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試し読み

本屋大賞2位の『ひと』で人気の小野寺史宜さん初の短編集、2話分試し読み!#1

日常の何気ない風景の中から人と人との営みを丁寧に切り取り、それがかけがえのない出会いであることを教えてくれる小野寺さんの小説。最新刊『今日も町の隅で』はまさにそのエッセンスが凝縮された短編集です。登場人物は11歳から42歳の男女。彼らがそれぞれの「選択」に向き合う10話の中から、厳選した2話を公開します!

同級生の長野くんに誘われて野球観戦に来た愛里。二人の前には大声でヤジを飛ばす男がいて……
「梅雨明けヤジオ」(前編)

 小五女子。野球は好きじゃない。
 なのに野球場にいる。
 きちんとした野球場だ。いつもはプロチームがつかう。
 今は高校生たちが試合をしてる。夏の大会の県予選。優勝すると、こうえんに行けるのだ。
 四回戦。勝てばベスト16らしい。16なら。ベストという言葉をつかうのはまだ早いような気がする。ベスト4とか、せめてベスト8。そのくらいからでいい。でもながくんに言わせれば。予選には百五十校以上が参加するから、ベスト16でも、いや、何なら、今のベスト32でも立派なのだそうだ。だったら、まあ、ベストをつかってもいい。
 いつも一回戦か、よくても二回戦で負けてた県立みつば高が四回戦に進むのは初めてだという。だからちょっと話題になってはいたのだ。わたしだけじゃなく、お母さんもお父さんも野球に興味がないしま家でも。
「みっ高、何で急に強くなったの?」と、右隣の長野くんに尋ねる。
「ピッチャーがいいんだよ。さか。エースで四番。みっ高もそんなには打てないけど、相手にもそんなに打たれない。でも今日の相手は強いらしいよ。優勝も狙えるとこみたい」
「ふぅん」
 実際、みっ高は〇対三で負けてる。ピッチャー酒井さんは一回から打たれたし、みっ高のバッターは全然打てない。野球のことは何も知らないわたしでさえ、これじゃ勝てないだろうな、と早くも思ってる。
 応援席にいるブラスバンドの演奏からして、もうちがうのだ。向こうのは、何ていうか、音にしんがある。整ってる。それにくらべると、みっ高のブラスバンドの演奏は薄っぺらく聞こえる。
 夏休みの初日。スタンドはそんなに埋まってない。内野席の入りは半分くらい。外野席は開放されてもいない。この段階だと、対戦する二校に縁がある人しか観に来ないのかもしれない。でなきゃ、雨予報だからこうなのか。現に空は曇ってる。梅雨は明けたはずなのに。
 みっ高が、四点めをとられた。守ってる人が、エラーをしたのだ。
 長野くんとわたしの前の列に座る男の人が、地元プロチームのメガホンで手のひらをパンパンたたきながら、大声を上げる。
「おい、何やってんだよ! それ捕れないって何だよ! 練習してんのかよ!」
 見た感じ、大学生ぐらい。初めからその調子。本人は選手たちを励ましてるつもりかもしれないが、ヤジにしか聞こえない。言い方が、かなりキツい。
「四点差かぁ」と長野くんも言う。「満塁ホームランを打っても、まだ同点だよ」
 よくわからない。勝てそうもない、ということだろう。
 今さらながら、いてみる。
「野球、好きなの?」
「好きだけど、サッカーほどではないかな」
「じゃあ、今日は何で?」
「地元の学校が勝ち進むと、やっぱ応援したくなるじゃん」
「地元って。来たばかりじゃない」
「来たばかりでも。住めばそこが地元でしょ」
 住めば都、ではなくて。住めば地元。当たり前。長野くんは四月によそから転校してきた。住んでまだ四ヵ月弱。わたしなら、それでみつばを地元とは言わないと思う。
 長野しようくん。わたしが今ここにいるのは、この長野くんに誘われたからだ。
 二週間くらい前に一度、長野くんはウチに来た。
 午後六時すぎに、ウィンウォーンとインタホンのチャイムが鳴った。お母さんが出た。わたしは二階にある自分の部屋にいた。呼ばれはしなかった。呼ばなくていいです、と長野くんが言ったらしい。
 長野くんは一人だった。友だちが一緒ではない。そうしなさいと先生に言われたわけでもない。それなのに、クラスの女子の家を一人で訪ねてきた。勇気がある、のではない。無神経なのだ。
 たぶん、ぼくのせいです。と長野くんはわたしのお母さんに言った。そして、すいません、と頭を下げた。わたし自身、お母さんにきちんと説明してはいなかったのに、その説明を、勝手にしてしまった。無神経な、バカ男子だ。
 長野くんていう子が謝りに来てくれたよ、とお母さんはあとでわたしに言った。喜んでることが、その話しぶりでわかった。わたしのことを相談しに行った学校から帰ってきたときよりは、ずっと明るかった。
 で、昨日。
 長野くんは再びウチにやってきた。またお母さんが出た。今度はわたしも呼ばれた。いやだったけど、玄関に出ていった。実はすごく迷った。出ていかないことも考えた。それはちょっとキツいな、と思った。わざわざ会いに来てくれた人を、追い返すのだ。結局、わたしはやりいいほうを選んだ。会わずに追い返すよりは、出てしまうほうを。
 ただ、ムスッとはしてたはずだ。何? とだけ言った。
 そこで、長野くんに言われたのだ。もう夏休みだから、明日あした、みっ高の試合を観に行こうよ。
 は? と言ってしまった。ねぇ、バカなの? と言いそうになった。
 お母さんも驚いてた。それはそうだろう。自分の目の前で、小五の娘を、クラスメイトの男子が誘うんだから。
 でもちょっと安心した。断ればいい話だからだ。わたしが断るまでもない。お母さんが断るだろう。そう思った。
 のだけど。
 お母さんは言った。行ってきなさいよ、あい
 は? と言ってしまった。ねぇ、断ってよ、と言いそうになった。
 予想外の事態に、あたふたした。うまく対応できなかった。そこでもわたしはやりいいほうを選んだ。行かないと断るよりは、まあ、いいけど、と言ってしまうほうを。
 だから今、こんなことになってる。
 もちろん、デートなんかじゃない。あとで振り返ったときに、自分の初デートがこれだと言うつもりはない。まったくない。初デートの場所が野球場であっていいわけがない。相手が長野くんであっていいわけがない。
 もう夏休みだから、という長野くんの言葉が意外に利いた。ずっと学校に行ってないわたしに、夏休みは関係ない。ただ、ちょっとほっとしたことも事実。みんなが休み。わたしだけが行かないわけじゃない。自分一人が特別なことになってるわけじゃない。そうは思える。
 みっ高が、また一点をとられた。またエラーでだ。
 ゴロを捕った人が一塁に投げた球が大きくそれた。三塁にいたランナーが、ホームベースのところにゆっくり戻ってきた。
 前列の男の人が、例によって大声を上げる。
「おいおい、どこ投げてんだよ! 味方の足を引っぱるなよ! 打てないなら、せめて守れよ!」
 言い方がどんどんキツくなっていく。本気で怒ってるみたいに聞こえる。
「そんなんで勝てるわけねえよ! 勝ってきた相手に申し訳ねえよ!」
 長野くんが、わたしに小声で言う。
「ヤジオだね」
 何のことかと思うが、すぐに気づく。だ。ヤジばかり言ってるから、ヤジオ。つい笑う。
 一列後ろでそんなあだ名をつけられたことも知らずに、ヤジオはなおも言う。
「やる気がねえならコールドで負けちゃえよ! やる気があるなら見せろよ! 頼むから、もっと勝つ気を見せろよ!」
 うるさいなぁ、と思う。やる気があるのに負けることもあるのだ。勝つ気を見せたところでどうにもならないこともあるのだ。
 四年生までは、何の問題もなかった。学校は楽しかった。不登校なんて、それこそ人ごとだった。
 でも五年生になって、クラス替えがあった。担任はおかざき先生になった。四十代の女の先生だ。そして長野くんが転校してきた。
 一学期の初日。始業式があったその日だけで、クラスがどうなるかは、何となくわかった。男子のリーダーはかわもとあゆむくんで、女子のリーダーはいいさん。二人を中心に動く。ほぼ全員がそう思ったと思う。受け入れたと思う。
 それを乱したのが、長野くんだ。
 一学期の二日め。岡崎先生はさっそく学級会を開いて、クラス委員を決めた。
 クラスのリーダーイコールクラス委員、ではない。低学年のころはそうだったけど、去年あたりから感じが変わってきた。面倒なクラス委員なんてやるだけ損。私立中学に行こうとしてる子がやればいい。そんな空気になったのだ。
 このクラスで言えば。やっぱり川本くんと飯田さん。二人は頭もいいし、私立にも行きそう。だからその二人がやってくれればいい。それがベスト。きれいにまとまる。
 で。
 誰か委員長に立候補する人は? と岡崎先生がみんなに訊いた。
 はい。と手を挙げたのが、何と、長野くんだ。昨日、転校のあいさつをしたばかりの、長野くん。
 さすがにみんな驚いた。岡崎先生も驚いた。
 ぼく、やります。と長野くんは言った。やりたいです、ではなく、やります。
 立候補は推薦よりも優先されるべきだ。
 にしても。
 ほかには? と岡崎先生は言った。
 手は挙がらなかった。川本くんも飯田さんも、挙げなかった。推薦されてたら、二人ともやってたと思う。でも立候補するつもりはないのだ。それはカッコ悪いから。
 長野くん、やる気があってとてもいいです。と岡崎先生はまずほめた。そして続けた。ただね、やるにしても、二学期からにしたらどう? ほら、長野くんはまだ来たばかりでみんなのことをよく知らないし、みんなも長野くんのことをよく知らないから。一学期はみんなと勉強したり遊んだりして、二学期になったときにまた考えてみればいいんじゃないかな。先生はそう思うんだけど。
 ぼくはすぐにやりたいです。と長野くんは言った。二学期になったら、もういいと思っちゃってるかもしれないし。
 でもねぇ、ちょっと早すぎるような気がするんだけど。
 もしぼくがダメだったら、途中で替えてください。それでいいです。
 まあ、そこまで言うなら。と岡崎先生も折れるしかなかった。みんな、長野くんが委員長ということで、いいかな?
 いいです。と川本くんが言った。そこで発言するあたりがリーダーだ。だったらまかせてみましょうよ、という感じ。リーダーのぼくはそれでいい、とみんなに知らしめる感じ。
 じゃあ、委員長は長野くんということで。次に副委員長を決めます。
 みつば東小の場合、クラス委員は二人。委員長と副委員長。委員長は男子で副委員長は女子と決められてるわけではない。女子も委員長になれる。実際になることは、あまりないけど。
 誰かが飯田さんを推薦してすんなり決定。そんな流れになると思ってた。ならなかった。飯田さん自身が、何と、わたしを推薦したのだ。島さんがいいと思います、と。
 別に悪気はなかったのだろう。わたしがよかったのではなく、誰でもよかったのだ。わたしは三年生のときに副委員長をやったことがある。飯田さんはそれを覚えてたのかもしれない。推薦する女子として、島愛里はちょうどよかったのだ。
 それはまた、自分はやる気がないという、飯田さんの意思表示でもあった。わたしはかなり困った。飯田さんを推薦するわけにはいかない。それをしてしまうと、やり返した感じになる。険悪な空気になる。
 投票でわたしが飯田さんに勝つことはないだろう。そうなれば、副委員長はやらなくてすむ。でもあとがツラい。飯田さんに恨まれるかもしれない。今回推薦されたくらいだから、どうせ二学期も推薦されるだろう。そこでは副委員長をやらされるだろう。だったら、今ここで抵抗することに意味はない。
 誰かが飯田さんを推薦してくれるのを、わたしは待った。飯田さんでなくてもいい。誰かが誰かを推薦してくれるのを待った。もう手は挙がらなかった。挙げる必要はないのだ。挙げなければ、わたしに決まるのだし。
 ほかに推薦者もいないようだから。と岡崎先生は言った。島さん、やってもらえる?
 いやです。絶対にやりません。と強く断る自分を想像しながら、わたしは力なく言った。じゃあ、やります。
 二学期にクラス委員をやると、短い三学期もこのままで、ということになりかねないので、やるなら一学期にやってしまったほうがいい。そう自分に言い聞かせて、わたしは五年一組の副委員長になった。
 そして、後悔した。
 長野くんは、思った以上にダメな委員長だった。副委員長のわたしから見れば、ということだ。岡崎先生から見れば、最高の委員長だったかもしれない。初めは不安を覚えてたはずの先生も、すぐに長野くんを信用した。学期途中での交替なんて、考えもしなかったにちがいない。
 長野くんは熱心だった。あまりにも熱心すぎた。岡崎先生の指示をクラスのみんなに忠実に伝え、守らせた。
 例えば先生が職員室で長野くんに、静かに自習させなさい、と言う。すると長野くんが教室でみんなに、静かに自習してください、と言う。そして一言もしゃべらせない。例えば先生が長野くんに、掃除をサボらせないようにしなさい、と言う。すると長野くんがみんなに、掃除は絶対にサボらないでください、と言う。そして一人もサボらせない。そんな感じ。
 長野くんは、副委員長のわたしにもそうすることを求めた。男子はおれが見るから、女子は島さんが見てよ、と言った。またそんなことを、みんなの前で言うのだ。よく言えば、裏表がない。悪く言えば、気が利かない。みんなは、気が利かない、をとった。あいつ何なの? になった。島も何なの? になった。
 委員長が川本くんだったらなぁ、とわたしは何度思ったことだろう。川本くんなら、同じことをもっとうまくやってたはずだ。岡崎先生からの指示も聞いて。最低限のことだけをみんなに伝えて。先生には、みんなが言うことを聞いてくれなくて、と軽めに言って。みんなには、おれが先生に怒られちゃうからさ、と軽めに言って。そういうのを、本当に軽やかにやって。でも陰では舌を出して。
 長野くんは、そんなふうに立ちまわることができなかった。はっきりと先生の側に立つのが委員長だと、そう思いこんでるみたいだった。
 長野ウゼー、島ウゼー、という声があちこちから聞こえてくるのに時間はかからなかった。みんな、その言葉を隠さなくなった。男子だけでなく、女子までもが言うようになった。長野くんは知らん顔をしてた。まちがったことはしてないんだから気にすることないよ、とわたしには言った。それもまた、みんなの前で言うのだ。勘弁してほしかった。
 上には岡崎先生と長野くん、下にはクラスのみんな。わたしは完全に板挟みになった。そうとらえてるのはわたしだけ、というところがまたツラかった。長野くんはわたしが女子をまとめられないことを不満に思ってるはずで、クラスのみんなはわたしを長野派と見てるはずだった。そして岡崎先生は。どうせ何も見えてない。
 わたしは見事にきらわれた。幼稚園のころからずっと、みんなにきらわれないようにしてきたつもりなのに、あっさりきらわれた。巻きこまれてそうなることもある。自分の力ではどうにもならないこともある。そのことがショックだった。
 六月の初め。学校のトイレに入ってたときに、飯田さんがほかの数人に言った。
 まさか島さんがああなるとはね。推薦なんかしなきゃよかった。
 わたしは個室から出られなくなった。飯田さんは、たぶん、わたしがそこにいるのを知ってて、わざとそう言った。気づかずに言ったように見せたのだ。そう見せたとわたしが思うことまで、計算してたかもしれない。
 飯田さんたちは、次の授業の始まりを告げるチャイムが鳴り終わるころに、ようやくトイレから出ていった。
 わたしは、すぐには出ていけなかった。五分ほど遅れて、教室に戻った。
 もちろん、授業は始まってた。副委員長が何やってるの! と岡崎先生に怒られた。
 返事はしなかった。だって、トイレにいたとは言えない。まず、飯田さんに対して言えない。そして、女子だから、言えない。そういうことを察してくれないのが、岡崎先生だ。自分もかつては女子であったことを、もう忘れてるのかもしれない。
 島さん、返事をしなさい!
 それでもわたしは返事をしなかった。ではどうしたかと言うと。机につっぷして、泣いた。あーあ、やっちゃった、と思った。泣いてるのに、どこか冷静だった。外側からも内側からも、ひどく冷やされてる感じがした。
 その次の日からだ。学校に行かなくなったのは。

(後半へつづく)


小野寺史宜『今日も町の隅で』

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