11歳から42歳、それぞれの「選択」に向き合う男女を描いた、著者初の短編集。
『今日も町の隅で』小野寺史宜
角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
『今日も町の隅で』著者:小野寺史宜
『今日も町の隅で』文庫巻末解説
解説
今日も町の隅で、どんな大事件があったのかと思って読んでみると、別に大した事は起こらない。どのエピソードも、日本のあちこちに転がっていそうなことばかりである。そこにあるのは、リアルな日常、ありふれた生活。
そう、僕らの日々の暮らしと一緒。アッと驚くどんでん返しも無ければ、誰はばかることのない号泣とも無縁。現実の人生は、映画のようにドラマチックには進まない。
にもかかわらず、『今日も町の隅で』には、読んだ人の顔を上げさせる何かがある。そう感じるのは、恐らく僕一人ではあるまい。コピペしたような毎日が、きっかけ一つで変わる、いや、変えられる。そんな気にさせられたのも、僕だけではない
〝今日も町の隅で〟どころか、昨日も
それを考えながら、改めてページをめくってみて欲しい。すると物語の端々に、僕ら平凡な一般庶民へのエールが潜んでいることに気がつくだろう。幾つか例を挙げてみたい。
第一話「梅雨明けヤジオ」で描かれるのは、クラスでハブられて登校出来なくなった小五女子の夏休み。のけ者扱いのそもそもの原因を作り出した男子に、唐突に野球観戦に誘われて「は?」と大いに戸惑うのだが、彼の不器用な誠実さに触れるうち、もう一度自分自身に期待する気持ちが、静かに頭をもたげてくる。
《夏休みはまだ始まったばかり。あと四十日以上ある。/それだけあれば、気も変わるかもしれない。九月一日には、学校に出ていけるかもしれない》
その意気や良し。頑張れ! と思わず
初デートの行先は、スカイツリーではなく敢えて(?)東京タワー。第二話「逆にタワー」で主役を務めるのは、友達と組んだバンドで、ギターからベースに転向させられた中三男子。せっかく東京タワーに来たのに、とある事情で上れない。仕方なく
《ギターで勝てないならベースで挑む。それは逃げじゃない。立派な勝負だよ》
上れないなら歩けばいい。ギターで負けたらベースで競う。そう、人生は一度負けたぐらいでは終わらない。心機一転、
第六話「リトル・トリマー・ガール」の語り手は、小説家志望の文学青年。応募した文学賞でことごとく落選し、半ば腐りかけている時に知り合ったのは、近所にトリミングサロンをオープンさせた女性。なかなか軌道に乗らない商売を、笑い飛ばすかのような朗らかさに、驚くやら感心するやら。その屈託の無い笑顔に心を洗われて、いつしか青年の足取りも軽くなる。
《さあ、始まる。次の話が動き出す。一週間は引っぱらない。今回のブルーはもう終わる》
いいね。夢を追い駆けるなら、エピローグよりも次回予告。
……といった具合に全十話を紹介するほどの紙幅は無いのだが、既に皆さんお気づきだろう。この短編集のどの主人公も、一度、人生の航路で座礁しているのだ。目的地には
が、禍福は
試しに、あと一編だけ紹介してみよう。
第四話の「チャリクラッシュ・アフタヌーン」は、とりわけこの短編集の、ひいては
主人公は、運よくデビューは果たしたものの、その後は鳴かず飛ばずのミュージシャン。自分には音楽の才能は無い。歌で成功する可能性は低いだろう。頭では理解しているその現実を、感情では受け入れられずに、未練がましく時間を浪費する。見かねた知人が声優の仕事を紹介してくれるも、なかなか本気で向き合えない。
そんな
帰路、多少脚を引きずりながら胸の内でぽつりと
《でも、まあ。やってみっか》
何を? 声優の仕事を。本気で? そう、本気で。試しに与えられたセリフを胸の中で唱えてみる。そして、自信を深める。
《最低だが最高のセリフだ。おれならうまく言うだろう。何なら、うたよりもうまくこなすだろう》
この時、彼は
これがあるから、小野寺史宜はやめられない。
生きていれば、いつか負けることはある。大切なものを失うことだって、きっとある。けれど、負けと終わりは違うだろう? 手放すことで、新たに得るものだってあるんじゃないか? そんなメッセージを、今までもずっと送り続けてくれたのが、小野寺史宜という作家だと思うのだ。
例えば──。
運に見放されたような二人のサッカー選手が、手にした縁を育み、その縁に育まれながら、未来を切り開いてゆく『リカバリー』。
客と
弱小サッカー部の万年ホケツの高校生を描いたのは、その名も『ホケツ!』。自分の気持ちよりも、つい周りを優先してしまうぼくは、個性が乏しい人間なのか? なんて悩んだりもしたけれど、そうじゃない。周りの気持ちを
初めての上京、初めての一人暮らし。そこで知り合う老若男女との触れ合いの中で、世間知らずの青年が大人へと脱皮してゆくのは『まち』。縁で結ばれた人々と助けたり助けられたりを重ねながら、心の古傷を
『とにもかくにもごはん』の舞台は、亡き夫の言葉に背中を押されて始めた子ども食堂。訪れる人々との出会いが、あるかなきかに連鎖して、夫との思い出を優しく彩るラストは、何度読んでも胸が温まる。
と、こんな調子で紹介を続けるとキリが無いのだが、小野寺史宜が〝負け組〟に向けるまなざしは、分かって頂けるのではないか。
一生懸命走っている時ほど、転んだ時の傷は深く、痛みは大きいのだ。だから、その傷も涙も、決して恥ではないのだ。一度敗れたからといって、人生が終わる訳じゃない。生涯に夢は一つだけ、なんて決まりもない。「でも、まあ。やってみっか」──そう呟いたら、そこをスタートラインにすれば良い。
そして──。昨日出来なかったら、今日頑張れば良い。今日ダメだったら、明日再び挑めば良い。小野寺史宜は、きっとそう言いたいのではないか。だからこそ本書は、〝今日は〟ではなく、〝今日も〟町の隅で、なのだろう。そして恐らく、〝明日も明後日も〟町の隅で、に違いないのだ。
だから──。小野寺史宜は、これからも声援を送り続けるだろう。今日も町の隅で、敗北にへこたれず、立ち上がろうとする誰かがいる限り。
作品紹介・あらすじ
今日も町の隅で
著者 小野寺 史宜
定価: 792円(本体720円+税)
発売日:2023年02月24日
『ひと』の著者、初の短編集。
同級生の長野くんに誘われて野球観戦に来た愛里。2人の前には大声でヤジを飛ばす男が座っていて……「梅雨明けヤジオ」。バンドでリードギターからベースになった悠太が初デートで訪れたのは“ツリー”ではなく“タワー”だった――「逆にタワー」。思いもよらない偶然を重ねて出会った駿作と那美は、その時が来るのを待つ「君を待つ」。ほか、全10編を収録。11歳から42歳、それぞれの「選択」に向き合う男女を描いた、著者初の短編集。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322210000677/
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