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試し読み

【試し読み】大ヒット!『君に選ばれたい人生だった』の著者が紡ぐ、共感必至の"新時代"片想い小説。メンヘラ大学生『君と結ばれる世界でなくても』収録「立場が違う恋って、どう思う」(2/2)

初小説『君に選ばれたい人生だった』が続々重版中!若者から絶大な人気を集め、SNS総フォロワー40万人を誇るメンヘラ大学生さんの連作小説『君と結ばれる世界でなくても』が2025年7月2日に発売します!
好きな人には恋人がいる、先生が好き、恋愛禁止のアイドル、成立しない男女の友情、年の差の恋--。恋愛に正しい・正しくないはあるのかを問う、切なくて、痛い、不器用な8つのラブストーリーです。
今回は刊行を記念して、「立場が違う恋って、どう思う」の冒頭試し読みを公開します!


すべての物事に境界線がある。日なたと陰。友情と恋愛。選ばれた彼氏と、そうでない自分――。
叶わない恋に立ち向かう人に寄り添う、共感必至の物語。ぜひお楽しみください!

▼(1/2)はこちらから
https://kadobun.jp/trial/kimitomusubareru/entry-120888.html

メンヘラ大学生『君と結ばれる世界でなくても』収録
「立場が違う恋って、どう思う」試し読み(2/2)

 山田先生がチャイムの音と同時に前のドアから出ていって、四限終わりの教室の空気がふっとゆるまった。数学の時間は、俺みたいに大の苦手にしている奴なんかは特に当てられないことを必死で祈り続ける。
 緩んだ空気の中でも、特に脱力している左前の席のアイリさんの様子が目につく。ぼおっと見ていたら、視界の端っこから坊主頭が寄ってきた。
「おい、俺が当てられたとき笑ってたろ!」
「え、笑ってないけど」
「めちゃくちゃ笑顔だったわ!」喜村が俺の机に弁当を置く。
「いやでも、しどろもどろだったのは、ウケたわ。いいもの見せてもらった」
「マジでうざいって!」
 思い出したのか、喜村のえくぼ辺りが赤みを帯びていて、また笑ってしまう。
「でもぶっちゃけさ、喜村があてられてたやつ、そんなムズい問題じゃなかったくね?」
「そうなんだよ。ちょうどまったく関係ないこと考えてて、先生の話聞いてなかったんだよ。ついてないわー」
「いつもじゃん。何を妄想してたん今日は」
「そりゃあ、男として理想のシチュエーションってやつを」
 これ長くなるやつだ。喜村の戯言ざれごとを聞き流す覚悟をしたところで、アイリさんが机に突っ伏したかと思ったら、またすぐに顔を上げた。忙しいな。
「彼女にするのに外せないのは、やっぱねー年上のお姉さん、これはさすがに属性として一番大事。普段は超だらしなくて、部屋とかめっちゃ汚くて。んで、いつもはつんってしてるのに、酔うと分かりやすく顔赤らめて、謎に体預けてきたりしてさ」
 学年でもトップクラスでスタイルがいいって言われてるアイリさんだけど、後ろからみてるとすげえ人間味があって面白い。授業中はもっぱらあくびをしているか、退屈そうにペンをまわしているか、隠そうともせず机に突っ伏して寝てるかなのに、数学の時間だけ天井から垂らされた糸に引っ張られてるみたいに、背筋がぴんとまっすぐに伸びる。先生が帰ると、机の上で一人でもだえている。
 アイリさんが数学の山田先生のことが好きだって噂、本当なのかな。年上、しかも先生だなんて、そんないいもんなのかなあと不思議に思っていたけれど、いま俺は猛烈にアイリさんに声をかけ握手をし年上の良さを語り合いたい。年上って、頼れるし、余裕があるし、でもたまに見せる幼さとのギャップがたまらないんですよね。喜村が妄想して言ってるようなもんじゃなくて、実際に対象がいると。
「んで、柔軟剤か汗か分かんないけど、お姉さんの匂いがぶわっと香ってくるわけよ……最高だ……っておい、西沢、話聞いてる?」
「うるせー、聞いてるよ」
「ふざけんな、今の間、ぜってー噓じゃん。聞いてないじゃん。せっかく最高のシチュエーション語ってたのにさ」
 開けかけていた弁当箱のふたをわざわざまた被せて、西沢がー、俺の話を聞いてくれませんー、とわざとらしく泣きまねをする。両手で目を覆いながら、時折変顔を挟んでこちらをちらちらとみてきて、しょうもなさ過ぎて思わず笑ってしまう。
「年上な、いいよな、分かるよ」
 言うと、喜村は満足そうにして、「西沢が健全な男子高校生で安心したわ」と人差し指を立てた。
 大判のハンカチをほどいて弁当箱を出し、つるりとした蓋を留めているゴムを取り外す。年上と言われてもぶっちゃけぴんとこないが、実際にモデルがいると感情が現実味を帯びる。
 五十嵐さん。昨日の横顔を思い出しただけで唇の端が勝手に持ち上がってしまう。歳の差の恋愛、あり。立場の違う恋、あり。俺にもついに春が来るのかもしれない!
「喜村さ、いつも年上のお姉さんの話ばっか妄想してるけど。現実世界でも、案外あるかもしんないよ?」
 意味ありげにたっぷりと含みを持ってそう言ってやる。「は? 西沢、お前、そういう浮いた話あんのかよ! 聞いてねえって」騒ぐ喜村を無視する。
「そいや、今日午後一小テストあるっぽいぞ」
 喜村の愉快な動きが止まった。「マジで?」
「大マジ。さっき三限で抜き打ちされたって、四組の若林が教えてくれた」
「最悪だ、英単語まったく覚えてねーっ」
 俺は机の中で眠っていた英単帳を引っ張り出して渡す。さんきゅ、と受け取った喜村の腕は、陽に焼けて深い黒みを帯びている。
「……お前さあ」
「ん?」単語帳から顔を上げずに相槌だけ寄こした。
「野球部は、順調?」
 そこでようやく顔が上がって、目が合う。
「うん。順調、って言葉にするとフラグ立てるみたいで怖いけど、チームとしてはかなり仕上がってるんじゃないかって思ってる。みんな、個トレも誰に言われなくても自分から取り組んでるし、秋の県大は、絶対にれるんじゃないかな。っつーか、獲るよ」
 あまりにもまっすぐな眼差まなざしと返答に、口角が上がった。自分から聞いたくせに、喜村から真面目なトーンが届くと無意識で茶化そうとしてしまう自分がいる。普段バカなことしかしてないくせに、喜村の目には宿るものがある。視線をらした先で、アイリさんは購買で買ったパンをユリカさんと食べている。
 みんな本気で好きなものを確かに持ってて、死ぬ気で打ち込んでる。喜村とも普段エロいことしか話さないから忘れてたけど、キャプテンだし。マジで、みんな、すごいよ。
 ふざけた口調で言おうとしてみたけれど、言葉にはならず息が漏れる。目を凝らしてみると、へらへらと笑っている俺が窓に反射していて焦る。喜村の視線は単語帳に戻っていて、助かったと思う。



 コンビニに着いて、お疲れ様です、とレジに声だけかけて返答を待たずに裏へ向かう。スタッフルームは更衣室も兼ねているので一応のノックだけして入ると、目の下のクマを頰の上まで垂らした店長がキャスター付きの椅子ごとくるりとこちらを向いた。背が高いから、一つ一つの動きが大きい。
「次のシフト、西沢くんか。学校、お疲れ様」
「うっす。店長こそ、お疲れ様です」
「着替えるよね? 僕いったん外出るね」
「あ、いいっすよ、俺気にしないですし」律義に控室から出ていこうとする店長を制止して、ブレザーのボタンに指をかける。
「店長、最近いつもいますよね。やっぱり、忙しいですか」聞くと、店長はゆっくりと眼鏡を外して細長い指で目頭をつまんだ。「そうだねえ」指を小刻みに動かす。薬指には光るものが見える。「ここ最近はまともに帰れてもないなあ」
「絶対休んだ方がいいですって」かぎのかかっていないロッカーを開けて、紺と白のラインが交互に並んだシャツを取り出す。「俺も最近オールしたりするんですけど、朝とか死にそうになるし」
 若いなあ、と店長はふんわり笑う。
「いや店長も三十二とかじゃないですか。十分若いですよ」
「三十を越えたら一気にじじいになるの。でもオールかあ、もう単語が若いね。試験前の勉強とか?」
「いや」シャツを腕、首の順で通す。「恥ずかしながら、ゲームとかっすね。FPSって分かります? 銃で撃ちまくるやつ。あれはまってて、めっちゃ夜更かししてます」
「学生だからね、そういうのもいいよね」優しい口調がふわっと届く。
 そういえば、初めてバイトの面接で訪れたときもそうだった。眼鏡の奥に潜んでいる優しい眼付きと、のっそりとした動きと、整えられてはいないのに謎に清潔感のあるひげ。つい一か月前のことだ。
「うち、人足りていないから、すごくありがたいよ。採用ってことでお願いできるかな」
「すみません、一つだけ言ってないことがあって。実は、学校がバイト禁止なんですけど、その辺りは店的には大丈夫ですかね」店長は一息ついて、まあ、と前置きをする。「うちとしては気にしないよ。学校にバレて軽くお説教食らう、みたいな経験も、若い頃は案外必要かもしれないしね」
 まあ、バレない方が良いに決まっているけどね、と付け加えた店長の余裕を含んだ微笑みが、なぜだかいまだに強く印象に残っている。
 いつの間にか眼鏡をかけ直した店長は、またパソコンの画面と向き合っていた。なんとなく画面を覗いてみると、エクセルの表に数字が並んでいて、うへえ、大変そうですね、と漏らす。「慣れたら誰にだってできるよ。西沢くんなんて若いし仕事覚えるのも早いから、すぐに出来るようになるんじゃないかな」液晶から発するブルーライトが、ところどころひげを照らす。
「ただね」カチリ、と静かな空間でマウスが鳴いた。
「若いうちにいろいろ経験しておきな。若い頃やっていて許されることも、歳を取ったら許されないなんて、山ほどあるんだから」
 歳を取ったら、許されないこと。

 さすがに二日連続で五十嵐さんとシフトが被る奇跡は起こらずレジの中で唇を嚙む。
 大柳おおやなぎとネームプレートをつけた母親くらいの歳の女性がベテランらしく落ち着いた動きでお客さんをまわしている。その様子を視界の隅で目だけで追いながら、ほお、へえ、と感心するばかりでやはり集中力はなかなかたない。長くこの店で働いている大柳さんなら、何か五十嵐さんの情報を知っているだろうか。こんなことばかり考えているから俺はいつまでもミスが減らない。
 大柳さんが十分間の休憩に向かった。被らないように少しずつずらされているけれど、もう一人のバイトに「ちょっとトイレ行ってきます!」と頼んで思い切って早めにレジを抜ける。一応スタッフルームを確認してみたが、キーボードの上に突っ伏している店長しかいなかった。たぶん裏の喫煙所にいるんだろう。店長を始めここのバイトのひとたちはこぞってたばこを吸っている。
 喫煙所はコンビニの真横にある。入り口を出て、角から若干覗き込むようにしなくてはならない。首を亀みたいに出して、大柳さんの姿を確かめる。
「大柳さん、お疲れ様です。さっき、レジ袋詰めてもらえて助かりました」
「あ、西沢くんお疲れ様。助け合いよ、そんなの気にしないで」大柳さんの口から放たれた煙の先を追う。苦い匂いを放ちながらぷかぷかと宙を漂う。
「ってか西沢くんも、吸うの?」
「いや、俺、高校通ってますから」
「だよね。吸うのかと思ってびっくりしちゃった。ほら、うちってバイトの半分以上が吸うから」
「そんなハマるほど良いものなんですか? たばこって」
「ね、そんないいものなのかね。でも、良くないことって頭では分かってるのに、やめられないんだよね。って、こんなこと高校生に言うことじゃないか」ニッと笑った大柳さんの銀歯が見える。良くないことだって分かってるのにやめられない。その意味が分かるようで、やっぱり分からない。
「五十嵐さんも、店長も、大柳さんも。みんな吸ってる」
「ね。でもそれで言うと、五十嵐さんが吸ってる理由は分かりやすいよね」
「え?」どっと身体が固まる。「それってどういう意味で……」
「あ、もう時間だ、戻らないと」大柳さんの蛇みたいな目がちらりと腕時計をみた。「西沢くんコーヒー飲む? あげるからもう少し休憩していきな」ポケットからドラえもんみたいに缶コーヒーを取り出した。手渡してくれたが、もうぬるくなってしまっている。
 背中を見送りながらプルタブに爪をひっかける。口をつけると、微糖って書いてあるのに十分に苦くて、のどに突っかかる。大人は、平気な顔をして、コーヒーとか、たばことか、そういうものをるのに。
 五十嵐さんだったら、澄ました顔で飲み切るのだろうか。駐車場のブロックに座りながら、彼女がたばこを吸う理由とやらをぼうと考えてみる。



 バイト終わりに「いま、例の場所で晩酌中」なんて夢みたいなLINEが五十嵐さんから届いていたので軽く呼吸が止まった。飼い猫のアイコンまでいとおしい。よっしゃー! 声に出してみたら噴水みたいに嬉しさが湧きだしてきて、あらためて握りこぶしを作ってみる。せっせと制服を脱いでいたら「なんかいいことでもあったみたい」と未だ作業中の店長に声を掛けられて、「まさにです!」と接客よりも大きな声でこたえる。
 筆箱と体操服しか入っていないリュックサックを肩にかけチャリにまたがり、一番重たいギアに上げる。傾斜のあるのぼり坂と向かい風に抵抗する。部活で鍛えた太ももの裏の筋肉が久しぶりの活躍の場に悲鳴を上げる。
 鳥居の隣にチャリを停めると、がこんと音が反響した。木で囲われているからやたらとおかしな響き方をするが、気にせず鳥居をくぐる。
 昨日まで一人になるために訪れていた場所が、今日は誰かと話すための場所になっているなんてたまらなく不思議だ。その相手が七つも歳が上の人だなんて、もっと不思議だ。喜村に今日あったことを事細かに教えたら、嫉妬しつとでおかしくなるんじゃないか。あっけにとられた喜村の顔を想像してニヤついてしまう。
 でも、もしかしたら日々を生きるってそういうことの連続なのかもしれないと、大それたことを思う。明日になれば、また違うことを思う俺がいるに違いない。
 祠の後ろにセットアップのジャージを着た五十嵐さんがいた。
「ようよう少年、バイトお疲れ様」
「あざます、五十嵐さんは講義終わりですか」
「そうだよ。ゼミ終わってから家で飲んでたんだけど、風にあたりたくなって。店長どう? まだまだ忙しそうにしてた?」爪をプルタブに引っかけてはじいたりしている。
「いや、パソコンに向かってまだまだ大変そうにしてました」
「そっかあ、参っちゃうねえ」ぐびりと缶の酒を飲む。一口一口あまりにおいしそうに飲むから、俺がその歳になるのにあと三年かかるという事実に焦る。
「昨日も思ってたんですけど。ぶっちゃけ飲む場所でお酒の味なんて変わるもんですか」言うと、五十嵐さんの目がらんらんと輝いた。
「変わる、なんてもんじゃないよ。もう別の味。部屋で一人で飲むお酒もおいしいけど、風にあたって飲むお酒はなんか自由って感じ。いつも見える景色がね、ぐって変わるの。いつも下ばかり見てたんだなあって気付くの」
 夜の風が彼女の髪をでる。黒髪に隠れていた金色の毛先がふわりと持ち上がる。
「あと、誰と飲むか、なんかもすごく大事な要素かもね? 西沢くん?」五十嵐さんが俺の顔をひらりと覗き込んで意地悪い笑みを浮かべた。柔軟剤とたばこの匂いが混ざったような彼女特有の香りに、また心臓が暴れだす。
 それどういう意味ですか! と返す。どういう意味だと思う? と五十嵐さんの口元がスローモーションで動く。

 五十嵐さんが隣に居ると時間は驚くほどあっという間に過ぎる。毎日が倍速になったみたいだ。今までが0.5倍速だったのかもしれない。
「俺の友達で、すげえバカで面白い奴がいるんですけど。年上最高だっていつも言うんですよ」
「へえ?」
「マジでノリで言ってるだけだとは思ってたんですけど。五十嵐さんと話してると、確かにな、って思うときが結構あって」
「そっか」
「なんて言えばいいんだろう俺」頭の中にある最も適した言葉を、丁寧にすくいとる。「五十嵐さんと、もっと話してみたいし、いろんなこと知りたいって思ってます」
「……やけに今日は素直だね? でもそういうの、良いと思う」
「……素直に出来たついでに、一度だけ、手つないでくれないですか」目を合わせられないけど、きっと五十嵐さんの眼差しは、優しく俺を捉えている。
「かわいいね、西沢くんは」
 五十嵐さんの手が俺の手のひらの上を覆って、指と指の間に、五十嵐さんのが入り込んで絡んだ。指先が、ひんやりとしている。時間が止まったみたいに、澄み切った空気が流れる。一生、このままでいいのに。
 これ以上一緒にいたら私捕まっちゃうから、と五十嵐さんがスマートフォンで時間をみせてきて、魔法が解けた。もう二十二時をまわってしまっている。彼女の手のひらが去っていってビニール袋を軽く持つ。空になった缶たちが悲しそうにからからと音をさせた。
「私、スタッフルームに忘れ物しちゃってコンビニ寄ってくから。西沢くんも、気をつけて帰るんだよ」
 彼女は俺を鳥居まで送り、早足で去っていく。自転車にまたがりながら、小柄な背中を、彼女が路地を曲がるまでずっとずっと見ている。



 喜村をグラウンドに見送ってから校門を出るとき元チームメイトとすれ違った。相手は真っ先にハンドボールコートに向かっていて俺に気付かない。かわいそうに、中途半端に上げかけた俺の手のひらが意味もなく宙に浮く。なんとなく腕をぶわんぶわんまわしてごまかすけど、鬼のように恥ずかしくてこめかみに血が集まる。
 なんだかいたたまれないから、バイトも何か買う用もないのにコンビニへ寄ることを決意する。へ! 俺には五十嵐さんがいるからいいもんな! チャリをアクセル全開で踏んで点滅している信号を通り過ぎる。
 少しでも彼女の横顔をこの目に映すことができれば、いつかこの生まれたての恋が実れば、元チームメイトの視線だって気にならなくなるはずだし、野球部でキャプテンを務める喜村とも対等に張り合えるし、店長の言っていた経験とやらにもなる気がする。ようやく高校生活を高校生活と呼んであげていい時期が来る。
 白線でかかれた自転車マークの上にチャリを停める。車輪の中央にあるカギをかけながら、店内の様子をみる。ところどころホコリのたまった窓から中がよく見える。大柳さんがモップで雑誌コーナー付近の床をいている。シフト表で「五十嵐」の名前を前もって確認していたから、いるとしたら喫煙所だ。
 茶色のタイルが貼られた壁から亀のように首根っこだけそろりと出して喫煙所を覗き込む。店長と五十嵐さんがいる。ちょうどライターでたばこの先に火をつけるところみたいだ。
 二人ともお疲れ様です! 出ていこうとすると、店長がたばこを吸って、吐いた。すると、五十嵐さんが上半身を傾けて、顔をぐっと店長の口元に寄せ、店長の持っているたばこの先に、五十嵐さんのたばこの先をちょんとくっつけて、先端が赤くなった。あ、これ、分かんないけど、手持ち花火でやるやつと原理は一緒だ、なんて思い、同じ色をした煙が空深くに吸い込まれていった。
 顔を引っ込めて、駐輪していた場所まで早足で戻る。自転車のカギを穴に差し込もうとしたけど、なんだかうまく入らない。
 五十嵐さんがたばこを吸う理由。
 手がかじかんでいる。もうそろそろ本格的な冬が来る。乱暴に穴に差し込もうとしたけれど、焦れば焦るほど入らない。
 歳を取ったら許されないことなんて山ほどあると、店長が言っていた。そういえばさっき、店長、指輪付けてなかったな。
 ……私は、歳なんて、恋をするには関係ないと思う。空を見上げていた五十嵐さんの横顔は、どこを向いていたっけ。
 立場の違う恋ってどう思う?
 えーっと、そうだな、ありきたりなのでいえば、先生と生徒。令嬢と執事。高校生と大学生。あとは、“大学生と妻帯者”とか。
 あ。

 頭では良くないって分かっていても、やめられないこと。
 かちゃり。カギが入って、勢いでわずかに車輪がまわった。

(気になる続きは本書でお楽しみください)

作品紹介



書 名:君と結ばれる世界でなくても
著 者:メンヘラ大学生
発売日:2025年07月02日

『君に選ばれたい人生だった』の著者による新時代の共感必至“片想い”小説
すべての物事に境界線がある。
日なたと陰。
友情と恋愛。
選ばれた彼氏と、そうでない俺――


好きな人には恋人がいる、先生が好き、恋愛禁止を守れないアイドル、
成立しない男女の友情、年の差の恋……
SNSで若者から支持を集める著者が、恋愛に正しい・正しくないはあるのかを問う、
切なくて、痛い、不器用な8つのラブストーリー

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322502000947/
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