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レビュー

お父さん、何歳まで運転するつもり? 「わしは死ぬまで運転する!」――『うちの父が運転をやめません』垣谷美雨 文庫巻末解説【解説:岩間陽子】

父は運転をやめるのか。雅志の出した答えとは? 心温まる家族小説!
『うちの父が運転をやめません』垣谷美雨

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

うちの父が運転をやめません』著者:垣谷美雨



『うちの父が運転をやめません』文庫巻末解説

解説
岩間 陽子(国際政治学者)

 子供のころ、未来は明るいものだと思っていた。いわゆるバブル世代で、生まれたときから30歳くらいまでは、生活はよくなるばかりだった。日本中が進歩史観に取りつかれて浮かれていた、不思議な時代だった。今でもよく覚えているのは、小学校低学年くらいに読んでいた雑誌に描かれていた「未来の日本」像だ。そこにはSFに出てくるような未来都市が、イラスト入りで解説されていた。人々は宇宙スーツのような服を着て、空飛ぶ車に乗り、町はドームで覆われて、天候に関係なく、年中快適な気候で過ごせるようになっていた。「鉄腕アトム」の描く21世紀世界もそんなもんだった気がする。大阪万博の描く未来像も、似たり寄ったりだった。当時子供だった私は、親に連れられて万博へ行ったはずだが、とにかく人が多くて並んだこと、一番見たかった「月の石」はあまりに人が多くて断念せざるを得なかったことくらいしか覚えていない。
 いのうえようすい一九七二年のヒット曲に、「人生が二度あれば」という歌がある。

「子供だけの為に年とった 母の細い手 つけもの石を持ち上げている そんな母を見てると人生が だれの為にあるのかわからない 子供を育て 家族の為に年老いた母 人生が二度あれば この人生が二度あれば」

という切ない歌である。父親の方は、仕事に追われ、やっとこの頃ゆとりができたが、顔のシワはふえてゆくばかり、欠けた湯飲みぢやわんにお茶を入れ、湯飲みに写る自分の顔をじっと見ている。で、この両親が何歳という設定になっているかというと、「父は今年二月で六十五」「母は今年九月で六十四」なのである。当時の感覚では、これぐらいで年寄りだったのだろう。この時、陽水はまだ20代前半である。
 当時はまだまだ日本の人口は若かった。一九七五年の日本人の平均寿命は、男性七十一・七三歳、女性七十六・八九歳。これが二〇一九年だと、男性八十一・四一歳、女性八十七・四五歳。それ以上に激変したのが家族構成だ。厚生労働省の統計で、一九七五年当時、三世代世帯がまだ16・9%あり、高齢者世帯(厚労省定義では、「65歳以上の者のみで構成するか、またはこれに18歳未満の未婚の者が加わった世帯」)はたったの3・3%しかなかった。つまり、老人だけで暮らしているという状況は、非常にめずらしかったのである。おそらく田舎では、ほとんどなかっただろう。それが二〇一九年になると、全世帯の28・7%が高齢者世帯である。ちなみに三世代世帯は5・1%に減少している。
 だから、「うちの父が運転をやめません」が問題なのである。田舎の両親は孤立している。車がなければ、買い物も病院に行くこともできない。自分は、都会で住宅ローンと子供の教育に縛られている。生活は共働きでやっと。狭いマンションの部屋は、便利な道具であふれているが、家族はそれぞれの時間に縛られてすれ違い続け、まともな会話さえない。高齢者の運転する車が、通学中の子供の列に突っ込むという悲劇が、くり返し報道される。かきは、他に交通手段がある都会の老人には同情していない。だけど、田舎に残された老人から車を取り上げていいのか。多くの都会に住む50代が直面している問題だ。はっと気が付くと、明るかったはずの未来は、どこにもない。
 半世紀前の日本は、エネルギーに満ちていた。まだ、貧しさが随所にあった。舗装されていなくて、雨が降るとぬかるみになる道、み取り便所、夏になると断水になってバケツを持って給水車に並んだこと、台風が来ればかなりの確率で停電して、ロウソクで夜を明かしたこと。町には結構、野良犬がいたし、犬のフンやら、時には馬糞をよけながら登校していた。だからこそ、未来は明るく輝いていると思えた。
 生活はどんどん便利になっていった。最初に我が家に電気洗濯機、冷蔵庫、炊飯器、カラーテレビがやって来た時の興奮を、私の世代は記憶している。そのたびに明るい未来が近づいてくる気がした。日本中は新幹線で結ばれ、全国津々浦々まで、豊かになるはずだった。
 その未来が、気が付いたら消えている。一体いつから日本はこんな国になったのだろうか。垣谷美雨は、疑問を投げかける。

「パソコンや携帯電話が普及したことで、世の中は各段に便利になった。だからといって、仕事が効率化されて、少ない時間で仕事が済み、その結果としてプライベートな時間が増えた……とはならなかった。事実はまったく逆だ。便利になればなるほど仕事は忙しくなり(中略)いくら頑張って働いても金は足りず、常に将来の不安にかき立てられている」
「何のための便利さなのだろう。人生を豊かにするための道具ではなかったのか」

 だって、仕方がない。そう思って我慢してきた。これまでだって我慢していれば、問題は解決したじゃないか。日本はそうやって豊かになってきた──はずだった。
 だけど、これはもう完全に過去なのだ。日本はどんどん落ちぶれている。いろんなランキングはどんどこ落ちているし、円の価値も下がり、我々の労働生産性も落ちる一方である。日本経済の長い停滞期が始まってから、もう30年も経っている。高度経済成長期を超えるくらいの時間、我々は停滞しているのに、なんで昔の自己像にしがみついているのだろうか。
 新幹線は来ないのだ。自分の街には新幹線は来ない。それどころか、ローカル線も廃止され、バスもなくなるという。それなのに、この国の政治家の考えることといったら、「夢よもう一度」しかないのである。東京オリンピック、大阪万博、さつぽろオリンピック。高度経済成長期三点セットをもう一度やれば、また高度成長期が来ると思っている。違うだろう。当時は人口が若く、生活水準が低く、経済が成長し続ける余地があったのだ。オリンピックと万博をやったから成長したんじゃない。今の老人は、洗濯機もテレビも炊飯器ももう持っている。若者は家電を買って新しい世界が開けるとは思っていない。オリンピックと万博とカジノで、どんな未来都市を描くというのだろうか。
 私たちは違う未来を夢見ないといけない。いや、夢見るのをやめるべきなのだろうか。うちの町には新幹線は来ない。東京で塾代と私立中高の授業料を払い続けて、東大に入れたところで、傾きかけた日本企業でもらえる給料では、大した暮らしはできない。リセットすべきは価値観だ。未来像だ。私たちのしあわせは何? どこへ向かって走っているの? 一体どんな暮らしがしたいの? と問うべきなのだ。
 子供の頃は、しんせきに農家があった。貧乏の記憶、田舎の記憶があるのはしあわせなことだ。春と秋には墓参りに行き、昔風の家の縁側でみんなでご飯を食べた。父の運転で田舎のあぜ道を走り、田んぼにタイヤがはまって動けなくなった。春の山菜取り、さんしようの花や実を摘みに行った崩れかけた古い家。秋の栗拾い、新米を袋一杯もらって車に積んで帰ってくること。レンゲの花やら彼岸花やら、四季それぞれの田舎の景色がなんとなく自分の身体の中に残っている。チキンラーメンもスナック菓子もあったけど、桑の実、あけびの実、グミの実の味も知っている。
 この本の主人公と妻と子供は、それぞれに田舎の両親とかかわって、少しずつ未来像をリセットする。本当は、日本に新しい未来像が必要なのだ。だけど、政治に任せておいては、50代の私たちには間に合わない。人生は二度はない。でも、気づいたときに決断すれば、生き方を変えることはできる。決断せよ、50代。私たちは、貧しかった日本を覚えている。田舎の泥道も汲み取り便所も、お湯の出ない水道もそんなに怖くない。便利さだけでは、しあわせにはなれない。誰かに盗まれた時間と人とのつながりと空の広さを、再発見しないといけない。新幹線は来なくていい。でも、ローカル線の車窓に広がる景色と、それを楽しむ時間を、失ってはいけない。

作品紹介・あらすじ



うちの父が運転をやめません
著者 垣谷 美雨
定価: 792円(本体720円+税)
発売日:2023年02月24日

お父さん、何歳まで運転するつもり? 「わしは死ぬまで運転する!」
猪狩雅志は高齢ドライバー事故のニュースに目を向けた。78歳といえば親父と同じ歳だ。妻の歩美と話しているうちに心配になってきた。夏に息子の息吹と帰省した際、父親に運転をやめるよう説得を試みるが、あえなく不首尾に。通販の利用や都会暮らしのトライアル、様々な提案をするがいずれも失敗。そのうち、雅志自身も自分の将来が気になり出して……。父は運転をやめるのか。雅志の出した答えとは? 心温まる家族小説!

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322204000306/
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