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連載

育休刑事シリーズ 徒歩でカーチェイス vol.1

生後十一ヶ月の赤ちゃんが失踪、警視庁から相談が……似鳥鶏『育休刑事』シリーズ最新短篇「徒歩でカーチェイス」短期集中連載第1回

育休刑事シリーズ 徒歩でカーチェイス

育児と仕事の両立に悩むすべての人へ。
2023年4月からドラマ放送も決定している『育休刑事』の最新短篇を短期集中連載!
全5話で短篇が丸ごと読める!

似鳥鶏『育休刑事』シリーズ
「徒歩でカーチェイス」第1回

       1

 鼻が利くとか勘がいいとかいった表現があるが、実はそういった人間には二種類いる。県警本部管理官・君塚浩二はそう考えていた。一つは本当に鼻が利いたり勘がよかったりする人間だ。所轄時代に取調をしたある恐喝犯。この男はたかりで食っているいわばプロだったがまだ二十歳そこそこの若造であり、どういう身なりをしてどういう場所に出入りすれば裕福でかつ脇の甘い人間を捉まえられるか「最初から分かっていた」のだという。分野が違うが、君塚の女房も彼には知覚できない薔薇の香りを嗅ぎ分けたり、餃子を食ったりするとたちどころに大蒜の匂いに気付いたりするので、これも物理的にだが「鼻が利く」といえる。こうした人間は要するに天才であり、なろうとしてなれるものではない。だが、もう一つの方は違う。もう一つとはつまり、経験によって鼻が利くようになった人間だ。経験を蓄積し、風景の解像度を上げ、「いつもと違う」「普通と違う」わずかな兆候を発見できる人間。天才より劣る気もするが、それでいいのだ。公務員で組織人である警察官に合っているのはそちらであり、君塚がなろうとしているのもそちらだった。
 そのせい、というわけでもないのだろうが、捜査一課長の執務室に入った時に、いつもと違う香りを感じた。関係各庁や捜査本部を飛び回ってあまり執務室にいない我が課長だが、いる時はいつもコーヒーを飲んでいる。もともとノンキャリアの花形ポジションであったはずの捜査一課長の椅子に「上から降ってきて」座ったキャリアである上に、常に冷静で感情が窺えないのと、昼飯を食っているところを見たことがなくコーヒーばかり飲んでいるのとで、現場の者たちは畏怖と疎ましさを混ぜて「AI様」と呼び「コーヒーを燃料に動いている」と陰口を叩いている。その執務室の香りが変わった。
「課長。コーヒー、銘柄を変えましたか。香りが少々」
「カフェインレスをやめました」
「ああ。それは」どう応じたものかと一瞬迷った後、君塚は表情を緩めた。「おめでとうございます」
 課長はわずかに目を伏せるだけで応じ、君塚に話を促す視線を向ける。相変わらず雑談には最低限しか応えない。いつもこうだから君塚は普段、用件の前に雑談など挟まないのだが、今日のこれはどうも、伝える前にそうした暖機運転が必要な気がした。
 君塚は用件に入る。「警視庁の渋沢管理官から問い合わせです」
「警視庁」
「大学の先輩だそうですね」
「私用ではないのですね?」
「担当している事件に関して参考意見を聞きたい、とのことです」
 珍しく表情があったのも無理はない。警察は都道府県警ごとに別組織であり、警視庁(東京)の管理官と県警本部の人間が連絡を取りあうのは都道府県をまたぐ事件に関して立つ「合同捜査本部」の時ぐらいだ。不審げな課長に君塚はタブレットを渡し、口頭でも説明する。
「一昨日、本格的な捜査が始まった身代金目的略取事件です。被害者は都内に本社を持つシマダ運輸社長の孫で十一ヶ月の島田乙葉ちゃん。犯人は割れていて、親戚の川松友也という、二十七歳のプータローです」言い方が古かったな、と思ったが、課長は特に反応せず聞いている。「川松は以前から島田宅に入り浸っては金をせびっていた様子で、島田から『もう来るな』と怒鳴られ、金欲しさと仕返しのために乙葉ちゃんを連れ去ったのだろう、とのことです。島田宅にズカズカ入り込み、母親が目を離した隙にそのまま抱き上げて連れ去っていった、という雑な犯行のようで、島田に対して電話で現金四百五十万を要求したそうです」
 捜査資料を直接見せてくれたわけではなく、渋沢による口頭説明だけだ。どうしても伝聞形になってしまうのがもどかしいが、事実であるかのように語れば語弊が生じる。
「ちなみに、川松の要求に一旦応じる、というのは島田が拒否したそうです。会社の経営がぎりぎりなのと、どうも親族間のトラブル程度に解釈しているようで」課長は他人が喋っている間に口を挟まないので、出そうな疑問点には先に触れておく、という癖がついている。「現在、川松は手配中ですが消息不明。当然、人質の乙葉ちゃんもです。川松が自分で世話をしているとは思えず、川松には複数の女がいたとのことなので、そのどれかの住居で世話をさせているとみられます。ただ川松の女関係は周囲の者でも把握できていないらしく、どこの誰のところなのか情報がありません」
 川松自身はもちろん自宅にいない。その女のところにいるか、宿などに潜伏しているかだろう。川松は手配するとして、赤ん坊の所在確認と救出が最優先だったが。
「現在のところ、乙葉ちゃんの所在については手がかりが全くありません。ただ、赤ん坊の世話をしているとなればそれなりに目立つはずで、捜索にあたってそうした観点から潜伏場所を絞れるヒントがないか、という意見が出たそうです」
 十一ヶ月となれば物入りで、あれこれ買い込むだろう。だが生憎、育児は妻に任せきりにしてきた君塚には「何かあるのではないか」というぼんやりとした可能性が浮かぶだけだった。
「現場の捜査員に育児経験者がいなかったところ、渋沢管理官が課長のことをご記憶だったようで」
 それを聞いた課長は、さすがにと言うべきか、短く溜め息をついた。「一人もいないとはどういうことだ」の溜め息だろう。全くもってその通りだった。警視庁内に心当たりがなく他県警の知人を頼るほど、いないらしい。
「育児中の行動は人によって違います。あまり確度の高い手掛かりにはならないと思いますが」それでも我が課長は、担当事件、それどころか県内の事件ですらないのに嫌そうな顔も見せなかった。「……一つ、可能性があります」
 全く何のヒントもない。都内なのかそうでないのかも分からない。それでも、手がかりがあるらしい。着任時は周囲から散々疎まれつつも実績をあげ、徐々に支持者を増やしているだけはある。
「通販の利用歴を調べてください。おむつを全サイズ、あるいは複数サイズ注文した履歴があるかもしれません」
「おむつ、ですか」君塚には状況が想像すらつかない。
「通常は子供一人ならおむつを複数サイズ買うということはありません。自分の子供のサイズは分かっていますからね。ですが、拐取した他人の赤ちゃんを突然育てることになってしまった人間であれば、赤ちゃんのサイズが分からず、とりあえず複数サイズを注文する可能性があります。そうした人間がいないか、通販サイト及び各ドラッグストア、ベビー用品店の購入履歴を照会するべきです」
「了解。ではそう伝えます」
 意外なところからだが、五里霧中だったであろう状況に光明が差した。人員が要る、と思うが、天下の警視庁ならなんとかするのだろう。通販サイトの方は、誘拐された赤ん坊の安全がかかっている、と説明すれば任意で回答してくれるかもしれない。
 警視庁の事件だ。だが関わってしまった以上、反射的に担当事件に準ずる気持ちになっている。君塚は執務室を出ながら、やや勇んで電話をかける。

第2回へつづく

本短篇を収録した『育休刑事 (諸事情により育休延長中)』は2023年4月24日発売!

書籍情報



育休刑事 (諸事情により育休延長中)
著者 似鳥 鶏
定価: 748円(本体680円+税)
発売日:2023年04月24日
★作品情報ページ:
https://www.kadokawa.co.jp/product/322211000499/

事件現場に赤ちゃん入ります! 新感覚本格ミステリ、続編が登場
捜査一課の巡査部長、事件に遭遇しましたが育休中であります! 男性刑事として初めての長期育児休業を延長中、1歳になる息子の成長で手一杯なのに、今日も事件は待ってくれない!?

【収録作品】
世界最大の「不可能」/徒歩でカーチェイス/あの人は嘘をついている/父親刑事
あとがき


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