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レビュー

ローラ・パーマー、<死のヴィーナス>神話の誕生。

 死後にさまざまな生前のスキャンダルを暴かれる女性水死体、としてまず浮かぶのは、十九世紀半ば、一八四一年七月二十八日、ハドソン川に浮かんだ、ニューヨークの煙草店の看板娘、メアリー・ロジャース(二十一歳)だ。彼女が今も語られるのは言うまでもなく、ミステリーの祖、エドガー・アラン・ポーが、この事件を(舞台をフランスのパリに置き換えて)『マリー・ロジェの秘密』として作品に仕上げたからだ。
 事件の解決にむけて、ポーが生み出した探偵オーギュスト・デュパンが新聞記事他資料をもとに、彼女に何が起こったのか? 誰がメアリー・ロジャースを殺したのか? を推理していく。それ自体スキャンダラスな事件を楽しむ、活字による実況スタイルは、噂が流布し、死者の生前のスキャンダル暴きにジャーナリズムが奔走する雑誌時代の幕開けでもあった。
 失踪、事件に巻き込まれたかと思われていたら、一週間後に姿をあらわす、次に更なる失踪、そして水死体発見。失踪、再出現というメアリー・ロジャース事件のドラマ性は、ニューヨークの広告業界を舞台にしての『ローラ殺人事件』(原作、映画化を含め)にヒントを提供したかのようだ。『ローラ殺人事件』は、ローラというネーミングの元となったが、間違ってローラの代わりに殺された女性の名前がダイアンというのも意味深長である。エージェント・クーパーがテープ・レコーダーで呼びかける相手がダイアンだからだ。ローラ/ダイアンというダブル・イメージ。ローラと瓜二つの従妹マデリーンの登場は、『ローラ殺人事件』同様に、メアリー・ロジャース事件の失踪、再登場のパターンのひねりに加えて、『ローラ殺人事件』を経由しての、常にドラマを二重化するドッペルゲンガー、ダブルへのリンチのプリミティブな愛着にほかならない。

 さて、こちらは西海岸で起こった類似事件、ジャーナリズムが〈ダラスの眠れる美女〉と名づけたセンセイションをみておこう。一九四三年六月にオレゴン州の川で、髪が柳の木に巻き付いた状態の少女の死体が発見された。ストッキングの片方が失われ、頭部に打撃痕があった。殴られた後に放り込まれたか、あるいは誰かから逃げようとして川に落ちて流されたか? この事件は〈ダラスの眠れる美女〉として、新聞が報じて話題となった。コリン・ウィルソン『世界犯罪百科』(関口篤訳 青土社)には、「女性の爪の奥に皮膚の残片が認められた」とある。爪の奥……。
 映画『ツイン・ピークス ローラ・パーマーの最期の7日間』の水死体ミステリー、テレサ・バンクス事件はまさに、このオレゴン州で起こるのである。フロストはまた若いころ身近で水死体殺人事件が起こったようだし、リンチはリンチでフィラデルフィアでのモルグでのバイト体験から、〈笑う死体袋〉なる恐怖コントを『ツイン・ピークス』に持ち込むのである。フィラデルフィアの美術学校時代の危険な地域のリンチ夫妻の住居はポーが住んでいた家の近く、というのも因縁めく。
 テレサ・バンクスの死体は、保安官事務所の別棟モルグで、絶叫の途中で時が止まった、いや止められた恐怖の表情で処置を待っている。〈眠れる美女〉の美表情は時系列では後発(撮影では先)のローラ・パーマーが奪ったのである。

 朝釣りに行こうとして、ピート・マーテル(ジャック・ナンス)は、ビニール梱包体を発見、近づくと女性らしき髪がのぞいている。公衆電話から保安官事務所に、動揺した口調でナンスは連絡を入れる。「She is dead, wrapped in plastic……」。これが伝説の始まりとなった。湖岸設定なのに潮の干満が激しい、自宅の玄関先の死体なのに、なぜか公衆電話使用という超迂回演出がシュルレアリズム。
 側に存在する黒々とした男根めいた巨大木材の先端が怪物の顔とみえなくもない。この段階では死体がだれか、はだれにもわからない。ドラマが始まるか、始まらないかの時間での、素早い死体の提示。注意力散漫なテレヴィジョン視聴者への謎の提示として、このショッキングな導入はきわめて有効であった。というのも、死体がフラワーショップでラッピングされたかのような美しい少女であったからである。男の死体など勝手に死ねばであってだれも興味を示さない。

 目を閉じ、血の気なく青ざめながらもどこか柔和で、金髪は濡れ巻き乱れ、付着した微細なゴミすら、きれいな花粉にみえてしまうメイク・マジック。少女のこのナチュラルな死化粧に、リンチのダークなロマンティシズムがあざやかに香りたって、ローラ・パーマーの死体は、視聴者の意識、無意識に瞬時にして刷り込まれ、放送初回にして、『ツイン・ピークス』を一九九〇年代初頭のアメリカ・ポップ・カルチャーの頂点に押し上げた。たとえば、ジェーン&マイケル・スターン夫婦の『Encyclopedia of Pop Culture』(一九九二)のようなブーム、あるいはカルト現象を記載するオール・タイムな文化流行事典の一項目に、『ツイン・ピークス』は即座にランクインしたのである。それほどシーズン1の熱狂がすさまじかったということなのである。

 緊縛状態で水辺に打ち上げられたローラ・パーマーがポップ・カルチャーに誕生させたもの、一九九〇年代のサイコ、ヴァイオレンス、死体ブームを牽引し不滅の位置を占めることになったもの、それは〈死のヴィーナス〉という女性死体の魅惑のイメージである。死体として水辺に打ち上げられた愛欲の女神ヴィーナス。彼女の死がスモール・タウンの隠されたセックス・ネットワークをあぶりだす、というのが『ツイン・ピークス』の基本構造である。そもそも、ツイン・ピークスという命名は、マウンテンズと同じく女性の胸の暗喩であり、ドーナツ、チェリー・パイもセクシュアルな意図でもって投入されていて、あえていうなら、セックス・アンド・ザ・シティならぬ、セックス・アンド・ザ・カント(リー)な世界なのだ。ドーナツの中心、カントな中空で不在のローラが微笑むのである。

 さて、リンチは、彼の代名詞ともなった赤いカーテンの部屋=レッド・ルームに一体のヴィーナス像を設置する。血のような赤を背景として、白い彫像が目にまぶしい。このヴィーナス像は、〈メディチのヴィーナス〉といわれる恥じらいのポーズのヴィーナス像である。なぜ、多くのヴィーナス像のなかでこの像が選ばれたのか? 虚飾の恥じらいに、ローラの隠された性癖を投影させるためか? ヒントは、〈メディチのヴィーナス〉を世界でもっとも美しい彫像として称えた一人の異色作家にあるといっていい。
「ギリシャのあらゆる美の成果」、「四肢の神々しい輪郭線、そして喉と尻に刻まれた優美な皺」と『イタリア紀行Ⅰ 1775~1776』(谷口勇訳 ユー・シー・プランニング)に熱く記したのがほかならぬフランスからイタリアに逃亡旅行中のマルキ・ド・サドであった。言うまでもなく、サディズムの語源たる作家である。かくして、赤とジグザグ模様という空間が孕むサディズムに耐えられるヴィーナス像は、〈メディチのヴィーナス〉以外にありえない、となる。シーズン2のラストでもう一体、あまりにも有名な〈ミロのヴィーナス〉がカーテンで仕切られた通路奥に佇んでいるが、ヴィーナスの玉座を〈メディチ〉に譲って、心なしか寂しそうである。
 ヴィーナスといえば、〈パリスの審判〉(トロイアの王子パリスが選ぶ美女コンテスト)に触れないわけにはいかない。ヴィーナスは自分が選ばれるために、ある条件をパリスに提示、これにパリスが乗って、ヴィーナスは一番の美女という認定を受けたわけだが、これがトロイア戦争を引き起こす元凶となった。『ツイン・ピークス』でもクイーン・コンテストの災厄性は変わることはない。

 ルネサンス以降、ヴィーナスの侍女扱いされることもある存在に〈三美神〉がある。『ツイン・ピークス』の、ヴィーナス(ローラ・パーマー)の周辺で、ドラマを支える〈三美神〉に相当するのが、ローラの第一の友人ドナ・ヘイワード(ララ・フリン・ボイル)、ローラの死にクールなオードリー・ホーン(シェリリン・フェン)の同級生二人組。そして、美貌では図抜けた存在のダブルRダイナーのウエイトレス、シェリー・ジョンソン(メッチェン・アミック)だ。
 ローラと引き離して、ドナ、オードリー、シェリーのまさに〈三美神〉を表紙にして、ブームの絶頂に特集を組んだのは「Rolling Stone」誌一九九〇年十月四日号だ。なかなかのヴィーナスへの配慮であった。

『ツイン・ピークス ローラの日記』、『ツイン・ピークス クーパーは語る』、『ウェルカム・トゥ・ツイン・ピークス ツイン・ピークスの歩き方』といったスピン・オフの活字作品が扶桑社から連続刊行されたのが、一九九一年六月~一九九二年三月である。それぞれ人気を集めたが、特に最初に出た『ローラの日記』はめざましい売れ行きで出版界の話題となり、ブームの副産物としては異例の成功であった。『クーパーは語る』は、マーク・フロストの弟スコット・フロスト執筆、『ローラの日記』はリンチが学生結婚したペギーとの間に生まれた娘ジェニファー執筆と、仕事は肉親に振られている。これは秘密主義で進行するドラマの性格上、ストーリーとの整合性も含めてやむを得ない処置であろう。と同時にスコットもジェニファーも実にすばらしい才能に恵まれていて、幸運だったというしかない。十三歳に始まるローラの性的体験への身の寄せかたは、やはり女性にしか書き得ないディテールもあって読ませるのである。
 ジェニファーはその後、映画監督として、『ボクシング・ヘレナ』、『サベイランス』、『チェインド』と父親以上に異様な作品を寡作ながら発表し続けている。『チェインド』の監禁、飼育に、父親との関係性、父親の才能への相変わらずの熱い憧れが感じられる。リンチを父に持ったことの重圧が彼女の快楽源であるかのような。
『ツイン・ピークス』シーズン3がWOWOWで放送されるにあたり、『ローラの日記』が版元も新たに再版されることになって、とても嬉しい。ただ、扶桑社文庫版の小生の解説再録は、シーズン3のあまりのすばらしさに対して申し訳なく感じたので、新しく書き下ろしてみた。ご笑読いただければ幸いです。

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