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レビュー

【解説】春夏秋冬の物語であると同時に、人生の季節の物語――『五つの季節に探偵は』逸木裕【文庫巻末解説:門井慶喜】

逸木 裕『五つの季節に探偵は』(角川文庫)の巻末に収録された「解説」を特別公開!



逸木 裕『五つの季節に探偵は』文庫巻末解説

解説
かど よしのぶ(作家)  

 本文の前に、タイトルと目次に仕掛けがある。タイトルが『五つの季節に探偵は』で、目次が、

イミテーション・ガールズ──2002年春
龍の残り香──2007年夏
解錠の音が──2009年秋
スケーターズ・ワルツ──2012年冬
ゴーストの雫──2018年春

 と来れば、読者はまず「季節」とは春夏秋冬なのだなと思う。ひとめぐりして春に戻る。ところが本文を読んでみると、それと同様の、いや、それより大きな意味を持つかもしれないのが西暦の年代のほうだとわかる。
「2002年」から「2018年」まで、じつに十六年もの開きがあるのだ。その上、主人公のさかきばらみどりは、話がひとつ進むたび新しい環境のなかにいる。第一話では高校二年生だったものが、大学生になり、父の経営する調査会社の社員となり、かるざわで休暇を取ることになり、そうして最後の第五話では子供を生んで、同社の〈女性探偵課〉課長という責任ある地位に就いているのだ。
 名前ももりみどりに変わっているのは、たぶん結婚したのだろう。すなわち全編をつらぬくのは一人の女性の成長、成熟、そうしてその過程において避けられぬかつとうの時間にほかならなかった。そう、『五つの季節に探偵は』は春夏秋冬の物語であると同時に、人生の季節の物語なのである。
 みどりは、平凡な人間だった。冒頭での本人の評価はこうだ。

 わたしの人生は〈常温の水道水〉という感じだ。運動も勉強もそれなりに好きで、それなりに得意。好奇心もあるほうだし、友達もそこそこいて、家族関係も良好。(中略)口当たりがよく、温度もちょうどよく、それなりにミネラルも入っていて、まあまあ美味おいしい水道水。

 こんな「それなり」「そこそこ」「まあまあ」のみどりに、ちょっとした転機が訪れる。高校のクラスの友達に頼まれて、きよ先生の校外での行動へ探りを入れることになったのだ。
 清田先生は、英語担当の男性教師である。若くて明るくて理知的で、女子のあいだで人気があるのだが、みどりが尾行してみると、風俗街に足を踏み入れ、たったひとりで一軒のラブホテルに入って行った。
 ひとりで、ということは、部屋で風俗嬢と待ち合わせているのかなどと思いつつ、その様子をいちおう「去年買ってもらった」「お気に入りの」デジカメで撮影したら、地元のゴロツキらしい屈強の男にとがめられた。
 男にすれば、みどりのほうが怪しい者なのである。みどりは恐怖で頭が真っ白になりながらも、口のほうが勝手に動いて噓をつき、誠心誠意の謝罪の意を見せて事なきを得た。
 このときみどりは、こう思うのである。

 知らなかった。わたしは、こういうことができたんだ──。

 男に対するとつの弁解もそうだけれど、そもそもここまで尾行して清田先生に気づかれなかったことも含めて、自分で自分に驚いたのである。
 つまりは探偵の能力である。みどりはこの能力でもって学校の事件を解決し、第二話、第三話と、新たな事件に立ち向かう。それは精神の充実をもたらしもしたが、しかし同時に、みどりをる厄介なものに直面させることにもなった。
 その厄介なものは、自分のなかに存在した。ここでは本文未読の読者のため、ややあいまいに「或る心理的な性質」とでもしておきたいが、その性質はまぎれもなく探偵の能力のきわめて重要な一部でありながら、しかし事件を一歩離れれば誰かを深く傷つけるような、暗い快感に属するような何かだった。
 かつての〈常温の水道水〉は、気がつけば特効薬にも猛毒にもなっていたのである。本書の読者はこういう主人公の内面を気にしつつ、ミステリらしい謎と謎ときのストーリーを追うわけだが、そのさい主人公が出会う事件は、どちらかと言うと文化的な方面のそれが多い。
 ときには香木をいて匂いをでる香道の師範の話であったり、ときにはドイツのクラシック音楽界で苦闘する指揮者の話であったりする。逆にいえば本書には血まみれの全裸死体だの、半径何十メートルを吹っ飛ばす手製爆弾だのいう壮絶なものは出て来ないので、これは本書の性格によくかなっている。あんまり情況を派手にするとどうしても扱う心理が、正義感とか、高いきようとか、ふくしゆう心とかの刺激性の強いものになりがちで、それはそれで一興だとしても、ここでの主題は、くりかえすが人生の季節なのである。
 人生の時間のたていとと、目の前の事件のよこいととで織り出される美しい何か。年齢を重ねるにつれ対人関係や人間観察がじっくり深みを増していく、その過程をも味わおうとする小説の世界には、過度の刺激、過度の衝撃はなじみにくいと作者は判断したのではないか。そうして作者にはもうひとつ、めんひとを驚かすような描写がなくても読者にスリルを味わわせられるという技術的な自信もあるにちがいなく、その自信が客観的に見て正しいことは、第四話「スケーターズ・ワルツ」が二〇二二年度の日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞したことでも明らかだろう。確かな推理とどんでん返しの妙を求める読者の期待にも、本書はしっかりこたえているのである。
 さて、みどりは最後にどうなるのか。ここでそれを打ち明けるのは野暮のきわみだが、ほんのちょっぴり、あの「お気に入りの」デジカメの存在にだけは触れておきたい。
 高校生のときには最新機種だっただろう、そうして十六年後には機能面では使いものにならないであろうこの小さな光学機器がどんな景色を写しているか。それを知るとき、私たち読者も、たぶん少し大人になっている。

作品紹介



書 名: 五つの季節に探偵は
著 者: 逸木 裕
発売日:2024年08月23日

第75回日本推理作家協会賞〈短編部門〉受賞! 精緻でビターな連作短編集
私立探偵として活動するみどり。“人の本性を暴かずにはいられない”彼女は、いくつもの事件と対峙する――。第75回日本推理作家協会賞〈短編部門〉受賞! 精緻でビターなミステリ連作短編集。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322402000634/
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