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レビュー

人間、熊、犬。同等に命を張り、ぶつかり合う。野性の血が騒ぐ異色小説

 低いうなり声。骨が(きし)み、砕ける音。肉と肉が真っ向からぶつかり合う。ちぎれた肉片があたりに飛び散るのも構わず挑みかかってくる本書は、「肉弾(にくだん)」そのもの。気魄(きはく)の語りが、肉と肉、命と命が拮抗するありさまから目をそらすことを許さない。
 北海道の山中、四晩にわたって人間と動物が繰り広げる極限の物語である。二十歳の主人公キミヤは、ライフル銃で熊撃ちを企む父に連れられ、カルデラの奥深くへ足を踏み入れてゆく。父の趣味は狩猟、息子は父が勧めるまま狩猟免許を取得している。ただし、キミヤが父に抱く感情は鬱屈したままだ。生母、養母、そののち父の新たな結婚相手となった三度目の〝母〟は、キミヤにとって初めての性体験の相手となり、その現場に踏み込んで暴力をふるったのも父だった。複雑な家庭環境にありながら、狩猟にやってきた父と息子の前に突如立ち塞がった巨大な熊。父に襲いかかる熊に銃を向けてみるものの、キミヤはなすすべもない。そこへ、どこからともなく不可思議な犬の群れが現れて——。
 物語を司る人間、熊、犬。この三者を、まったき同等の存在として位置づけるところに、まず著者の眼目がある。つまり、人間もまた野生の動物として自然のなかに置き、文化や社会性を引き剥がして、いのちの尊厳を捉え直そうとするのだ。人間と野生の動物との関係においても、〈(人間が)狩る/(動物が)狩られる〉二項対立が取り崩され、人間も熊も犬も等しく〈狩る/狩られる〉。あらゆる命は、かくしてゼロ地点に置き直される。
 ここで思い出さずにはおられないのが、宮沢賢治だろう。賢治は、生きるうえで避けては通ることのできない「命の授受」を、童話の世界に託して語った。たとえば『なめとこ山の熊』。熊()り名人淵沢(ふちざわ)小十郎(こじゅうろう)は、熊を射止めたあと、熊にこう語りかける。
「熊。おれはてまへを憎くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめへも()たなぁならねえ。ほかの罪のねえ仕事していんだが畑はなし木はお上のものにきまったし郷へ出ても誰も相手にしね。仕方なしに猟師なんぞしるんだ。てめへも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生れなよ」
「因果」が意味するのは、むろん諦念などではない。それは、生きとし生けるものがいやおうなしに結ばなければならない関係のありよう。命を繋ぐために、ほかの生き物の命を奪い、食う行為によって授受がなされ、命は連鎖してゆくということ。
 ただし、本作にあっては、命の結びの行為はきわめてすさまじい。熊は、蹂躙と征服の証として人間のはらわたを貪る。その熊に飛びかかって頭部に食らいつき、キミヤは内なる野性を暴発させて死闘を挑む。かつて人間に飼われた過去をもつ犬たちは、牙をむいて野性に立ち向かう。いよいよ熊が絶命する一種異様な光景は、このおぞましさもまた命の(ほとばし)りなのだと語りかけてくるかのようだ。
 闘いに決着がついたとき、キミヤは掴み出した熊の肝臓にかぶりつく。
「これまで食べたどんな肉とも内臓ともかけ離れた、生き物そのものの味だった」
 死ぬか、生きるか。しかし、命を奪うだけでは生き残れないのだ。内臓を、肉を食べることによってキミヤは「因果」を噛みしだき、みずからの命として受け容れる。
 多くのテーマが混沌とした小説である。父殺し。近親相姦をはじめとする社会的タブー。快楽。欲望。殺生と肉食。野生と人間……曼荼羅図のなか、エロスとタナトスが色濃く渦巻くのだが、それらを引き受けるのが北海道の原始の自然であることに、私はなんともいえず救いと癒やしを感じた。
 命の根源に迫る大きなテーマに挑みかかる「肉弾」の勢いから、著者の武者震いが伝わってくる。咀嚼を迫る一語一文にがつがつと食らいつきたい。


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