思い知っている。
ぴーん、とアラームが鳴った。
中央のモニターの左上に、注意を促す赤い丸印が点灯する。智丈はそれを見て、おや、と身を乗りだした。どうせまた転んだ子どもにでも反応したのだろうと思ったが、どうやらちがう。
来場者であふれる通路の真ん中で、女性がひとり、おろおろと周囲を見まわしていた。