二○一五年八月三十日、小説家同士のトークイベントを聴くために札幌にいた。打ち上げの席にお邪魔させてもらったのだが、やがて、少し離れた席についていた見知らぬ女性に目がとまった。ポニーテール風、というよりはひっつめ頭的に適当にまとめたヘアスタイル、Tシャツとパンツ姿に首からはタオルを下げた、洒落っ気皆無のスタイル。日焼けした筋肉質の身体つきと、強い眼差し。文系イベントの打ち上げの席ではあまりお目にかからない面構えのいい女性で気になったので、隣席の知人に「あれは誰か」と訊ねたら、「『颶風の王』という作品で三浦綾子文学賞を受賞した新人作家で、普段は北海道東端の別海町で羊飼いをしながら小説を書いてる」「今日ここに来る前、北海道マラソンを走ってきたみたい」という答えが返ってきたものだから、思わず「羊飼いぃ~っ?」「マラソォンン~ッ?」と素っ頓狂な声を上げたことを、今も鮮明に思い出すことができる。
帰京して、すぐ、『颶風の王』を買った。読んだ。驚嘆した。
雪洞に閉じ込められているのは一頭の馬と一人の人間。見事な体躯を持った葦毛の牡馬アオと、若い娘、ミネ。彼らが今いるのは東北の背骨、原生の気配をいまだ濃く残した山の中、雪崩で偶然できた雪の隙間であった
河﨑秋子のデビュー長篇は、ここからすべてが始まる物語だ。
明治の世の、東北の村。庄屋の娘なのに小作農の吉治を愛したミネは、お腹に子どもを宿したまま駆け落ちしてしまう。やがて見つかり、追っ手に吉治を殺されてしまったミネは、愛する男が丹精込めて育てた馬アオに乗って逃げ延びようとするのだが、雪崩で雪洞に閉じこめられてしまうのだ。
空気穴はあるけれど、食べ物もなく暖もとれない洞の中で、脚を折り動けないアオに自分の髪の毛を食べさせてやるミネ。餓死寸前の状況の中、腹の子のために、ついに死にかけているアオの肉を食べてしまうミネ。その後、自分の腕を切って、その血をアオに舐めさせてやるミネ。
ひと月後、かろうじて生き延びていたミネは奇跡的に発見される。しかし、〈この子のからだはアオのからだからできている〉〈私の子で、吉治の子で、そしてアオからできた子〉である息子は、捨造なんていう名前をつけられ、離乳が済むと小作農夫婦のもとに養子に出されてしまう。一方、正気を失ったミネは屋敷最奥の座敷で寝起きする身に。それから十八年後、〈違う。そうじゃねえ。ここじゃねえ。ここじゃあねえんだ〉という現状への違和感を抱えた捨造は、新聞に載っていた「開拓民募集」の記事を読んで、母を残していくことに後ろ髪を引かれながらも、北海道に渡る決意を固める。アオの血を引く素晴らしい馬と共に――。
と、ここまでが第一章。次章では、根室半島の海辺の地に根づき、馬を飼い育て、地引き網を引きながら暮らしている捨造と、その教えを素直に受け止め、子どもながら馬を育てる技術を身につけつつある孫の和子の物語が展開していく。
二人が育てた馬は、自分の家で使うだけではない。売ったり、他の漁師に貸し出しもする。一番大きな貸し出し先が網元で、初夏になると、昆布の好漁場である小さな無人島・花島へと、馬に綱をつけて船で牽き、海を泳がせて連れていくのだ。〈船が島に近づける僅かな砂地から、崖が比較的緩い場所につけられた細い坂道を、馬達は重い昆布を満載した馬車を牽いて登らねばならない〉という大変な重労働ゆえに強靭な馬が必要で、捨造と和子は、自分たちが育てた自慢の馬を花島にやることを誇りとしていた。
ところが、昭和三十年の夏、そんな花島を悲劇が襲う。台風によって船着き場まで下りる道が全部崩れ、崖の上に馬たちが取り残されてしまったのだ。和子は、愛馬のワカを救い出すことができないという現実に打ちのめされる。「おじじ、これまであんなに、あんなに、馬、大事にすれって言ったべや。いっつもいっつも言ってたべや」と祖父を責めずにいられない和子。「及ばれねぇ。及ばれねぇモンなんだ。もう、だめだ……」と心の痛みを言葉ににじませる捨造。馬の半数近くを失って暮らしが立ちゆかなくなった一家は、やがて、小豆農家を営んでいる和子の母方の実家に呼ばれ、十勝平野に移り住むことに。アオから始まった物語は、その子孫であるワカが花島に取り残されることで、いったん馬から離れることになるのだ。
それから数十年後。脳卒中で倒れた和子が、一週間の昏睡から覚めて、まず発した言葉が「馬ぁ、あれ、まだおるべか」だった。幼稚園児の頃、花島に取り残された十三頭の馬たちが子孫を残していると和子から聞かされていた孫のひかりは、その子孫が今やたった一頭しかいないことを知り、花島の馬に心を残している祖母のために自分が何かできないかを模索。通っている国立大学のサークル「馬研究會」が、特別自然保護区に指定され、一般人が立ち入ることができなくなっている花島に、年に一度渡っては、現地の馬の数の確認、生態の観察などを行っていることを知って、同行を願い出る。できるものならば、最後の一頭を島から助け出したいという熱意をもって。
及ばぬ。 人の意思が、願いが、及ばぬ。 ひかりの脳裏に強い文言が蘇る。オヨバヌ。祖母が繰り返していた言葉だ。地も海も空も、人の計画に沿って動いてはくれない。祈りなど通じず、時に手酷く裏切ったりもする。それは人がここで生き、山海から食物を得るうえで、致し方ないことなのだと
しかし、それでも「及ばせたいよ。おばあちゃん」と思うひかり。
明治から平成の世へと引き継がれていくこの物語は、「及ばぬ」という思いが「及ばせたい」という思いを生む物語でもある。そして、ひかりのその思いは、颶風(強く激しい風)吹きすさぶ花島で、「なんも。及んでるよ」と変化していく。孤島に取り残されて可哀相。たった一頭で可哀相。そんな人間の考えとは相容れない時間と場所で、馬は生きる。生き抜く。そのことを、説明ではなく、花島の自然と馬のたたずまいの描写によって伝えるラストがもたらす感動は格別だ。
この自然と人為(人意)の対比は、道産子をはじめとする外来種の血が入らない和種の馬について語る箇所でも強調されている。明治期に入り西欧文化が流入したことで、〈馬についても品種改良による形質の向上が必要だと〉理解した政府によって、去勢された日本の在来種の牡馬たち。しかし、完全には淘汰されなかった。〈例えば孤島。例えば辺境。政府の触れが届かない、あるいは住人がそれを遵守する気がない島では、政府の計画は実行されなかった〉〈当時、花島で祖父の捨造が貸し出し、使役されていた馬もまた、結果的に去勢を免れた〉。そんな、今や稀少とされる在来種の馬への愛情が、この小説の基盤になっているのだ。
馬に命を救われたミネ。馬によって命を与えられた捨造。自分が救い出すことができなかった馬に心を残し続ける和子。最後の一頭となった馬との対面によって、大きな視野を得るひかり。豊かで美しいだけではない、厳しく残酷な貌も持ち合わせる東北や北海道の自然を背景に、人と馬の百二十年余りの時間を、原稿用紙わずか四百枚弱で描ききった力量に感服。ベタついた動物愛護精神とはかけはなれた心持ちで、馬という生きものの魅力を伸びやかに伝える濶達な文章に感嘆。三年前の夏に見かけた面構えのいい女性は、面構えのいい小説を書く作家だったのだ。
なかでも、わたしが好きなシーンは、行方不明になったワカを探しに、幼い和子が月明かりとランプを頼りに、自分の家の登記になっている森に入っていく場面だ。大きなシマフクロウに脅され、ほうほうの体で逃げる和子はこう思う。
この森の主はけっして祖父ではない。あのシマフクロウだけのものでもない。この森は、森そのものの領分なのだ。和子は祖父の言葉を思い出す。 『オヨバヌトコロ』 祖父が繰り返していた言葉が脳裏に蘇る。及ばぬ所。空と海と、そして不可侵の大地。いかに人工の光で照らそうと、鉄の機械で行き来し蹂躙しても、人の智と営みなどとても及びもつかない、粗野で広大なオヨバヌトコロ
この場面に代表される、人間が分け入ることを許さない自然の領分と、そこで生きる動物たちへの畏れにも似た愛着は、長篇第二作『肉弾』にも受け継がれている。河﨑秋子の小説は、読んで面白いだけではない。自然と野生を身近から失ってしまった現代人の一人であるわたしに、生きものとしての己の本分を問いかけてくるのだ。面構えのいい作家は、これだから剣呑だ。これだから信頼できるのだ。
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