新たな王道冒険ファンタジーの傑作、遂に完結!
『火狩りの王 〈四〉星ノ火』日向理恵子
角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
『火狩りの王 〈四〉星ノ火』文庫巻末解説
解説
押井 守
ファンタジイと呼ばれる形式の小説があります。
架空の世界を舞台に、架空の登場人物たちが、世界の命運を賭けて繰り広げる冒険の物語。童話とはやや趣を異にするが、要するに「大人向けの寓話」であり、現実逃避のための娯楽に過ぎず、いつまでも子供じみた夢物語の世界を捨てきれぬ、「大きな子どもたち」の嗜好を満たすための夢物語──。概ねそういった認識が一般的なのではないでしょうか。人間のありようを真摯に追求する、いわゆる「文芸作品」ならいざ知らず、いい歳をした社会人が真面目な顔で語るような小説ではない。好意的に考えたとしても、SFや推理小説と同じ、やや専門的で高踏的な趣味人の欲求を満たすための形式に過ぎないし、なんであれ、現実に立ち向かうことを放棄して「現実逃避」に耽ることはよろしくない、と。
果たしてそうでしょうか。
ファンタジイ小説の金字塔として、その表題だけは誰もが知りながら、その膨大な物量ゆえに読了したものが殆どいないことでも有名な『指輪物語』の作者、J・R・R・トールキンはかつてこう語ったことがあります。
「現実社会という名の牢獄に不当に投げ込まれたことに気づいた人間が故郷へ逃げ帰ろうとするとき、どうしてそれが非難の対象になるのか?」
その「牢獄」からの脱獄が絶望的とも思える状況の中で「看守や独房の粗壁」から眼を逸して、ほかの楽しいことがらに想いをめぐらす──かつて社会から落ちこぼれた高校生であり、それこそ「牢獄」のような学校や家庭から逃れるためにSF小説を読み耽ることでなんとか生き延び、気がついてみれば監督として、それこそ「逃避」そのもののようなアニメ作品を量産することを生業としてきた自身の来歴を振り返るなら、私もまたトールキンの意見に全面的に賛同せざるを得ません。
人は「現実」だけを生きることはできないし、人生とは「日常」を重ねることだけではありません。
架空の世界の架空の人物として「もうひとつの世界」を生きる体験もまた、人間本来の在りようであり、そして間違いなく人生の一部なのです。
というところで、本格的なファンタジイであり、また野心的な試みでもある「火狩りの王」のお話です。
本格的であることは本書を一読すれば、ファンタジイのファンならずとも直ちに了解できることなので敢えて触れませんが、どこがどう野心的なのか。ファンタジイという形式の持つ魅力に触れながら、その点について解説らしきことを記してみます。
ファンタジイという形式は、創作するものにとっては甚大なエネルギー消費を強いる形式です。
なにしろ架空の歴史を辿った、架空の世界の、架空の人間たちの物語なのですから、これを読者の納得のいくように、あたかもその世界の住人であるかのように体験して貰うためには、世界の端々に至るまで──小は日常の描写から大は世界の成り立ちに至るまで、現実の世界とは異なる衣服や食料、住宅や乗り物の設定から始まって、その世界の歴史や社会の経済構造、統治システム、さらには距離や重さなど度量衡の単位や言語体系に至るまで、実に膨大な設定を考えなければならず、しかもこれら全てを名づける、つまり「命名する」という気の遠くなるような作業が必要となります。先にも掲げた『指輪物語』三部作だけでなく、これも表題だけは多くの人が知っているであろう『ゲド戦記』や『ナルニア国物語』など、高名なファンタジイがもれなく大長編である所以でもあります。「SFは設定を語ることがそのまま物語となる形式である」という言葉もありますが(私が言ったのですが)、ファンタジイもまた膨大な設定によって現実とは異なる「もうひとつの世界」を構成する形式であり、そしてその膨大な設定を知ることそれ自体が大きな楽しみとなる、読者にもそれなりの労力が要求される形式でもあります。当今流行りの量産型ファンタジイである「異世界転生もの」とはわけが違います。書く側にとっても読む側にとっても、想像力を駆使することを要求されるのが、ファンタジイという形式の本来の在りようなのです。この膨大な作業だけでも大変なのですが、これら全ての設定に基づいて、世界観との違和を感じさせることのない固有名詞を与えるという、これまた膨大な作業が必須となります。「気合」とか「根性」とかいう言葉だけでは足りません。『指輪物語』で設定されたエルフ語はケルト語を参考に発音法まで創作されたことで有名ですが、時には架空の言語体系まで構築する凝り性の作者もいたりします(ちなみにトールキンの本業は言語学の教授です)。文字通り気の遠くなるような仕事なのですが、ではなぜそんな困難な作業に挑戦する作家がいるかと言えば、実はこの「命名」という作業こそがファンタジイを創作するものにとって最大の苦難であるとともに、喜びでもあるからなのです。
想像力を駆使して「もうひとつの世界」を築き上げるということほど楽しいことはありません。
そして「命名する」という行為は、世界を築き上げることと同義であり、支配することでもあります。
わけても登場人物に名前をつけることは、文字通り「名付け親」になることであって、その名前には作者独自の思い入れがあるものです。「火狩りの王」にもさまざまな人物が登場しますが、その名前は単なる思いつきではなく、「火」に関わる文字という制約に加えて、時に個性や役割を象徴する数字を末尾につけるという独自のルールが存在し、作品世界を構成する重要な要素にもなっています(そのユニークな命名法については作中でも語られています)。名前が単に固有名詞であるだけでなく、物語の中での役割をも象徴し、その運命を決定するものでもある──「命名のルール」にも重要な意味が隠されているのがファンタジイ独特の面白さであり、ファンタジイが実は何よりもまず「言葉の世界」であることの証明でもあるのです。そして、だからこそファンタジイを映像化することは困難であり、本作のアニメ化にあたって脚本を担当した私の悩みのひとつでもあったのですが、それはまた別のお話ですので割愛させて貰います。
「命名」に関連して言うなら、ファンタジイにはその世界に固有の職業というものがしばしば存在するものですが、本作におけるそれは表題にもなっている「火狩り」がそれにあたります。「火を狩るもの」の「火」とは「黒い森の炎魔の輝く血液」であり、この世界において明かりを灯す「光」であり、日々の生活を支え、機械を動かして産業を支える「エネルギー」でもあります。「火狩り」は犬とともに凶暴な「炎魔」を狩りたてる猟師のことなのですが、現実の世界の猟師が獣を狩って肉や皮を得るように、「火狩り」はこの世界を支える「エネルギー」を集める者たちの職名なのです。そして、そうであるがゆえに、「火狩り」は人々に畏敬の念を持って迎えられるとともに、例外者として疎まれもする、作中において重要な存在なのですが、その彼らが命懸けで採取する「火」とはいったい何か──本作を読まれた読者なら、この「火」が何を象徴しているか、すでに察していることでしょう。かつて存在した世界を滅ぼした巨大な「火」。人間が生きるために不可欠でありながら、扱いようによっては人間社会を再び滅ぼしかねない「火」とはいったい何の暗喩なのか。作品世界を根底から支える「火」というユニークな設定が、実は「火狩りの王」という小説を、たんなる冒険物語であることにとどまらない、現実社会をもその射程に収めた、謂わば「開かれたファンタジイ」にしている重要な要素でもあるのです。
そしてもうひとつ、本作には「火狩り」に関わる重要な設定があります。
それは、本作の主人公である少女と少年がどちらも「火狩り」ではないことです。
ファンタジイの主人公といえば、特殊な能力を持つ選ばれた人間──つまり「英雄」であったり高貴な血筋の人間であったりすることが通例であり、だからこそ多くのファンタジイが「英雄譚」「貴種流離譚」として書かれてきたのですが、本作の主人公である灯子と煌四は、ごく普通の子供たちに過ぎません。煌四は「火狩り」であった父とは正反対に知的で学業に秀でた少年ですが、ひとりでは病弱な妹を守る力も持たず、意に沿わぬままに富豪の家人となります。灯子はありふれた村娘でしたが、命を救ってくれた煌四の父の遺品と犬を遺族に届けるために首都へ旅立ちます。どちらも大望を抱いたり、野心から行動を起こしたわけでもなく、謂わば成り行きに身を任せて、それぞれの運命に向かうのであって、常に周囲の人間たちへの思い遣りを忘れることがない、心優しい、しかしこれといって突出した能力もない普通の子供です。彼らの共通点と言えば二人が二人とも両親を失っていることくらいで、煌四の父親が灯子の命を救うかわりに命を落としたという経緯はあるものの、ファンタジイにつきもののロマンスが描かれるわけでもなく(なにしろ子供ですから)、アニメや漫画でお馴染みの「超能力が発動」することもなく、最後まで非力な庶民の子として、周囲の人間たちに支えられ、身も心も傷つきながら強大な敵に立ち向かうことになります。なぜファンタジイの定番ともいうべき設定を敢えて外して、主人公たちに過酷な試練を与えるのか──そこに作者の強い思いが、市井に生きる人々への思いが込められていることは確かでしょう。そしてその強い思いこそが「火狩りの王」という小説を、先の「火」という主題とともに、特異なファンタジイにしていることは間違いありません。
その「思い」の拠って立つところが、作者の児童文学者としての独自の視点に由来するかどうかは措くとしても、「逃避」として出発しながら、翻って現実世界への視野を新たに広げる、ファンタジイという形式の不思議な可能性を「火狩りの王」という作品は指し示しています。
本作をして本格的でありつつも特異なファンタジイ、と書いた所以であります。
「火狩りの王」がさらに巻を重ねて長大な物語になるのか──本邦においては珍しい本格的なファンタジイであり、野心的な試みでもあるだけに、その続編にも期待したいと思います。
そして最後に、読者にはアニメ版「火狩りの王」にも期待して戴きたい、と一言申し上げておきます。
作品紹介・あらすじ
火狩りの王 〈四〉星ノ火
著者 日向 理恵子イラスト 山田 章博
定価: 836円(本体760円+税)
発売日:2023年02月24日
新たな王道冒険ファンタジーの傑作、遂に完結!
一度は神宮を目の前にするも、神族の力により黒い森に戻されてしまった灯子たちは、ふたたび神宮を目指して動き始めた。煌四は炉六とともに海を越えて首都に戻り、妹の緋名子を探すことに。一方、森で〈蜘蛛〉が生み出したという特別な虫を探す灯子と明楽は、ある神族と出会い危機に陥るが……。はたして彼らは願い文を姫神に届けることができるのか。千年彗星〈揺るる火〉が、最後に下した決断とは? そして、伝説の「火狩りの王」は生まれるのか――。新たなる王道冒険ファンタジー、堂々の完結作!
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322204001068/
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