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試し読み

【試し読み】私を人間扱いしてくれた、唯一の人――かみはら『あやかし憑きの許嫁』冒頭特別公開!

かみはらさんによる、息もつかせぬ和風シンデレラストーリー『あやかし憑きの許嫁』(角川文庫)がついに発売!
本記事では刊行を記念して、作品の冒頭~第一章の終わりまでを特別公開します。

名も知れぬあやかしに憑かれ、虐げられる少女・あまねは、自分を人間扱いしてくれる唯一の人に、おぞましい秘密を隠し続けられるのか……?
物語のはじまりをどうぞお楽しみください!

かみはら『あやかし憑きの許嫁』試し読み

あま、お前は調霊師としてたいの才能を秘めている。その才をさらにかすために、お前は将来、都におわすあまかわ様に嫁ぐのだよ」
「しえんさまだっけ。お父様がときどき言ってる、なんだかすごい人」
「そうだ。きたに次ぐ退魔の家だが、それ以上にご本人が尊い方なんだ」
 昔私はお父様にこんな風に教えられていた。
 このときの私はまだ八歳。
 会ったこともない「天津川さま」には興味がないのが本当のところで、そんなものより両親には視えない、腕の中にいる子猫の霊の方が気になって仕方がなく、顔も知らないだん様のため、新しい着物をあつらえてもらったことの方がうれしかった。
 ある日、お父様はとても興奮していた。
「近くの町に、天津川様のご一行がとうりゆうしているらしい。婚約の返事をいただいていないが、お前を見ればきっと快諾してくれるはずだからあいさつに行こう」
 勇む両親には申し訳なかったけど、町に着いた私はあめ売りの笛の音にかれ、お父様が出かけたのをいいことに、こっそり宿から抜け出した。他の子達に交じりながら芝居を楽しみ、飴をめながら、悪いことをした自分にどきどきしていた。
 しかし帰り道に迷ってしまったのが誤算。
 お母様に見つからないよう出てきたものだから、バレたらお説教と夕ご飯抜きが待っている。怒られずに宿に帰る方法を考えていると、目の前に立ったのは男の子。
 相手は十代半ば……くらい。背が高く、ちょっと怖い雰囲気のする感じの子で、見下ろしてくる顔は、幼い私をたじろがせるには十分だ。
 男の子ははっと何か気付くと、ひざを曲げて私と目線を合わせる。
「この付近の子には見えませんが、迷子ですか」
 その時の私は、思っていたよりも優しい声かけに戸惑って、無言でうなずくだけ。
 男の子は周囲を見渡して、頼れそうな大人がいないことにため息を吐いた。
「貴女のような子供だと……宿は川沿いにあるところですか?」
「えと、そこはすごく高いらしくて、大通り沿いにある方です」
「……なるほど?」
 少し考えるような素振りを見せた後、男の子は何も言わず私を宿まで送ってくれた。
 見知らぬ赤の他人を信用するなんて危険だけど、この男の子のことは信用してもいいと感じたのだ。実際何もなかったし、男の子は私を宿まで送りとどけると、一瞬の間に姿を消していた。私はお礼を告げる暇もなく、男の子とはそれっきり。
 おかげで𠮟られることもなく帰り着いたけど、無事には終わらなかった。
 なにせ、ご機嫌で天津川さまへご挨拶に向かったお父様が、仏頂面で帰ってきたからだ。お父様と一言二言を交わしたお母様は、そでを通すのを楽しみにしていた、私の淡いだいだいいろの着物を畳んでしまう。
 婚約の申し出を正式に断られたと気付いたのは、後になってから。
 その日からは天津川さまのお嫁さんになるよりも、次期当主として励むよう言い渡されたが……後々を思えば、これは悪い話ではなかった。
 そもそも花嫁になることなんて深く考えていなかったからのんにしていたのだけど、妹のや家の使用人は心配を絶やさなかった。
 特に夜永なんて、夜にこっそり私の部屋をのぞきに来たくらいだ。
あねさま、本当に大丈夫……?」
 疑わしげな眼で不安そうに尋ねてくる妹に、私は「なんで?」と笑う。
「使用人のみんなは暇さえあれば部屋を覗きに来るし、どうしてそう、みんな不安そうなのかしら。私、全然大丈夫なのに」
「だって……」
 もじもじとする妹はとても微笑ましい。
 様の兄弟姉妹はけんばかりする……と村人に話を聞くけれど、私たちはほとんど争ったことがない。いつも後ろをついてくる夜永は可愛くてしかたなく、このときも部屋に招き入れ、市松人形を貸してあげると、ぎゅっと抱きしめた。
「天津川様とのご婚約がだめになった途端、お勉強に集中しはじめたでしょ?」
「知ってたの?」
「うん。村の子達やお年寄りも、姉さまが姿を見せないって心配してる」
「夜永、それで心配してくれてたの?」
 こくりと頷く妹。
 たしかに、ここ最近は村の見回りをおろそかにしていた。調つかつきの管理する村は土地神様の加護が厚いからあやかしが寄りつくことはないけど、ときどき何も知らない霊が村に迷い込む。そういう霊は大抵逝く場所を見失っているから、浄土まで送ってあげるのが私の役目だ。視て話すことができる体質だから勝手にはじめたけど、村の人にも理解を得て行っている。
 夜永はうつむきながら言った。
「村のおじいさんも、姉さまにお礼をしたいと言っていたの。長い間彷徨さまよっていた、息子さんの魂を送ってくれたからって……」
「私だけの力じゃないよ。息子さんも家族に会いたいって気持ちがあったから、記憶を取り戻して、あるべき場所へ帰れたの」
「でも、話すだけじゃなくて、他の人にもわかるように見せてあげることができるのは姉さまだけよ。わたくしにそんな力はないわ」
「見鬼の術を応用して、私と同じ視界を共有してるだけ。夜永も教わったら使えるようになるから」
「お父様は、とっても難しい術でご先祖様しか使えなかったって言ってたよ?」
「いいえ、難しくはないの。夜永なら、絶対使いこなせるようになるって保証する」
「……姉さまがそういうなら信じる」
 目を輝かせながら顔を上げる夜永の額にかかった髪を、私は直す。
「お勉強にかかりきりだったのは、調月の立派な当主になって、夜永とずうっと一緒にいるためだったの」
「じゃあ、姉さまと離ればなれにならなくて済む?」
「うん。だから寂しがらなくていいよ」
「なら、ずっとずっと一緒だね!」
 勘違いさせてごめんね、と謝れば、夜永は嬉しそうに顔をほころばせ、ころんと転がり、私の膝に頭を乗せる。絹糸のような手触りの髪を私はでつけながら、やがてせがまれたももろうの絵本を読み聞かせる……というより、私の趣味に付き合ってもらう。
「絵本は子供っぽいけど、姉さまが読んでくれるのは好き」
 夜永が言うとおり、絵本を読むなんて子供っぽいし卒業した方がいいのはわかっている。
 しかし難しい書物ばかりに目を通していると、時々、お母様の膝の上で読んでもらった物語が懐かしくて、その思い出を振り返るように絵本を取ってしまうのだ。
 私は家族に期待されている。
 慕ってくれる妹もいるし、調霊師としての勉強も、霊と話すのも苦ではなかった。立派になって、都に必要とされなくなった調月の家を立て直そうと頑張っていた。
 でも、それが崩れたのが、この少し後。
 私たちがこっそりとやまに入ってから、すべて変わってしまった。

「そいつを殺して!」

 父母や村人にかばわれ、叫ぶ妹を前に私はみっともなく狼狽うろたえた。
 ひとみには今まで向けられたことのない、私への憎しみの感情。
 一瞬の隙を突いて向けられたおのの先端に、私は驚く。
「……お父様、お母様」
「近寄るでない」
 固い拒絶に、私は問うことしかできない。
「……お父様は何をおっしゃっているの?」
「天音、お前は……いや、もはやその名を声にすることすら、一生の恥となろう」
 ……お父様は何を言っているの?
 私は天音です。夜永のお姉さんで、あなたの娘ですと言おうとしたけれど、お父様は私がしやべることを許さず、覚悟を決めたように私に宣告する。
「貴様が夜永を殺そうとしたのはわかっている。あの山にこの子を連れ出し、あろうことか命を狙ったのだとな」
 びっくりして動けなかった。
 私が妹を殺そうとするなんて、決してあり得ない話だからだ。
「そのひきような振る舞いと性根を、我がまなこが見抜けぬと思うたか」
 父のみならず、母から受けるのは嫌悪と拒絶。
 妹から注がれる視線は、変わってしまった私の両手にあり――。
 私たち姉妹を捜すため集まった村人達の前で、私は家族に捨てられた。

第一章 出会い来たりて

 私に許されるのは掃除と、荷物持ちと、雑用だ。
 この日は庭の池にひざうずめていた。足の裏にドロドロとした感触を味わいながら身をかがめ、池に落ちた葉っぱをさらっている。
 とっくに寒い時期だから吐く息は白く、冷たさが身に染みていた。
 足や腕は真っ赤に染め上がっているのに、額からは汗が流れ続ける。
 生臭さには慣れているが、折り曲げ続けた腰が痛く、身を起こしたところで、庭続きの部屋から笑い声が届いた。
 ちらり、と向こうには悟られぬよう視線を向ければ、私の家族がだんらんしている。お父様の冗談にお母様は肩を揺らし、妹のは口元を隠しながら目を和らげていた。
 少し距離があっても、彼らの談笑は嫌でも耳に入る。喜びに弾んだ声のお母様が、妹の夜永に話しかけていた。
「夜永ったら、あんな良縁、今後ないかもしれないのですよ」
「その調子だと、が先に嫁ぐかもしれん。分家に先を越されてどうするというのだ」
 笑い声を含めるお父様に夜永が答える。
「璃緒子もよく働いているのだから、あの縁談をあげてもよかったのではなくて?」
「馬鹿を言え。本家を差し置き、分家の娘が先に婚姻など許さん」
 この間、隣町のお医者様から申し込まれた縁談だ。
 代々続く医師の家系で、息子さんが夜永にひとれしたとかでお話が来た。夜永に求められるのはお婿さんをとることだから一度は断るも、お相手はそれでも息子を差し上げたいと、お父上自ら話に来た。
 これまでたくさん申し込まれた縁組の中で、もっとも良い縁組だ。
 家柄も申し分ないから、誰もがうらやむ婚姻になる……皆そう思っていたのに、夜永は縁談を断った。その上で隣町を騒がせていた『事件』を鎮め、事を荒立てずに収めたのだ。
 元々有名だった夜永はさらに名が売れた。私が池の掃除を命じられたのも最近はひっきりなしにお客様が訪ねてくるから、景観を整えるためのものだった。
 かじかむ指が限界を訴えているせいで、小さなうめきが漏れてしまう。
 私の行動は見張られていたのかもしれない。
 部屋を出た夜永がまっすぐに私のもとへやってくる。
 彼女は絹糸のような黒髪を、耳くらいまでの長さにまとめていた。顔立ちは均斉が取れており、通った鼻筋と薄く整った唇が、高貴な印象を与えるだろう。能面のような表情が冷たさをはらみ、近づきにくさを感じるが、これが彼女に神秘性を与え、村の人達に崇められている。
 仕立ての良い着物を着こなした彼女こそ、調月家のお姫様だ。
 自然と身構える私に、夜永はまゆを寄せながら言った。
「いつまでも視界に入って、不愉快よ。掃除くらい早く終わらせられないの?」
「あの、足元がぬかるむし、水が冷たくて……道具を使っては駄目……かしら」
「道具は人間のために用意されているの。お前が使っていいものではないわ」
 ……無駄だとはわかっていたけど、やはり認めてもらえない。
 指先は真っ赤になっていて、すでに冷たいという感覚を超えて痛みを覚えている。掃除がまったく進んでいないためか、夜永の機嫌は悪く、冷え切った視線が私に刺さった。
「お前のようなけがらわしいあやかしきを養ってあげているのに、その恩すら忘れたみたいね?」
「忘れたなんて、ことは……」
 あやかし憑き、という言葉が心臓にずぶりと刺さる。
 この言葉を言われるたび、お前はもう調つかつき家の次期当主でも、長女でもないのだと現実を突きつけられるせいだ。
 夜永の注目は、包帯を巻き付けている私の両手に向かった。
「……それに、どうして手袋を外しているの。そんな許可は出していないでしょう」
「包帯をしているから、醜態はさらさないかと……」
「言い訳するの?」
 夜永の態度と言葉に含まれるのは憎悪だけで、かつて私を慕っていた面影はない。
 そう、少なくとも、八年前からずっとこんな感じで、姉妹らしい会話は一度もしていない。
 私は深々と頭を下げた。
 それでも……我ながら未練がましくあきらめも悪いと思っているけど、夜永をいとおしく思う気持ちが、この胸に絶えず生き続けている。
「申し訳ありません。使用人の分際で過ぎたことを申しました」
「お前はもう次期当主ではないのだから、分をわきまえてちょうだい」
「はい」
 ようやく穢らわしい使用人が従順になったからか、夜永は興味を失ったようだ。
「皆の目が汚れるから部屋に戻って。明日の朝までには、仕事を終わらせておいて」
「明日の朝、ですか」
「お前、それくらいしか能がないでしょう?」
 私の仕事は屋敷の掃除だけにとどまらず、庭の雑草抜きや、廊下のき掃除に倉の整理も言いつけられている。確実に時間は足りないから、夜にでも掃除をしろということだろうか。
 だけど夜は、昼とは比にならない冷え込みになる。
 もう少し恩情をくれないか直訴したいが、ぐっと下唇をんだ。
 こんなときは大人しく従ってやり過ごすのが、この八年で培った処世術だが……。
「あの、夜永……」
 嫌悪感たっぷりに眉をひそめられる。
 きっと様付けをしなかったせいだろうが、構わない。
 遠目からでも気になっていたが、間近で顔を見て確信したのだ。
「顔色が悪いわ。夜遅くまで部屋のあかりがついているし、ちゃんと寝てる?」
 見ていた感じ、お父様やお母様は気付いた様子がなかった。
 両親が何も言わないのなら、使用人に注意できる人はいない。私のことは気に食わないだろうけど、せめて心に留めておいてくれたらと尋ねたら、妹は目を見張り、次いで怒気に顔をゆがませた。
「お前なんかに心配されるいわれはないわ! さっさとあっちに行ってちょうだい、気持ち悪い化物め!」
 ……気持ち悪い、か。
 妹にそう言われるのは堪えるけど、これで不調を自覚してくれるだろうか。
 夜永に追い立てられた私は庭掃除から解放されるが、どこにいってもこの身の扱いは変わらない。着古した着物に藻をまとい、歩きながら地面をらす私を、調月家の使用人達は避けて歩く。
 聞きたくはないけれど、聞こえるようなちようしようを、私の耳は拾う。
「あやかし憑きの分際で、よく生きていけるものだ」
「おまけにとろくさい。掃除は中途半端、飯炊きひとつできないし……」
「馬鹿言わないで。あんな汚い手で、人様が口にする米を触らせられるもんか」
「あんなのが調月の跡継ぎだったなんてね」
「腐った性根をお天道様は見抜いてたんだ。あやかしに憑かれたのも天罰だ」
 声はわざとらしく大きいけれど、ちらりと彼らを見れば、の子を散らすみたいに、慌てた様子で解散して行く。
 悪口を言っても「あやかし憑き」に報復されると怖いから知らない振りをする。
 この八年間、私は誰一人として襲ったことなんてないのに、ありもしない幻想を彼らは抱いている。
 これからだって誰かを傷つけるつもりはないけれど、言ったところで聞く耳を持ってもらえないのは、身に染みて知っている。だから私にできるのは、せいぜい彼らの目が届かない場所に逃げるくらい。でも、いつか夜永と和解できたら、また皆と話せる機会が生まれるだろうし、仲良くなれるはずだ。
 だって夜永は本当に心優しい子なのだから、いつか「あんなことがあったね」と過去にすることができる……そう信じている。
 いまはまだ私の希望に火がともる気配はない。未来を考えると胸が痛いが、諦めてしまったらおしまいだ。
 己を奮い立たせて向かったのは、私以外、誰も使っていない井戸だ。
 水をすくい、汚れを落としながら、ひざまで着物をまくる。
 確認するのは、先ほど転んだ拍子についた傷。
 池には鋭い石片が落ちていて、ざっくりと肌を削ってしまった。実は帰る途中から絶えず血を流していたが、誰も何も言わないのは、これが日常茶飯事だからだ。
 普通なら、汚れた水をたっぷり浴びた傷はひどく悪化する。
 でも、私の場合はその心配はない。
 傷は異様な速さでふさがり、あっという間に傷ひとつない肌に元通り。あまりにも人離れした治り方で不気味だから、みな私に近寄りたがらない。
 ぐう、と鳴るお腹を水で誤魔化し、汚れを落として戻るのは物置。
『調月天音』が次期当主として認められなくなった日、お父様に髪をつかまれ、引きずられながら押し込まれた部屋だ。布団を敷けばそれだけで床が埋まってしまう狭さの部屋の中で、いくら干しても柔らかさを取り戻せないせんべいとんに座る。
 全身がひどく重いのは、まともに食事をっていないから。
 普段から薄いおしると、小さなおにぎりしか食べていないのに、今朝は渡り廊下の落ち葉が、私が廊下を通ったせいだとされて朝食抜きになった。
 怪我を治すと、ひどくお腹がく。
 自分で調節できる力でないのはもどかしいが、このおかげで、私は理不尽な仕打ちに耐えられている。冷水でいたがゆくなっていた手足もじきに元通りになるが、私にはそれよりも向き合わねばならないことがあった。
 両手の平を覆う包帯だ。
 普段、私はずっと両手を隠すために手袋と包帯を装着している。
 汚れた布を取り払うと、私が皆から嫌悪される本当の理由が空気に晒された。そこにあるのは傷よりもひどい有様で、いつまで経っても自分の手の平を直視できないまま、清潔な布をまき直し、手袋を付ける。
 これで一息吐けるかと思ったが、直後、戸が乱暴にたたかれた。
 断りもなく戸を開いたのは、おしろいを惜しげもなくはたいた少女だ。
様から、村長を招いて宴会をするから、決して部屋から出るな、ですって……まったく、あたしを伝達に使うなんて……」
 嫌々立ち寄ったのを態度に表している彼女は、の璃緒子。
 分家筋の娘で、夜永付きの女中として重宝されており、他の人達よりは格が高い。いつも着飾っているので、彼女が『調月家の長女』と間違われることが多々あった。
 昔は仲がよかったが、いまやそんな面影はじんも感じられない。
 言伝へ了解の意を伝えるためうなずくと、彼女は叩きつけるように戸を閉じる。これもいつものことだから驚かないが、再び戻ってこないかは重要だ。
 しっかりと耳を澄ませ、彼女が完全に去って行ったことを確認すると、私は着替えを置いてある衣類盆を持ち上げた。盆に隠れた床の端、少しコツを必要とするが、上手に押せば切れ目を入れた反対側が浮くのだ。
 底に隠したのは、紙と布に包まれた数冊の冊子。これらは倉整理の際に積んであった蔵書を、隙を見て持ち出したものである。
 虫食いが多いが、まだまだ読める部分はたくさんあって、これには調月が調霊した霊にあやかしの特徴や、昔首都で起こった事件が載っている。
 私にはもう調霊の才がない。
 だから昔だったらいくらでも視られた霊と話せないし、勉学は必要ないと書物は取り上げられてしまった。
 毎日掃除ばかりで疲れていても、学ぶことをあきらめたくない。
 小さな格子状の窓から差し込む光をあてに、私は夢中になって本を読み進める。
 これだけが私にとって人らしく過ごせる時間だった。

◆◆◆

「あ、ツバメ」
 田畑をすれすれに滑空する鳥に思わず声を上げる。
 雲ひとつなく澄み透った空に夕焼けの朱がまぶしく、そんななかに飛来した一羽の姿が見えなくなるまで、私の目はツバメを追い続けた。
 ツバメが低く飛ぶと、雨が降ると言うんだっけ。
 昔、村のおばあさんが言ってた言葉だったけど、おばあさんは元気だろうか。
 けど少なくとも、今は山の向こうの地平線は晴れ渡り、どこまでも気持ちの良い風が吹いている。ここは山々に囲まれているから都会よりも空気が澄んでいると、行商さんが話すのをこっそり聞いていた。
 私はお使いの途中にもかかわらず足を止め、燃えるような朱色に目を奪われている。深みを増していく朱の光には、まるで飽きない。畑も家も、なにもかも分け隔てなく金色に染め上げる様は、まるで空から大地に向かって光が手を伸ばしているようだ。
 渡り鳥たちが羽ばたけば、空という画布に小さな影を落とす。少しだけ無粋と感じたのは、これから村に配備されていく電信柱だ。
 両親や村長はやっと村に電気が通ると喜んでいたが、この大空という美しい絵画に入り込むであろう電線を、私はちょっとだけ無粋と感じる。
 今は村の集会が行われているから、ほとんど人とすれ違う心配はない。私は誰にもはばかることなく外出できたおかげで、胸いっぱいに空気を吸い込むことができて、体の中がれいに入れ替わる気分だった。
 肩の力を抜いてぼうっと立っていたら、注意散漫になっていたらしい。
 背後に人がいることに気付いたのは声をかけられてからだ。
「もし、そこの方」
 抑揚のない低い声は殿方のもの。
 私に普通に話しかけてくる人はいないはず。
 振り返れば、目に飛び込んだのは軍の真っ黒な制服で、それが殿方の胸の部分と気が付いて、顔を持ち上げれば、髪をでつけた眼鏡の殿方と目が合った。
 細身で、とても背が高い軍人さんだ。
 けんしわが寄っており、り目がちの目元には、にらまれていると錯覚しそうだ。
 私は夕陽に見とれ、周辺に気を配るのを怠っていた。
 いつのまにか接近を許していたので、反射的に肩を跳ねさせてしまう。その反応に軍人さんが胸の前に両手を持ち上げ、私に手の平を見せながら一歩下がった。
「失敬。驚かせるつもりはありませんでした。貴女に道を尋ねたく声をかけさせてもらったのです」
「失礼しました。村の外からいらした方にご無礼を……」
「いえ、こちらこそもっと早くに声をかければよかった」
 蒸れるせいで手袋を外していたから、包帯があらわになっている。それとなく手袋をめながら、手に注目されないようそでで隠す。
 軍人さんは怒っているような顔つきだけど、所作や言葉はとても礼儀正しい。
 安心して胸をなで下ろすと、あらためてその人……違う、その人達を見ることができた。皆さん揃って制服に身を包み、がいとうを羽織っている。村の駐在さんの制服に似ているが、良質な生地や糸のまつりは職人技だから、一目で村外の人だとわかった。
 こんな片田舎ではなく、もっと華やかな都会の住人達だろう。
 私は首を傾げた。
「もしや道に迷われたのですか?」
「お恥ずかしながら、不慣れでして」
 不思議な事に、気さくに話しかけてきた方が一番目立って地位が高そうだ。まだ二十代だろうに、後ろに控える年上の方々より威厳があるし、お召し物にも差があった。
 険しいお顔にされてしまいそうだけど、私が驚いたのに気付き、とつに下がってくださったのを間近で見ている。
 見た目ほど怖い人ではないとわかれば、安心して口を開けた。
「この村のどなたに御用でしょうか。村長でしたら、いまは外れの集会所にいます」
 居場所を知っているのは、私が村人の前に姿を現すと煙たがられるから、自然と人の出払っている日時を覚えるようになったためだ。
 私の問いに、軍人さんはいいえ、と答える。
「村長ではなく、調月家を教えていただけないでしょうか」
 驚いて固まる私に、軍人さんがまゆを寄せた。
「……どうされました?」
「い、いえ、なんでも。調月家でしたら、私がご案内します」
「それには及びませんよ、お嬢さん。もう日も暮れるし、遅くなっては御家族が心配する。道だけ教えてもらえれば十分です」
 ……ああ、私、いま心配してもらったんだ。
 調月では言わずもがな、村人に話しかけても無視されたり子供を隠されるくらいだから、相手にとっては当たり前の対応が新鮮だ。どぎまぎして、おかしな挙動になっていないか心配だが、なんとか平静を装った。
 最近の調月家は名が知れているから、軍人さんが訪ねてきてもおかしくないが、こんな立派な方が来るなんて、驚きしかない。
 この軍人さんはまとう雰囲気がとても重い。
 目元が特に怖い御方だが、人と普通に話せるのが久しぶりで、胸にこみ上げる懐かしさに微笑みを隠せない。
「ご心配ありがとうございます。ですが調月は私のすみでもありますし、ちょうど帰るところでした。お客様を放っては𠮟られてしまいます」
 微笑んでから歩き出すと、軍人さんは、慌てた様子でついてくる。
「貴女は調月家の使用人ですか?」
「……そのようなものです」
 どう返事をしてよいのかわからずあいまいな言葉になったが、幸いだったのは、家までさほど距離がなかったから、深く尋ねられることがなかったということ。
 軍人さん達を家にお連れすると、ちょうど使用人の一人と出くわした。私はここで会ったのが璃緒子じゃなくてよかった……と安心しながら声をかける。
「ちょっとよろしいですか」
「え?」と返す相手の反応に、私の中で一気に不安が膨れ上がる。
 話しかけたのが私だと気付いた使用人は、おびえるような目つきになった。
 関わって欲しくない、そんな雰囲気を丸出しにしている。
「なんでしょうか。ご覧の通り、自分は忙しいのですが」
「お父様にお客様です。忙しいところ悪いですけど、こちらの方々を中まで案内してください」
「あまね様がお連れに……?」
 お客様の前とあって、ぎりぎり使用人としての体裁を取り戻してくれたらしい。
 ただ、私が案内したのが悪かったらしく、ろんげなまなしは変わらない。
「いったいどなた様でしょう。だん様は、約束のない方とはお会いになれません」
「だめよ、なにを言ってるんです!」
 たまらず叫ぶと、使用人がむっといらちを見せたが、これは譲ってはならない。
 普通のお客様相手でも許してはならない態度だが、この人達の場合は特に黙ってはいられない。だって彼らは、この国を守護する軍人だ。それもただの軍人でないのは装いでいちもくりようぜんなのに、無礼を働いては調月の名をおとしめる。
 ただ、私の意図は届かない。
 一笑に付されたのはいつもの事だから構わないが、慌てて軍人さん達に頭を下げる。
「大変申し訳ありません。いますぐ父を呼んで参りますので、どうぞ中にお入りください。そこのあなたは、皆さんを中にお通ししてください」
「旦那様の許可もなく勝手をされては困ります。大体なぜ貴女に命令を……」
「とにかく、くれぐれも失礼をなさらないで!」
 自分たちの振る舞いが調月家の顔だと理解できていないなら、他の人も期待できない。こうなったら私が直接伝えに行くしかなく、使用人の制止を振り切ろうとしたところで、聞き慣れた声が割り込んだ。
「大声を出して、一体何事なの」
「夜永……」
 私に名を呼ばれた夜永は一瞬不快そうになったが、すっと表情を繕うと、すぐさま軍人さん達に向き直った。その所作は洗練されており、一挙一動を美しく刻み込むため生まれたかのように優雅さがにじみ出ている。
 彼女が私をいないもののように扱うのはいつもの事で、一直線にお客様方に向かい、先頭にいた眼鏡の軍人さんへ深々と頭を下げた。
「お客様を前に見苦しいものをお見せいたしましたこと、おびいたします。わたくしは調月は次期当主を預かります、調月夜永と申します」
「そうですか、貴女が、あの調月家の才女」
 この方は夜永を知っている?
 私は感心するような口ぶりに疑問を覚えるが、すぐにごとではいられなくなった。夜永が顔の角度を私の方に曲げたからだ。
「騒がしくしてしまいましたが、あちらの者に無礼はなかったでしょうか」
「親切に案内していただきました。踏み入ったことをお尋ねするが、彼女は……」
「田舎者ゆえ、都会の方には無作法に映ったことでしょう。使用人の失礼を、この通りお詫びいたします」
「使用人、ですか」
 眼鏡の軍人さんが渋い顔になるのは、私の正体を探っていたから、かもしれない。夜永の評判を知っているのなら、その姉の存在も知っていたはずだ。
 夜永も微妙な空気を感じ取ってか、すぐに考えを改めたらしい。
 かなり久しぶりに、私の名を口にした。
「あちらは調月家の長女「あまね」ですが、我が家においては使用人と変わりません。皆さまもどうか、あれは路傍の石と捨て置き、家へお上がりください」
 ……案内だけして隠れようと思っていたのに、ばらされてしまった。
 同じ調月の娘でありながら、破れた衣を何度も直して着ている私と夜永では、天と地ほどの差がある。
 すっかり慣れたつもりでいたが、改めて紹介されると、自分の扱いを思い知らされて立場がなくなった。
 お客様方の視線を悪い方へ考えてしまうのだ。
 姉妹を比べられているような気がするし、夜永の姉なのにみすぼらしい人間だと思われるのも恥ずかしくて、私はうつむく。すると着物のそでに知らない汚れを見つけたが、慌てて隠しても後の祭りだ。
 このまま行ってほしいと願っていると、私の視界に軍靴の先端が映りこむ。
 なぜか眼鏡の軍人さんが私の前に立っていた。
「顔を上げていただけますか」
「あ、の……ご当主がお待ちですので、私のことは、どうか……」
 眼鏡の軍人さんが私へ会釈した。
 かつて私に親切だった人は、家族や村民が私を冷遇すれば同じように扱ってきたのに、この人は最初の態度を変えようとしない。
「調月のご息女とは知らず失礼しました。自ら道案内を感謝いたします」
「い、いえ。こちらこそ、名乗りもせず大変失礼を」
「私はわのこくなかつかさ省所属のあまかわえん。以後、どうぞお見知りおきを」
 天津川……?
 聞き覚えのある名に記憶を探るが、それより中務省の名も気になった。これはこの日ノ和国に君臨する、みかどを助ける省のひとつだ。
 まさかの自己紹介に、私は挙動不審になる。
「ありがとうございます……私はあまねです。調月あまねと……」
「よい名です」
 天津川さんは普通の対応をしたつもりだろうが、私は困った。なぜなら普段忌々しそうに呼ばれる名を、褒められると思わなかったせいだ。
 だけど、これが最初で最後のかいこうのはず……そう思っていたら、不意にお腹がぐぅ、と音を上げる。
 まるで時が止まってしまったかのような沈黙だが、現実は一瞬だ。
「し……つれいしました」
 私は相手の顔が見られない。
 きっと笑われていると恥ずかしくなっていたら、天津川さんが懐に手を差し入れた。
「どうぞ」
「え?」
「大した物は持っておりませんが」
 皆には「卑しい」とけなされて終わるから、笑いもせず、ただただまっすぐに私と人として接してくれる……そんな反応に、どう動けばよいのか忘れた。
 ポカンと間抜け面をさらしてしまったからか、それとも鈍くさくてしびれを切らしたのだろうか。天津川さんは私の手を取ると、取り出した小さな包みを置く。
 両手で包みを握らせると、急いで私から離れた。
「渡すためとはいえ、軽率に触れてしまったのを詫びます」
「あ、お待ちください。これは……」
「手をくのにお使いください」
 包みと一緒に渡されたのは、つるししゆうが入った、白いハンカチーフ
 手と言われたが、私はあちこち汚れているから、れいにしろと伝えたかったのだろう。しかし彼の言葉には人をちようしようする響きはなかったし、香をきしめた上物をちゆうちよなく渡す姿はこなれていた。
 私が鈍かったせいなので、謝ってもらう必要なんてどこにもない。とんでもない、と声を出そうとしたところで、夜永が私を止めた。
「お客様、どうぞこちらへ」
 いつのまにか他の使用人達が揃っている。
 夜永は機嫌が悪いし、普段より輪を掛けておどろおどろしい表情の璃緒子と一緒に、私は天津川さん達を見送った、のだが……。
「なによこれ」
 お客様達の姿が見えなくなった途端、璃緒子に包みを奪われた。手巾は寸前で守れたが、包みを取り返そうと手を伸ばしたら、ピシャリと腕をたたかれる。
「ご立派な軍人さんに物をいただくなんて、あんたには分不相応よ。それにあの人、いかにもご身分の高そうな人だったじゃないの」
「璃緒子、お客様にそんな言い方は失礼になるわ。それに、それは私にくださったものだから……」
「なに? いつもはらしく従うくせに、急に逆らうじゃない」
「そんなつもりは……」
「何様のつもりで、あたしに向かって偉そうにしてるわけ」
 人からいただいたものを勝手に渡しては礼儀に反する。璃緒子は怖いが、それでもめげずに手を伸ばしたら、彼女はにぃ、と口角をつり上げた。
 ――しまった。
「いやああ! あまねに叩かれるぅぅぅ!」
「あ……」
 脳裏によみがえるのは使用人達のさげすみの目。
 私の物が取られたと訴えても、助けてはもらえない。それどころか、璃緒子にしつけと称して木刀で叩かれかねないと、これまでの経験則で知っている。恐怖にまれた私は反射的に駆け出して、狭く小さい部屋に縮こまりながらひざを抱く。
 あまりに自分がみっともなくてつぶやいた。
「情けない……」
 今日はあきらめてくれたみたいでも、普段だったら「気に入らない」と追いかけてこられるのも珍しくない。言いたいことも言えず、せっかく奮い立たせた勇気も、叩かれる怖さで消えてしまった。
 それだけだったら……まだマシだ。惨めな思いをするだけで終わるが、今日は別。せっかく親切にしてくれた天津川さんの厚意を無駄にしてしまった。
 せめてあの方のお帰りを見送りたいけど、もう表に出るのは許されないだろうか。みな接待に夢中のようで私のゆうは忘れられ、外もすっかり暗くなった頃、私はお父様達に呼び出された。

◆◆◆

 静まりかえり、緊迫の雰囲気が漂う大広間。
 どうやら私の到着を待っていたらしく、気まずい思いでいると、お父様が強いせきばらいをこぼす。私はあごの動きと視線で意図を察し、家族から離れた末席に正座するが、大広間で座布団を用意されたのは子供の頃以来だった。
 私が腰を下ろしたのを機に、それまでピンと背を伸ばし、目を閉じて正座されていた天津川さんがお父様と目を合わせた。
「さて、これで調月家の皆さまは揃われたか」
 ……もしかして、私を「皆さま」のくくりに入れてくださったのは天津川さん?
 余計な人間を挟んだため不満そうなお父様に、天津川さんは堂々と胸を張っていた。
「初めにも申し上げたが、突然の訪問、失礼つかまつる。またご当主におかれては、ご壮健であらせられること、心よりおよろこび申し上げます」
「天津川様こそ、遠路はるばる当家へお越し頂き痛み入ります」
 お父様は礼儀正しく振る舞っているようで複雑な表情をしているから……やっぱり天津川さまのことを覚えているのだろう。
 私もあおいきようの天津川さまと聞いて思い出したから間違いない。
 天津川は、昔、お父様が私の婚姻先として申し込んでいた家だ。
 しかし真相としては一方的な申し入れだったらしく、相手にもされていなかった。あいさつに向かった先で無下にされたのは、お父様の苦い思い出と化している。とてもきようが高いから「調月が縁談を断られた」という現実を認められなかったのだ。
 私の存在と同じように、縁組を申し込んだ事実そのものをなかったことにするため、天津川さんにその話をすることはないのだろう。
 こんな経緯を思いだしたのもあって、私は天津川さんが気になって仕方ない。婚約はお断りされているから縁なんてあるわけもないけど、ぜんとされた姿が目を引いて、視線をそらせないのだ。
 天津川さんは早々に本題を切り出す。
「押しかけた身ゆえ、時間を取らせるのは本意ではない。本日は日ノ和国葵京、きた家、当主・北久世しゆうすいの代理として参りました」
 北久世家の名を聞いた途端、お父様は身を乗り出す。
「なんと。もしや北久世家とは、帝がおわすきぬがわを守られる、守護筆頭でいらっしゃいましょうか」
「いかにも。ご当主はご存じでいらっしゃいますか」
「それはもちろん。かつて調月が葵京に在った頃、北久世家の名前を聞かぬ日はなかったと記録に残っております」
 まさかみかどの名前が出てくるとは思わず驚いたが、天津川さんはお父様の「守護筆頭」という単語に、目元をピクッとけいれんさせる。
 目は明らかに不機嫌そうだったが、お父様は気付いていなかった。
「主上の覚えもめでたい北久世様が、我が家に一体何の御用にございましょうか。すでにご存じかと思いますが、調月家は落ちぶれて久しく、かようなへきで細々と暮らすばかりにございます」
けんそんは結構。確かに調月は最後の調霊師が没して以降、都を離れたことは記録に残っておりますが……」
 調霊師、とは読んで字のごとくの役職だ。
 陰陽師ほど有名ではないが、たまと心通わせ、時にあらみたまを鎮める才能を持った特殊能力を有する人を指す。都においては鎮魂以外にも、霊の記憶を読みとることで、警察では手に負えない事件の手がかりを入手していた。
 調月家のご先祖様は、数多くの調霊師の中でも特に優れ、かつては政治の要所である朝廷に属していた。
 しかし調月家が調霊師を輩出できたのはそうの代まで。この時点で調霊の才は弱まっており、都での権力争いに負けたのをきっかけに田舎へ本家を移した。
 以降、華やかな生活から一転して、うら寂しい日々を送ることになる。にぎやかだった調月家はまるでうち捨てられたように忘れ去られ、都からお声が掛かることはなく、現在まで暮らしている……と、盗み読んだ本に書いてあった。
 天津川さんが人さし指で動かした眼鏡が光る。
「今代において、たぐまれなる調霊の才を持つ調霊師が誕生されたこと、噂は都にまで届いております。貴殿のご息女、調月夜永殿のことですな」
「そ、それは!」
 お父様、隠しても隠しきれない喜びが見え見えだ。
 口では調月家を卑下するような発言をすれど、かつての威光を取り戻そうといている。そしてお父様の期待を背負った夜永は、皆の期待にこたえ続け、数年前から近隣のめ事を解決しはじめた。隣町のお医者さんからの求婚も、この調霊による結果がもたらしたものだった。
 一方、私は「あやかしき」だから、誰からも期待をかけられていない。
 普段はお客様の前に姿を現すことすら許されないし、合間にお茶を入れ替える璃緒子が、私へ「なんでこの場にいるの?」と目で訴えたくらいだ。
 ……私はもう、家族の一員ではないのだと改めて思い知らされる。
 心にグサリと刃を突きつけられた心地で、気をらすために、いよいよ本題に入ろうとする天津川さんの声に耳を立てた。
 そこで伺ったのは、まさに信じがたいような内容だ。
「北久世家は当主のはんりよたる女性を求め、花嫁を探しております。そのため貴家とのしんぼくを深めたいとの由、ここまで申し上げればご理解いただけるでしょうか」
「なんと……まさか、北久世家のご当主が我が家の夜永を……」
 感極まったお父様に、天津川さんはこほんと咳払いを零す。
「北久世は古き血を有する、主上の覚えもめでたき退魔の宗家。つきましては、中務省から立会人を務めよと仰せつかっております」
 お父様はさっきから、名前しか出てきていない北久世の名に感激しきり。
 縁組を持ちかけられた夜永は……平然とした顔をしている。こんな風に突然話を進められて、嫌ではないのだろうか。
 恋愛なんて期待できないのはわかっているけど、せめて好いた人と一緒になってほしいと思うのはいけないことだろうか。
 だけど……都でお見合いをするなら、家族は不在になる。
 ほとんどの人間が随従するだろうし、人の目がなくなるなら、亡きお祖母様の書庫に入ることができるかしら。
 私が内心で計画を立てる間に、お父様はお見合いを快諾した。
「かような名誉、お受けせねば非礼にあたりましょう。調月家は是非とも北久世家ご当主にお目通り願いたい。なあお前!」
「ええ、ええ、本当にそう思います。ねえ夜永、貴女もそう思うでしょう?」
 お母様に促され、それまで口を閉ざしていた夜永が顔を上げる。
「天津川様」
 りんとした雰囲気を漂わせるふうぼうからは想像も付かない、鈴を転がすような声音。天津川さんの後ろに控える殿方が、夜永のうつくしさに目を見張った気がした。
 天津川さんは動じず、無言で続きを促す。
「お願いしたき儀がございます」
「私に答えられることならば、なんなりと」
「わたくしが北久世秋水様にお会いすることは問題ございません。であれば、わたくしが都へ赴くことになるのでしょう」
「秋水殿は忙しい。葵京を離れられないゆえ、そうなるでしょうな」
 ピンと張り詰めた空気に、我知らず胸がどきどきしている。傍観者のつもりで二人を眺めていたら、なんと夜永がまっすぐに私を見た。
「都へは父母でなく、こちらのあまねを同行させたく存じます」
 まさかの言葉に、両親が腰を浮かす。
「待つんだ夜永、お前はまさか、あまねを……」
「自分がなにを言っているのかわかっているのですか!」
 驚きで声を出せない私と違って、夜永は毅然と付け足した。
「お二人は口をお閉じください。仮にこの身が嫁ごうとも、わたくしが調霊の才を持つ、調月の次期当主であることは変わらないのですよ」
 我が家においては、たとえお父様が権威を振るっていても、本当の権力者は調霊師である夜永になる。
 姉である私が次期当主でいられなくなってから跡目となり、何かに追われるように彼女は力を付けたのだ。
 お父様達がぐっとこらえたところで、夜永は天津川さんとの会話に戻った。
「わたくしはこのように、時に父母をないがしろにする気の強い女です。それをご承諾いただけるなら、と北久世様にお伝えくださいませ」
「……そちらについては、私が答えられる問題ではありません。ですが秋水殿なら、取るに足らない理由と答えるでしょう」
 天津川さんも降って湧いたような私を同行させる話に驚いた様子だが、返答によどみはない。
 この回答に夜永は……覚悟を決めたように見える。
 このやりとりをもって、私のお見合い同行が決まった。
 春の約束を待ち、私も都へ足を踏み入れることになったのだが、驚きはこれだけで終わらない。
 北久世様との縁談に気を良くしたお父様は、なにを思ったか天津川さんに璃緒子を紹介しようとした。ところが天津川さんは話を終えるなり、夜にもかかわらず都に戻ると言うのだ。
 引き留めたい両親と、追いすがろうとする璃緒子をかわす天津川さんは、勘違いでなければ、いわゆる型通りのあいさつで別れを告げた。
 淡々とした別れ……だというのに、私と目を合わせると、この方はいたずらっぽく笑う。
「また会いましょう、あまね殿」
 険しいお顔がくしゃりとゆがむと、途端に親しみやすさを感じさせる。
 さらりと言ってのける姿はれるほど様になっていたから、後ろ姿が見えなくなるまで、私は目を離せなかった。
 私はこの日、二度も人のあたたかさに触れた。
 久しぶりに『人』を思いだした瞬間だ。

(気になる続きは、本書でお楽しみください)

作品紹介



書 名:あやかし憑きの許嫁
著 者:かみはら
発売日:2025年12月25日

私を人間扱いしてくれた、唯一の人――
由緒正しい調霊師の跡継ぎとして生まれたが、あやかしに憑かれ、両手の平におぞましい印が現れた少女・あまね。家族からも捨てられ、使用人として苦しい生活を送る中、妹に名家との縁談が持ち上がる。話を持ち込んだのは、帝に仕える軍人・天津川紫圓。冷たく見えるが、人として対等に接してくれる彼にあまねは次第に惹かれてゆく。妹の付添で都へ行くことになった彼女は、自身の忌まわしい秘密を隠し続けられるか――。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322410000626/
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