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試し読み

SNS総フォロワー39万人の著者が紡ぐ、共感必至の連作小説集。メンヘラ大学生『君に選ばれたい人生だった』収録「煙」試し読み#1

若者から絶大な人気を集め、SNS総フォロワー39万人を誇るメンヘラ大学生さんの連作小説集『君に選ばれたい人生だった』が2023年9月26日に発売!多くの共感を呼ぶバンド「Saucy Dog」の楽曲を素に著者独自の解釈で物語を紡ぎました。
収録作は「あぁ、もう。」「煙」「シンデレラボーイ」「ナイトクロージング」「ノンフィクション」。緩やかにつながる5つ物語が、感動のラストへと導きます。
刊行を記念して、「煙」の冒頭試し読みを公開!
恋、夢、就活――。選ばれなかった人たちの共感必至の物語、ぜひお楽しみください!



SNS総フォロワー39万人の著者が紡ぐ、共感必至の連作小説集。メンヘラ大学生『君に選ばれたい人生だった』収録「煙」試し読み#1

 まつもと駅前にある巨大な電光掲示板が機械的なフォントで【-3度】と気温を示していた。すれ違う人たちは皆慣れたように厚めのジャンパーを羽織って、肺にまで届きそうな寒さに対抗しようとする。俺もそれに倣ってマトリョーシカみたいに着込んでみたけれど、マフラーや皮手袋の隙間から冷たい風が入ってきては身体全体に回り込んだ。この街の二月の寒さは、県外から来た人間に対して全く優しくない。
 それでも、今日ばかりはこの寒さに負ける気がしなかった。どんなに気温が下がろうが、隣を歩くづきの存在と、十九歳の誕生日という事実が、じんわりと心を温めてくれる。
 葉月につれられてアパートの二階へ上がると、甘い匂いが鼻についた。ドアノブに銀色のかぎをぐいと押し込みながら、葉月は白々しく「今日は何も準備してないからね、期待しないでよ」と呟く。いやいや、もうケーキの匂いしてるんだけどな。俺は「それは残念だなあ」とだけ返して、何にも気付いてない振りを続行する。
 ガチャリ、という音と共に甘い匂いはぐんと強まった。葉月の背中を追うようにして入った1Kのリビングは、テーブルを囲うようにして全体がカラフルに彩られていて、シングルベッドの周りには風船がいくつか置いてあった。
「……用意周到すぎない?」
「ご不満ですか?」
「いや、最高すぎ」
 葉月は一人暮らし用のスモールサイズの冷蔵庫からシャンパンを持ってきて、慣れた手つきで栓を開けた。ぽん、と夢のはじける音がして、二つのグラスに半透明の液体がなみなみと注がれていく。透き通ったグラスに映った俺はこれ以上ないくらい頰がゆるんでいる。

 大学では、入学した年の四月の終わりには大体の人間関係が構築される。髪色だとかファッションセンスだとか、「なんかこいつとは合いそうだな」という雰囲気を感じ取った相手とくっついて、大抵はそこで決まったグループで四年間のモラトリアムを過ごすことになる。
 そんな重要な時期にキャンパスで見かけたのが、一際目立った雰囲気を放つ葉月の姿だった。
 ほとんどの人がいち早く群れを成そうと躍起になる中で、周囲を気にする様子もなく一人歩く彼女のたたずまいは、少し浮いているようにも見えた。大学に、いい意味でんでいないようだった。誰でもいいからとにかく知り合いを増やさなきゃ、と焦っていた俺の本心を、見透かしているようにも思えた。
 彼女の容姿もまた整っていた。くせっ毛ではないけれど、美しい鳥の羽根のようにふわりとまとまりを持った黒髪。モデルのような、すらっと縦に伸びた体型。猫のようにクリクリとした目付き。髪を染めたり特別派手な何かで飾り付けたりしているわけじゃないのに、目をかれる鋭い輝きがあった。そのりんとした姿に、俺はあえなく惚れてしまっていた。
 その後、オリエンテーションで葉月の黒髪を見かけて、奇跡的にも同じ学部だということが分かった。何度か講義が被って、会話をする機会もあった。そういう小さな奇跡が何度も積み重なって、今、テーブルの向こう側に彼女がいる。
 人生のピークだと自信を持って言えた。思い返せば、甘ったるい日々が脳裏に浮かぶ。
 あらたまって言うのは恥ずかしいけれど、それは高校までの付き合いがお遊びに思えるくらい刺激的な毎日だった。一人暮らし同士の恋愛に門限なんて野暮なものは存在せず、俺たちは毎日のように顔を合わせて、毎日のようにどこかへ出かけて、毎日のように身体を重ねた。目を覚ませばまず朝ごはんのことを考えるのと同じように、彼女が隣にいるということは、今では俺の生活の一部になっている。

 葉月との思い出の中に、今日という日がまた追加される。初めて彼女と過ごす、俺の誕生日だ。
 普段なら買うことのない高めのシャンパンを飲みながら所在なくきょろきょろとしてしまう。ついさっき、葉月がベッドの下に後ろ手で何かを不自然に隠しているのが視界の端に入っていて、俺はそっちを見ないようにした。何も準備してないからねなんて全然噓じゃん。でも、こんなわくわくしてしまう噓なら何回だって言ってほしい、とも思う。
 葉月が俺の方へちらちらとくばせしてくる。
「トイレ、行きたくないの?」
 あ、そういうことか。俺はわざとらしく「急に尿意きたなー」と呟いて部屋を出た。便座に腰を下ろしてから、葉月が隠してたのって、結構大きめの紙袋だったよなー、なんて思った。もしかしてTシャツかな、前欲しいって話したことあるし。あれこれ推測していると、としもなく胸が躍る。プレゼントは、もしかしたらもらう直前が一番楽しいのかもしれない。
「ゆいとー!」といつものはつらつとした声で名前を呼ばれてはっとする。部屋に戻ると、テーブルの上でなにやら白い箱が光を帯びていた。さっき目にした紙袋とは違う何か。
「……え? マジで? エアポッズ?」
「大マジですよー」
 控えめなリンゴのロゴは想定外すぎて、考えていたリアクションを上手く取れない。
「さっきの紙袋、もっと大きくなかったっけ?」
「あれはフェイクだよ」
 やられた。葉月は得意げに背中で何も入っていない紙袋をちらちらと見せてくる。
「返せとか言わないよね?」
「言うわけないでしょ。てか名前も入れちゃってるし」
「うわー、やばい。こんなん想定外すぎて、用意してたりよく全部飛んだわ」
「よかったー! いい反応してくれて、選んだ甲斐あったよ」
 ただ驚くしかない俺の前で葉月はにこにこと笑う。これじゃ、はたから見たらどちらがプレゼントを貰ったのかも分からない。
 YUITO。エアポッズに刻まれた俺の名前が照明の光を反射させて輝いている。持ち上げると、柔らかな肌触りが手のひらに馴染んでとても心地好い。
 ちゃんと覚えていてくれたんだ。いつ言ったかは自分でも覚えていないけど、葉月は俺の言葉を丁寧に拾いあげて、この日まで取っておいてくれたんだ。
「あとね、もう一個伝えなきゃいけないことがあるんだ」
「なに、まだあんの」
 葉月への感謝の言葉が頭の中で浮かんでは霧散していく。これ以上プレゼント貰っても、俺返しきれないって。口角が上がってしまうのを誤魔化すようにグラスに手をつけると、気持ちのいい炭酸が喉の奥で弾けた。
 はしゃぐ俺を尻目に、葉月は声のトーンを一切変えずに告げる。

「わたし、今年留学するんだ」

    〇

 りゅうがく。
 葉月の吐いた台詞の輪郭を、俺は上手くつかみ取れずにいた。
「……いきなりどういうこと? 留学してみたいとか、そういう話?」
 葉月がおもむろに立って、冷蔵庫へ向かう。
「いや、それはもう決定事項。なにか大きな問題が起きない限り、八月頃から留学するのは決まってる」
 あらかじめ準備していたかのような言葉をすらすらと吐きながら、冷蔵庫から取り出してきたケーキをテーブルの真ん中に置いた。取り分けるためのパレットナイフが照明に反射してテラテラと光っている。
「……そんな話、聞いてないけど」
「してなかったっけ? でも、ずっと夢だったんだよねえ」
 葉月はナイフを手に取ってケーキを切り分けていく。側面のクリームが多少げている不格好なケーキは、たぶんケーキ屋に頼んだものじゃない。彼女の左手の薬指には、昨日には無かったばんそうこうが貼られている。
 これも俺を驚かせるための噓なんじゃないか、と思った。俺が動揺したところを「なんてね、行くわけないじゃん」とネタばらししてくれるのかもしれない。
 ただのドッキリなんでしょ? 葉月のくりっとした瞳をじっと見つめて訴えかける。返答を待つ。
 彼女はにこりともしない。初めてキャンパスで見かけた日と変わらない凜とした目付きで、こちらを見つめ返す。
 そうか……そうか。認めたくないけど、本気なんだ。彼女は、そういう生き方が選べる人なんだ。
 何より、葉月と毎日のように時間を過ごしてきた俺自身が、彼女がそんな冗談を言うような人じゃないということは一番分かっていた。分かっていたけど、認められるわけがなかった。
「留学って、ずっと会えないってこと?」
 核心を避けた遠まわしな質問を必死に探し続ける。まずい。そうでもしないと、モヤモヤが良くない方向へ走り出そうとしているのが自分でも分かる。彼女を傷付けかねない言葉がすぐ近くにまできている。
「会えないって言えば、会えないんだけど。元々ね、海外にすごい憧れがあったの。この大学に入ったのも、留学サポートが手厚いからだし。私、翻訳関連の仕事がしたいって話したことなかったっけ? そのために、現地でもしっかり話せるくらい英語を学びたくて。あ、でも、もちろん年に二、三回とかは帰ってくるよ? 唯人がロンドンに遊びに来てくれても良いしね。一緒に観光しようよ!」
 一方的にまくし立ててから葉月は子供みたいに無邪気に笑った。会えないって言えば、会えないんだけど。会えないんだけど。会えないんだけど。
 会えないって、笑顔で話すようなことだったっけ?
 彼女が切り分けてくれたケーキのてっぺんには、Happy birthday YUITO とチョコペンで描かれたプレートが載っていた。今この場で、誰がハッピーなんだろう。誕生日を迎えた俺なのか、それとも、眼前で夢をいきいきと語る葉月なのか。エアポッズに刻まれた名前に、さっきまでの輝きはもうない。
 なんで葉月がこんなにも楽しそうに振る舞えるのかが分からなかった。留学して、俺と長い時間離れてしまうことの、何がそんなに面白いんだろうか。
 何もかもが不釣り合いな目の前の光景に、もしかしたら俺は悪夢を見ているのかもしれないと思った。悪夢であって欲しい、とも思った。夢なら今すぐ覚めてくれと願ってケーキを口に運ぶと、口の中に広がる生クリームの甘ったるさが、これは現実なんだとしつこいくらい教えてくれた。
 思い返せば、葉月はやけに英語だけ入念に勉強していた、ように思う。勉強机に置いてある参考書だってTOEIC関連のものばかりだったし、TSUTAYAに行けば洋画ばかり借りて俺に見せてきたくらいだし。ハリー・ポッターとか。
 留学という言葉を出されて初めて、彼女との暮らしにおける点と点が繫がった感覚があった。いや、葉月は葉月なりのサインを出していたのかもしれない。
「TOEICも伸び悩んでたんだけどね。ようやく条件の点数取れたんだー、これで一安心」
 葉月と付き合って、彼女のことは何でも知ることができたと思っていた。真面目そうにみえてちょっと抜けているところも、やると決めたら頑固にやり抜くところも、俺だけが分かってると思っていた。でもきっとそれは俺のエゴで、実際は俺の見たい部分だけ見ていたのかもしれなかった。
 なんで留学することを相談してくれなかったのか。俺と離れることを少しもちゆうちよしなかったのか。今まで俺と一緒にいた時間は楽しくなかったのか。
 この期に及んでも、彼女への文句が頭の中に浮かんでは煙のようにたち消えていく。
「海外行きたいとか、全然気付かなかったわ。やっぱ葉月流石だなー、応援してるから。あ、もしさ、留学してあっちで好きな人でもできたら、俺のこと好きじゃなくなったら、すぐ教えてよ。あっちは金髪のイケメンだってたくさんいるだろうし」
 ようやく発せられた彼女への応援には、自分でも最低だと思うくらいひどい強がりと卑屈と嫌味が混ざった。口にしてからしまった、と思ったけれど、言い直すのも謝るのもなんだかしやくで、思わず彼女から目を逸らす。しんとなった室内で、葉月が息を吞んだのが分かった。目を逸らした先のカーテンの隙間から、白い何かが見えた。二月の雪が、誰にも気付かれないように静かに降っていた。
 十九の誕生日、彼女と離れるまでのカウントダウンはもう始まっていた。

(つづく)

作品紹介



君に選ばれたい人生だった
著者 メンヘラ大学生
発売日:2023年09月26日

Saucy Dogの楽曲から生まれた、共感必至の連作短編集!
多くの共感を呼ぶバンドの楽曲を素に、SNSで人気のメンヘラ大学生が、独自の解釈で物語を紡ぎました。

◆収録短篇
「あぁ、もう。」
「煙」
「シンデレラボーイ」
「ナイトクロージング」
「ノンフィクション」

詳細ページ:https://www.kadokawa.co.jp/product/322203001854/
amazonページはこちら


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