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連載

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」 vol.64

遣唐使・井真成に降りかかる数々の試練。 旅に出た真成一行の行く手にあるものは? 夢枕 獏「蠱毒の城――⽉の船――」#118〈後編〉

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」

※本記事は連載小説です。

>>前編を読む

 りよしようは、答に詰まった。
 出すと言っても、ここから、このけいてんを出してしまっていいのか。
 この哀しみの王を。
 このどうこくする王を。
 この太い鎖は、自分の力では切ることはできない。
 いったん、外へ出て、それなりの職人を何人か連れてくれば、それは可能であるかもしれない。
 だが――
 もしも、この刑天を外に出してしまったら、どうなるのか。
 今でさえ、世は乱れ、荒れている。
 それを平らかにするため、自分は学び、生きてきたのだ。
 いんほろぼすために。
 それを実現させるためには、しゆうぶんおうを担がねばならない。しかし、ただ文王に会いにゆき、自分を軍師として雇えと言っても、それが叶うわけではない。
 何かのきっかけ、みやげが必要であった。
 そのみやげが、今、自分が手にしているけんえんけんであった。
 この刑天を世に出してしまったら、世はさらに乱れ、混乱し、民はますます塗炭の苦しみを味わうことになるであろう。
 この化物を、再び世に出すわけにはいかなかった。
「首じゃ」
 刑天は、言った。
「首?」
「おれの首を見つけ出し、ここへ持ってきて、おれの身体と合わせてくれればいい。さすれば、おれの力は蘇り、その時は、こんな鎖など、息をするよりも先に、ひきちぎってくれよう」
「しかし、首を捜すと言っても……」
「あそこに、指南車があるではないか――」
 そうか、やはり、あれは指南車であったか。
「その指南車で、どうすればよいのですか」
「指南車の上に、指南老人が立っているであろう」
 刑天が、身を揺らしながら言った。
 炎の灯りをかざして、見つめれば、指南車の上に、ひとりの老人が立っている。
「その左手を、たなごころを上にして、己の腹にあてているであろう」
「確かに――」
「あの、掌の上に、我が頭骨の骨を、載せればよい」
「頭骨の骨⁉」
「軒轅が、我が首を切り落としたる時、いったんは、その首を、おれは拾いあげたのだ。そのおり、おれは、我が手の指の爪で、頭の肉を破り、頭骨を引き搔いたのだ。その時、頭骨の一部が、おれの右手の人差し指の爪の間に残ったのさ。その骨が、ほれ、ここに、本来であれば、わが首があるあたりの、この石の台の上に置かれているであろう」
 その通りだった。
 さきほど、見ている。
 刑天の首が、本来であればあるはずの石の台の上に、白い、細長いものがある。
 針のようであった。
「その骨を、あの指南老人の左手の上に載せよ。さすれば、おのずと、老人の身体が動いて、その右手の指が、自然とわが首のある方を指差すのじゃ」
「他の骨では駄目なのですか」
「軒轅剣が、斬った傷口は、塞がらぬ。そして、切り離されたものどうしは呼び合わぬのじゃ。つまり、軒轅剣によって切り離された身体の一方を、老人の左手の上に載せても、老人の右手は、もう一方の身体を指すことはないのだ。軒轅剣が切るのは、実はものの因果であり、ものの縁だからな。しかし、今、ここにあるのは、いったん切り離されたおれの首から、おれが搔きとったものだ。それならば、互いに呼び合うはずじゃ――」
「しかし、首を見つけ出したとして、ここまで持ってきても、そのお身体と繫ぎ合わせることなど、できぬのではありませんか」
「大丈夫じゃ。それには、まず、おれのこの身体の、肩の間にある首の斬り口、そこを別の刃物でまた切るのじゃ。首の方の斬り口も、別の刃物で切りとれば、そこが新しい傷口となる。その新しい傷口と、別の新しい傷口ならば、なんとかくっつけることはできるのじゃ」
 なるほど、そういうことか。
「わかりました……」
 呂尚はうなずいた。
「しかし、蘇って、どうなさるおつもりですか……」
 問われて、刑天は、少し黙った。
「さあて、どうするか……」
 低かった声が、さらに低くなる。
「なあ、人よ……」
 刑天が言う。
「はい」
「ぬしは、千年生きたいか?」
 問われて、呂尚は、答えられなかった。
「顔を見れば、ぬしは、すでに人としてはよい歳じゃ。六十年、七十年は生きたか。それでも、まだ、生きたいか……」
「千年かどうかは、ともかくとして、もう少しは――」
「もう少し?」
「わが大望を果たすために――」
「大望だと?」
 訊ねてから、
「いや、言わぬでよい。人よ、所詮は人の願うことじゃ。何であれ、千年の時から見れば、ちりあくたの如きものぞ。しかし、人よ……」
「はい」
「千年生きてもなお、まだこのおれは生きたいのさ。いや、死にたい。死ぬために、また生きたいのかもしれぬがな。ただ、死ぬことが、まだ、このおれは恐いのだよ」
「恐い……?」
「そうじゃ。この千と数百年、何度も幾度もこの闇の中でねごうた。たれか、このおれを殺しに来てくれとな。このおれを、たれか、楽にしてくれぬかと……」
「……しかし、恐いと?」
「不思議なものよなあ……」
 刑天の言葉を聴きながら、呂尚は、刑天の横たわる石の台に向かって歩み寄った。
 石の台の上にあった、刑天の頭骨の骨を、軒轅剣を脇にはさんで、指先でつまみなおし、懐に入れた。
「まずは、この骨を頂戴いたします」
「なぜ、それを懐に?」
 どうして、指南車に載せぬのかと、刑天は問うた。
「急ぎますれば、まずは、この軒轅剣を持ち帰り、あらためて、あなたさまの首、捜しにゆきましょう」
 呂尚は、
「お話、楽しゅうございました」
 背を向けていた。
「おい……」
 その背に、声がかかった。
 呂尚は振り返らずに言った。
「必ず、もどってまいります」
 噓であった。

(つづく)


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