上田秀人『継ぐ者』(角川文庫)の刊行を記念して、巻末に収録された「解説」を特別公開!
上田秀人『継ぐ者』文庫巻末解説
解説
どれだけ歳月を経ても、読み継がれる作家がいる。おそらく
しかし書店の棚を見ていると、その死後も作者の著書が当たり前のように並んでいる。「小説 野性時代」二〇二一年二月号から翌二二年四月号にかけて断続的に連載され、同年十二月にKADOKAWAから単行本で刊行された本書『継ぐ者』も、このように文庫化された。悲しいことだが、亡くなって新刊が出なくなった途端に、読まれなくなる作家もいる。しかし作者は違う。現在の書店の状況を見ると、これからも上田作品が読まれていくことが確信できるのである。
他にも作者の思い出など、書きたいことはたくさんあるのだが、きりがないので本書の内容に踏み込んでいこう。上田秀人の諸作を貫くテーマに“継承”がある。自分の血や身分を受け継いでほしいという願い。歴史や文化を受け継いでほしいという想い。これを戦国小説の武将や、時代小説の武士を通じて描き出しているのだ。ちなみに作者の著書が百冊を突破したとき、各社協賛による「100冊突破! 上田秀人全作品ブックガイド」という小冊子が作られたことがある。そこに作者のインタビューが掲載されている。私が聞き手だったのだが、「継承をよくテーマにしていますね」という質問に、
「継承というのは日本人が本気で考えないといけないところに差しかかってきていると思います。職人の方がいなくなっているとか、親の仕事を継がないのも当たり前になっている。もっとも僕も親の仕事を継いでないですから、言えた義理ではありませんが(笑)。自分なりに考えた継承を軸に書いていきたい。どこかで変わるかもしれませんが、しばらく僕のテーマはこれでいきたいと思っています」
といっている。作品ごとに題材の違いはあるが、作者のテーマの軸に継承があったことは間違いない。“どこかで変わるかもしれません”といいながら、最後まで継承というテーマは貫かれたのだ。
物語は、
というのが築山殿一件の通説である。ただし、一連の騒動には幾つもの疑問点があり、
桶狭間の戦いにより、東海の雄である
ここから、家康と築山殿と呼ぶことにする。ふたりの間に生まれた嫡男の松平信康は、今川の血を引いているため、徳川家の中では微妙な立場だ。家康が独立したとき、今川家に母親と一緒にいた幼い信康は、周囲から裏切り者の子として見られ、父親への複雑な思いもある。それでも家康は腹心の
現在では一生懸命の方が多く使われるが、この四字熟語は元は“一所懸命”と書く。一所とは、自分の土地のこと。昔から武士は、己の所領を得たり、守るために、命懸けで戦ってきた。これが連綿と続いたからこそ、今でも日本人は土地に強いこだわりを持つのであろう。
さらに所領を守るのは、自分の血を受け継いだ子孫に継承してもらいたいからである。言葉遊びになるが“地”と“血”が分かちがたく結びつき、継承されることで、歴史が紡がれていくのだ。
だが、地と血がズレていく場合もある。本書を読めば理解できるだろう。必死で三河を取り戻し、さらに領地を拡大しようとする家康。今川の血を引く信康(ついでにいえば信康と五徳の子は今川と織田の血を引くことになる)に複雑な思いを抱えながら、初陣の相手に気をつかうなど、跡取りとして扱っていた。しかし信康には、父親の気持ちが伝わらない。武将としては感心できない、武勇の示し方をしてしまう。本書の中に、
「天下に手が届きかけている義父、隣国さえ従えられない実父。どちらに信康が憧 憬 を抱くかなど確認するまでもなかった」
という一文がある。たしかにこの当時の信長は巨大だ。それが自分の義父ともなれば、魅了される気持ちはよく分かる。家康の息子への接し方にも問題があるが、もう少し信康も、時代の中で
しかも最後で家康が行き着いた継承失敗の根本は、仕事が忙しくて家庭を
痛快な時代エンターテインメントだけでなく、本書のような優れた歴史小説を、作者は何冊も残してくれた。大きなテーマである“継承”は、上田作品を読み継ぐ者がいる限り、受け継がれていくことだろう。あらためていうが作者と作品は、そのような存在であるのだ。
作品紹介
書 名:継ぐ者
著 者:上田秀人
発売日:2025年11月25日
上田秀人の渾身の大作が、ついに文庫化!
織田信長が今川義元を討ち取った桶狭間の合戦の後、松平元康は今川家からの独立を決意する。家康と改名し、人質になっていた妻の瀬名と嫡男竹千代(のちの信康)を今川家から取り戻した彼は、息子を信長の娘と結婚させて織田家と同盟を結ぶ。そして家康は、遂に遠江の攻略を開始する。だが、今川の血を引く妻と、義父信長に憧憬を抱く息子は、家康の思いとは次第に離れていく……。著者渾身の傑作歴史長篇。解説・細谷正充
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322507000525/
amazonページはこちら
電子書籍ストアBOOK☆WALKERページはこちら














