取材・文:阿部花恵 写真:冨永智子
※「ダ・ヴィンチ」2025年9月号より転載
『ギプス』片島麦子インタビュー
忘れてしまいたいのに、もう何年も会っていないのに、ふとした瞬間に思い浮かべてしまう。『ギプス』の主人公・
「女性同士の友情を書かなければと思いつつ、これまではずっと避けてきました。大人の女性同士の友情を作品に出したことはありますが、学生時代を絡めたものまではまだ描いていなかった。それに10代の私は、家族とも友達ともあまりうまくいっていない不機嫌な子どもだったので、そんな自分の感覚が伝わるだろうかという心配もありました」
だが、少女期の感覚を共有できる編集者と出会ったことで、避けてきたテーマに挑むことを決める。
「『未知生さん』を読んで依頼してくれた編集者との最初の打ち合わせで、彼女とならこの感覚を分かり合えると思えたんですね。私は作品テーマと編集者にも相性があると思っているので、このタイミングで挑戦してみよう、と」
親友になりそこねた二人と、
傷を負ったその後の人生
契約社員の間宮朔子が勤めるブックカフェに、痛々しいギプス姿で騒ぎ立てる見知らぬ女性が突然現れた。かつて朔子のクラスメイトだった葛原あさひの姉と名乗る彼女は、「あさひがいなくなった。親友のあなたなら行方を知らない?」と朔子を問い詰める。もう友達ではないから知らないと拒む朔子だったが、半ば巻き込まれるようにあさひの行方を探すことになる。
「誰かが誰かの行方を追う話はミステリーなどでは定番ですが、やっぱり恋人や家族を追う、もしくは男性が女性を探すパターンが多いですよね。女性が女友達を追う、という話はあまりない。でも、少女の友情が中心にある本作でなら、その設定が活かせると思ったんです」
恋人や家族とは異なり、疎遠になった友達を追いかけなければならない必然性はない。だからこそ、大人になった朔子があさひを探す行動には、朔子なりの葛藤が色濃く滲む。「親友」という言葉を頑なに否定する朔子とあさひの間に、中学時代に何があったのか?
「13、14歳の頃の人間関係って、ものすごく不安定ですよね。クラスの中にヒエラルキーがあって、そこから弾かれると怖いし苦しい。グループから外れれば世界の終わりのように絶望する。ひとりが好きな子であっても、ずっとひとりでいるのは不安……。自分の過去を振り返ったときに、息苦しさや閉塞感のピークは小学生でも高校生でもなく、中学生のときでした。でも、あの頃の嫌だった自分をきちんと引っ張り出さないと読者に見透かされることはわかっていたので、そこはしんどくても向き合うしかありませんでしたね」
中学時代、何の取り柄もなかった朔子にとって、整った容姿と気さくな性格で人気のあさひは憧れの存在だった。だが、あることをきっかけに言葉を交わした二人は、互いを似たもの同士だと感じるようになる。
「朔子とあさひ、それぞれの名前に対になる月と太陽のイメージを持たせていますが、実は人としての根っこは共通している部分もあります。
二人とも、『自分はひとりでも大丈夫』と強がっている部分はよく似ていますが、朔子の強さのように見える部分は、自分は“ふつう”にも満たないという自己肯定感の低さから来るものだし、あさひの孤独の形はそれとはまた違う複雑な理由に由来するものです」
周囲からはそつなく生きているように見える中学生のあさひは、朔子の前だけでは「生きているだけで精いっぱいだよ」と本音を漏らす。だから、「物語なんて必要ない」と言い切るあさひに、「だったら逆に、物語が必要ってことにはならない?」と訊ね返す朔子。誰かと何かをシェアすることが苦手な二人は、それでも互いの心を重ねていくが、やがて二人の間に決定的な亀裂が入る出来事が起きる。
「学生時代は、話や価値観が合うとか一緒にいて楽しいとか、そういうふわっとした理由で友達になって、でもなんとなく離れてしまったりもしますよね。じゃあ友達の定義とは何か、どこからが親友かと聞かれると、私自身は正直いまだにわからないんです。だから、『私たちずっと親友だよね』というまっすぐな関係性は私には書けませんが、親友になりそこなってしまった人たちのことであれば書けると思えたんですね。だから、この小説は一緒に強く成長していく親友同士ではなく、親友になりそこねた結果、別々の場所でそれぞれに強くなっていくしかなかった二人の物語なんです」
10代のほんのいっとき、強く共鳴しあいながらも、同時に深い齟齬と誤解を抱えて離れてしまった朔子とあさひ。それぞれが負った傷が、彼女たちのその後にどのような影響を与えたのか。過去と現在を行き来しながら、その一部始終が少しずつ明かされていく。
親友という言葉が含む
いびつさも描き出す
本作の軸にあるのは少女時代の友情だが、だからといって女性同士の連帯を過剰にピュアなものとして美化しているわけではない。そのスタンスは、事情を抱えた女性たちの交流やコミュニティを描いた『銀杏アパート』『レースの村』などの過去作とも共通している。
「女性同士のコミュニティだからこそのよさというものは確実に存在するとは思いますが、私はそれを全肯定はできないんです。母と娘の関係性もそうだし、親友同士の友情も同じ。善きものであると同時に、やっぱりどこかいびつな部分も含んでいるよね、と懐疑的に見ている自分がいます。人と人が関係を結ぶときには、必ずそこにいびつさも生まれるはずなので」
作中では、朔子の勤務先の後輩である南野くんが、「親友」という言葉が孕むいびつさをズバッと言い表している。
〈自分がひとりにならないために自分を丸ごと差しだすっていうか、一種の担保っしょ〉
「どの作品を書くときも、ひとつの面だけでそのことを書かないという点は意識している部分かもしれません。どこかに余白というか、解釈の余地を残しておきたい。その姿勢がわかりやすく出たのが、前作の『未知生さん』です。あの作品は本人ではなく、未知生さんの周囲の人が彼について語る構成なので、本人像が浮かぶようで浮かばないと感じる読者が多いと思います。今回の『ギプス』はそういう書き方とは対照的に、朔子とあさひに寄り添って書いたので、そのぶん感情の誤魔化しも利きませんでした」
過去と現在、それぞれに“ギプスをした女”たちが物語を推し進めるが、タイトルの『ギプス』は最初期から決めていた。心のどこかをずっと固定していたギプスを外したとき、朔子とあさひの関係性はどう変わっていくのか。大人になった二人がようやく再会するラストシーンは、強く、まばゆく、清々しい。悩みを分かち合いながら、一緒に大人になることはできなかった。それでも、人と人は出会い直すことができる。きっと。
「もっと長いタイトルにする案も途中で出たのですが、やっぱり私の中ではギプスから動き始めている物語なので、最終的にはこのタイトルに落ち着きました。表紙のイラストを傘を差す女性にした意図も、最後までたどり着けば伝わるはずだと思っています。朔子にとってのあさひのような、大人になった今もずっと忘れられない誰かを思い出しながら読んでもらえたら」
プロフィール
片島麦子(かたしま・むぎこ)
1972年、広島県生まれ。2013年『中指の魔法』で作家デビュー。他の著書に『銀杏アパート』『想いであずかり処 にじや質店』『レースの村』『未知生さん』などがある。
作品紹介
書 名:ギプス
著 者:片島麦子
発売日:2025年08月04日
間宮朔子はすべてをあきらめている。
「若い女の子」の役割をまっとうするだけの職場、善良だが気が合わない実家の家族、なにより、なんの魅力もとりえもない自分のことを。
無難にやり過ごしていた日常に飛び込んできたのは、中学の同級生・あさひの姉を名乗る女性だった。
あさひがいなくなったので一緒に捜してほしいという。
親友だったはずの彼女とは、ずっと連絡をとっていない。
裏切られて、早く忘れてしまいたいのに、ふと思い浮かべてしまう存在――それがあさひだ。
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