とにかくウツなOLの、人生を変える1か月

「だるおも……」朝の目覚めと倦怠感。そんな毎日を変えられる扉があったら、あなたはどうする?
毎日を頑張るすべての人へ――。
有名ブロガー・はあちゅうが贈る、超実用的な応援小説『とにかくウツなOLの、人生を変える1か月』が3月24日に文庫版で発売となります。文庫化を記念して、物語の魅力が詰まった「プロローグ」を一挙大公開!
主人公は、慢性的な倦怠感を抱く20代後半のOL・
奈緒と一緒に、あなたも“なりたい自分”を見つけてみませんか?
>>第1回へ
◆ ◆ ◆
もちろん、奈緒だって自分のことは可愛い。心底愛せなくても自分の人生だ。だから、心の奥の奥では、人生への希望を捨てていない。
いつか自分の人生には、こんなもやもやした思いを一気に吹き飛ばしてくれるような何かが起こるはずだと、希望を持つこともある。
それが何かはわからないけれど、まだ今はその何かが来ていないだけ。だからこんなに苦しいのだ。そう、定期的に自分に言い聞かせる。
いつかきっと、何かが変わるに違いない。そして我慢した分だけ大きな花が開くはず。テレビ画面の女子アナなんか目じゃないくらいに。
ただ、そのいつかがなかなか起こらないので、最近は待ちくたびれている。
今までに何度も「もしかしたら」と思うことはあった。
第一志望の大学の合格発表。そして、第一志望だった会社の採用試験。
落ちているだろうと頭では薄々わかっていても「私の今まで使っていなかった分の運がここで使われるかも」と、奇跡が起きるのを願ってしまっていた。そのたびに、運に裏切られ、使われなかった分の運は次に持ち越しになった気がしていたけれど、本当は怖い。自分ははなから、運なんて持っていないんじゃないだろうか。
一生、このままもやもやと暮らして、人生が花開くことはなく、その間に、目の前の画面で歯茎を見せて品良く笑っている女子アナは、高額な収入を稼ぐスポーツ選手と結婚し、引退してCMで稼ぎ、やがて可愛い赤ちゃんを産み、その子を、自分の出身大学の付属校に入学させるのだろう。勝ち組に選ばれた人たちは、一生そうやって勝ち続ける。私のこの人生は、神様に選んでもらえることのない人生なのだろうか。勝ち組の引立て役になって、終わりなんだろうか。
こうなればいいのにと一生願いながら、自分が持っていないものを持っている人をただ恨み続けて人生を終える……このところそんな考えが、奈緒を苦しめ続けているのだ。
その理由は、奈緒がもうすぐ30代に突入するからかもしれない。予定では、20代のうちに、結婚をして、子供も産んでいるはずだった。予定では、といったところで、根拠なんて何もなかったけれど、漠然と、自分の人生はうまくいくと信じていた。それがどうだろう。今の自分の姿は、昔描いた理想の自分の姿とことごとくかけ離れている。
——今日はことさら、鬱々とした気持ちが止まらない。
奈緒はしばらく悩んだ末、有休をとることを考えてみた。
それはふと湧いた、ただの「こうしちゃえば楽なのにな」という想像だったけれど、考えれば考えるほど、頭が想像を現実にする方法を求めてしまう。そういえば最近見た映画で、主人公が失恋を理由に会社を休んでいたっけ。日本もあんな風になればいいのに。
スケジュール帳を見たら、幸い社外のアポはなく、翌日の頑張りによって巻き返しが利くスケジュールに思えた。もちろん頑張らなくてはいけないのは自分なので、自分で自分の首をしめる行為とはわかっているけれど。
ライターの田中の記事の最終チェックだけが気になるけれど、それだって、奈緒という存在がなくても、ちゃんと回るように各自が考えるきっかけになるかもしれない。
昨日の優子の顔を思い出す。
困らせたい気持ちと、信じたい気持ちが半々だ。
いつものようにシャワーで強制的に体を起こすこともできたかもしれない。そして、メイクさえすれば、会社に行こうと思えただろう。
でも、今の奈緒には、それが途方もなく過酷な作業に思えた。全身を包む疲れは、脳を芯から侵食し、体をどんどん腐らせていく気がした。
今日の憂鬱は、ちゃんとリセットさせないと、本当にダメになってしまう。自分が限界に近づいている自覚があった。
ベッドから出られない。憂鬱なことばかり考える。テレビの女子アナに嫉妬する。
これはちょっとした鬱症状ではないか。最近美容院で読んだ雑誌で、鬱は若い人にも起こると書いてあった。病院に行ったら、診断書ももらえるかもしれない。奈緒は頭の中でますます「休む理由」を正当化していった。ずる休みではない。そうだ、体はなんともなくても、心の風邪なのだ。
「ええい、どうにでもなれ」と、スマホを手元に引き寄せて、会社にメールを打ち、風邪と偽り休む旨を一方的に告げた。
会社用のメールボックスは、昨夜も、深夜までメールを返していたにも拘らず、朝起きたら、もうすでに何通も未読メールがたまっていた。一体、みんないつ寝ているんだろうか。
ほどなくして、上司から、休むことを了解した返信が来る。
「体をお大事に。会社に来たら、有休届を出してください」
私情のほぼ入らない業務的なメールだけれど、休む許可がおりたことで少しほっとする。いつも同期とは残業の多さをネタに「ブラック企業」なんて揶揄するけれど、さすがに休みたいと言う社員に休むなと言うレベルではない。ネットでは、インフルエンザになっても休ませてくれない企業や、休んだらお給料がひかれる会社など、ブラックな話がたくさん出てくる。そういう企業に勤めている人は、奈緒のような人間のことすら羨ましく思って、勝ち組だと感じているんだろうか。
不思議なことに、会社にいったん行かないと決めたら、体が少し軽くなったように思えた。しばらくテレビを見続け、番組を最後まで見終えたことを合図に、重い体をひきずるように起き上がり、どうにかこうにかシャワーを浴びた。全身を熱いお湯で流すと、血流が良くなる。そのままいつも通り、髪を乾かし、メイクをする。
会社の始業時間になると同時に、ブルブルとスマホが震え始めたので半分ヤケクソで、電源を思いきって切った。後は明日の私に全部任せよう。
そう気持ちを切り替えたら、一日が急に輝き始めた気がした。
……自由だ。
今日は、朝から晩まで、なんの予定もない。
こんな解放感はいつぶりだろう。平日なのにどこにだって行ける。なんだってできる。
そう気づくと、会社がある日は終わるのが待ち遠しいだけの一瞬一瞬が、きらめいて見え始めた。鉛のように重かった体も、会社ではなく好きな場所に行っていいと思った瞬間から、動くようになった。
何をしようか特に考えのないまま、とりあえず服を着替える。着替えると、休みを取り消してこのまま出勤したほうがよいのでは、という後ろめたさが襲ってきたけれど、その感情には強制的にフタをした。
思い返すと、最近は土日のどちらかは会社に行って仕事をしていた気がする。
たまった洗濯物を片付け、ゴミを捨てると、少し外の空気が吸いたくなり、外出することに決めた。
家の近くをうろうろするだけでも十分ではあるけれど、気分を変えるために、電車を乗り継いで、表参道に行く。
表参道は、学生時代から大好きな街だ。通りが広々としていて、話題店が多く集まっていて、歩くと元気がもらえる。
少しの間、目的なくぶらぶら散歩した後は、じっくりと書店で新刊を吟味し、買いたての小説を持って、お気に入りのコーヒー店を目指すことにした。そこでゆっくりコーヒーでも飲みながら本を読んで、しばらくしてから、追加でデザートを頼もう……。
ゆったりと読書をしながら、心の落ち着きを取り戻す自分を想像していると、だんだんと気持ちも晴れやかになってきた。今日はどんなデザートを頼もうか。名物のフレンチトーストもいいし、最近メニューに加わった期間限定のチョコレートのタルトでもいい。
わくわくする気持ちは高まっていたのに、お店の前まで行ってみると、見たこともないくらい長い行列ができていた。
なんでも、そのお店のフレンチトーストがテレビで特集されたとかで、見た目からしていかにもミーハーな女子大生が、まるでアイドルの出待ちのようにけたたましく列をなしていたのだ。
せっかくの隠れ家が汚されたようで悔しい。テレビなんかに出て、落ち着いた空間を愛している常連をないがしろにしないでほしいと、お店にまで腹が立ってくる。
でも、せっかく表参道にまで足を延ばしたのだから、このまま帰るわけにはいかない。他のカフェでも探してみよう。
気を取り直して歩き始める。とにかく、大きな犠牲と引き換えに得た貴重な一日をなるべく有効に使いたいのだ。しばらく道なりに進み、気まぐれに角を二つほど曲がる。
するとそこに、今まで見たことのない、新しいお店を発見した。白い小さな入り口は、注意していないと通り過ぎてしまうようなわかりづらさで、確かにお店であることは間違いないけれど、誰かに発見されることを拒否している気配がある。カフェのような気もするけれど、外見だけでは何もわからない。
もしかしたら、ネイルかヘアサロンかもしれない。表参道は、そういった美容スポットができては消えていく変化の速い街だ。情報感度の高い人のための場所だけあって、隠れ家のようなサロンも多い。この建物も、そういった、知る人ぞ知る存在のお店だろうか。
そう思っていると、ドアの横の小さなケースに、名刺大のチラシが入っているのをみつけた。一枚手に取ってみると、そこにはオシャレな金文字で「メンタルジム・ヒカリ」と書いてある。
「メンタルジム・ヒカリは、人生を激変させたいあなたのための場所です。お試しカウンセリングを随時受け付けております」
オシャレなチラシの割に、「激変」だなんて、ミスマッチだ。
「激変」といえば、最近流行のストイックなトレーニングをするスポーツジムのCMがどうしても頭に浮かんでしまう。だるんだるんにたるんだ贅肉まみれの男女が、数か月で見違えるように筋肉質に変わって、別人のように自信に満ちた顔をする。あれこそまさに「激変」だ。
あんな風に変われたら、そりゃ人生も変わるだろうけれど、高額な入会金やハードなトレーニングや食事制限があると聞いて怖気づき、通おうとは思わなかった。あそこに通う人たちはどんなきっかけがあって一念発起するんだろうか。テレビCMか何かで、変わった人を目の当たりにして、自分も、と思うのだろうか。
奈緒は、減量に成功した人たちの晴れ晴れしい顔を見るたびに、CMから目をそむけたくなる。自分の意志を貫き、人生を変えた人たちの顔はまぶしすぎる。一点の陰りもなく、これからの人生がこれまでの人生とは別物だと確信しているような顔を、直視できない。
奈緒だって、体だけではなくて、人生まるごと変えたいと思っている。ただ、そのきっかけがないだけだった。目の前の謎のもやもやが取り払われて、毎日幸福感に満ちて過ごせたらどんなにいいだろう。
この「メンタルジム」は、一体何をしてくれる場所なんだろうか。
好奇心がむくむくと湧いた。
どうせ一日休みを取っているし、他にやることもないのだ。仕事の電話も取らないと決めている。この際、普段は絶対にしないことをやってみてもいい。お試しカウンセリングを受けて、この場所の正体を確かめてみるのはどうだろう。好奇心に続いてそんないたずら心が湧く。
一瞬、もしかしたらこれは怪しい宗教で、足を踏み入れたら最後、厄介なことになるのではと考えたけれど、こんなに人通りのある一等地で、まさか怖い思いはしないだろう。変だと思ったら、すぐに逃げればいいのだ。
とにかく中に入ってみよう。
そう思い、扉に手をかける時、ふと、こんな風に自分の意志で新しいことに飛び込むのは久しぶりだと思った。取材で流行の場所にはよく行くし、変わった経験をすることもある。だけど、プライベートな時間で好奇心が湧いたのも久々だったし、こんな勇気の出し方をしたのも久しぶりかもしれない。
「となりのトトロ」で、メイちゃんが小さいトトロを見つけて追いかける、あのシーンを思い浮かべた。あんな風に無心で正体を追える純粋な好奇心は、大人になってからはそう何度も感じない。
感受性というのは、年をとるたびに鈍るんだろう。客観的に見て、取材対象の「面白いこと」に囲まれた毎日だけれど、面白い、と感じる自分に出会えたのは久しぶりではないか。そう考えると、この白い小さな入り口には、出会うべくして出会ったのかもしれない。
(つづく)
▼はあちゅう『とにかくウツなOLの、人生を変える1か月』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
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