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レビュー

フランス映画の洒脱さと、人情噺のあたたかさ。名手が描くファミリーサスペンス。

 目の前に四冊の『血とバラ 懐しの名画ミステリー』が並んでいる。いや、正確には三冊+αと言うべきだろうか。そのうちの一つは、電子書籍版なので。
 もっとも古いのが、角川書店版の単行本で、奥付を見ると一九八○年四月とある。これが初刊だろう。続いて、翌八一年刊行の角川文庫版、さらに二○○七年の同文庫改訂版では〝赤川次郎ベストセレクション〟と銘打たれ、その第⑩巻となっている。ちなみに、電子書籍版は二〇〇〇年の発行だ。
 そして今回が、三十六年目の再々文庫化となる。その息の長いロングセラーぶりは、この『血とバラ』が、いかに読者に愛されてきたかの証とも言えるだろう。

 今さらかもしれないが、まずは作者について簡単におさらいをしておきたい。一九四八年生まれ、福岡県博多出身の赤川次郎は、七六年「幽霊列車」で第十五回オール讀物推理小説新人賞に輝き、作家として第一歩を踏み出した。以来、三毛猫ホームズのシリーズをはじめとしてベストセラーを連発、映画化とも相まって『セーラー服と機関銃』などの作品が一世を風靡した。二〇〇六年、長きにわたる功績をたたえて第九回日本ミステリー文学大賞が贈られ、さらに作家生活四十年の一六年、『東京零年』で大衆小説に与えられる賞としては最高峰の一つ、第五十回吉川英治文学賞を手にした。
 本書『血とバラ』は、処女出版の『死者の学園祭』(ソノラマ文庫・一九七七年)から三年目の作品集である。郷原宏の『「赤川次郎」公式ガイドブック』に掲げられたリストによれば、小説家としてまさに上り坂の時期にあった作者は、この年だけで十七冊もの著作を上梓しているのだから驚くほかはない。
 五編の収録作品のタイトルは、表題作を始めとして、いずれも映画史上にその名を刻まれた名作から採られている。作者の映画好きぶりはつとに有名で、『三毛猫ホームズの映画館』というエッセイ集もあるほどだが、父親が映画会社に勤めていた関係で、幼い頃から試写室にはよく出入りをしていたという。中学時代に観た「アラビアのロレンス」が引き金となり名画座通いが始まったとの思い出話が、エッセイ集にも綴られている。
 その豊富な映画体験の中で、読者として興味深いのは、アメリカ映画の歌と踊りやハッピーエンドは、どこか照れ臭く、観ていて恥ずかしかったと語っていることだろう。惹かれるのは、もっぱらモノクロ時代のフランス映画で、「埋れた青春」や「ヘッドライト」等、暗い余韻を残す作品が好みだったそうだ。往々にして苦い結末を迎える赤川ミステリのルーツは、なるほどフランス映画のバッドエンドにあったのか、と納得させられる。

 さて、収録作を順番に見ていこう。まず最初の「忘れじの面影」の原典は、マックス・オフュルス監督のアメリカ映画(1948年)で、ヒッチコックの「レベッカ」や「断崖」のヒロインでおなじみのジョーン・フォンティンが主演である。
 オーストリアの作家シュテファン・ツヴァイクの『見知らぬ女の手紙』(東洋出版・一九九四年、他)を原作としており、舞台を北京に移し、女優のシュー・ジンレイが監督・主演したリメイク「見知らぬ女からの手紙」もある。ご覧でない読者のために、まずは原典のあらすじを紹介する。

 十九世紀のウィーン。決闘を挑まれた臆病者の男(ルイ・ジュールダン)は、夜逃げを企んでいた。そんな彼のもとに、憶えのない女性(実はジョーン・フォンティン演じるリザ)から一通の手紙が届く。かつて男は将来を嘱望されるピアニストで、毎晩相手をかえるプレイボーイだった。少女時代に彼に恋をしたリザは、ある時、男と再会する。ほどなく二人は一夜を共にするが、男は演奏旅行に出たまま戻らなかった。身籠った彼女はピアニストの子供を産み、その後軍人と結婚するが、ある夜のこと、再び男と相見える。

 小説と映画は、記憶というものの残酷さを描いている点でシンクロする。妻に先立たれ、一ヶ月前には定年を迎えた元警部のもとに、心当たりのない女性からの手紙が届く。そんな映画と瓜二つのシチュエーションで幕を上げるが、手紙には紙幣が封入されており、それが一目でおもちゃとわかる代物だったのはなぜか? という謎が摑みとしても秀逸だ。
 主人公が決闘を申し込まれる理由が最後になって観客の腑に落ちるという、一種のミステリ映画とも言える原典に対し、小説は記憶力の衰えをめぐっての展開に捻りがあって、この作者ならではのブラックなサプライズで締めくくられる。なお、三姉妹探偵団シリーズにも、この映画のタイトルを織り込んだ作品(『三姉妹探偵団と忘れじの面影』)がある。

 表題作の「血とバラ」の原典は、ロジェ・ヴァディム監督のフランス・イタリア合作映画(1960年)である。ドラキュラを生んだブラム・ストーカーにも影響を及ぼしたと言われるレ・ファニュの中編小説『吸血鬼カーミラ』を現代劇に仕立てており、原作というよりは原案に近い。ちなみに映画は日本で未だソフト化されておらず、以前テレビ放映時には説明的なナレーションが流れたが、オリジナル版にそれはない。

 第二次世界大戦から間もないイタリアの古城。従妹のカーミラ(アネット・ヴァディム)と暮らす当主のカーンスタイン伯爵(メル・ファラー)は、恋人のジョージア(エルザ・マルティネッリ)との婚約を祝って仮装パーティを開くが、花火の余興を思い立ち、吸血鬼伝説のある墓所に火薬を仕掛けることになった。しかし、そこに眠る先祖のミラーカには、裏切った男の結婚相手を殺したという忌まわしい言い伝えがあった。そして迎えたパーティの晩、客人らの前に、まるで憑依されたかのようなカーミラが、肖像画のミラーカとそっくりの衣装で登場する。

 渦中の人物たちが従兄妹同士であったり、魔性の肖像画が鍵となったり、さらには婚約者の出現が引き金となって事件が起きる展開など、原典とのシンクロ度が半端なく高い一編だ。それだけに、翻案に近いパスティーシュの色合いもあるが、予想外の結末を迎える。ロジェ・ヴァディムの映画をミスリードに使ったものとも考えられ、大胆なチャレンジ精神に拍手を送りたい。
 また吸血鬼の苦手なアイテムである十字架の使い方にも軽いひねりがあるのも面白い。スプラッター映画などという身も蓋もないものが流行する前の古き良き時代に作られたエレガントなホラー映画に対し、心からのリスペクトが伝わってくる一編だ。

 次の「自由を我等に」は、クリスティの『そして誰もいなくなった』を最初に映画化したことでも知られるルネ・クレール監督のフランス映画(1931年)だ。名匠と謳われるフィルム・ディレクターがトーキー初期に撮った本作は、チャップリンの「モダン・タイムス」に影響を与えた作品だともいわれている。

 刑務所で同房のルイ(レイモン・コルディ)とエミール(アンリ・マルシャン)は、仲良く脱獄を試みるが、成功したのはルイ一人だった。その後、釈放されたエミールがたまたま割り込んだのは、ルイの起こした蓄音機を製造する会社の求職者の列で、町で一目惚れした女性も働いていることを知ったエミールはそこに就職し、やがて社長のルイと再会を果たす。しかし屋敷の前を通りかかった悪党に二人は正体を見破られ、会社の資産を半分寄越せと強請られることに。

 小説の中で、佐和警部とその部下永倉刑事の凸凹コンビのベタでスラップスティックな掛け合いは、ルイとエミールの愉快なコンビぶりからの本歌取りだろう。またルイとエミールの関係は、全共闘時代に学生運動の同志だったという滝川と舘野の繫がりにも投影されている。二人の過去は、自由のために命も賭けるという男たちの物語であり、映画のテーマとも通底するからだ。
 また、佐和と永倉のコミカルなやりとりとは対照的に、事件の顛末は暗く、友情の物語としてやるせない余韻を残す。事件当夜のスタンドの灯りをめぐるロジカルな謎ときの妙味も印象に残る作品だ。

 ヴィンセント・ミネリ監督の「花嫁の父」は、アメリカ映画(1950年)で、「可愛い配当」という続編もある。父親役のスペンサー・トレイシーと花嫁役のエリザベス・テイラーをスティーヴ・マーティンとキンバリー・ウィリアムズに置き換えた現代版のリメイク「花嫁のパパ」も作られた。母親役のジョーン・ベネットは、「飾窓の女」や「緋色の街/スカーレット・ストリート」などのノワール映画のヒロインとしても人気があった女優だ。

 物語は、結婚披露宴を終え、花嫁の娘を送り出したばかりの父親の回想から始まる。手塩にかけて育ててきた娘のケイが、結婚をしたいと言い出した。突然のことに動揺する父親と、それをなだめる母親。相手のスタンリー(ドン・テイラー)が、娘を託すことのできる好青年であることを確かめ、彼の一家との顔合わせも無事に終わるが、費用のことをはじめ、問題は山積みだった。かくして結婚式までのてんやわんやの日々が始まる。

 ご祝儀をネコババする結婚式場荒らしの常習犯、その日結婚式を挙げようとしている花嫁、そしてフラれて相手と無理心中を図ろうとする会社員とその友人。いくつもの物語が並行していき、それがゼロ時間で鮮やかに交錯する。タイムリミット型のサスペンス小説と言っていいだろう。
 原典との繫がりは薄いが、その唯一の接点は、若き日の過ちで娘と生き別れの人生を送る初老の男、大江をめぐるエピソードである。人情噺を思わせる情感が漂い、相棒の謙三やホテルの支配人藤木といった彼を取り巻く温かい人間模様も印象深い。

 そして掉尾を飾る「冬のライオン」は、アンソニー・ハーヴェイ監督のイギリス映画(1968年)だ。元々は、ブロードウェイにもかけられた舞台劇で、十二世紀末イギリスの史実を下敷きに、イングランド王ヘンリー二世とその家族の物語が語られる。
 トリビアだが、「羊たちの沈黙」でレクター博士を演じる名優アンソニー・ホプキンスはこれが映画初出演。またアカデミー賞の脚本賞に輝いたジェイムズ・ゴールドマンは、「マラソン・マン」や「殺しの接吻」の作者ウィリアム・ゴールドマンの実兄にあたる。

 一一八三年のクリスマス、広大な領土を誇るイングランド王ヘンリー二世(ピーター・オトゥール)は、フランス王フィリップ(ティモシー・ダルトン)と幽閉中の奥方エレナー(キャサリン・ヘプバーン)を招き、三人の息子リチャード(アンソニー・ホプキンス)、ジェフリー、ジョンや王妾のアレースとともに一日を過ごすことにした。しかし王位継承をめぐる確執が息子たちの間で高まり、夫婦間の諍いとも相まって、数々の計略がせめぎ合う一夜を迎える。

 映画で王妃は〝どの家庭にも浮き沈みはあるわ〟と言うが、まさにその通り。継承問題をめぐる家族の争いが、国を揺るがす一大事へと発展しかねないヘンリー二世のお家騒動に較べるとスケールこそ小さいが、牧野家の別れた妻と三人の子どもたちにとって、資産家の父親が若い娘と再婚するという話もまた大問題だ。
 小説は、家族の確執という普遍のテーマを争いが招いた殺人事件として描き、一族の次女の婿でマスオさん的な存在の主人公が、そこに巻き込まれていくというユーモラスな展開に仕立てられている。クリスマスの一日の物語になっているところも、原典の映画に倣ったものだ。

 以上、いずれの作品も、発表誌は月刊小説誌『野性時代』で、「忘れじの面影」が一九七八年十一月号、「血とバラ」が七九年二月号、「自由を我等に」が同六月号、「花嫁の父」が同八月号、「冬のライオン」が同十一月号にそれぞれ掲載された。
 なお、同じ趣向の〝懐しの名画〟シリーズは、他にも『悪魔のような女』、『埋もれた青春』、『明日なき十代』の三冊がある。本書で、映画とミステリのユニークなコラボに興味を持たれた方は、電子書籍で入手可能なので、ぜひ読んでみていただきたい。

 この作品集を久しぶりに読み返してみて、赤川次郎は根っからの庶民派だということを今さらのように思い出した。映画を題材にしながらも、作中に次々と映し出されるのは、どこかにありそうな家族の光景ばかりだ。
 それは最近の作者が時折見せる、不穏な社会の動きに対する怒りとも実は重なり合う。社会批判でもあった吉川英治文学賞受賞の『東京零年』は、ドメスティックな赤川ミステリの数々と表裏一体のものだろう。
 家族が安心して暮らせる社会こそが、理想の社会。そんな当たり前のことを常に思い出させてくれる庶民派の作品を、これからも書き続けてほしいと思う。

<<カドフェス2017 特設サイト


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