染井為人『黒い糸』(角川文庫)の刊行を記念して、巻末に収録された「解説」を特別公開!
染井為人『黒い糸』文庫巻末解説
解説
生活保護の不正受給ビジネスに着目した第三七回横溝正史ミステリ大賞優秀賞受賞の『悪い夏』(二〇一七年)、YouTuberによる悪徳請求業者への
二〇二三年八月に単行本が刊行され、このたび文庫化された本書『黒い糸』も、ノワール群像劇と呼ぶことができるだろう。ただ、他の作品とは何かが違う。単行本刊行時、著者はインタビューで本作の誕生秘話を明かしている。
〈この物語を書いた最初のきっかけとしては、僕の出身である「横溝正史ミステリ大賞」が「日本ホラー小説大賞」と合併して、「横溝正史ミステリ&ホラー大賞」になったことで、この賞に自分が応募するんだったら何を書くだろう、自分なりに書いてみようかなというのが発端ですね。(中略)僕がお化けとかゾンビを書いても絶対面白くないと思うし(笑)。でもこういう理解不能な人がいちばん怖いかな。やっぱり僕はお化けより人が怖い。〉(「カドブン」掲載)
著者がこれまでも採用してきたミステリ(ノワール群像劇)の形態はそのままに、ホラーの要素を自覚的に取り入れたのが、本作なのだ。
物語にまず登場する主人公=視点人物は、結婚相談所のアドバイザーとして働く
冒頭のシーンが素晴らしい。母親の
亜紀が千葉県・
染井流ノワール群像劇の特色は、運命が下降線の一途を辿る主人公に対して、少なからず自業自得の面もあると読者に感じさせる点にある。自業自得のスパイスがかかっているからこそ、彼や彼女を今の状況から救い出してあげて欲しいと思いながらも、こうなるのはしょうがないよねとも思うのだ。しかし、さすがにこれはもう自業自得とは呼べない……という災害級の事態が
一方で、もうひとりの主人公=視点人物となる小学校教諭の
物語は亜紀と祐介、ふたりの視点をスイッチしながら進んでいく。担任と児童の保護者という関係上、ふたりは早い段階で顔を合わせることとなるが、ふたりの運命が真に交錯するのは最終盤だ。その時、何が起こるのか。序盤から最終盤まで積み上げられてきた幾つもの「予感」がそこに至り、最悪のかたちで実現するとだけ記しておきたい。
ここでもう一度、最初の問いに戻りたい。本作は、他の作品とは何かが違う。それはホラーという要素の導入であると考えたのだが、恐怖や不安という感情であれば、染井は作中で常に取り入れてきたものだ。ならば本作独自の、他にはないホラーの要素とは何か。
ことわざをひとつ紹介したい。「盗人にも三分の理」。罪を犯してしまう人、やってはいけないことをやってしまう人にも、そうせざるを得ない理由があるという意味だ。三分は三〇%の意味であるから、心情的にもう少し割合を下げて、一分。つまり──一分の理。全く共感しないけれども、時と場合によって人間は、そんなふうに心を動かしてしまうことがあるのかもしれない。染井流ノワール群像劇は、加害者がそう行動せざるを得なかったこと、あるいは被害者が悲劇に飲み込まれざるを得なかった「一分の理」を、さまざまな登場人物のさまざまなシチュエーションを通して描き出してきた。ミステリ評論家の
〈また著者の小説では、どうしようもない悪党が登場することはあっても、彼らが絶対悪として描かれるとは限らないし、善人の中に潜む悪が描かれる場合もある〉。
悪党の中の善、善人の中の悪の部分を、「一分の理」と言い換えることは、さほど無理筋ではないだろう。作品を通して「一分の理」の想像力に触れ、現実でそれを他者に/自己に向けることには、人生において少なくない意義が宿るだろう。
では、本作はどうか。一連の事件の真犯人には「一分の理」すらもない。これこそが、本作における最大のホラー要素なのではないか。そして、このような人間は、現実において確率的に存在する。そうした想像力を手に入れておくことも、他の作品とはまた違う種類の、現実をサバイブしていくためのワクチンとなるように思うのだ。
作品紹介
書 名: 黒い糸
著 者:染井為人
発売日:2025年08月25日
25万部突破&映画化『悪い夏』の著者が放つ、戦慄ダークサスペンス!
結婚アドバイザーを務めるシングルマザーの亜紀は、
クレーマー会員とトラブルを起こして以来、悪質な嫌がらせに苦しんでいた。
息子が通う小学校ではクラスメイトが誘拐される。
担任の祐介は対応に追われる中、
クラスの秀才・莉世から推理を聞かされる――「あの女ならやりかねない」。
その後莉世も何者かに襲われ意識不明に。
亜紀と祐介を追い詰める異常犯罪の数々。
街に潜む“化け物”は一体誰なのか?
『悪い夏』の鬼才が現代社会の不条理とタブーに真っ向から挑む、戦慄ダークサスペンス。
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