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連載

育休刑事シリーズ 徒歩でカーチェイス vol.5

子育てした人にしか見えないものがある。 似鳥鶏『育休刑事』シリーズ最新短篇「徒歩でカーチェイス」短期集中連載最終回

育休刑事シリーズ 徒歩でカーチェイス

育児と仕事の両立に悩むすべての人へ。
2023年4月からドラマ放送も決定している『育休刑事』の最新短篇を短期集中連載!
全5話で短篇が丸ごと読める!

似鳥鶏『育休刑事』シリーズ
「徒歩でカーチェイス」最終回

       5

 警視庁の渋沢管理官は電話に出ず、君塚は留守録に用件を吹き込んだ後、もう一度かけ直してみた。赤ん坊が誘拐され、予断を許さない状況だというのに、課長が他都道府県警の事件に関われる時間は少なかった。簡単に「あとで」とは言い難い。
 それが奏功した。渋沢管理官は八コール目で出てくれた。君塚は用件を話し、隣の席にいる課長に目配せをする。「今、電話を代わります」
 君塚から携帯を受け取った課長は名乗るや否や、無沙汰の挨拶も省いていきなり言った。
「渋沢さん。事件の情報はすべて、きちんと伝えていただかないと困ります」
 運転手がちらりとこちらを見る。管理職同士がやりあうような口調なのに驚いたのだろうし、うちの課長が他人を責める調子になるのも異例だ。
「はい。島田乙葉ちゃんの件です。確認しますよ? あれ、事件の発生はいつです? 通報ではありません。発生です」渋沢管理官が答えたようだ。課長が頷く。「ですよね? 通報は四日前でも、発生は先月。一ヶ月以上経っているんですね?」
 君塚にとっても初耳だった。となると赤ん坊は、一ヶ月以上ずっと誘拐されたままだというのか。渋沢管理官の声が大きくなってきたため、電話口から断片的に単語が洩れ聞こえてくる。君塚は耳を澄ます。「家庭内のことだからと」「島田氏は通報するな、と」「母親が」。
 それだけで分かった。どうやら川松友也による島田乙葉ちゃん誘拐は一ヶ月以上前に発生していたが、主である島田社長が「家の恥」だからと通報を禁じていたらしい。加害・被害を問わず「警察沙汰」を「恥」ととらえる非合理的な人間は確かに存在する。警察がそれで困らされることもある。
 だが、と君塚は思う。課長の態度が分からなかった。発生が先月だったとして、それで赤ん坊の所在が一切分からないという状況が変わるのだろうか?
 しかし、課長は言った。
「発生が先月ということでしたら目撃証言があります。先月、うちの者……というかうちの夫が、不審な女性と当時十ヶ月ほどだった赤ちゃんを見た、と話していました。……はい。第七強行犯捜査四係の秋月春風巡査部長です」
 夫、という単語に君塚はわずかにどきりとする。普段「AI様」と呼ばれ、性別どころか人間味すら感じさせないうちの課長が「女」であることを意識させられた。県警初の女性捜査一課長にして同期の出世頭、秋月沙樹警視正。その夫についても聞いている。捜査一課で初めて、男性で育休を取ったという。君塚自身は「妻が妻だから、当然そうなるだろう」程度に思っていたが、現場の人間たちはたいそう困惑したと聞くし、そろそろ育休延長から復帰する春風巡査部長の処遇をどうするか、まだ決まっていないらしい。
 だが、その秋月春風巡査部長が先月「見た」とは、どういうことだろうか。
 だが課長は顔の角度を変えてしまい、以後は話が聞き取れなくなった。やりとりはしばらく続き、どうやら電話口で渋沢管理官が部下に何かを指示して確認させている様子もあったが、課長は溜め息を一つつき、通話を終える。「では、そのように。……失礼します」
 上司の電話に聞き耳をたてることは望ましくない。それにうちの課長は、君塚に説明すべきと判断すれば、自分から話してくれる。そう思って待っていると、果たして課長が口を開いた。
「……解決しそうです」
 いきなりそう言われるとは思っておらず、君塚は目を見開く。
「目撃証言がありました。うちの夫……第七強行犯捜査四係の秋月春風巡査部長が、不審な母子を目撃しています。……秋月巡査部長の」職務中に夫をどう呼ぶか迷ったのだろう。課長は一拍置いた。「話によれば、明らかに『自分の子供でない』上に『育児していることを隠している』様子の母親を尾行した、というのです。私も話を聞き、誘拐の可能性を疑いましたが、特に照会しませんでした。当時は、赤ちゃんの誘拐事件は一件も発生していないはずでしたから」
「……『当時』」
「私が自宅でその話を聞いたのは、一ヶ月前でしたから」課長は君塚に携帯を返し、背もたれに体重をあずける。「ですが、その時すでに事件は発生していたようですね。そうであるなら、秋月巡査部長が尾行した女が川松の共犯者で、ベビーカーの赤ちゃんが乙葉ちゃんである可能性が大きくなります」
 なるほど、課長が渋沢管理官に文句を言ったのも頷ける。誘拐の発生が先月だということを伏せられていたため、課長は夫から聞いた「不審な母子」の話を事件と結び付けることができなかったのだ。
 だが、これで。
 車が目的地に着く直前、君塚の電話が鳴った。渋沢管理官からだった。なぜか、あくまで直接やりとりをするつもりはないらしい。だが第一声からすぐに「報告だ。例の件だが」と言ってきた。
 ──川松は捕まらないが、共犯者とみられる女は特定できた。小日向萌香。現在二十一歳。川松の女の一人だろう。
 君塚は隣の課長を見た。だが車が警察署の駐車場に入り、君塚は通話しながら降りなければならない。
 ──秋月さんのおかげだ。事件発生日前後、通販でMとLサイズのおむつを同時に買った記録は数十件あったんだが、そのうち一件の購入者が、証言にあった中古のベビーカーを購入していた。時期も一致する。登録情報から住所が特定できたので、捜査員が向かった。
 一瞬、安心しかけた君塚は、渋沢管理官の話がまだ続くことに気付き、電話機を握り直した。だが、課長は先に行ってしまう。歩く速度の方も緩めてはならない。
 ──だが、住所に登録されたアパートはもぬけの殻だった。小日向萌香が住んでいた形跡はあったが、赤ん坊がいた形跡はなかった。誘拐時に隠れ家に移動したんだろう。目撃情報があったJR泉町駅付近は捜索しているが……。
 通る者が少ない警察署の廊下に課長と君塚の足音が響く。陽の当たらないコンクリート建築の冷たい感触が靴の裏から伝わってくる気がした。
 ──小日向の潜伏場所は分からないままだ。また秋月さんに知恵を借りるかもしれない。すまないが頼む。
「了解」
 君塚はそれだけ返し、渋沢管理官が通話を切るのを待った。共犯の女は判明して、おそらく赤ん坊もそこに……まだ生きているのなら、いるのだろう。だが今度は、その女の現在地が分からない。
 未解決。その言葉が胃の中で冷え、血液を粘つかせて君塚の歩みを遅くする。だが階段を上れば捜査本部である。君塚の課長は普段通りの速さでそこに向かっている。もうすでに、その事件のことだけを考えているだろう。こちらも切り替えなくてはならなかった。事件は無限で、警察官は有限だ。
 ……だが、この結果をどう課長に伝えたらいいのだろうか。

       6

「……じゃ、解決したの?」
「そう。ハルくんのおかげ」沙樹さんはスプーンで軟飯をすくい、パカッと開いた蓮くんの口に入れる。「渋沢さんが最初から『先月発生した事件』って言ってくれてたら、もっと早く小日向を逮捕して、赤ちゃんを保護できてたんだけど」
 ベビーチェアにこぼれた軟飯をティッシュでくるんで取る。「でも、ひょっとしたらもっと前に発生していた事件かもしれない、って何もヒントがないのに気付いたんでしょ。沙樹さんのお手柄だよ」
「いやあ、どっちかっていうと『なんですぐそこを疑わなかったのか』って」沙樹さんは前傾して平たくなるが、蓮くんに「まんま」と要求されてすぐスプーンを手に取った。
 うちの県警の事件ではないが、島田乙葉ちゃん誘拐事件解決の報が入った。
 沙樹さんから「先月のあれはやっぱり誘拐犯だった」──つまり俺が先月見て尾行したのが小日向萌香と乙葉ちゃんだったと聞いた時は「なぜあそこで見逃したのか」と後悔したが、沙樹さんによると、小日向萌香はすぐに発見されたらしい。なんと実家に帰っていたのである。捜査員が取った証言によれば「これ以上犯罪の手伝いはできないと思って、隠れ家から逃げた」のだという。だが警察に行けば自分も川松も逮捕される。どうしようもなくなった小日向萌香は、実家の両親を頼ることしか思いつかなかった。なんといってもまだ二十一歳で、妊娠した経験もないのに、いきなり十ヶ月の赤ちゃんの世話をやらされたのだ。そのこともかなり負担になっていたのだろう。両親の方は、いきなり他人の赤ちゃんをつれて帰省し、何も事情を話さない娘を、とりあえずそのまま受け入れた。というより、小日向萌香と訪ねていった捜査員の証言によれば、赤ちゃんがとにかくかわいいからなんだかんだで夢中になっていて、とりあえず事情については後でいいや、という程度の感覚になっていたらしい。
「ま、とりあえず乙葉ちゃんは健康だったわけでしょ? めでたしじゃない?」姉がビールの缶を置いて腕を組む。「ハルの目撃情報のおかげ。つまりそもそもは私がバス止めたおかげだね」
 俺は「ねえよ」とつっこんだのだが、なぜか沙樹さんが笑顔になった。「でもね。渋沢さんから聞いたんだけど、本当にそうかもしれないの」
「……なんで?」
 姉は得意顔で親指を立てているが、さすがにそれはないだろう。だが沙樹さんは笑顔で蓮くんの口の前にスプーンを持っていく。蓮くんの口が自動ドアのようにパカッと開く。
「……小日向が証言してたの。もうたくさんだ、と思って隠れ家から乙葉ちゃんを連れて逃げた。それでかなり遠くまで歩いていったけど、やっぱり怖くなって戻ろうとしてたんだって」
 葛藤があって当然だった。裏切ったとなれば川松との関係は終わりだし、それ以前にどんな危害を加えられるか分からない。金のために赤ちゃんを誘拐するような人間なのだ。
「それでバスに乗ろうとしたんだけど、なぜか時刻表に書いてある時間になっても一向にバスが来なかったんだって」
「『なぜか』……?」
 沙樹さんは微笑んだ。「その路線のバス、一時止まってて遅れたの。『乗客同士のトラブルがあったため、警察署付近で関係者を降車させていた』」
「それって」
「暴行事件。『男が走行中にベビーカーを蹴ったため、周囲の人間ともみあいになり、取り押さえられた』」
 つまり、あの時の事件だ。確かにバスが遅れたし、その事件のせいで俺は蓮くんと散歩することにし、そこで小日向萌香と乙葉ちゃんに会った。
 そういうことだったのだ。まさにあの時の小日向萌香は、隠れ家から逃げ出したところだったのだ。だから彼女は家から遠い公園にいたし、突然Uターンして駅方向に向かった。葛藤していたのだ。まさにあの時。
 幸運だった。もし先月のあの日、バスを停めていなかったら。乙葉ちゃんの両親がすぐにBCG接種を済ませていたら。俺の目撃証言は存在せず、乙葉ちゃんも助からなかったかもしれない。
「小日向、ほっとしたらしいよ。偶然バスが来なかったのが、『あんなところに戻るな』って言われてるように──運命みたいに思えたんだって」
 ダイニングにふっと沈黙が走り、その後、姉が缶ビールを掲げた。「ほらな? 私のおかげじゃん!」
「姉ちゃんは揉め事起こしただけだろ」
「起こしたのはあの親父でしょ? 私はただ正義のために立ち上がっただけ」
「まあ、あの件については涼子が正しい……」
「いや待って沙樹さん。この人、金要求してたよ? したくせに相手がキレたらこっちに振ってきて」
「仕事復帰時に困らないように実戦練習の機会をあげたのだよ」
「噓つけ」
 大人たちがもめているのをよそに、ベビーチェアに収まっている蓮くんはスプーンにさっと手を伸ばすと柄をがっしりと摑み、先端を軟飯の入った碗にぐい、と突っ込んだ。手はぷるぷると震えて安定しなかったが、スプーンは半分ほど軟飯を載せて引き抜かれ、ぱっくりと開けられた蓮くんの口の中にすぽん、と収まった。
「あ」
「おっ」
「蓮くん」
 大人たちが驚いて注目する中、蓮くんは楽しげにスプーンを握り、再び軟飯の中に突っ込む。
「スプーン、使った……」
 まだ早いし、口に運ぶまでに傾かなかったのは偶然だと思う。だが確かに蓮くんはスプーンを使って軟飯を食べようとし、だいぶこぼしたり口のまわりにつけたりはしたものの、いくらかはそれで食べられた。
「すごい! うそ? フォークだってまだなのに」
「いや、でもちゃんと口に入れられた」
「蓮くんえらい! すごい! できたねーにーひひひひうれしいうれしい」
 椅子から飛び降りて蓮くんにすり寄った後、携帯で写真を撮ろうとテーブルに駆け寄った姉が戻ってきた時には、蓮くんはすでにスプーンを放り出し、笑顔で拍手をしていた。大人たちが拍手を合わせる。
「へ。えへ」
 拍手に包まれながら、蓮くんは笑顔だった。

本短篇を収録した『育休刑事 (諸事情により育休延長中)』は2023年4月24日発売!

書籍情報



育休刑事 (諸事情により育休延長中)
著者 似鳥 鶏
定価: 748円(本体680円+税)
発売日:2023年04月24日
★作品情報ページ:
https://www.kadokawa.co.jp/product/322211000499/

事件現場に赤ちゃん入ります! 新感覚本格ミステリ、続編が登場
捜査一課の巡査部長、事件に遭遇しましたが育休中であります! 男性刑事として初めての長期育児休業を延長中、1歳になる息子の成長で手一杯なのに、今日も事件は待ってくれない!?

【収録作品】
世界最大の「不可能」/徒歩でカーチェイス/あの人は嘘をついている/父親刑事
あとがき


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