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試し読み

『コンビニ人間』を軽やかに超える、村田沙耶香の新たなる代表作を、特別試し読み『丸の内魔法少女ミラクリーナ』②

2月29日(土)に村田沙耶香さんの最新短篇集『丸の内魔法少女ミラクリーナ』が発売されます。新刊の発売を記念して、表題作一篇を発売前に特別試し読み!
36歳のOL・茅ヶ崎リナは、オフィスで降りかかってくる無理難題も、何のその。魔法のコンパクトで「魔法少女ミラクリーナ」に“変身”し、日々を乗り切っている。だがひょんなことから、親友の恋人であるモラハラ男と魔法少女ごっこをするはめになり……。
>>第1回から読む

 ◆ ◆ ◆

 11時を過ぎたころ、レイコが暗い顔でやってきた。いつも濃すぎるくらい化粧をしているのに、今日はボロボロだ。眉毛も半分なくなっている。
「はい」
 シャワーを浴び終えたレイコに缶ビールを差し出すと、レイコは黙ってそれを受け取った。
「で、今度は何なの?」
「……また、ちょっとね……見てこれ」
 話すより見た方が早いとばかりに、タオルを頭に巻いたレイコがトートバッグからハサミでじょきじょきに切られたスカートを差し出した。レイコが好んでこの前も穿いていた、黒のタイトスカートだ。
「なにこれ……何かのプレイ?」
「違うわよ! この前、上司と昼ご飯食べに行ったんだけどさ、話の流れでそれがぽろっと彼にバレちゃって……浮気だ、って大騒ぎになって、部屋中の家具を倒して暴れまくって、こんな短いスカート穿いてるなんてお前は売女ばいただ、って、いつも通り最低の言葉で喚いて、クローゼットからスカート取り出してこうされちゃったの」
「うわあ……」
 レイコはビールの缶を持ったまま、片手でぼろぼろのスカートを握りしめた。
「上司と昼ご飯っていっても、たまたま蕎麦屋で一緒になっただけなんだよ!? そのとき食べた天ざる蕎麦が美味しかったから、今度一緒に行こうよって誘っただけなのに、お前は誰と食べたんだってしつこくて……スカートを切ったあとは、マンションの壁をずっと殴ってた。この赤くなった拳はお前のせいだって言いながら、壁を殴るんだよね。お前を愛してるから、俺はお前じゃなくて壁を殴るんだ、って必ず言うの。もう疲れた……」
「それって、もう完全に一線越えてるよね。別れた方が絶対いいよ。これ以上エスカレートしたらと思うとぞっとするよ」
 ベッドの上からレイコを見つめると、途端に気まずそうな表情になって俯いた。
「……でも、根っから悪い人じゃないのよ。彼、今会社が大変で。異動になったばっかりで、ストレスで少しおかしくなってるの。それだけなのよ」
「レイコ、お願いだから彼と一度離れて、それからじっくり考えてよ。私から見るとモラハラ被害者そのものなのにもどかしいよ。どういう状況だろうが、他人を追い詰めるようなやり方で気持ちを発散させるなんて、私は絶対に人間としておかしいと思うよ」
「理屈ではわかってるけど……。別れたら死ぬって言うし、私がいなくなったらって思うと……。もし友達が同じ状況だったら私だってそう言うけど、でもほんとに、彼は私がいないとダメなんじゃないかって思うのよ。彼、それくらい追い詰められてるの。支えたいって思うんだけど……」
「レイコにとって、支えるって、捌け口にされるってことなの? フェアな話し合いもできない相手を支えようとしてもボロボロになるだけだよ。一緒にいたら彼はどんどんエスカレートしていくだけだと思う」
「そう……かもしれない、けど……」
 開けずに握りしめたままのビールから滴がおちて、レイコのスウェットにしみ込んでいく。しんとした部屋に、私が握りしめてしまった空き缶の、パキッという音が響いた。それにも気づかずぼんやりしているレイコに、私はタオルを投げた。
「まあ、今日は遅いし、もう寝ようか」
 頷いたレイコは疲れ切っているようで、髪を乾かす気力もないようだった。レイコからぬるくなったビールの缶をとりあげ、床に布団を敷くと、「ありがと」と小さい声で言って布団にもぐりこんだ。
 私もベッドに入り、電気を消して薄暗い部屋の中で天井を見上げた。疲れているのに目は冴えているらしく、何度か寝返りを打っていたレイコが呟いた。
「起きてる?」
「ん、まだ寝てないよ」
「なんか、小学校のころ思い出すね。よくお泊まり会したじゃない?」
「したねー。覚えてる? 6年のころさあ、恵美えみちゃんちに二人で泊まってさあ。二人で盛り上がりすぎちゃって、恵美ちゃんが『リナちゃんとレイコちゃんが仲間外れにする』って泣いちゃってさー」
「あー、あった、あった。あれから恵美ちゃん、しばらく口きいてくれなかったよね」
「小学生って呑気だよねー。そんなことが人生の全てだったもんなあ。あのころ、二人して四組の川瀬かわせくんに夢中でさー。遠足の写真こっそり買っておそろいのパスケースに入れて持ち歩いたよね」
「それがまさか大人になって、壁殴る彼氏から逃げてくるような羽目になるなんてね……」
 自嘲気味に言い、レイコが布団をばさりとかぶりなおした。布団の中から微かにはなをすする音がした。
「あのころはよかったな……」
「……まあ、あのころは、何があってもヴァンパイア・グロリアンのせいだ! で済んでたからねー。レイコもまたマジカルレイミーに変身するしかないね。奴らの手が迫っている!」
「もう、その話はやめてって言ってるのに……」
 そう言いながら、レイコの声は少しだけ笑っていた。
 子供のころから、レイコは布団をかぶらないと眠れない。青いチェックの掛布団の中から、レイコの細く長い指がのぞいていた。
 その爪には水色のネイルが施されている。レイコの爪に生まれて初めてマニキュアをつけたのも、私の家でのお泊まり会のときだった。昼間、スーパーでこっそり買ったピンクのマニキュアを、息をひそめて互いの小さな爪につけ合った。
 彼のいる部屋でも、レイコは毎日布団をかぶって眠っているのだろうか。そんなことを考えながら、いつのまにか、私も深い眠りに落ちていた。

 レイコは少しの着替えを持ってきていて、しばらくはこの部屋に泊まることになった。
 始業時間も通勤時間も同じくらいなので、朝ご飯を一緒に食べて、連れだって家を出る。
「誰かと一緒に通うって、小学校の時以来かも。変な感じ」
「ほんと、ほんと」
 他愛のない話をしながら駅へ向かい、レイコはまるうち線への乗換駅で降りていく。泊まりにきてから三日ほどたち、レイコは多少元気を取り戻したように見えたが、まだ、きっぱりと別れるという結論は出していない様子だった。
 四日目の夕方、仕事を終えてロッカールームに入ると、二十件ほどの不在着信が入っていた。見ると、全部レイコの彼氏の正志まさしからだった。
 この分だと、レイコのスマホには何件着信が入っているのだろう。レイコは私より定時が1時間ほど早い。もう正志と連絡をとりあって、会っているかもしれない。ぞっとしながらも即座にレイコに電話をかけた。十回ほどコールして不安になったころ、やっと電話がつながった。
『もしもし、どうしたの?』
「あ、レイコ? ね、今どこ? 今日もうち来るでしょ。そっちにもいっぱい着信来てるだろうけど、正志の所には帰っちゃだめだよ、絶対!」
『うん、うん、まさか帰らないって。わかった、ありがと』
 心配しすぎだよと笑うレイコの声がかぼそくて、私はいてもたってもいられずに、夕飯の買い出しもせずに家へ向かった。
 息を切らして家に着くと、悪い予感が的中していた。ドアの前に正志がいたのだ。
 どうしてここが、と言いかけて、前に一度、地元の仲間の鍋パーティーの帰りに迎えにきたことがあることを思い出した。舌うちしたい気持ちを抑えて、
「レイコは?」
 と聞くと、
「中にいるよ……。開けてくれないんだ。なあ、頼むよ。リナちゃんは俺の味方だよな? 今回のことは本当に反省してるから……」
 と力ない声を出しながら、縋るように手を伸ばしてきた。私はその手を振り払った。
「ほんとに無理。すぐ帰って。レイコとは別れて」
 声を荒らげたせいか、中から物音がして、いけない、と思ったときには薄く開いたドアからすっぴんのレイコが顔をのぞかせていた。
「レイコ、許してくれ、頼むよ!!」
 レイコの顔が見えた途端、近所に聞こえるような大声をあげながら、正志がわざとらしく土下座を始めた。
 正志の頭を踏んづけてやりたい衝動にかられながら、こいつ、ヴァンパイア・グロリアンよりよっぽどたちが悪い、と舌うちした。
「とにかく二人で話し合おう。もう一度だけ。な?」
 レイコの目が揺れたのを見て、私は遮るように、「いえ、二人きりにはさせられません。入って。三人で話しましょう」ときっぱり告げた。

 出したくもないが一応お茶を出してやり、どうやってこいつをレイコと別れさせようかと思案していた。前に見たときは眼鏡をかけた線の細い男だったが、今は顔にも腹にも少し肉がついている。よれよれのシャツを着て、いかに自分をみじめに可哀想に見せるか計算しつくしたようなぼさぼさの髪に無精髭といういでたちで、わざとらしくうなだれていた。
 この男のこういうところが私はとても嫌いだった。好き勝手したあげく、最終的には同情をかって誤魔化そうとするのだ。泣きじゃくりながら、自分の都合のいいほうへ話を持っていこうとする。
 今も、わざとらしく涙を拭いながら掠れた声を出している。
「とにかく、今は俺も精神的におかしくて……異動したばかりで、上司とうまくいかなくて。ストレスで死にそうなんだ」
「ストレスに苦しんでるのはレイコのほうだよ。異動のストレスはあなたの問題でしょ。その捌け口にされる側がどんなにつらいか、想像したことある?」
「悪いと思ってるよ! 俺がレイコに甘えすぎてたんだ」
「いえ、あなたのはそういう範囲をとっくに超えてると思う」
 私の言葉にうなだれる正志に、涙ぐんだレイコが「大変なのはわかるけど……」などと声をかけている。今にも情に流されそうなレイコを押しのけるようにして、私は正志に詰め寄った。
「とにかく、もうレイコには近づかないで」
「レイコを連れ戻すためなら何でもするよ。頼むよ……」
 哀れっぽい声を出しつつ濡れた目を拭う正志の泣き顔を見下ろしながら、どうしてやろうかと考えていた。このわざとらしい泣き顔の仮面をはがしてやりたい。それくらいぶっとんだ言葉を投げつけてやろうと思案していた私は、ふと、ベッドの上に投げ出されているセリーヌのバッグと、中から見えているポーチに目をとめた。
「何でもやるって言ったわよね」
「当たり前だろお、またレイコと暮らせるようになるなら何でもやるよお……」
「じゃあ、魔法少女になりなさいよ」
「え?」
 目元を拭って哀れっぽい声を出していた正志が、ぎょっとして目を見開いた。
「レイコのこと好きなんでしょ? 私たち、小さいころ、ほらちょうど『魔法少女キューティープリンセス』が流行っててさ。二人で放課後、魔法少女ごっこして遊んだのね。コンパクトで変身して、私はミラクリーナ、レイコはマジカルレイミーになってさ。5時のチャイムが鳴るまで毎日夢中で遊んでた」
「え、いや、それは、そういう思い出は俺にもあるけど、そ、それが……?」
 可哀想ぶる演技も忘れて間抜けな声を出している正志を見て、少しだけ胸がすっとした。その顔を見てやりたかったのだ。しどろもどろの正志に私はさらにたたみかけた。
「この間、レイコ言ってたよ。あのころはよかったって。昔に戻りたいって。あなたがレイコをそんな気持ちにさせたんだよ」
「そ、それは本当にすまないと思ってるよ……」
「本当に反省してるなら、レイコが小さいころ遊んだ思い出を、あなたが実演してみせてよ。レイコをあのころに戻してあげてよ。あなたがレイコの子供時代を再現してみなさいよ!」
 自分でも言っていることがよくわからなかったが、とにかく無茶苦茶に責め立てた。正志は完全にこっちの勢いにのまれている。できないなら出てけと叫ぼうとさらに口を開いた瞬間、正志がひっくりかえった声で言った。
「わかった!」
 一瞬部屋がしんとして、レイコも私もぽかんと正志を見つめた。
「わかったって……何がわかったのよ?」
「要するに、レイコが昔やってたみたいに、魔法少女ごっこをして遊んでみせればいいんだろ。俺はレイコを愛してるから、そんなことくらい平気だよ。俺がレイコの代わりにその、マジカルレイミー? とかいうやつになるよ!」
 今度はこっちがたまげる番だった。
「ま……マジカルレイミーって、そんなの無理に決まってるじゃない。私たちもう大人なんだよ」
「いや、俺はやる! 俺はマジカルレイミーになって、レイコへの愛を証明してみせる!」
 絶句している私を後目しりめに、正志は立ち上がってレイコの手を両手で握った。
「レイコが俺のもとに帰ってくるなら、俺はどんな恥だってかくよ!」
「正志……」
 レイコは感動したように涙ぐんでいた。だめだこれは、と思いながら、私は机の上にあった正志の煙草を一本取り出してくわえた。そもそも、魔法少女になるのが恥って何だ。レイコならいいが、人を傷つけてストレス発散している正志には言われたくない。火をつけて普段吸わない煙を吸い込むと、メンソールとニコチンの入り交じった苦い味に顔をしかめた。何の因縁か、その箱にはレイコの必殺技、ミントスプラッシュが英字でレタリングされていた。

〈第3回へつづく〉

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村田沙耶香『丸の内魔法少女ミラクリーナ』

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村田沙耶香丸の内魔法少女ミラクリーナ』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321903000373/


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