【連載第23回】河﨑秋子の羊飼い日記「二頭だけの逃亡羊」
河﨑秋子の羊飼い日記

北海道の東、海辺の町で羊を飼いながら小説を書く河﨑秋子さん。そのワイルドでラブリーな日々をご自身で撮られた写真と共にお届けします!
>>第22回 ラグビー王者国のマッチョメン
羊飼いの閉業を決めて以来、着々と仕事じまいの準備が進んでいる。まだ子どもを産める繁殖羊は希望があった他の羊飼いに売却し、移動も終わった(余談だが、130キロオーバーという規格外の大きさであるうちのメス達をトラックに積み込む作業は非常に難儀した……)。食肉用として育てている子羊も、毎月予定通りに出荷してその数を減らしていっている。
いよいよ、12月の出荷をもって私の羊飼い業は終了となる。残りは二頭。今までうちの羊肉を使い続けてきて下さった、お世話になったレストラン数軒にお送りする予定だ。きっと何倍にも美味しく料理され、たくさんのお客さんに喜ばれることと思う。羊飼い冥利に尽きると同時に、最後までいい羊に仕上げねば、と身が引き締まる思いだ。
時期はもう晩秋、放牧地の牧草はほぼなくなったので、二頭を小さな小屋に移して、たっぷりと乾草を与えることにした。先日、外出先から帰宅した際、車窓からがらんとした牧草地を見ながら、柄にもなく感慨にふけってしまった。もううちの牧草地で羊が青草を食べる風景を見かけることはない。私の羊飼い業務もいよいよ最終局面なのだな……などと思っていたら。
なんかいる。短くなった草を必死で貪る白い塊が二体。小屋で大人しく出荷を待っているはずの子羊二頭が、なぜか牧草地にいるではないか。
「脱走だー!?」
そう、小屋の餌やり用の小さな隙間から無理やり体をひねり出して外に出、奴らが夏を過ごした牧草地に勝手に戻っていたのであった。
慌てて家に戻って作業着に着替え、苦労して二頭を確保。無事に元の小屋に収監するに至った。
そうだった。羊飼いというのは、徹底した管理とその管理の隙を見て予想外の行動をしてくれやがる羊たちとの攻防戦の連続なのであった。目を閉じれば蘇る、十五年間の様々なアクシデント……。
最後の最後まで気を抜かせてもらえないなあ、と、改めてため息をついた出来事だった。
河﨑秋子(かわさき・あきこ)
羊飼い。1979年北海道別海町生まれ。北海学園大学経済学部卒。大学卒業後、ニュージーランドにて緬羊育技術を1年間学んだ後、自宅で酪農従業員をしつつ羊を飼育・出荷。
『颶風の王』で三浦綾子文学賞、2015年度JRA賞馬事文化賞、『肉弾』では第21回大藪春彦賞を受賞。