文庫解説 文庫解説より
登美彦氏が力一杯の共感をもって読み解く「青春脱出」ロマン!『厭世マニュアル』
フロンティア文学賞に応募されてきた原稿を読んだとき、数ページ読んで「これだ」と思った。他の候補作とは印象が全然ちがっていた。選考委員として候補作に臨んだものの、なかなか心惹かれる作品がなく、困っていたところへの『厭世マニュアル』である。
たしかに親近感もあったろう。私は『太陽の塔』という小説でデビューしたが、それは京都の四畳半アパートに暮らすひねくれ者の学生の話だった。はなやかな物語とは無縁の薄暗い青春、だからこそ主人公の脳天はキテレツな妄想と意見ではちきれそうになっており、冒頭から結末までひたすらに語りまくる。主人公の性別や暮らす環境は違うものの、『厭世マニュアル』とよく似ている。
やはり大事なのは主人公の声なのである。
「これだけは言わせてもらう」といわんばかりの声である。
『厭世マニュアル』は波瀾万丈のストーリーが展開するわけではない。我々を前へ前へと引きずっていくのは主人公の声なのだ。自虐や世界への敵意を織り交ぜたその声は、微に入り細を穿って身のまわりの世界を語り尽くそうとする。たしかに鬱陶しい。あまりに過剰なので「おまえは何を言っているんだ」と言いたくもなる。しかし文章の端々に見え隠れする気弱さや、慇懃に空転するようなユーモアに出会うとき、我々は主人公が生きていると感じる。「これだけは言わせてもらう」と意気込んでいるにもかかわらず、彼女はそうやって語ることがどこか空しいということにも勘づいており、そういう声だからこそ信用できる。つまりそれは小説的にコントロールされた声、阿川せんりさんの手腕である。
もしこの声がなければ、『厭世マニュアル』の世界は存在しない。主人公「口裂け」の目の前に現れる一癖ある人たち、「店長」も「ざしき女」も「アンサーセンパイ」も「マチルダちゃん」も、みんな主人公の声によって命を与えられている。一番大切なのは声なのである。
そういうふうに考えると、マスクの存在がいっそう重要に感じられる。
薄暗い青春の片隅でうごうごしているとき、我々はみんなマスクをつけている。そのマスクは世界を拒否するためのものであり、自分の「声」を封じるものである。どうしてそんな境地へ自分を追いこんでしまうかといえば、世界が気に入らないにもかかわらず自分に自信がないからである。世界は間違っている。かといって自分が正しいとも思えない。そんなとき、どうやって自分の声で語ればいいのか。マスクをつけて口をつぐみ、隅の暗がりに隠れていたいと我々は願う。
「そんな引っ込み思案ではいけない」
「逃げないで世界へぶつかっていけ」
それはすでに開き直ったあとのオトナの正論である。
我々はひとりひとり違う人間だから、青春からの脱出に王道はない。停滞が発生するのはどうしようもないことで、スマートな切り抜け方があらかじめ分かっていれば誰も苦労しないだろう。さして悩まずに世界と折り合いをつけられる人もいるし、なかなか脱出口が見つけられない人もいる。
人一倍モタモタした私から言わせてもらえば、停滞した青春時代に何を求めていたかといえば、自分の本当の声を見つけることだった。その声を見つけることさえできれば世界に対して言いたいことが言えるようになると思っていた。しかし当時の私はなかなか気づかなかったが、本当の声は身につけたマスクの内側で渦巻いていたのである。ちょうど『厭世マニュアル』の主人公のように。
そこで必要なのはマスクを脱ぎ捨て、世界に向かって言葉を発するための根拠のない自信である。「間違っていようが知ったことではない。これだけは言わせてもらう」という捨て鉢な決意である。その開き直りがどんなキッカケで訪れるのか誰にも予想はできない。だから我々は薄暗い青春の片隅で反撃の時を待つ。
『厭世マニュアル』はその反撃の瞬間をクライマックスとする。
その段階に至って、主人公にとって「マスクをつける」という行為が、青春からの脱出にどうしても必要な助走期間であったことが分かる。宇宙に向かって飛び立つロケットのようなもので、重力を振り切るだけのエネルギーが必要なのだが、それはマスクに封じられて悶々と空転し続ける主人公の声、その蓄積された熱量から生まれる。マスクをつけたまま世界を拒絶していても不愉快な世界はどこまでも追いかけてくる。こうなればもうマスクを脱いで自分自身の声で反撃するしかないそれが主人公の開き直りであり、彼女が発見した「青春からの脱出方法」だった。冒頭からマスクの内側で渦巻いてきた彼女の声がついにクライマックスの爆発に結実するとき、それはとても美しい。
もちろんこれで「末永く幸せに暮らしました」というわけにはいかない。世界を拒否し続けることもムズカシイが、自分の本当の声を発しつつ世界と折り合っていくのもムズカシイ。青春から脱出したからといって戦いが終わるわけではない。脱ぎ捨てたと思っていたマスクが戻ってきたりもする。これからも次々と面倒な問題が主人公を襲うだろう。しかしそれはまた別の物語であり、『厭世マニュアル』は予定調和を拒否して宙返りしつつ、王道の青春小説として幕を閉じる。
それにしても、こんなにデビュー作にふさわしいデビュー作もない。
この小説は主人公がマスクを脱ぎ捨てて自分の声で語り始めるまでの物語である。そして自分の声で語らなければならぬという点では小説を書くことも同じなのである。自分の声を見つける主人公と、自分の声を見つける阿川さんが私にはパラレルに見えるのであり、『厭世マニュアル』がデビュー作にふさわしいというのはそういう意味である。
授賞式の夜、阿川さんにお会いしたとき、私はついつい気が焦って色々アドバイスめいたことを言ってしまった。あんな先輩風を吹かすべきではなかった。阿川さんにはその点をお詫びしたいが、一点だけ今でも揺るぎなく思っていることがある。それは、これから阿川さんが小説を書いていくにあたって、この『厭世マニュアル』がいつでも助けになるということである。もちろんこの作品に縛られろということではなく、普段は忘れていてかまわないのだ。しかし何かに迷った場合にはこの作品から学ぶことができる。「自分の声を見つけた」という原点は、どんな他人のアドバイスよりも役に立つ。
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